128 / 144
漆の怪【ひとはしらのかみさま】
白い幽霊と古き資料
しおりを挟む
森から出ると、遠くに白い影が見えた。
「あれ、詩子ちゃんじゃないか?」
「うん? あ、本当だね」
詩子ちゃんは白装束をなびかせながら村の中を見回るように歩いているようだった。
子供達が花一匁をしている中に勝手に入り込んで遊ぼうとしたり、かくれんぼに混ざろうとしたり、本当に子供が好きなんだろうな。
不思議な話だが、子供達に混ざろうとする彼女はすり抜けることなく遊びに参加している。
いつの間にか遊んでいる人数が増える現象というのは、きっとこういうことなんだろうな。そう思わせる姿だった。
子供達にも視えている……のか? いや、子供達も生まれたときに納めた身代わりがあるはずだから、無意識に遊んでいるだけで気がついていない可能性のほうが高いか。
「あっ」
子供が転んで、思わず声に出てしまった。
けれど、その子供に駆け寄る詩子ちゃんの姿に釘付けになる。
太陽は既に天辺まで登っているから、早く資料館に戻って合流と、お昼ご飯作りを手伝わないといけないのに……不思議と目が吸い込まれるように白い幽霊へと向けられる。
「……」
紅い瞳が責めるように俺を見つめる。
けれど、どうしても気になってしまって「ごめん」と口に出した。
「――」
遠くのほうで、子供の泣く声が聞こえる。どうやら怪我をしたようで、膝を抱えて大声で泣く。ああ、あんな時代もあったっけなあなんて思いつつも様子を見守っていると、詩子ちゃんが子供の傷に手のひらを触れさせ、目を伏せる。
彼女の声は聞こえないが、きっと優しく声をかけているのだろうことは分かった。
そして、子供が突然泣き止む。
詩子ちゃんが触れさせていた手を離し、身を翻す。
目を白黒とさせながら怪我をしていた子供は膝を見るが、もう既にそこには傷跡がなかった。
遠目にそれを確認して、俺も資料館に帰ろうと歩き出した。
なぜ、あんなにも目が惹かれたのか……それは分からなかったが、詩子ちゃんが優しい顔で子供の傷を治すところを目撃できたのは幸いだったろう。
……あんなことができるなんて知らなかったけれど、あの心優しい幽霊ならば紅子さんを害することもないだろうと確信できた。
だからこれはこれで良い収穫となったと言えるな。
「治癒の力だねぇ……普通はあんなことできないし、あれも彼女の才能かもしれないよ」
「才能か……詩子ちゃんが死んだことにもなにか関係がありそうだけれど……本人に訊くわけにはいかないからなあ」
「それに、彼女ってここ50年くらいの記憶しかないって言っていたんだよね。なら、死んだときの記憶も、生前のことも多分覚えていないと思うよ」
だから、あの治癒の力が彼女の死に関係があるかどうかも分からない……と。
今一番謎なのはこの村の神様のこともそうだが、詩子ちゃん自身もかなりの謎だ。そこらへんのことが資料館で分かればいいんだが。
「それじゃあ、アタシは一応さっきのことを透お兄さんやアリシアちゃんに共有しておくよ。確か透お兄さんは古いほうの資料室だったよね」
「よろしく。俺は華野ちゃんとお昼ご飯作ってくるから……なにかリクエストあるか?」
「昨日のカレーが残っていたりとかするんじゃないの?」
「……それもそうだな。あとはサラダくらいか。なら、夜のリクエストとか」
「夕飯ねぇ……えっと、クリームシチューとかどうかな? また汁物になっちゃうけれど。ダメかな」
遠慮がちに聞いてくる彼女に頷かない俺がいるわけがないだろ。
「食料を使わせてもらってる身だし、少ない材料でたくさん作れる汁物のほうが負担は少ないと思うし……華野ちゃんに提案してみるよ」
二つ返事で了承することは決まっていたが、一応ちゃんとした理由もあるのだ。あくまで俺達は想定外のお客さんだからな。
「そ、そっか。楽しみにしているよ。それじゃあ」
廊下で分かれて、ほんの少しの間だけ思い出す。
自分から訊いてなんだが、リクエストをしてきたときの紅子さんは目線を逸らしていて頬をかいていた。ちょっと恥ずかしかったのかもしれない。
これだけ楽しみにしてくれているとなると腕がなるな!
