ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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伍の怪【シムルグの雛鳥】

私を探して

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「さて、休憩もしたしそろそろ行こうか?」

 窓の外を見ながら唖然とするいろはを横目で見ながらナヴィドが言う。
 着替えも済まし、いつの間にか彼女の息は落ち着きを取り戻して普段通り表情に戻っていた。

「ええ…… あの、一度美術室に戻ってもいいでしょうか? 備品から替えのスケッチブックをいただきたいんです」

 彼女は置いてきてしまったトートバッグのことを思ってか窓の外の景色を横目に眉を顰める。

 幸いだったのは、ワイシャツのポケットに入れていたコンパクトミラーとブレザーのポケットに入れていた筆記用具が紛失しなかったことだ。

「ああ、いつも持ってるよね……  私は構わないよ」

 どうせ出られないだろうから、と余計な一言を付け加えながらもナヴィドが言った。

「ありがとうございます」

 にっこりと微笑んだいろはは、ガラスに突っ込む鳥のように窓硝子とキスしている巨大金魚と目線が合って目を細めた。

 そして、静かに窓の外に広がるアクアリウムを記憶に収めると手でフレームのような形を作って覗き込む。

「なにをしているんだい?」
「…… 次のコンクールの絵を」
「そうか」

 『校庭のアクアリウム』
 そんな題名を呟いていろはは保健室の扉へと手をかける。

 ガタン、とぐらつきながら開いたその扉を抜けると校内は一変していた。静かに宵に沈む校舎はその暗さを増し、薄い灯りをもたらす電灯はチカリ、チカリ、と校庭と同じ山吹色の光を漏らしていた。

 まるで夕方になったかのような光。そして窓枠にしがみつく誰か。
 東側の階段からは大勢の呻き声が響き、そこを通ることができない。

 〝 なにか 〟があると分かっていながら突っ込むのは憚られるものだ。散々危ない目に遭っている、今は尚のこと。2人はそう判断した。

「西階段の方から上がるしかないか」
「…… ええ」

 影のかかった階段を覗き込んだいろはが生返事気味に言葉を漏らす。階段の上にじっと注がれる視線はなにかを見るように細められている。

「危ないからダメだって」

 そんな彼女に迫る細く、黒い棒のような、腕のようなものを目撃したナヴィドが放心状態となった彼女の肩を引き、強引に階段から引き離す。

 びくりと肩を震わせて、ようやっと呼ばれていることに気が付いたいろはが眉を寄せ、彼の顔を見上げる。

「…… あ、ごめんなさい」

 抑揚がない故に棒読み気味の言葉にはしかし、表情がしっかりと申し訳なさそうにしているのできちんと謝罪の気持ちがこもっていることが分かるだろう。

「さあ、西階段の方から上がろうか」
「はい」

 西階段には異常が見られなかったので、2人は顔を見合わせて安全を確認しながら登っていく。

「あ、そういえば鍵……」
「うん?  ああ、それなら私が…… あ!」

 鍵を忘れたことに気がついたいろはが呟くが、心得たりとばかりにエプロンのポケットからナヴィドが鍵を取り出す。

 しかし、バサバサと羽ばたく音のようなものが聞こえたとき、あっという間にその手の中の鍵は鳩に奪われてしまった。

「もう、先生……」
「ああ、ごめんね……  鳩は……  音楽室の方に行ったみたいだ」

 まるで誘われるように音楽室へと消えた鳩を追い、2人は一歩踏み込む。

「念のため1人が外で待っていたほうがいいのでしょうか」
「それじゃあ、また分断されちゃうんじゃない?」
「それもそうですね」

 ガラリ、と背後でひとりでに扉が閉まり鍵が閉まる音がした。
 振り返って扉に手をかけ、それを確認したいろはがため息を吐く。

「まあ予想はしていました」
「鳩は……  いないね」

 確かに音楽室の中へと入っていったはずだというのに、ナヴィドが見回してもどこにも姿が見え見えない。つまり、それは鍵もどこにあるかが分からないということだ。

 困ったな、と漏らした彼は危険がなにもないか確認するために動き始める。同時に、いろはも周囲の楽器を触れずに軽く調べ始めた。

「弦楽器にピアノに、太鼓まで…… 意外と整理されていないんだね」
「いえ、いつもなら楽器はしまってあるはずですが……」

 名前の札がつけられたヴァイオリンを眺めながらそう言ったいろはに彼は 「知っているのかい?」 と問う。

「ええ、隣同士ですから…… 知り合いもいますし、たまに話もします」
「そうかい、部活間で交流があるのもいいことだね」

 納得したように頷きながら彼が首を傾げる。

「ヒントもないようだね……」

 きょろきょろと忙しなく目線を動かし、楽器を見ていく彼はどうやら今までのようになにか文字がないかを探しているようだ。

 いろははそっとピアノに触れようとして、何かに気がついたかのようにピタリとその指を静止させる。
 すると皮一枚のところで目の前にあったピアノの蓋が閉じ、鍵盤の打たれた滅茶苦茶な不協和音が鳴り響いた。

「危ない危ない……」

 そう言った彼女は手を左右に振り、摩擦で擦りむいた人差し指の背をそっと押さえた。血が滲んでいる。あのままでは指が千切り取れていたかもしれないのだ。

 やはり楽器に触るのは危険なのだな、と認識を改めた彼女は名札付きのヴァイオリンを友人のロッカーへとしまい、ロッカーの扉は勝手に動き出さないことを確認する。

「ふふ、なにかあったらロッカーにでも隠れます? きっと狭くて暗くて、とても静かですよ」
「それもいいけれど、私は暗闇よりも色彩が映る外のほうが好きだから遠慮するよ。開かなくなるかもしれないし、どこぞの宝箱みたいに歯でも生えてたら大変だ」
「へえ、先生もゲームとかやるんですね」
「まあ、人並みにはね……」

 広いと言っても楽器が占領しているため2人の距離はそこまで離れていない。雑談をしながらではあるが、それぞれ楽器を調べる手は止まらず動いている。

「ッガァ!」
「え?」

 しかし、そうして暫くしてから突然窓から鈍い音が鳴った。
 いろはがなんなのだ、と窓硝子に視線を向けると、そこに真っ黒なカラスがぶち当たって来たのが分かった。

 ズルズルと赤い線を引きながら窓を伝って下へずり落ちて行くカラスを目で追い、下に落下したところでやっと真っ赤に染まった窓を見ると、不思議とそれは流れる赤い文字となっていた。

「…… カラスで判子を作るなんて悪趣味ね」
「……」

 冗談のような言葉を抑揚のない声で呟くいろはだが、ナヴィドはそれには反応せずカラスが落ちて行った校庭を睨みつけるようにして見ている。眉間に皺が寄り、険しくなった表情はどことなく怒っているようだ。
 彼が怒ったところを見たことがないいろははそれに驚き、しかし同時に納得する。

 毎日鳥をスケッチしてエプロンの柄に拘るくらい彼は鳥が好きなのだ。好き、というよりも特別視しているといってもいいかもしれない。

 ともかく、それだけ鳥が好きならばこうして怪異に利用され、非道に扱われていることに思うこともあるのだろう。

( わたしも、ちょっと嫌だな…… )

 眉を寄せて目を瞑り、少しの間黙祷したあといろはは窓硝子に手を当て、なぞるように書かれた文字を読み上げた。

「ええと……」

『かくれんぼしましょう。わたしはがっきにとじこめられているわ。どんどんたたかれてくるしいし、かみのけがひっぱられていたいの。ほらふぞろいじゃない。ぶかっこうよ。おねがい、わたしをさがして』

 ひらがなで書かれたその赤い文字に少々詰まりながらも読み終えた彼女は、再び楽器を見渡す。

「これは…… ヒント、なのでしょうか」
「そうだろうね。でもこの文章だと、まるで三つに分かれているみたいだ」

 ナヴィドか思案気に言う。
 それに首を傾げたいろはは 「なぜ三つだと?」 と言って窓硝子の文字へともう一度目を滑らせた。

「叩かれるし髪の毛は引っ張られるし揃った見た目のなにか…… そんな項目に全て当てはまる楽器って、ないと思うんだよね。なら叩かれる楽器、細い髪を引っ張るような楽器、同じものが揃った見た目の楽器って考えたほうがいいだろう?」
「なら打楽器、弦楽器…… あとは、なんでしょうね。管楽器は違うでしょうし」

 再びぐるりと見回した彼女が言った。

 視線の先には和太鼓や木琴、ヴァイオリンやキーボードが置かれている。雑多なそれらに混ざるのは、人の〝 どの部分 〟なのか。
 赤い文字の書き方から人体の一部が混じっているのだろう、と彼女は判断して考える。

「打楽器は後回しにして弦楽器から見ましょう」
「そうだね。〝 髪の毛 〟だと断言されているし、そっちのほうが探しやすいだろう」

 追従する形でナヴィドが行動を開始した。
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