ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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陸の怪【サテツの国の女王】

レイシーとアリス

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 鏡に映ったのは道路に飛び出す黒猫。そしてそれを抱いて泣くレイシーに似た少女。泣く少女に近づき、赤い液体の入った小瓶を見せる〝 あいつ 〟…… 不服ながら俺の上司。
 
「飼い主、もしくはご主人様ではなくて?」
「なんだってお前らみたいなやつは心を読んでくるんだよ」
「キミの精神に直接鏡を通して見せているものだからさ。鏡と精神を直結させている。そりゃあ見放題だろうね」
 
 うっわ。
 先に言ってくれよ。今は仕方ないけど。
 
 映像は続く。
 死んだ黒猫の怪我が繕われるように修復されていき、不気味に笑うあいつ。
 そして次に映ったのは少女が怪我をする多数の場面。それも黒猫の傷があった場所と同じ場所に。
 次第に怪我の頻度は増え、重くなっていき、最後には病院生活が待ち受けていた。
 それを眺める黒猫に、余計な知恵を授ける真っ黒な烏。
 …… あの烏からはあいつと同じ感じがした。
 そして、その感覚は赤い液体を飲まされ、復活した黒猫からも。
 
 黒猫は烏の助言を受けて文字通り、体が〝 作り変えられて 〟いった。
 体内から飛び出た真っ赤な尻尾…… いや、あれは触手のようなものだった。明らかに黒猫とは別の生き物に成ってしまっている。
 
 黒猫の原動力は、独占欲。
 死んだ黒猫と、同じ場所に怪我をするレイシー。
 怪我をしなくなった黒猫。
 どちらも同じ場所に〝 あいつ 〟の姿あり。
 
「…… なるほどな?」
「今のを見て、なにか分かったかい?」
 
 ああ、分かった。
 あいつは俺から見て後味の悪い物語を演出するのが好きだ。
 そんなこと今までの経験で理解している。
 それを鑑みて今ある状況を整理してみれば…… ? 
 
 元の黒猫には嫌な感じがしなかった。
 あの液体を飲まされてから黒猫はあいつと同じ感じがするようになった。
 
 黒猫が飲まされたのは? 
 赤い液体。
 あいつと同じに。
 
 あれは、邪神ニャルラトホテプの血液だ。
 黒猫はあいつの眷属ないし化身へと作り変えられた。
 
 …… あの野郎ちゃっかりしやがって。
 
 それから、レイシーと黒猫の怪我の問題だな。
 単純に、黒猫が負った傷をレイシー自身が肩代わりしているように見えた。
 つまり、レイシーはあのまま行けば黒猫と同じ怪我を負って死んでいたと推測できる。
 烏はそれを黒猫に伝えた。黒猫が生きたからこそ、レイシーが死ぬということは伏せて。
 
 そして用意されたのがこの本の中の世界だ。
 現実世界でなければレイシーは命を永らえられる…… そんな都合の良いことあるのかは分からないが、黒猫はそのためにいくつもの嘘をレイシーに吐いている。
 
 猫はレイシーのためだけに行動している。
 ならば、多分アリスを撃退したらそのあと俺達はお役御免だろう。
 別にレイシーを助け出せなんて依頼は受けてないわけだし、俺達にあの子を助ける義務もない。黒猫と一緒にいるのがあの子の幸せならそれでいいかもしれないからなあ。俺がなにかしても一人と一匹にとって余計なことかもしれないわけだ。
 
 ううん、やっぱり全員に話すのは少し待とう。
 ある程度の仮説はできたが、本命ではない。もしかしたら違う事実が隠れてるかもしれないし、他の皆にはまだ話すべきではない。
 そもそも、あのチェシャ猫がいる限り話すわけにはいかないからなあ。
 
 必要になったら話す。これが一番だな。
 
「流れに身を任せるんだね。浮くものはちゃんと浮くものだ」
「お、おう……」
 
 困惑しているうちに鏡の中の猫が徐々に消えていく。
 最後の方は顔が残り、そして不気味な微笑みを浮かべた口元だけが取り残されて、霞のように消え去る。
 俺も引き止めようとしたが、それは叶わず、突然肩を叩かれたことで驚き変な声が出た。
 
「っふぁ!?」
「え、どうしたのお兄さん……」
 
 気がつくと、俺の周りには紅子さんを含めて全員が集まっていたようだ。
 
「ねえねえ、キミなに見てたの?」
 
 チェシャ猫が俺の手元を覗き込むようにして、それから首を傾げた。
 俺は見られたらまずいと思って本を閉じようとしたものの、そこにあったのが手鏡ではなくチェシャ猫の挿し絵だったことで手が止まる。
 いつのまにか集まっていた皆といい、まるで白昼夢でも見ていたような心地だ。
 あのチェシャ猫は一体どこにいったのか。そして、なんだったのか…… 本来のチェシャ猫だったらしいが…… 他の住民達はどうだったんだろうな。
 ほとんどアリスにやられてしまっているが…… 帽子屋もやられたって言っていたし、あの猫はこれから一匹で過ごすのか…… ? 
 …… あんまり余計なことを考えるのはよそう。
 
「…… アリスの本を見つけたから、これで帰りは大丈夫なんだろ?」
「ん、ああ。それがあれば問題ないぜ。ヨモギの言いつけも守ったし、もう城のてっぺんにいっても大丈夫だ」
「ふむ、いよいよアリスに会うのか…… 緊張するのう」
「よーし! さっさと追い出そうね! レイシー!」
「う、うむ」
 
 こいつらがいると賑やかだなあと思いつつ、レイシーが好きそうな螺旋階段を登る。
 途中特になにか起こることもなく、最上階に着いた。
 どうでもいいが、偉そうだからという理由で最上階を選ぶと自分で上がるのが大変すぎないか? と思わなくもない。
 レイシーはどうなのだろうか。チェシャ猫に抱えられながら登ってきたりするんだろうか…… 今みたいに。
 そうなんだろうなぁ。なんせ、 「レイシー! いつものように抱っこしてあげるよ!」 「や、やめるのじゃ! こやつらが見ておるだろうが! 私様にも恥というものはある!」 「恥なんかじゃないよ! だって可愛いからね!」 なんてやり取りをしていたからな。
 
「ははっ、賑やかでいいな」
 
 ペティさんが笑うと、レイシーは抱き上げられたままむくれて俯いた。
 あーあ、からかうような口調で言うから嫌われるんだぞ……
 
「妬けるねぇ…… と、さあ、目的地についたみたいだよ」
「ああ」
 
 紅子さんに促されて大扉を前にレイシーとチェシャ猫を見る。
 チェシャ猫が軽い首肯して扉を見つめたので、俺が前に出て代表して開く。
 ギイ、と重厚な音を立てて開いていくその扉の奥は、ピンクと白と赤と…… とりあえずレイシーが好きそうな色やファンシーな雰囲気の部屋だった。
 
 その中心のベッドに沈む黒いエプロンドレスの女の子が、ゆっくりと起き上がる。
 その真っ赤に染まったような瞳が、こちらをぼうっと見つめて、そしてレイシーと彼女を抱えたチェシャ猫でピタリと止まった。
 
「あ……」
 
 少女、アリスがベッドから降りてふらふらと、心配になるほどの足取りでこちらへ歩み、言った。
 
「お、ねえ…… ちゃ……」
 
 俺が目を見開くのと同時にアリスへ覆いかぶさるように泳ぐ妖紙魚が現れる。
 
「あ…… うん、そ、だね…… 殺さなきゃ、女王さま」
 
 言いかけた言葉を遮るように。
 アリスから理性を奪い去るように。
 
「なんで、だっけ」
 
 呟いた声は、悲痛で。
 でも彼女が構えたナイフは紛れもなくこちらに向けられていて。
 
「許せないねぇ…… うん、頑張ろっかお兄さん」
「そう、だな」
 
 紅子さんは本当に揺るぎないなあ。
 いつもクールな彼女の瞳には燃え上がるような怒りが見える。
 ああ、頑張らないとな。
 
「狙うは魚だけだぜ、いいな?」
「もちろんだ!」
 
 ペティさんのその言葉が、開戦の合図だった。
 
 
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