「さて、手伝いに行かないと」
そうして俺は、華野ちゃんと一緒に余ったカレーに乗せる小さなハンバーグを作ってハンバーグカレーにしたり、サラダを作ったりしてお昼にしたのであった。
夕飯をシチューにする許可はもちろんもらえた。その代わりに、ホットケーキミックスがあったので3時のおやつにホットケーキを作る約束を華野ちゃんとしてみたりとか。
それから、再び俺達はアリシアの自室に集まって会議を開くことにしたのだった。
「寝ちゃってごめんなさい……」
「いやいや、急な激痛に襲われた後だったし、体力が持たないのも仕方ないよ。元気になった?」
シュンとするアリシアに透さんが尋ねる。
アリシアはその膝の上に黒猫を抱きながら、するりと背を撫ぜた。
黒猫……ジェシュは気持ちが良いのか、彼女の膝の上で足を体の下に畳み、所謂香箱座りの状態でくありと欠伸をこぼす。
すっかりと関係の修復は済んだようだった。
「もう大丈夫です。あのときは疲れちゃっただけですから。それより、紅子お姉さんは変わりありませんか? どこか怪我したりとか」
「おにーさんが心配性なくらい守ってくれいるから、アタシは問題ないよ」
ふっと微笑んで言う紅子さんに、俺のほうが照れてしまった。
こう、なんだかくすぐったい気持ちになるのである。
「それなら良かったです。それで、ええと、あたしはあのあと起きてジェシュとお話しをしながら、できることを確認してみていたんですよ。もしかしたら、神様に立ち向かうことになるかもですし……というより、あたしが見てるだけなのが気に食わないだけですね。紅子お姉さんのことは、あたしだって好きですもん」
「……」
紅子さんは俺の隣に座ったまま、そっと目を明後日の方向へ向ける。
ポニーテールの隙間から見える肌はやはり、赤くなっていた。最近の紅子さんはよく照れる。
素直に感情を表してくれるようになったのだと思うと感慨深いな。
前は不敵で、どこか掴み所のない感じが常だったからだ。
ひらひらと風に舞いながら常に飛び続けていた蝶々が、翅を休めて花に止まっているような……少々詩的だがそんな違いを感じている。
休むべく止まり木のようなものだと俺達が認識されているのなら、それはそれで嬉しいものだ。
「ジェシュは猫であって邪神でもありますから、全てはあたしの心次第……らしいです。だからあたしが大きくなってって願えば……」
アリシアが宝石を嵌めた十字架を手に目を瞑る。
するとジェシュの姿は見る見るうちに大きくなり、やがてしなやかな黒豹のような姿に変化した。
「い、今はこれで限界ですけど……これならあたしもジェシュに乗って移動できますし、ジェシュがそばにいるからなんとか逃げることもできます。足手纏いにはならないはずです」
額に汗をかきながらアリシアが言う。この状態でもだいぶ無茶をしているのがよく分かる。けれど、俺達と一緒に紅子さんを守りたいという意思は十分すぎるほど伝わってきた。
黒豹のようにしなやかな黒猫は、黙ってアリシアの頬にその頭をゴツリとぶつけるとみるみるうちに元の大きさまで戻る。
あのサイズの猫に頭突きをされると痛いんじゃないだろうか。
「ジェシュ、おっきくなってるときはそれしないでって言ったじゃない」
「そんなのボクの勝手でしょ?」
やはり痛かったみたいだ。猫にとっての愛情表現の一種なのは分かるが、あれは絶対に痛い。
ともかく、アリシアは十分に彼と語り合い、強くなるための一歩を踏み出したのだろう。そんなアリシアの想いを無下にすることはとてもではないが、できないな。
「無茶だけはしないようにね」
「紅子お姉さんにだけは言われたくありません!」
澄ました顔をしていた紅子さんの口元が、見事に引きつった。
いいぞ、もっと言ってやってくれ。俺からだといつものことすぎてあんまり忠告を聞いてもらえないんだ。
「……善処する、かな」
「むう、あたしの目を見て言えます? それ」
紅子さんの目が泳ぎだす。
自分でも分かっているだろうに、彼女は魂が狙われている此の期に及んでもまだ、無茶をする気だったのか。それとも、いつもはなにも考えずに突っ走るから自分でも止まれるかどうか分からない……とか?
思慮深い癖に脳筋という厄介な性格をしているこの人には、透さんもただただ苦笑いを浮かべるしかないようだった。
「いやあ、こうしてると紅子さんも若いね」
「……今、それ言う必要あったかな? 透お兄さん」
「というか、透さんもそれほど俺と離れてないだろ。そんなこと言える立場か? あんた25歳でしょう」
「あはは、細かいことは気にしないで」
誤魔化したなこの人。
「こほん、ともかくです! あたしも紅子お姉さんのことは大好きですから、守りに入らせてもらいますからね、透さんは調べるほうをよろしくお願いします」
「うん、そういうのは得意だよ。あ、それと資料室で気になるものを見つけたんだよね。見てほしいんだ」
これ幸いとばかりに透さんが古そうな本を取り出した。どうやら読むときに痛まないように透明なシートで覆ってあるらしい。
これは多分、元々なんだろうな。華野ちゃんがどれだけ資料を大事にしているかが分かるというものだ。
「まずはこれ〝お宮参りの歴史〟について書かれているよ」
透さんがパラパラとページを捲りながら該当の場所を開く。
俺達はそろって書物を覗き込むが、黒猫のジェシュだけはやはりアリシアの膝の上でくありと欠伸をしていた。
◇
災害を予知せしおしら神を利用するべし。
かの神を祀り上げ祟りを鎮むと共に、自らの名を記しし身代わり人形を納め、年ごろ祭りの日に一枚願ひを織り込みし衣を重ね着さすることとす。
名を人形に貸し与へ、おしら神の罰を一度ばかり肩代わりさするもの。これをお宮の身代わり雛と呼ぶ。
身代わり雛は生まれし子が七歳になる年に作り、名を入る。
さることに祟りを受けてぬやうにするなり。
身代わり雛は神社に納め、それを模せし写しを家屋に飾る。
家屋に飾りし守り雛が壊れば、祟りを受けとめ役割を果たししためしとなれば、我が身が美しくばいま一度雛を作り神社へ納めるべし。
◇
「つ、つまりどういう意味ですか?」
アリシアがギブアップした。俺も同感だ。なんとなく分からないでもないが、細かいところが合っているかちょっと自信がない。
「えっと、要約すると……祟り神であるおしら様に災害を予知してもらうためには、名前を預けた身代わり人形を必ず納めて、お祭りのときに願いを込めて重ね着させる。この身代わりのことを〝お宮の身代わり雛〟って言うんだって」
ここまではなんとなく分かった。
おしら様の祀りかたはネットで調べたりしたものと大体は一緒だな。
やはりイレギュラーなのは名前を預けて身代わりにするっていうことくらいか。
「それで、お宮の身代わり雛は子供が七歳になったら作ることって書いてある。多分、七歳までは神のうちってことで見逃されていたとか……そういう事情があったのかな? 今は生まれたときに身代わりを作るみたいだから、ちょっとだけ祀りかたが変化してるんだね」
子供のうちは見逃されていた……か。
その辺を聴くと、詩子ちゃんの大人嫌いを思い出すな。あの子は関係ないはずなのに。なぜだろう。
「で、本物の身代わり雛は神社に納めて、もう一つそっくりな雛を作って家に飾るんだって。家にあった身代わりが壊れたら、神社の物も壊れたことになるから、自分の身が可愛かったらもう一度身代わりを作って神社に納めなさいって書いてあるんだ」
「なるほど」
身代わりが壊れることもあったのか。
「それから、身代わり雛関連でこっちの資料も見てほしい。資料というより、ちょっとした怪談みたいなものらしいけれど、この村特有のフォークロアだね」
フォークロア……この村に伝わる伝承のこと、だよな?
確か都市伝説のことはネットロアと呼んだりするって聞いたことがあったような……?
「記述はどれかな?」
「ここだよ」
紅子さんの質問に透さんがもう一冊本を取り出して開く。
俺もそれを覗き込んだ。
◇
神社へ参りし際ひとがたとみに罵り始め、我が身に縋り咽び泣くを目撃す
「我らも生けり! 我らも生けるなり! 死ぬまじき、死ぬまじきぞ」と人形等が懇願しきけり
こは夢かと目を見張れど、目の前の景色は消えず
もしかしてこれこそを付喪神と言ふかもしれぬ
げに奇々怪界なり
◇
「えっと……?」
アリシアが目をグルグルと回し始めた。
彼女には古語が難しすぎたらしい。
「要約するとこうなるよ……」
透さんは目を瞑り、諳んじるように低い声で語り出した。
◇
神社へとお参りしたとき人形達が私を罵りはじめ、私に泣きついてきた。
「我らも生きている! 生きているのだぞ! 死にたくない、死にたくないのだ!」
……と、人形達がしきりに懇願した。
これは夢なのだろうかと目を見開いたが、目の前の光景は変わらない。
もしかしたら、これこそが付喪神というやつなのだろうか。
まことに不思議で奇怪である。
◇
「付喪神ねぇ」
思案するように紅子さんが呟く。
そうか、身代わり人形が付喪神なんかになったら大変だよな。死ぬのがお役目みたいなところがあるわけだし……けれど、人形が付喪神になったところでなにをできるでもないだろうし、謎は深まるばかりだ。
「あれ、詩子ちゃんじゃないか?」
「うん? あ、本当だね」
詩子ちゃんは白装束をなびかせながら村の中を見回るように歩いているようだった。
子供達が花一匁をしている中に勝手に入り込んで遊ぼうとしたり、かくれんぼに混ざろうとしたり、本当に子供が好きなんだろうな。
不思議な話だが、子供達に混ざろうとする彼女はすり抜けることなく遊びに参加している。
いつの間にか遊んでいる人数が増える現象というのは、きっとこういうことなんだろうな。そう思わせる姿だった。
子供達にも視えている……のか? いや、子供達も生まれたときに納めた身代わりがあるはずだから、無意識に遊んでいるだけで気がついていない可能性のほうが高いか。
「あっ」
子供が転んで、思わず声に出てしまった。
けれど、その子供に駆け寄る詩子ちゃんの姿に釘付けになる。
太陽は既に天辺まで登っているから、早く資料館に戻って合流と、お昼ご飯作りを手伝わないといけないのに……不思議と目が吸い込まれるように白い幽霊へと向けられる。
「……」
紅い瞳が責めるように俺を見つめる。
けれど、どうしても気になってしまって「ごめん」と口に出した。
「――」
遠くのほうで、子供の泣く声が聞こえる。どうやら怪我をしたようで、膝を抱えて大声で泣く。ああ、あんな時代もあったっけなあなんて思いつつも様子を見守っていると、詩子ちゃんが子供の傷に手のひらを触れさせ、目を伏せる。
彼女の声は聞こえないが、きっと優しく声をかけているのだろうことは分かった。
そして、子供が突然泣き止む。
詩子ちゃんが触れさせていた手を離し、身を翻す。
目を白黒とさせながら怪我をしていた子供は膝を見るが、もう既にそこには傷跡がなかった。
遠目にそれを確認して、俺も資料館に帰ろうと歩き出した。
なぜ、あんなにも目が惹かれたのか……それは分からなかったが、詩子ちゃんが優しい顔で子供の傷を治すところを目撃できたのは幸いだったろう。
……あんなことができるなんて知らなかったけれど、あの心優しい幽霊ならば紅子さんを害することもないだろうと確信できた。
だからこれはこれで良い収穫となったと言えるな。
「治癒の力だねぇ……普通はあんなことできないし、あれも彼女の才能かもしれないよ」
「才能か……詩子ちゃんが死んだことにもなにか関係がありそうだけれど……本人に訊くわけにはいかないからなあ」
「それに、彼女ってここ50年くらいの記憶しかないって言っていたんだよね。なら、死んだときの記憶も、生前のことも多分覚えていないと思うよ」
