ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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漆の怪【ひとはしらのかみさま】

奇しくも、それは同じ形で

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 ――声が聞こえる。

 俺を呼ぶ声。俺を呼び戻そうとする声。誰にも聞かれていないからと素直に感情を表す紅い蝶の願い事が。

 体が熱い。目眩がする。左肩の感覚が熱いを通り越して、ほとんどない。
 それでも温もりを感じる右手を震わせ、やっとのことでぎゅっと握り込んだ。

「れ、令一さん?」

 震えたその声に応えようとしても、声が出ない。喉の奥で血が固まって息もし辛くて、このままいけば窒息していたんじゃないかと思案しながら咳き込む。

「ぐっ、げほっ……ぇ、こさん」
「い、いいよ喋らなくて! ちょっと待っていてね」

 紅子さんが慌てて俺の口元を拭う。ハンカチには乾きかけた血が付着してしまった。それが申し訳なくて、情けなくて、そしてなにより満足に動かせることのできない体に苛立って首を振る。

「水、入れてきてもらうから」

 そうして、顔を伏せて逃げるように部屋を出ようとする彼女の腕を咄嗟に掴んだ。

「ど、どうしたのかな?」

 彼女は顔を逸らしてこちらを見ない。
 多分、泣き顔を見られたくない……とか、そういう理由だろう。彼女らしい。
 だから、俺は動く右手で思い切り紅子さんの腕を引っ張った。

「な、なに? どうしたの、令一さん!」

 バランスを崩して倒れてきた彼女を、起こした体で受け止める。それから肩に埋められた紅子さんの頭に手を添えて、ぎゅうっと抱きしめた。泣き顔を、見ないで済むように。泣き顔を彼女が見られたくないと思うのなら、俺はそれを尊重するだけだ。

「れ、令一さん、あの」

 戸惑う紅子さんに構うことなく、そのまま呟く。

「俺さ、紅子さんがいなくなったらと思ったら、すごく怖かったんだ。だから、嫌われてもいいから、約束だけは守りたかった」

 それに紅子さんが怒ったのは、必然だった。

「キミねっ、それで死んだら元も子もないとは思わないのかな!? キミはアタシと違って生きてるんだから、あとがないんだよ? キミが肩を怪我したとき……本当に、本当に死んじゃったのかと思って、アタシは……!」
「それは、青葉ちゃんのときに俺が経験した気持ちと、多分一緒だ」
「え……」
「あのとき、紅子さんが俺を庇って一度死んだとき……ヒヤリとした。君が死んじゃったらどうしようって、もう二度と笑ってくれなくなったらどうしようって、どうしようもなく混乱して、喚いてた」

 だから、これでお相子だよなって言いながら、抱きしめていた腕を緩めて笑いかける。
 正面から見た紅子さんの目尻は泣き腫らしたために真っ赤になっていて、眉はいつもよりもずっと下がり弱気な表情をしていた。それが、彼女が絶対に俺に見せたくなかったものだと知りながら、頬に手を添えて「もう、一方的に守られるのは嫌だったんだ」と言う。

 あのときは、俺を突き飛ばして紅子さんが一度殺された。
 今度は、俺が紅子さんを突き飛ばして生死の境を彷徨った。

 奇しくも同じ形で庇いあった俺達は、ほんの少しだけ似た者同士なのかもしれなかった。

「令一さん、死んじゃったかと思って……」
「うん」
「昨日のこと、謝りたいのに、謝れなくて」
「うん」
「キミにだけは、あんなの見て欲しくなかったから。キミにだけは、アタシの弱いところを知られたくなかったから……」
「うん」
「だからっ、あんな酷いこと言って……」
「……うん」
「ご、ごめん……ごめんね……アタシが、アタシのせいでっ」
「ううん、俺のほうこそ。いきなり触れてほしくないところに踏み込んじゃったから、紅子さんを傷つけた」

 涙で濡れた睫毛が震える。
 紅い瞳は、反応を怖がるように揺れていて、でも真っ直ぐと俺を見つめていた。

「知られる、のが怖いよ」
「大丈夫だよ。俺は逃げたりなんか、もうしない」
「軽蔑、されたくない」
「そんなことにはならない。どんな紅子さんも、紅子さんだろ? いつだって、俺は受け入れて来たよ。知ってるだろ? だから今度も、同じだ」

 目を彷徨わせて、それから彼女は目を瞑る。
 不思議となにをすればいいのか分かっていた。

 ……ほんの少しだけ動いた悪戯心で彼女の唇に指で触れると、びっくりしたように紅子さんは目を開いて、次いで真っ赤になって腰から逃げていく。

「冗談、だ」
「それって、すごくタチの悪い冗談だって分かっているのかな?」
「いつも焦らす紅子さんが悪い」
「い、今はまだ早いかな……」
「いつかは許してくれるつもりがあるのか?」
「…………」

 これ以上は怒られそうだ。
 笑って、そっと額を合わせる。アリシアやジェシュと同じ動作。きっとこうだと直感が告げていた。

 意識が引き込まれていく。
 そう、受け入れられたからこそ、彼女の赤い、紅い記憶の中に沈んで行く。

 ――そのつもりは、あるよ。

 意識が完全に沈む前に囁くように言って、紅子さんは目を瞑った。
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