ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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伍の怪【シムルグの雛鳥】

音楽室のかくれんぼ

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 各ロッカーを開けていき、ヴァイオリンやヴィオラ、音楽室の端に安置しているコントラバスなどを1つ1つ眺めていく。ヒントは先ほどの言葉しかないために見分けるのは彼女達自身がやらなければいけない。

 普段見慣れない楽器に関してはいろはも分からないことも多く、弦を見ればいいことは分かってもなにが普通で、なにが普通でないかを判断することはできなかった。

「…… これだね」

 そうして見聞しているうちにナヴィドが1つのヴァイオリンを指差し、躊躇することなく手に取った。

「黒い弦…… それにとても細い…… でも、触ったら危ないのでは…… ?」
「ううん、触らないと〝 助けて 〟あげられないじゃないか」

 そう言いながら、彼は巻かれた弦をしかるべき作業で外していく。
 いろはには手持ちのカッターナイフで切るという発想しか思い浮かばなかったが、彼はちゃんと取り外し方を知っていたようだ。

 もっとも、彼女のカッターナイフは今頃トートバッグごと水の中なのでなにもできないが。

( …… 予備のカッターも、回収しないと )

 彼女が普段使うカッターナイフは二種類ある。

( …… でも、刃を付け替えないとダメなんだよね )

 最も長く愛用しているカッターナイフは刃こぼれしてしまい、刃を付け替えるまでの間美術室に保管していたのだ。

 しかし、そう言ってはいても買い換える方がよほど楽に済むのだ。
 だからか、彼女にとって美術室に置いているカッターナイフは予備という認識だった。

 勿論、トートバッグと共に水面に消えたカッターナイフは先日買ったばかりのものである。

「よし、取れた」

 いろはが考えているうちに彼は弦を外し終わる。
 すると、不思議なことに弦は空気に溶けるように、ゆっくりと姿を消していった。

 そして、途端にヴァイオリンが砕けて黒い煙が上がる。

「えっ、わたし?」
「…… 大丈夫さ」

 その煙はいろはを目指しているように蠢いたが、直後庇うように立ったナヴィドの目の前で脆くも崩れ、拡散して行った。
 今度こそ一つめの謎が終わったらしい。

「えっと…… ありがとうございます」
「どういたしまして。無事で良かったよ」

 そんなやり取りをしてからナヴィドが窓を見ると、いつの間にか青い文字で 『あとふたつ』 と書かれている。

「……」

 それに訝しげな表情をして彼は窓に近づき、下を覗き込んだ。
しかし、そこにはなにもないはずなのである。

「…… 先生?」

 いろはが不思議に思って彼を呼ぶと、窓の外、上空へと視線を移していた彼が振り返って首を振った。

「なんでもないよ、気のせいだったみたいだ。それより謎解きの続きをしようか」

 いろはは眉を顰めてから目を瞑り、「 はい」 と答える。
 彼がなにも言わないので、彼女も深く追求するのはやめたのだ。

「あとは、叩かれる楽器なら…… 分かりやすいんじゃないでしょうか」
「そうだね」

 ナヴィドが順に打楽器を触っていく。
 いろはもそれに追従しようとしたが、彼がやんわりと止めたのでその場で眺めるだけとなった。

「知らなくていいこともあるのさ」

 そう言いながら、彼はそばにあった和太鼓の表面を撫でるように触った。
 そして、顔を顰めながらも長い長い解体作業が始まるのだ。

「和太鼓の…… 皮?」
「…… まあ、これだよ。他と違うからね」

 ナヴィドはそれの正体に見当がついていたが、彼女にはあえて曖昧に返した。なにせ、常人には少々精神的に消耗する作業なのだ。

( 人の皮で出来た和太鼓だなんて…… 彼女に言えるわけがないだろう…… )

 もしかしたら薄々勘付いているかもしれないが、それを実感させるような真似は彼女にさせられない。

 ナヴィドは内心で舌を打ち、人よりも少し強い力で和太鼓を解体していく。
 和太鼓なんて普通は解体できないのだが、どうやらこれは解体しやすいように細工されているらしい。

 新しい物の多い音楽室で、妙に古めかしいその和太鼓は軋みをあげながら解体されていく。

「……」

 そして、皮を無事剥がし終えたナヴィドはその奥…… 太鼓の内部を見て手を止めた。

「骨……」

 いろはが息を飲み、思わずといった様子で呟く。
 太鼓の内部。空洞となったその場所に人間の頭蓋骨が収められていた。まるで無造作に、閉じ込めるように収められた頭蓋骨は物言わぬ屍として存在している。

 当然喋ることなどないが、その真下に青く優しい色合いで 『まちがえないで』と書かれていることが分かる。

「間違えないで…… ? 最後の一つは間違えやすいのかな」

 ナヴィドが呟き、なにか変化がないかと周囲を見渡す。
すると、また窓に赤い文字で 『おしてもおとなんてでないわ』 と書かれているのを発見する。

 赤い文字と青い文字。どのような違いがあるのかとナヴィドが思案し、最後の一つを探していく。

( 自分は不揃い。揃った楽器…… 押しても音は出ない…… )