だから、あの治癒の力が彼女の死に関係があるかどうかも分からない……と。
今一番謎なのはこの村の神様のこともそうだが、詩子ちゃん自身もかなりの謎だ。そこらへんのことが資料館で分かればいいんだが。
「それじゃあ、アタシは一応さっきのことを透お兄さんやアリシアちゃんに共有しておくよ。確か透お兄さんは古いほうの資料室だったよね」
「よろしく。俺は華野ちゃんとお昼ご飯作ってくるから……なにかリクエストあるか?」
「昨日のカレーが残っていたりとかするんじゃないの?」
「……それもそうだな。あとはサラダくらいか。なら、夜のリクエストとか」
「夕飯ねぇ……えっと、クリームシチューとかどうかな? また汁物になっちゃうけれど。ダメかな」
遠慮がちに聞いてくる彼女に頷かない俺がいるわけがないだろ。
「食料を使わせてもらってる身だし、少ない材料でたくさん作れる汁物のほうが負担は少ないと思うし……華野ちゃんに提案してみるよ」
二つ返事で了承することは決まっていたが、一応ちゃんとした理由もあるのだ。あくまで俺達は想定外のお客さんだからな。
「そ、そっか。楽しみにしているよ。それじゃあ」
廊下で分かれて、ほんの少しの間だけ思い出す。
自分から訊いてなんだが、リクエストをしてきたときの紅子さんは目線を逸らしていて頬をかいていた。ちょっと恥ずかしかったのかもしれない。
これだけ楽しみにしてくれているとなると腕がなるな!
「さて、手伝いに行かないと」
そうして俺は、華野ちゃんと一緒に余ったカレーに乗せる小さなハンバーグを作ってハンバーグカレーにしたり、サラダを作ったりしてお昼にしたのであった。
夕飯をシチューにする許可はもちろんもらえた。その代わりに、ホットケーキミックスがあったので3時のおやつにホットケーキを作る約束を華野ちゃんとしてみたりとか。
それから、再び俺達はアリシアの自室に集まって会議を開くことにしたのだった。
「寝ちゃってごめんなさい……」
「いやいや、急な激痛に襲われた後だったし、体力が持たないのも仕方ないよ。元気になった?」
シュンとするアリシアに透さんが尋ねる。
アリシアはその膝の上に黒猫を抱きながら、するりと背を撫ぜた。
黒猫……ジェシュは気持ちが良いのか、彼女の膝の上で足を体の下に畳み、所謂香箱座りの状態でくありと欠伸をこぼす。
すっかりと関係の修復は済んだようだった。
「もう大丈夫です。あのときは疲れちゃっただけですから。それより、紅子お姉さんは変わりありませんか? どこか怪我したりとか」
「おにーさんが心配性なくらい守ってくれいるから、アタシは問題ないよ」
ふっと微笑んで言う紅子さんに、俺のほうが照れてしまった。
こう、なんだかくすぐったい気持ちになるのである。
「それなら良かったです。それで、ええと、あたしはあのあと起きてジェシュとお話しをしながら、できることを確認してみていたんですよ。もしかしたら、神様に立ち向かうことになるかもですし……というより、あたしが見てるだけなのが気に食わないだけですね。紅子お姉さんのことは、あたしだって好きですもん」
「……」
紅子さんは俺の隣に座ったまま、そっと目を明後日の方向へ向ける。
ポニーテールの隙間から見える肌はやはり、赤くなっていた。最近の紅子さんはよく照れる。
素直に感情を表してくれるようになったのだと思うと感慨深いな。
前は不敵で、どこか掴み所のない感じが常だったからだ。
ひらひらと風に舞いながら常に飛び続けていた蝶々が、翅を休めて花に止まっているような……少々詩的だがそんな違いを感じている。
休むべく止まり木のようなものだと俺達が認識されているのなら、それはそれで嬉しいものだ。
「ジェシュは猫であって邪神でもありますから、全てはあたしの心次第……らしいです。だからあたしが大きくなってって願えば……」
アリシアが宝石を嵌めた十字架を手に目を瞑る。
