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想の章【紅い蝶に恋をした】
紅子さんの浴衣が見たいんだ!(直球)
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「頼む、紅子さん!」
「ねえお兄さん、常日頃嫌いって言ってる人とアタシが旅行に行くと思うの?」
俺は今、最近よく訪れる字乗さんの図書館で紅子さんに頭を下げていた。紅子さんが座っている席の、その向かい側の席について手を合わせ、全力でお願いをしているのだ。
そして、その様子を文車妖妃である字乗さんと亡霊魔女のペティさんがニヤニヤと酒の肴にでもするように観戦しているのである。
俺が紅子さんに頼んでいるのは一言で、「一緒に温泉旅行に行ってほしい」だ。彼女に親がいたらぶん殴られそうな頼みごとだ。
けれど、これは必要なことなんだ。
「アルフォードさんが言ってたんだよ。この山の中に景色のいい秘湯があって、そういう特別な場所ならアリシアちゃんの霊力も上がるかもしれないって」
「それで、アタシも誘おうって? ふうん、アタシはおまけか。おにーさんのいけずー」
「ちがっ」
「まあ、それはそれとして…… なんでアタシなのかな」
だって、俺とアリシアちゃんで行ったら事案でしかないだろ!
23歳と12歳だぞ!? 事案だ事案!
それを切々と訴えると、紅子さんはへにゃりと眉を困らせて溜息を吐いた。
「それを言うなら、アタシがついていっても犯罪臭が増すだけとは思わないのかな。これでも見た目は高校生なんだよ?」
「うっ」
それは、そうだけども。
「おにーさん、アタシは嘘が嫌いなんだよ。正直に言ってごらん? なにが目的なのかな? 女子高生との温泉旅行デートかな? それとも……」
言葉に詰まる。
彼女にそんなことを言われて思い起こされるのは、この前の誕生日での出来事だ。神内千夜の気まぐれで理想の夢を見せられたことを思い出してしまう。
―― 令一さん
そうやって、普段よりもずっと柔らかく笑う紅子さん。
あの、俺の思い描いた理想の世界では、俺の彼女だと言われた紅子さん…… あんな夢見せられて、意識しないほうがどうかしてる。
あんなのありえないし、そもそも紅子さんは俺の優柔不断さとか、言い訳をして逃げる癖を嫌っている。望みは…… そりゃ少しはあるかもしれないが。彼女が弱みを見せてくれるようになる想像なんてつかないし、見せてくれたとしたら、それは紅子さんらしくないわけで…… まあつまりは、ただ単純に彼女とどこかに出かけたいだけ、なのかもしれない。
「そ、それは」
「うんうん、それは?」
なんだかんだ面倒見のいい彼女が断りきれないだろうことを分かってて俺は頼んでいる。卑怯も卑怯。でも、今の今まで彼女なんてできたことないんだから恋愛の仕方だって分かるわけないだろ。
「べ、紅子さんの浴衣姿が見たい…………」
「…………」
遠くで大笑いする亡霊魔女の姿と、呆れた顔のアリシア。そしてなにかを綴り始めた字乗さんが見えたが、気にしない気にしない。俺は真剣だ。真剣にやらかしてしまった。
紅子さんは困ったような、驚いたような、呆れているような、そんな感情をごちゃ混ぜにしたような表情で笑った。
「ふっ、なにそれ。女子高生の浴衣姿が見たいって、それこそ事案じゃない? 大丈夫? おにーさん。犯罪に走ったりしないでよね」
「紅子さん相手だから言ってるんだけど……」
「…… あのね、おだててもなにも出ないよ。そもそもそんな誘い文句で女が引っかかるとでも思ってるのかな? デートのお誘いならもう少しロマンチックにできないの? まったく、これだからお兄さんはモテないんだよ」
「的確に傷つくことを言うのはやめてくれ!」
俯き気味にくすくすと笑っていた紅子さんは笑い涙さえも浮かべてこちらをまっすぐに見る。ほんの少しだけ紅潮しているように見えるのは俺の妄想かもしれないけど、照れてくれてるのなら嬉しいな……とか。
「不合格も不合格。相変わらずダメダメだよね。まあ、でも…… おやつにキミの作るエクレアがついてくるなら付き合ってもいいよ。前に食べたやつが美味しかったからね」
「そ、それだけでいいのか?」
「もっとふっかけてもいいのかな? それとも、ふっかけてほしいの? んー、なら、クッキーとか…… ワッフルとか…… まあ、そういうのだよ」
拍子抜けする。もっと無理難題でも提示してくるかと思ってたのに。
「エクレア……か」
「そう、エクレア。あ、ふんわりしたやつじゃなくてサクサクのやつがいいなあ。前にくれたやつもサクサクしたのだったよね。あれが美味しかったんだ」
あんまりにも彼女が幸せそうに言うものだから、思わず見惚れてしまう。
こんなにも喜んでくれていたなんて、知らなかった。あのときはただお裾分けできればと思っていただけだったのに。
「もしかして、好物だったりするのか?」
「まあ、そんな感じかな」
妙な確信と共に訊いてみれば、曖昧に肯定を返される。少しだけ恥ずかしそうに目線を逸らしたりなんてして。
そういえば、俺は紅子さんの好物も知らなかったんだな。
結構長い付き合いになってるはずなのに、気づかなかった…… 今度からちょっと味の好みとかリサーチしてみようか。料理するのは俺だし。
「元から好きだったんだけど…… おにーさんのエクレアはお店のよりも美味しかったから、ね。もう令一お兄さんなしで生きられない体にされちゃったかも…… ?」
わざとらしく擦り寄ってきた彼女の、上目遣いになったその紅い瞳と視線が合う。
いつものからかい癖だと分かっていつつも、無意識下で心臓が強く打つ。
そんな俺をお見通しと言わんばかりに紅子さんは口元を三日月に釣り上げ、悪戯気に「…… なんてね」と付け足した。
俺が始めて彼女にあげたお菓子。
それが偶然、彼女にとっての好物だったというだけ…… なのに、なんでこんなにも嬉しいんだろうな。
「絶対美味しく作ってくるよ。だから、楽しみにしててほしい」
「そういうところだけは、嫌いじゃない…… かな」
は、初めて嫌い以外の答えを聞いた…… か?
ぶわりと、歓喜の感情が心の奥底から湧き上がってくる。
「そ、そんな情けない顔をしないでくれるかな。いたたまれなくなるだろう」
「いや、嬉しくって…… あ、そうだ」
「うん? どうしたのかな」
「アリシアちゃんもなにかリクエストあるか?」
目を合わせて答えてから、アリシアのいる方向を見て問いかけた。
「く、空気読んでくださいよ…… ! なんであたしに振ってくるんですかぁ…… ! え、えっと…… お、おはぎ!」
おっと、案外渋い趣味だったのか。そういやアリシアが日本生まれなのかは知らないな。この調子だと日本生まれ日本育ちなのかもしれない。
視線を紅子さんに戻すと、さっきまで柔らかい雰囲気だったというのに、今は目の笑っていない紅子さんがお目見えだ。
やっちまった。
「いいねぇ、おはぎ。おにーさんの空気の読めなさ具合はともかくとして、おやつが増えるのは歓迎するよ。アリシアちゃんに罪はないからねぇ」
「ご、ごめん」
「やっぱりアタシはおにーさんが嫌いだよ。再確認した」
溜め息を吐いて言う紅子さんの表情は〝 呆れ 〟だ。
まずい、なんで真っ先にあんなことを訊いたんだよ俺!
「はあ…… でも、これでアタシが行くって言ってもアリシアちゃんの親御さんは納得するのかな」
「保護者役で俺が行けばいいんだろ?」
「おにーさんが? 保護者? …… うーん、ちょっと難しいかな」
まじまじと俺の顔を見て首を振る彼女に肩を落とす。
なにげに俺、貶されてないか? いや、仕方ないか。俺がダメダメな奴なのは再確認されてしまったからな……
「だって、今お兄さんは職業主夫じゃないか。いや、使用人かな? どちらにせよ、アリシアちゃんの親は納得しないだろう」
「うっ」
感情とかを抜きにした納得の根拠だ。
そこなんだよなぁ。アリシアは同盟入りしているとはいえ、半分は日常の中に生きているわけだし…… だが、あちらで完全に忘れ去られてしまったレイシーを支えるために力をつけようとしていることを否定はできない。こういうチャンスは掴めるほうがいいからな。
俺みたいに後悔することのないように、その手伝いくらいはやってやりたい。
「うーん、パンケーキのように甘いひとときをお過ごしの二人には悪いけれど…… 私からは鳥の王様に名前を貸してもらえるよう頼むのがいいとアドバイスしておこう」
先程までなにかを書き殴っていた字乗さんがにやついた顔のままそう言った。
「何度も下世話だって言ってるだろうに」
「まあまあ、このよもぎちゃんに任せなさい。恋愛相談なら一番だからね」
「おにーさん、話が通じないよ」
「…… まあ、少女漫画を教科書に出してくる人はちょっと。それはともかく、ナヴィドさん?」
失恋した恋文の付喪神なのに恋愛相談に乗れると、なぜ思っているのか。理解に苦しい。
しかし、ナヴィドさんか。秘色いろはさんの保護者で、鳥の王様『シムルグ』だったか。ついでに秘色さんの高校生のときに美術教師をしていたとかなんとか。
…… なるほど、保護者役としてはぴったりか。
まずは秘色さんに連絡してみて、そこから話をしてみて、お願いしてもらえばいいかな。彼女達に予定がないことを祈るしかないわけだが……
ということで、秘色いろはさんに連絡をとってみたわけだが。
「すみません、わたしたちは今ベルギーのほうに来ていて…… 先生に乗っていけばすぐに帰れますけど、案件も終わりそうにないですし…… ご協力はできそうにありません」
結果はこれだ。
嘘だろ…… 最後の希望が。
「仕方ないかな…… うーんと、お兄さん。やっぱり男女半々の人数のほうがいいんだよね」
「そのほうがバランスはいいだろうな。それに、俺一人だと事案だが二人なら親戚とかそういうので通せそうだし……」
「そっか。なら、いい機会だしアタシからいい人を紹介してあげようかな」
「いい人?」
「そ、お兄さん待望の同性で人間の友人ができるよ。やったね?」
それは…… 願ったり叶ったりではあるんだが、紅子さんから紹介されるというのが少しだけ心に引っかかる。
いや、それはまあ、俺以外にも友人がいるのなんて普通だし、なんなら俺が紅子さんと出会ったのはそんなに前じゃないし…… ずっと前から知り合いだった人がいても不思議じゃないんだけど。
…… 今まではそういう話を一切してこなかったから、期待してたのかもしれないな。俺が特別だって。
あー、もう…… なんでこんな恋愛脳みたいになってるんだよ。
嫉妬か? ああ、嫉妬だ。まだ会ったこともない人に俺は一丁前に嫉妬してるんだ。
俺ってこんなに面倒臭いやつだったっけ。確実に、そして着実に俺も狂っていっているのかもしれない…… あいつに見せられた理想の夢。それが俺を蝕んで変えていってしまう気がする。
あいつの目的は、これだったのだろうか…… 俺には分からない。
「…… ああ、嬉しいよ」
「嘘かな」
ドキリと、心臓が跳ねた。
「アタシが分からないわけがないよね。なにかな? もしかして嫉妬なのかな。おにーさんが? あの人に?」
「本当に鋭いな、紅子さんは」
「当たり前だろうに。ちゃあんと、よく見てるよ。キミのことは、ね」
静かに、囁くような声が染み渡る。
ほんの一言、二言でこんなに一喜一憂するだなんて…… 前の俺では考えられないな。
「言っておくけれどね、あの人はアタシにとって兄…… みたいなものだよ。あの人もアタシのこと二人目の妹みたいに思っているようだし、それに甘えてるだけ。他意はないよ。キミとは違ってね」
「うぐっ…… いちいち一言余計じゃないかな? 紅子さん」
「アタシの浴衣姿が見たいとか言ったり、いちいちスケベなお兄さんが悪い。とにかく、あの人はアルフォードさんもキミに会わせようとしてた人だよ。何回か話は聞いてるよね」
ああ! 以前からこの字乗さんの図書館に時々手伝いに来るっていう人か…… なるほどな。それは楽しみだ。
「もう…… 早とちりばっかりして。お兄さんは世話がかかるね。今日会うんじゃタイミングも悪いし、こんなことがあった後じゃあねぇ…… アタシから連絡を入れておくから、後日彩色町内で待ち合わせをしようか」
「時間が空いてるかは訊かなくていいのか?」
「あの人はアタシから連絡すればなにがなんでも休みをもぎ取ってくると思うよ。今回はオカルト案件にもなりそうだからね。あの人はオカルトオタクなんだよ」
「え」
紅子さんの言葉に思わず声が漏れる。
「…… 理解に苦しいんだけれど、もしかして普通の温泉旅行だと思っていたのかな」
全くその通りだ。
「あのね、お兄さん。覚えておいて損はないからよく聞いてね。アルフォードさんからなにか提案されたときは、大抵裏になんらかのオカルト案件が潜んでることが多い。分かった?」
「お、覚えておく」
そうだったのか……
「言っておくけれどね、アルフォードさんもキミが思うほど真っ当じゃないよ。あの人だって人間じゃないんだから。神さまってのは大なり小なりどこか計算的だよ」
「あ、あんなに無邪気な人なのに?」
「見た目に騙されちゃダメだよ、おにーさん」
思わず本読み中の字乗さんやペティさんの方へ向いて見れば、神妙な顔で頷いていた。そういうものらしい…… というかあんた達もその中に入るだろ。
「みんなキミのとこの邪神みたいとは言わないけれど、一癖も二癖もあるからね。年長者なら尚更だよ。覚えておくといい」
そう聞くと不安を覚えるが、どんな相手だってあいつよりは遥かにマシなはずだ。人間と共存することを目指しているアルフォードさん達なら尚更まだ理解できる範囲…… と思いたい。
「帽子屋ー、どこじゃー。ここが難解でわけわからんぞー!」
と、そこで奥の本棚からレイシーの声が聞こえてきた。
声色からするにどうやらこちらにだんだんと近寄ってきているようだな。
「おっと、弟子がお呼びだな」
「ふふふ、君はいつから弟子を取れるようになったんだい? ケルベロスからの卒業もまだだろうペチュニア。ほらほらレイシー。このよもぎちゃんに見せてごらん? この私に分かりやすく解説をさせてくれたまえ」
「お前は難解に難解を重ねるから嫌じゃ!」
「がーん」
真顔のまま言われてもなあ、ちっとも傷ついたようには見えないんだよなあ。
「アリシアちゃんは4人で旅行行くので問題ないか?」
「あ、あたしのために行こうとしてくれてるわけですし…… 反対する理由なんてありませんよ」
アリシアちゃんは少し肩身が狭そうにしながらこちらにやって来た。
うーん、もう少し気を遣ってあげたほうがいいかもしれない。まだまだ緊張が抜けないみたいだしなぁ。
キリッと背筋を伸ばして俺に受け答えしていたアリシアに紅子さんが少し前屈みになって目線を合わせる。
「アリシアちゃん、旅行のための荷物は大丈夫かな? なんならアタシと一緒にお買い物デートにでも行く?」
紅子さんからの提案にアリシアはパッと顔を明るくして「いいんですか?」と早口に言った。
「構わないよ。女二人のほうが物選びもしやすいからね」
「えへへ、なら赤座さんとご一緒したいです」
「んん、呼び方は自由だけれど…… アタシは下の名前でも歓迎するよ」
「えーっと、なら紅子お姉さん!」
「…… 満点の合格かな。花丸をあげたいくらいだよ」
お姉さん扱いされて満更でもなさそうな紅子さんは可愛らしい。
俺も合格もらったことないのになあ……
「それじゃあ、お兄さん。今日は解散しようか。待ち合わせ日はあとで連絡するよ。アリシアちゃんとのデートもあることだし、アタシはこれで行くよ。アリシアちゃんはどこか美味しい喫茶店知らないかな? あと、入り用なものを……」
「えっとですね駅前の……」
手を振りながら図書館から出て行こうとする二人を見送る。
最後に、紅子さんがこちらに振り返って微笑んだ。
「それじゃあ、楽しみにしてるよ。令一お兄さん?」
そんな、素直な微笑みを向けられて俺が無事でいられるわけがなかった。
意識し始めの俺には少し刺激が強すぎるよ紅子さん……
「あっはっは、レーイチ、頑張れよ? 脈がないわけじゃないんだ」
ペティさんが愉快そうにしながらカツカツと靴音を響かせて近づいてくる。
そんなこと分かってるって……
「ほら、分かるだろ? ベニコは意識してる相手ほど素直になれない可愛い奴なんだよ。まったく、難儀な性格だが…… あいつは幸せになるべきだよ。ユーレイでも人生は満喫できるんだからな!」
俺はその言葉にしっかりと頷いた。
紅子さんの言葉は皮肉とからかいばっかりだけれど、いつも嘘はすぐにバラすし、本当に俺を傷つけるような、過去の傷を引きずり出すような言葉を選ぶことはない。
紅子さんに出会えたのは今の生活があるから…… なんて夢を見るつもりも、うちでくつろいでる邪神に感謝するつもりも毛頭ないが、今は今。前だけ見ていればいい。
さて、約束の日が来るまでにもっと料理の腕を磨いておかなくちゃな。
特にエクレアはサックサクのシューと、ふわふわのクリーム。それに美味しいチョコレートを用意しておかないと。
邪神にせっつかれて料理を覚えたが…… こうやって誰かが喜んでくれると思うと、惰性だった料理がすごく楽しみに思えてくる。
仕方ないからおやつの試作は神内に全部やるか。
そうすれば本命、当日のおやつが奪われることはないだろう…… 多分。
俺は背後からの下世話な視線に見送られながら、練習用の材料費と数を頭で計算して帰路に着いたのだった。
「ねえお兄さん、常日頃嫌いって言ってる人とアタシが旅行に行くと思うの?」
俺は今、最近よく訪れる字乗さんの図書館で紅子さんに頭を下げていた。紅子さんが座っている席の、その向かい側の席について手を合わせ、全力でお願いをしているのだ。
そして、その様子を文車妖妃である字乗さんと亡霊魔女のペティさんがニヤニヤと酒の肴にでもするように観戦しているのである。
俺が紅子さんに頼んでいるのは一言で、「一緒に温泉旅行に行ってほしい」だ。彼女に親がいたらぶん殴られそうな頼みごとだ。
けれど、これは必要なことなんだ。
「アルフォードさんが言ってたんだよ。この山の中に景色のいい秘湯があって、そういう特別な場所ならアリシアちゃんの霊力も上がるかもしれないって」
「それで、アタシも誘おうって? ふうん、アタシはおまけか。おにーさんのいけずー」
「ちがっ」
「まあ、それはそれとして…… なんでアタシなのかな」
だって、俺とアリシアちゃんで行ったら事案でしかないだろ!
23歳と12歳だぞ!? 事案だ事案!
それを切々と訴えると、紅子さんはへにゃりと眉を困らせて溜息を吐いた。
「それを言うなら、アタシがついていっても犯罪臭が増すだけとは思わないのかな。これでも見た目は高校生なんだよ?」
「うっ」
それは、そうだけども。
「おにーさん、アタシは嘘が嫌いなんだよ。正直に言ってごらん? なにが目的なのかな? 女子高生との温泉旅行デートかな? それとも……」
言葉に詰まる。
彼女にそんなことを言われて思い起こされるのは、この前の誕生日での出来事だ。神内千夜の気まぐれで理想の夢を見せられたことを思い出してしまう。
―― 令一さん
そうやって、普段よりもずっと柔らかく笑う紅子さん。
あの、俺の思い描いた理想の世界では、俺の彼女だと言われた紅子さん…… あんな夢見せられて、意識しないほうがどうかしてる。
あんなのありえないし、そもそも紅子さんは俺の優柔不断さとか、言い訳をして逃げる癖を嫌っている。望みは…… そりゃ少しはあるかもしれないが。彼女が弱みを見せてくれるようになる想像なんてつかないし、見せてくれたとしたら、それは紅子さんらしくないわけで…… まあつまりは、ただ単純に彼女とどこかに出かけたいだけ、なのかもしれない。
「そ、それは」
「うんうん、それは?」
なんだかんだ面倒見のいい彼女が断りきれないだろうことを分かってて俺は頼んでいる。卑怯も卑怯。でも、今の今まで彼女なんてできたことないんだから恋愛の仕方だって分かるわけないだろ。
「べ、紅子さんの浴衣姿が見たい…………」
「…………」
遠くで大笑いする亡霊魔女の姿と、呆れた顔のアリシア。そしてなにかを綴り始めた字乗さんが見えたが、気にしない気にしない。俺は真剣だ。真剣にやらかしてしまった。
紅子さんは困ったような、驚いたような、呆れているような、そんな感情をごちゃ混ぜにしたような表情で笑った。
「ふっ、なにそれ。女子高生の浴衣姿が見たいって、それこそ事案じゃない? 大丈夫? おにーさん。犯罪に走ったりしないでよね」
「紅子さん相手だから言ってるんだけど……」
「…… あのね、おだててもなにも出ないよ。そもそもそんな誘い文句で女が引っかかるとでも思ってるのかな? デートのお誘いならもう少しロマンチックにできないの? まったく、これだからお兄さんはモテないんだよ」
「的確に傷つくことを言うのはやめてくれ!」
俯き気味にくすくすと笑っていた紅子さんは笑い涙さえも浮かべてこちらをまっすぐに見る。ほんの少しだけ紅潮しているように見えるのは俺の妄想かもしれないけど、照れてくれてるのなら嬉しいな……とか。
「不合格も不合格。相変わらずダメダメだよね。まあ、でも…… おやつにキミの作るエクレアがついてくるなら付き合ってもいいよ。前に食べたやつが美味しかったからね」
「そ、それだけでいいのか?」
「もっとふっかけてもいいのかな? それとも、ふっかけてほしいの? んー、なら、クッキーとか…… ワッフルとか…… まあ、そういうのだよ」
拍子抜けする。もっと無理難題でも提示してくるかと思ってたのに。
「エクレア……か」
「そう、エクレア。あ、ふんわりしたやつじゃなくてサクサクのやつがいいなあ。前にくれたやつもサクサクしたのだったよね。あれが美味しかったんだ」
あんまりにも彼女が幸せそうに言うものだから、思わず見惚れてしまう。
こんなにも喜んでくれていたなんて、知らなかった。あのときはただお裾分けできればと思っていただけだったのに。
「もしかして、好物だったりするのか?」
「まあ、そんな感じかな」
妙な確信と共に訊いてみれば、曖昧に肯定を返される。少しだけ恥ずかしそうに目線を逸らしたりなんてして。
そういえば、俺は紅子さんの好物も知らなかったんだな。
結構長い付き合いになってるはずなのに、気づかなかった…… 今度からちょっと味の好みとかリサーチしてみようか。料理するのは俺だし。
「元から好きだったんだけど…… おにーさんのエクレアはお店のよりも美味しかったから、ね。もう令一お兄さんなしで生きられない体にされちゃったかも…… ?」
わざとらしく擦り寄ってきた彼女の、上目遣いになったその紅い瞳と視線が合う。
いつものからかい癖だと分かっていつつも、無意識下で心臓が強く打つ。
そんな俺をお見通しと言わんばかりに紅子さんは口元を三日月に釣り上げ、悪戯気に「…… なんてね」と付け足した。
俺が始めて彼女にあげたお菓子。
それが偶然、彼女にとっての好物だったというだけ…… なのに、なんでこんなにも嬉しいんだろうな。
「絶対美味しく作ってくるよ。だから、楽しみにしててほしい」
「そういうところだけは、嫌いじゃない…… かな」
は、初めて嫌い以外の答えを聞いた…… か?
ぶわりと、歓喜の感情が心の奥底から湧き上がってくる。
「そ、そんな情けない顔をしないでくれるかな。いたたまれなくなるだろう」
「いや、嬉しくって…… あ、そうだ」
「うん? どうしたのかな」
「アリシアちゃんもなにかリクエストあるか?」
目を合わせて答えてから、アリシアのいる方向を見て問いかけた。
「く、空気読んでくださいよ…… ! なんであたしに振ってくるんですかぁ…… ! え、えっと…… お、おはぎ!」
おっと、案外渋い趣味だったのか。そういやアリシアが日本生まれなのかは知らないな。この調子だと日本生まれ日本育ちなのかもしれない。
視線を紅子さんに戻すと、さっきまで柔らかい雰囲気だったというのに、今は目の笑っていない紅子さんがお目見えだ。
やっちまった。
「いいねぇ、おはぎ。おにーさんの空気の読めなさ具合はともかくとして、おやつが増えるのは歓迎するよ。アリシアちゃんに罪はないからねぇ」
「ご、ごめん」
「やっぱりアタシはおにーさんが嫌いだよ。再確認した」
溜め息を吐いて言う紅子さんの表情は〝 呆れ 〟だ。
まずい、なんで真っ先にあんなことを訊いたんだよ俺!
「はあ…… でも、これでアタシが行くって言ってもアリシアちゃんの親御さんは納得するのかな」
「保護者役で俺が行けばいいんだろ?」
「おにーさんが? 保護者? …… うーん、ちょっと難しいかな」
まじまじと俺の顔を見て首を振る彼女に肩を落とす。
なにげに俺、貶されてないか? いや、仕方ないか。俺がダメダメな奴なのは再確認されてしまったからな……
「だって、今お兄さんは職業主夫じゃないか。いや、使用人かな? どちらにせよ、アリシアちゃんの親は納得しないだろう」
「うっ」
感情とかを抜きにした納得の根拠だ。
そこなんだよなぁ。アリシアは同盟入りしているとはいえ、半分は日常の中に生きているわけだし…… だが、あちらで完全に忘れ去られてしまったレイシーを支えるために力をつけようとしていることを否定はできない。こういうチャンスは掴めるほうがいいからな。
俺みたいに後悔することのないように、その手伝いくらいはやってやりたい。
「うーん、パンケーキのように甘いひとときをお過ごしの二人には悪いけれど…… 私からは鳥の王様に名前を貸してもらえるよう頼むのがいいとアドバイスしておこう」
先程までなにかを書き殴っていた字乗さんがにやついた顔のままそう言った。
「何度も下世話だって言ってるだろうに」
「まあまあ、このよもぎちゃんに任せなさい。恋愛相談なら一番だからね」
「おにーさん、話が通じないよ」
「…… まあ、少女漫画を教科書に出してくる人はちょっと。それはともかく、ナヴィドさん?」
失恋した恋文の付喪神なのに恋愛相談に乗れると、なぜ思っているのか。理解に苦しい。
しかし、ナヴィドさんか。秘色いろはさんの保護者で、鳥の王様『シムルグ』だったか。ついでに秘色さんの高校生のときに美術教師をしていたとかなんとか。
…… なるほど、保護者役としてはぴったりか。
まずは秘色さんに連絡してみて、そこから話をしてみて、お願いしてもらえばいいかな。彼女達に予定がないことを祈るしかないわけだが……
ということで、秘色いろはさんに連絡をとってみたわけだが。
「すみません、わたしたちは今ベルギーのほうに来ていて…… 先生に乗っていけばすぐに帰れますけど、案件も終わりそうにないですし…… ご協力はできそうにありません」
結果はこれだ。
嘘だろ…… 最後の希望が。
「仕方ないかな…… うーんと、お兄さん。やっぱり男女半々の人数のほうがいいんだよね」
「そのほうがバランスはいいだろうな。それに、俺一人だと事案だが二人なら親戚とかそういうので通せそうだし……」
「そっか。なら、いい機会だしアタシからいい人を紹介してあげようかな」
「いい人?」
「そ、お兄さん待望の同性で人間の友人ができるよ。やったね?」
それは…… 願ったり叶ったりではあるんだが、紅子さんから紹介されるというのが少しだけ心に引っかかる。
いや、それはまあ、俺以外にも友人がいるのなんて普通だし、なんなら俺が紅子さんと出会ったのはそんなに前じゃないし…… ずっと前から知り合いだった人がいても不思議じゃないんだけど。
…… 今まではそういう話を一切してこなかったから、期待してたのかもしれないな。俺が特別だって。
あー、もう…… なんでこんな恋愛脳みたいになってるんだよ。
嫉妬か? ああ、嫉妬だ。まだ会ったこともない人に俺は一丁前に嫉妬してるんだ。
俺ってこんなに面倒臭いやつだったっけ。確実に、そして着実に俺も狂っていっているのかもしれない…… あいつに見せられた理想の夢。それが俺を蝕んで変えていってしまう気がする。
あいつの目的は、これだったのだろうか…… 俺には分からない。
「…… ああ、嬉しいよ」
「嘘かな」
ドキリと、心臓が跳ねた。
「アタシが分からないわけがないよね。なにかな? もしかして嫉妬なのかな。おにーさんが? あの人に?」
「本当に鋭いな、紅子さんは」
「当たり前だろうに。ちゃあんと、よく見てるよ。キミのことは、ね」
静かに、囁くような声が染み渡る。
ほんの一言、二言でこんなに一喜一憂するだなんて…… 前の俺では考えられないな。
「言っておくけれどね、あの人はアタシにとって兄…… みたいなものだよ。あの人もアタシのこと二人目の妹みたいに思っているようだし、それに甘えてるだけ。他意はないよ。キミとは違ってね」
「うぐっ…… いちいち一言余計じゃないかな? 紅子さん」
「アタシの浴衣姿が見たいとか言ったり、いちいちスケベなお兄さんが悪い。とにかく、あの人はアルフォードさんもキミに会わせようとしてた人だよ。何回か話は聞いてるよね」
ああ! 以前からこの字乗さんの図書館に時々手伝いに来るっていう人か…… なるほどな。それは楽しみだ。
「もう…… 早とちりばっかりして。お兄さんは世話がかかるね。今日会うんじゃタイミングも悪いし、こんなことがあった後じゃあねぇ…… アタシから連絡を入れておくから、後日彩色町内で待ち合わせをしようか」
「時間が空いてるかは訊かなくていいのか?」
「あの人はアタシから連絡すればなにがなんでも休みをもぎ取ってくると思うよ。今回はオカルト案件にもなりそうだからね。あの人はオカルトオタクなんだよ」
「え」
紅子さんの言葉に思わず声が漏れる。
「…… 理解に苦しいんだけれど、もしかして普通の温泉旅行だと思っていたのかな」
全くその通りだ。
「あのね、お兄さん。覚えておいて損はないからよく聞いてね。アルフォードさんからなにか提案されたときは、大抵裏になんらかのオカルト案件が潜んでることが多い。分かった?」
「お、覚えておく」
そうだったのか……
「言っておくけれどね、アルフォードさんもキミが思うほど真っ当じゃないよ。あの人だって人間じゃないんだから。神さまってのは大なり小なりどこか計算的だよ」
「あ、あんなに無邪気な人なのに?」
「見た目に騙されちゃダメだよ、おにーさん」
思わず本読み中の字乗さんやペティさんの方へ向いて見れば、神妙な顔で頷いていた。そういうものらしい…… というかあんた達もその中に入るだろ。
「みんなキミのとこの邪神みたいとは言わないけれど、一癖も二癖もあるからね。年長者なら尚更だよ。覚えておくといい」
そう聞くと不安を覚えるが、どんな相手だってあいつよりは遥かにマシなはずだ。人間と共存することを目指しているアルフォードさん達なら尚更まだ理解できる範囲…… と思いたい。
「帽子屋ー、どこじゃー。ここが難解でわけわからんぞー!」
と、そこで奥の本棚からレイシーの声が聞こえてきた。
声色からするにどうやらこちらにだんだんと近寄ってきているようだな。
「おっと、弟子がお呼びだな」
「ふふふ、君はいつから弟子を取れるようになったんだい? ケルベロスからの卒業もまだだろうペチュニア。ほらほらレイシー。このよもぎちゃんに見せてごらん? この私に分かりやすく解説をさせてくれたまえ」
「お前は難解に難解を重ねるから嫌じゃ!」
「がーん」
真顔のまま言われてもなあ、ちっとも傷ついたようには見えないんだよなあ。
「アリシアちゃんは4人で旅行行くので問題ないか?」
「あ、あたしのために行こうとしてくれてるわけですし…… 反対する理由なんてありませんよ」
アリシアちゃんは少し肩身が狭そうにしながらこちらにやって来た。
うーん、もう少し気を遣ってあげたほうがいいかもしれない。まだまだ緊張が抜けないみたいだしなぁ。
キリッと背筋を伸ばして俺に受け答えしていたアリシアに紅子さんが少し前屈みになって目線を合わせる。
「アリシアちゃん、旅行のための荷物は大丈夫かな? なんならアタシと一緒にお買い物デートにでも行く?」
紅子さんからの提案にアリシアはパッと顔を明るくして「いいんですか?」と早口に言った。
「構わないよ。女二人のほうが物選びもしやすいからね」
「えへへ、なら赤座さんとご一緒したいです」
「んん、呼び方は自由だけれど…… アタシは下の名前でも歓迎するよ」
「えーっと、なら紅子お姉さん!」
「…… 満点の合格かな。花丸をあげたいくらいだよ」
お姉さん扱いされて満更でもなさそうな紅子さんは可愛らしい。
俺も合格もらったことないのになあ……
「それじゃあ、お兄さん。今日は解散しようか。待ち合わせ日はあとで連絡するよ。アリシアちゃんとのデートもあることだし、アタシはこれで行くよ。アリシアちゃんはどこか美味しい喫茶店知らないかな? あと、入り用なものを……」
「えっとですね駅前の……」
手を振りながら図書館から出て行こうとする二人を見送る。
最後に、紅子さんがこちらに振り返って微笑んだ。
「それじゃあ、楽しみにしてるよ。令一お兄さん?」
そんな、素直な微笑みを向けられて俺が無事でいられるわけがなかった。
意識し始めの俺には少し刺激が強すぎるよ紅子さん……
「あっはっは、レーイチ、頑張れよ? 脈がないわけじゃないんだ」
ペティさんが愉快そうにしながらカツカツと靴音を響かせて近づいてくる。
そんなこと分かってるって……
「ほら、分かるだろ? ベニコは意識してる相手ほど素直になれない可愛い奴なんだよ。まったく、難儀な性格だが…… あいつは幸せになるべきだよ。ユーレイでも人生は満喫できるんだからな!」
俺はその言葉にしっかりと頷いた。
紅子さんの言葉は皮肉とからかいばっかりだけれど、いつも嘘はすぐにバラすし、本当に俺を傷つけるような、過去の傷を引きずり出すような言葉を選ぶことはない。
紅子さんに出会えたのは今の生活があるから…… なんて夢を見るつもりも、うちでくつろいでる邪神に感謝するつもりも毛頭ないが、今は今。前だけ見ていればいい。
さて、約束の日が来るまでにもっと料理の腕を磨いておかなくちゃな。
特にエクレアはサックサクのシューと、ふわふわのクリーム。それに美味しいチョコレートを用意しておかないと。
邪神にせっつかれて料理を覚えたが…… こうやって誰かが喜んでくれると思うと、惰性だった料理がすごく楽しみに思えてくる。
仕方ないからおやつの試作は神内に全部やるか。
そうすれば本命、当日のおやつが奪われることはないだろう…… 多分。
俺は背後からの下世話な視線に見送られながら、練習用の材料費と数を頭で計算して帰路に着いたのだった。
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