 いろはも探索に加わり、謎を解こうとするがなかなか正解が思いつかない。

 そんなとき、視界に入ったのはあのピアノであった。

( 揃った楽器…… 鍵盤? )

 黙ったまま彼女がピアノに近づくと、先ほど閉じた蓋の部分がゆっくりと開いていく。まるで誘うかのような動きに、少しだけ警戒心を持った彼女は手を触れないようにその鍵盤を覗き込む。

( …… あった。一つだけ細長くて、不揃い。もしかしてこれって…… )

 もしそうならば押しても音が出ないのは当たり前だ。きちんと内部と繋がっていなければピアノは音を出さないのだから。ましてや、それが鍵盤でなければ当然だ。

( これ、指だ )

 楽器に閉じ込められている謎の主は、触れて解体しなければ助けることができない。そんなナヴィドの言葉を思い出していたいろはは無意識のうちに手を伸ばしていて――

「だめだよ」
「…… っ?」

 寸前で、彼女の伸ばした右腕が捻り上げられる。
 いろはは痛みで少し顔を歪めたが、次の瞬間にははっとしたような表情になり、自身の背後で手を捻りあげるナヴィドを振り返った。

「それは違う。〝 間違えたら 〟ダメだ」

 その言葉を聞いたのか、ピアノがガアンッ! と苛立たしげに蓋を開けたり閉めたりを繰り返している。乱暴なそれにいろはは驚いたようだが、ナヴィドはその場からピアノが動かないことを確認して、さっさと最後の一つを探しに行く。

「赤より、青のほうが、優しい?」

 いろはの言葉に返される音はない。
 周辺を見渡してみても言葉が増えているわけでもない。

「あった、これだ」

 彼女の思考は、木琴の前で声をあげた彼によって中断された。

「本当、ひとつだけ、木が縮んでるみたい」

 勿論それは比喩である。
 それが分かっているナヴィドも頷いて 「そうだね」 と苦笑し、茶色く変色したようになっている〝 それ 〟を外しにかかる。

 いろはが発見した指も間違っていなかったが、これもどうやら指である。

「ピアノのは、いいんですか?」
「指摘されたのは三つだし、あれは罠じゃないかな?」

 つまり、指に見せかけた別のなにかだと彼は言いたいようだった。
 そう判断していろはが納得する。
 怪物ピアノに囚われていては、物理的に助けることができないからだ。

「これで最後」

 カチリ、彼が躊躇いもなく素手で指の骨を外すと、どこかで鍵の外れる音が響いた。

「音楽準備室?」
「ああなるほど、そちらに行っていたのか」

 彼が言っているのは、恐らくどこかへ行ってしまった鳩のことだろう。

 二人が納得して音楽準備室の扉を開くと、雑多な印象を受ける部屋になっていた。どこかでメトロノームの振れるカチ、カチ、という一定のリズムが聞こえてくる。

 そして、その奥には一対のシンバルがぶら下げられていた。
 シンバルは、ただぶら下げられているだけなのにガッチリと二つを貝のように合わせていて、その隙間から血に塗れた翼がはみ出ている。

 シンバルの真下にはピチョン、ピチョン、と赤い雫が一定の間隔で滴り落ちており、鍵も落ちている。

 どうやら、シンバルの中まで改める必要性はなさそうである。

「ここは私一人で行こう。いろちゃんは待ってて」
「え? でも分断されてしまうのでは……」
「今回に限っては、二人で行く方が危険だよ」

 メトロノームの音が、やけに静かな部屋の中で鮮明に響いている。

「恐らく時間制限つきだ」

 心なしか、メトロノームの音が響く間隔は段々と短くなっているように感じる。

「待っていなさい」

 言うが早くナヴィドが部屋に踏み込む。
 その瞬間、シンバルがふらふらと揺れ始めた。

「……」

 無言でシンバルの元へと走り寄った彼は、鍵を拾うと囚われた鳩を視界に捉え、僅かな間目を瞑った。
 それが分からないいろはは後ろ姿で判断するしかなく、 「先生、早く」 と声を上げている。

 カチカチカチ……

 メトロノームの音が、いよいよ早くなった。

 彼が入り口に向かって走り出すと、その背後でボトリとなにかが落ちた音がする。
 いろはにはそれが鳩の翼だと分かったが、背後を振り返ることもなく走るナヴィドには分からない。

 ガチガチと牙のような物を打ち鳴らしながらシンバルが壁を離れた。

 しかし、シンバルが勢いよく彼を捕らえる前にナヴィドが音楽準備室から抜け出てしまう。
 彼が部屋から出ると、ひとりでに閉まった扉の向こうで盛大に金属がぶつかる音がした。

 それきり再び静寂に戻る。

 またもや、カチリと鍵の開く音がした。

「これで美術室にいけるね」
「美術室に行く前に鍵は出さないでくださいね。また盗られたら大変です」
「ははは、その通りだ」

 彼がエプロンのポケットに鍵をしまい、やっとこさ二人は音楽室から出ることができた。
 和気藹々と会話しながら出ていく彼らは決して振り向かない。

『ありがとう』

 しかし、窓に現れた赤い文字はそんなことも気にせず、一方的に感謝を告げる。

 そして、静かに薄れて…… まるでそこになにもなかったように、消えていった。
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