するとジェシュの姿は見る見るうちに大きくなり、やがてしなやかな黒豹のような姿に変化した。
「い、今はこれで限界ですけど……これならあたしもジェシュに乗って移動できますし、ジェシュがそばにいるからなんとか逃げることもできます。足手纏いにはならないはずです」
額に汗をかきながらアリシアが言う。この状態でもだいぶ無茶をしているのがよく分かる。けれど、俺達と一緒に紅子さんを守りたいという意思は十分すぎるほど伝わってきた。
黒豹のようにしなやかな黒猫は、黙ってアリシアの頬にその頭をゴツリとぶつけるとみるみるうちに元の大きさまで戻る。
あのサイズの猫に頭突きをされると痛いんじゃないだろうか。
「ジェシュ、おっきくなってるときはそれしないでって言ったじゃない」
「そんなのボクの勝手でしょ?」
やはり痛かったみたいだ。猫にとっての愛情表現の一種なのは分かるが、あれは絶対に痛い。
ともかく、アリシアは十分に彼と語り合い、強くなるための一歩を踏み出したのだろう。そんなアリシアの想いを無下にすることはとてもではないが、できないな。
「無茶だけはしないようにね」
「紅子お姉さんにだけは言われたくありません!」
澄ました顔をしていた紅子さんの口元が、見事に引きつった。
いいぞ、もっと言ってやってくれ。俺からだといつものことすぎてあんまり忠告を聞いてもらえないんだ。
「……善処する、かな」
「むう、あたしの目を見て言えます? それ」
紅子さんの目が泳ぎだす。
自分でも分かっているだろうに、彼女は魂が狙われている此の期に及んでもまだ、無茶をする気だったのか。それとも、いつもはなにも考えずに突っ走るから自分でも止まれるかどうか分からない……とか?
思慮深い癖に脳筋という厄介な性格をしているこの人には、透さんもただただ苦笑いを浮かべるしかないようだった。
「いやあ、こうしてると紅子さんも若いね」
「……今、それ言う必要あったかな? 透お兄さん」
「というか、透さんもそれほど俺と離れてないだろ。そんなこと言える立場か? あんた25歳でしょう」
「あはは、細かいことは気にしないで」
誤魔化したなこの人。
「こほん、ともかくです! あたしも紅子お姉さんのことは大好きですから、守りに入らせてもらいますからね、透さんは調べるほうをよろしくお願いします」
「うん、そういうのは得意だよ。あ、それと資料室で気になるものを見つけたんだよね。見てほしいんだ」
これ幸いとばかりに透さんが古そうな本を取り出した。どうやら読むときに痛まないように透明なシートで覆ってあるらしい。
これは多分、元々なんだろうな。華野ちゃんがどれだけ資料を大事にしているかが分かるというものだ。
「まずはこれ〝お宮参りの歴史〟について書かれているよ」
透さんがパラパラとページを捲りながら該当の場所を開く。
俺達はそろって書物を覗き込むが、黒猫のジェシュだけはやはりアリシアの膝の上でくありと欠伸をしていた。
◇
災害を予知せしおしら神を利用するべし。
かの神を祀り上げ祟りを鎮むと共に、自らの名を記しし身代わり人形を納め、年ごろ祭りの日に一枚願ひを織り込みし衣を重ね着さすることとす。
名を人形に貸し与へ、おしら神の罰を一度ばかり肩代わりさするもの。これをお宮の身代わり雛と呼ぶ。
身代わり雛は生まれし子が七歳になる年に作り、名を入る。
さることに祟りを受けてぬやうにするなり。
身代わり雛は神社に納め、それを模せし写しを家屋に飾る。
家屋に飾りし守り雛が壊れば、祟りを受けとめ役割を果たししためしとなれば、我が身が美しくばいま一度雛を作り神社へ納めるべし。
◇
「つ、つまりどういう意味ですか?」
アリシアがギブアップした。俺も同感だ。なんとなく分からないでもないが、細かいところが合っているかちょっと自信がない。
「えっと、要約すると……祟り神であるおしら様に災害を予知してもらうためには、名前を預けた身代わり人形を必ず納めて、お祭りのときに願いを込めて重ね着させる。この身代わりのことを〝お宮の身代わり雛〟って言うんだって」
ここまではなんとなく分かった。
おしら様の祀りかたはネットで調べたりしたものと大体は一緒だな。
やはりイレギュラーなのは名前を預けて身代わりにするっていうことくらいか。
「それで、お宮の身代わり雛は子供が七歳になったら作ることって書いてある。多分、七歳までは神のうちってことで見逃されていたとか……そういう事情があったのかな? 今は生まれたときに身代わりを作るみたいだから、ちょっとだけ祀りかたが変化してるんだね」
子供のうちは見逃されていた……か。
その辺を聴くと、詩子ちゃんの大人嫌いを思い出すな。あの子は関係ないはずなのに。なぜだろう。
「で、本物の身代わり雛は神社に納めて、もう一つそっくりな雛を作って家に飾るんだって。家にあった身代わりが壊れたら、神社の物も壊れたことになるから、自分の身が可愛かったらもう一度身代わりを作って神社に納めなさいって書いてあるんだ」
「なるほど」
身代わりが壊れることもあったのか。
「それから、身代わり雛関連でこっちの資料も見てほしい。資料というより、ちょっとした怪談みたいなものらしいけれど、この村特有のフォークロアだね」
フォークロア……この村に伝わる伝承のこと、だよな?
確か都市伝説のことはネットロアと呼んだりするって聞いたことがあったような……?
「記述はどれかな?」
「ここだよ」
紅子さんの質問に透さんがもう一冊本を取り出して開く。
俺もそれを覗き込んだ。
◇
神社へ参りし際ひとがたとみに罵り始め、我が身に縋り咽び泣くを目撃す
「我らも生けり! 我らも生けるなり! 死ぬまじき、死ぬまじきぞ」と人形等が懇願しきけり
こは夢かと目を見張れど、目の前の景色は消えず
もしかしてこれこそを付喪神と言ふかもしれぬ
げに奇々怪界なり
◇
「えっと……?」
アリシアが目をグルグルと回し始めた。
彼女には古語が難しすぎたらしい。
「要約するとこうなるよ……」
透さんは目を瞑り、諳んじるように低い声で語り出した。
◇
神社へとお参りしたとき人形達が私を罵りはじめ、私に泣きついてきた。
「我らも生きている! 生きているのだぞ! 死にたくない、死にたくないのだ!」
……と、人形達がしきりに懇願した。
これは夢なのだろうかと目を見開いたが、目の前の光景は変わらない。
もしかしたら、これこそが付喪神というやつなのだろうか。
まことに不思議で奇怪である。
◇
「付喪神ねぇ」
思案するように紅子さんが呟く。
そうか、身代わり人形が付喪神なんかになったら大変だよな。死ぬのがお役目みたいなところがあるわけだし……けれど、人形が付喪神になったところでなにをできるでもないだろうし、謎は深まるばかりだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
翡翠のうた姫〜【中華×サスペンス】身分違いの恋と陰謀に揺れる宮廷物語〜
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
【中華×サスペンス】
「いつか僕のために歌って――」
雪の中、孤独な少女に手を差し伸べた少年。
その記憶を失った翠蓮(スイレン)は、歌だけを頼りに宮廷歌姫のオーディションへ挑む。
だがその才能は、早くも権力と嫉妬の目に留まる。中傷や妨害は次々とエスカレート。
やがて舞台は、後宮の派閥争いや戦場、国境まで越えていく。
そんな中、翠蓮を何度も救うのは第二皇子・蒼瑛(ソウエイ)。普段は冷静で穏やかな彼が、翠蓮のこととなると、度々感情を露わにする。
蒼瑛に対する気持ちは、尊敬? 憧れ? それとも――忘れてしまった " あの約束 " なのか。
すれ違いながら惹かれ合う二人。甘く切ない、中華ファンタジー
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる