141 / 144
漆の怪【ひとはしらのかみさま】
奇しくも、それは同じ形で
しおりを挟む
――声が聞こえる。
俺を呼ぶ声。俺を呼び戻そうとする声。誰にも聞かれていないからと素直に感情を表す紅い蝶の願い事が。
体が熱い。目眩がする。左肩の感覚が熱いを通り越して、ほとんどない。
それでも温もりを感じる右手を震わせ、やっとのことでぎゅっと握り込んだ。
「れ、令一さん?」
震えたその声に応えようとしても、声が出ない。喉の奥で血が固まって息もし辛くて、このままいけば窒息していたんじゃないかと思案しながら咳き込む。
「ぐっ、げほっ……ぇ、こさん」
「い、いいよ喋らなくて! ちょっと待っていてね」
紅子さんが慌てて俺の口元を拭う。ハンカチには乾きかけた血が付着してしまった。それが申し訳なくて、情けなくて、そしてなにより満足に動かせることのできない体に苛立って首を振る。
「水、入れてきてもらうから」
そうして、顔を伏せて逃げるように部屋を出ようとする彼女の腕を咄嗟に掴んだ。
「ど、どうしたのかな?」
彼女は顔を逸らしてこちらを見ない。
多分、泣き顔を見られたくない……とか、そういう理由だろう。彼女らしい。
だから、俺は動く右手で思い切り紅子さんの腕を引っ張った。
「な、なに? どうしたの、令一さん!」
バランスを崩して倒れてきた彼女を、起こした体で受け止める。それから肩に埋められた紅子さんの頭に手を添えて、ぎゅうっと抱きしめた。泣き顔を、見ないで済むように。泣き顔を彼女が見られたくないと思うのなら、俺はそれを尊重するだけだ。
「れ、令一さん、あの」
戸惑う紅子さんに構うことなく、そのまま呟く。
「俺さ、紅子さんがいなくなったらと思ったら、すごく怖かったんだ。だから、嫌われてもいいから、約束だけは守りたかった」
それに紅子さんが怒ったのは、必然だった。
「キミねっ、それで死んだら元も子もないとは思わないのかな!? キミはアタシと違って生きてるんだから、あとがないんだよ? キミが肩を怪我したとき……本当に、本当に死んじゃったのかと思って、アタシは……!」
「それは、青葉ちゃんのときに俺が経験した気持ちと、多分一緒だ」
「え……」
「あのとき、紅子さんが俺を庇って一度死んだとき……ヒヤリとした。君が死んじゃったらどうしようって、もう二度と笑ってくれなくなったらどうしようって、どうしようもなく混乱して、喚いてた」
だから、これでお相子だよなって言いながら、抱きしめていた腕を緩めて笑いかける。
正面から見た紅子さんの目尻は泣き腫らしたために真っ赤になっていて、眉はいつもよりもずっと下がり弱気な表情をしていた。それが、彼女が絶対に俺に見せたくなかったものだと知りながら、頬に手を添えて「もう、一方的に守られるのは嫌だったんだ」と言う。
あのときは、俺を突き飛ばして紅子さんが一度殺された。
今度は、俺が紅子さんを突き飛ばして生死の境を彷徨った。
奇しくも同じ形で庇いあった俺達は、ほんの少しだけ似た者同士なのかもしれなかった。
「令一さん、死んじゃったかと思って……」
「うん」
「昨日のこと、謝りたいのに、謝れなくて」
「うん」
「キミにだけは、あんなの見て欲しくなかったから。キミにだけは、アタシの弱いところを知られたくなかったから……」
「うん」
「だからっ、あんな酷いこと言って……」
「……うん」
「ご、ごめん……ごめんね……アタシが、アタシのせいでっ」
「ううん、俺のほうこそ。いきなり触れてほしくないところに踏み込んじゃったから、紅子さんを傷つけた」
涙で濡れた睫毛が震える。
紅い瞳は、反応を怖がるように揺れていて、でも真っ直ぐと俺を見つめていた。
「知られる、のが怖いよ」
「大丈夫だよ。俺は逃げたりなんか、もうしない」
「軽蔑、されたくない」
「そんなことにはならない。どんな紅子さんも、紅子さんだろ? いつだって、俺は受け入れて来たよ。知ってるだろ? だから今度も、同じだ」
目を彷徨わせて、それから彼女は目を瞑る。
不思議となにをすればいいのか分かっていた。
……ほんの少しだけ動いた悪戯心で彼女の唇に指で触れると、びっくりしたように紅子さんは目を開いて、次いで真っ赤になって腰から逃げていく。
「冗談、だ」
「それって、すごくタチの悪い冗談だって分かっているのかな?」
「いつも焦らす紅子さんが悪い」
「い、今はまだ早いかな……」
「いつかは許してくれるつもりがあるのか?」
「…………」
これ以上は怒られそうだ。
笑って、そっと額を合わせる。アリシアやジェシュと同じ動作。きっとこうだと直感が告げていた。
意識が引き込まれていく。
そう、受け入れられたからこそ、彼女の赤い、紅い記憶の中に沈んで行く。
――そのつもりは、あるよ。
意識が完全に沈む前に囁くように言って、紅子さんは目を瞑った。
俺を呼ぶ声。俺を呼び戻そうとする声。誰にも聞かれていないからと素直に感情を表す紅い蝶の願い事が。
体が熱い。目眩がする。左肩の感覚が熱いを通り越して、ほとんどない。
それでも温もりを感じる右手を震わせ、やっとのことでぎゅっと握り込んだ。
「れ、令一さん?」
震えたその声に応えようとしても、声が出ない。喉の奥で血が固まって息もし辛くて、このままいけば窒息していたんじゃないかと思案しながら咳き込む。
「ぐっ、げほっ……ぇ、こさん」
「い、いいよ喋らなくて! ちょっと待っていてね」
紅子さんが慌てて俺の口元を拭う。ハンカチには乾きかけた血が付着してしまった。それが申し訳なくて、情けなくて、そしてなにより満足に動かせることのできない体に苛立って首を振る。
「水、入れてきてもらうから」
そうして、顔を伏せて逃げるように部屋を出ようとする彼女の腕を咄嗟に掴んだ。
「ど、どうしたのかな?」
彼女は顔を逸らしてこちらを見ない。
多分、泣き顔を見られたくない……とか、そういう理由だろう。彼女らしい。
だから、俺は動く右手で思い切り紅子さんの腕を引っ張った。
「な、なに? どうしたの、令一さん!」
バランスを崩して倒れてきた彼女を、起こした体で受け止める。それから肩に埋められた紅子さんの頭に手を添えて、ぎゅうっと抱きしめた。泣き顔を、見ないで済むように。泣き顔を彼女が見られたくないと思うのなら、俺はそれを尊重するだけだ。
「れ、令一さん、あの」
戸惑う紅子さんに構うことなく、そのまま呟く。
「俺さ、紅子さんがいなくなったらと思ったら、すごく怖かったんだ。だから、嫌われてもいいから、約束だけは守りたかった」
それに紅子さんが怒ったのは、必然だった。
「キミねっ、それで死んだら元も子もないとは思わないのかな!? キミはアタシと違って生きてるんだから、あとがないんだよ? キミが肩を怪我したとき……本当に、本当に死んじゃったのかと思って、アタシは……!」
「それは、青葉ちゃんのときに俺が経験した気持ちと、多分一緒だ」
「え……」
「あのとき、紅子さんが俺を庇って一度死んだとき……ヒヤリとした。君が死んじゃったらどうしようって、もう二度と笑ってくれなくなったらどうしようって、どうしようもなく混乱して、喚いてた」
だから、これでお相子だよなって言いながら、抱きしめていた腕を緩めて笑いかける。
正面から見た紅子さんの目尻は泣き腫らしたために真っ赤になっていて、眉はいつもよりもずっと下がり弱気な表情をしていた。それが、彼女が絶対に俺に見せたくなかったものだと知りながら、頬に手を添えて「もう、一方的に守られるのは嫌だったんだ」と言う。
あのときは、俺を突き飛ばして紅子さんが一度殺された。
今度は、俺が紅子さんを突き飛ばして生死の境を彷徨った。
奇しくも同じ形で庇いあった俺達は、ほんの少しだけ似た者同士なのかもしれなかった。
「令一さん、死んじゃったかと思って……」
「うん」
「昨日のこと、謝りたいのに、謝れなくて」
「うん」
「キミにだけは、あんなの見て欲しくなかったから。キミにだけは、アタシの弱いところを知られたくなかったから……」
「うん」
「だからっ、あんな酷いこと言って……」
「……うん」
「ご、ごめん……ごめんね……アタシが、アタシのせいでっ」
「ううん、俺のほうこそ。いきなり触れてほしくないところに踏み込んじゃったから、紅子さんを傷つけた」
涙で濡れた睫毛が震える。
紅い瞳は、反応を怖がるように揺れていて、でも真っ直ぐと俺を見つめていた。
「知られる、のが怖いよ」
「大丈夫だよ。俺は逃げたりなんか、もうしない」
「軽蔑、されたくない」
「そんなことにはならない。どんな紅子さんも、紅子さんだろ? いつだって、俺は受け入れて来たよ。知ってるだろ? だから今度も、同じだ」
目を彷徨わせて、それから彼女は目を瞑る。
不思議となにをすればいいのか分かっていた。
……ほんの少しだけ動いた悪戯心で彼女の唇に指で触れると、びっくりしたように紅子さんは目を開いて、次いで真っ赤になって腰から逃げていく。
「冗談、だ」
「それって、すごくタチの悪い冗談だって分かっているのかな?」
「いつも焦らす紅子さんが悪い」
「い、今はまだ早いかな……」
「いつかは許してくれるつもりがあるのか?」
「…………」
これ以上は怒られそうだ。
笑って、そっと額を合わせる。アリシアやジェシュと同じ動作。きっとこうだと直感が告げていた。
意識が引き込まれていく。
そう、受け入れられたからこそ、彼女の赤い、紅い記憶の中に沈んで行く。
――そのつもりは、あるよ。
意識が完全に沈む前に囁くように言って、紅子さんは目を瞑った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
翡翠のうた姫〜【中華×サスペンス】身分違いの恋と陰謀に揺れる宮廷物語〜
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
【中華×サスペンス】
「いつか僕のために歌って――」
雪の中、孤独な少女に手を差し伸べた少年。
その記憶を失った翠蓮(スイレン)は、歌だけを頼りに宮廷歌姫のオーディションへ挑む。
だがその才能は、早くも権力と嫉妬の目に留まる。中傷や妨害は次々とエスカレート。
やがて舞台は、後宮の派閥争いや戦場、国境まで越えていく。
そんな中、翠蓮を何度も救うのは第二皇子・蒼瑛(ソウエイ)。普段は冷静で穏やかな彼が、翠蓮のこととなると、度々感情を露わにする。
蒼瑛に対する気持ちは、尊敬? 憧れ? それとも――忘れてしまった " あの約束 " なのか。
すれ違いながら惹かれ合う二人。甘く切ない、中華ファンタジー
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる