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彼女の唇は甘かった
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彼女の家にある庭の東屋は、今日も光に満ちていた。
葉の隙間を抜ける風が、花の香りを運び、
噴水の水音が、昼下がりの静けさを縁取っている。
昼食後の、ティータイム。
この穏やかな時間が、
なぜこうも心をざわつかせるのか。
「ねぇ、ヴィンセント」
呼ばれて、顔を向ける。
「なにかな?」
眉が、わずかに寄る。
――警戒。
自覚はある。
「眠くありません?」
びくっと、肩が跳ねた。
「それは……どういう意味かな?」
言葉を選びながら、内側で別の思考が暴れる。
寝室で、重なりたいという――
そんな誘いに聞こえてしまう自分が、もう末期だ。
数日前に観た舞台が、脳裏をよぎる。
隣席の個室から漏れた声。
舞台上で絡み合う身体。
腰が打ち付けられる、あのリズム。
「……あ、えっと……
風も陽射しも柔らかくて……
眠くならないかな、って……」
上目遣い。
小首を傾ける、その仕草。
ごくり、と喉が鳴る。
――むしろ、起きている。
いや、起きすぎている。
だが、ここは彼女の家だ。
破談になったら、どうする。
耐えろ。
彼女は純粋だ。
淫らな考えで俺を見ているはずがない。
「君を……大切にしたいんだ……」
掠れた低い声。
自分で言って、自分を叱咤する。
……よく耐えた。
踏みとどまった。
「……私も、ですわ」
「では、今すぐ! ぜひ!!」
なぜ、そうなる。
彼女が、自分の膝をぽんぽんと叩く。
「その……休憩、という意味で……」
――あ。
そうか。
俺は、なんという誤解を。
数秒の沈黙のあと、
まるで再起動するように、
そっと、彼女の太腿へ頭を預けた。
膝の温もり。
布越しに伝わる体温。
彼女の手が、髪に触れる。
……さらり。
毛先に伝わる感触に、
思わず、息を詰めた。
甘い吐息。
近い気配。
花と紅茶が混ざった香り。
俺は、ぎゅっと目を閉じる。
――すまない、マリエッタ。
先ほど盛大に勘違いした俺を、どうか許してくれ。
「……ヴィン。
私……あなたが、好き……」
ぱちっ、と目が開く。
呼吸が重なる。
逃げない視線。
逸らさない瞳。
伸ばした手が、彼女へ向かう。
彼女は、逃げない。
ためらいながら、頬に触れる。
指先の熱に、
彼女の身体が、ほんのわずか、震えた。
胸が、勝手に上下しているのが分かる。
「ああ……」
低い声に、熱が乗る。
「俺も……」
距離が、さらに詰まる。
「マリエッタが、大好きだ」
その言葉が届いたかどうか。
彼女の反応に、
じん、と脳が痺れる。
触れる前の一瞬。
唇と唇の間に、熱が溜まる。
軽く。
本当に、軽く。
触れた。
ちゅっ。
小さな音。
だが、胸の奥で鳴る音は、やけに大きい。
彼女の顔が、瞬時に熱を帯びる。
……なんて、可愛い反応だ。
初めてなのか。
そう思うと、胸が締め付けられる。
刹那の接触なのに、
唇に残る温度が、消えない。
呼吸が乱れる。
俺は必死で、わずかに整える。
――これ以上は、止まれる自信がない。
視線を、一瞬だけ逸らす。
理性が、きしむ音がする。
起き上がってからは、
軽い口付けを、何度も重ねた。
「ヴィン……ヴィンが、好き」
「……はぁ。
可愛い唇だ」
柔らかい。
甘い。
彼女の香りに包まれて、
胸の奥が満たされていく。
幸せだ。
それだけは、確かだ。
彼女が、きゅっと目を閉じた。
唇を、わずかに開く。
……開いた?
覗く、淡い色。
綺麗な歯列。
舌を、想像してしまう。
――待て。
これは、罠だ。
試されている。
……いや。
もしかすると、彼女自身も、
その先を望んでいるのかもしれない。
誰が、こんなことを教えた。
……舞台か。
好奇心が、旺盛すぎる。
俺は、そっとクッキーを彼女の口へ運んだ。
「……美味しいクッキーですわね」
「それは、よかった」
にこにこ笑う自分を、
彼女はどう見ているだろう。
彼女が咀嚼し、喉を通す。
その仕草さえ、目を離せない。
自身の舌で、
ぺろりと唇をなぞる。
――今日も。
今日もまた、
彼女を思いながら眠れない夜になる。
それでもいい。
今は、この距離を、大切にしたい。
彼女の唇が、
あまりにも、甘かったから。
葉の隙間を抜ける風が、花の香りを運び、
噴水の水音が、昼下がりの静けさを縁取っている。
昼食後の、ティータイム。
この穏やかな時間が、
なぜこうも心をざわつかせるのか。
「ねぇ、ヴィンセント」
呼ばれて、顔を向ける。
「なにかな?」
眉が、わずかに寄る。
――警戒。
自覚はある。
「眠くありません?」
びくっと、肩が跳ねた。
「それは……どういう意味かな?」
言葉を選びながら、内側で別の思考が暴れる。
寝室で、重なりたいという――
そんな誘いに聞こえてしまう自分が、もう末期だ。
数日前に観た舞台が、脳裏をよぎる。
隣席の個室から漏れた声。
舞台上で絡み合う身体。
腰が打ち付けられる、あのリズム。
「……あ、えっと……
風も陽射しも柔らかくて……
眠くならないかな、って……」
上目遣い。
小首を傾ける、その仕草。
ごくり、と喉が鳴る。
――むしろ、起きている。
いや、起きすぎている。
だが、ここは彼女の家だ。
破談になったら、どうする。
耐えろ。
彼女は純粋だ。
淫らな考えで俺を見ているはずがない。
「君を……大切にしたいんだ……」
掠れた低い声。
自分で言って、自分を叱咤する。
……よく耐えた。
踏みとどまった。
「……私も、ですわ」
「では、今すぐ! ぜひ!!」
なぜ、そうなる。
彼女が、自分の膝をぽんぽんと叩く。
「その……休憩、という意味で……」
――あ。
そうか。
俺は、なんという誤解を。
数秒の沈黙のあと、
まるで再起動するように、
そっと、彼女の太腿へ頭を預けた。
膝の温もり。
布越しに伝わる体温。
彼女の手が、髪に触れる。
……さらり。
毛先に伝わる感触に、
思わず、息を詰めた。
甘い吐息。
近い気配。
花と紅茶が混ざった香り。
俺は、ぎゅっと目を閉じる。
――すまない、マリエッタ。
先ほど盛大に勘違いした俺を、どうか許してくれ。
「……ヴィン。
私……あなたが、好き……」
ぱちっ、と目が開く。
呼吸が重なる。
逃げない視線。
逸らさない瞳。
伸ばした手が、彼女へ向かう。
彼女は、逃げない。
ためらいながら、頬に触れる。
指先の熱に、
彼女の身体が、ほんのわずか、震えた。
胸が、勝手に上下しているのが分かる。
「ああ……」
低い声に、熱が乗る。
「俺も……」
距離が、さらに詰まる。
「マリエッタが、大好きだ」
その言葉が届いたかどうか。
彼女の反応に、
じん、と脳が痺れる。
触れる前の一瞬。
唇と唇の間に、熱が溜まる。
軽く。
本当に、軽く。
触れた。
ちゅっ。
小さな音。
だが、胸の奥で鳴る音は、やけに大きい。
彼女の顔が、瞬時に熱を帯びる。
……なんて、可愛い反応だ。
初めてなのか。
そう思うと、胸が締め付けられる。
刹那の接触なのに、
唇に残る温度が、消えない。
呼吸が乱れる。
俺は必死で、わずかに整える。
――これ以上は、止まれる自信がない。
視線を、一瞬だけ逸らす。
理性が、きしむ音がする。
起き上がってからは、
軽い口付けを、何度も重ねた。
「ヴィン……ヴィンが、好き」
「……はぁ。
可愛い唇だ」
柔らかい。
甘い。
彼女の香りに包まれて、
胸の奥が満たされていく。
幸せだ。
それだけは、確かだ。
彼女が、きゅっと目を閉じた。
唇を、わずかに開く。
……開いた?
覗く、淡い色。
綺麗な歯列。
舌を、想像してしまう。
――待て。
これは、罠だ。
試されている。
……いや。
もしかすると、彼女自身も、
その先を望んでいるのかもしれない。
誰が、こんなことを教えた。
……舞台か。
好奇心が、旺盛すぎる。
俺は、そっとクッキーを彼女の口へ運んだ。
「……美味しいクッキーですわね」
「それは、よかった」
にこにこ笑う自分を、
彼女はどう見ているだろう。
彼女が咀嚼し、喉を通す。
その仕草さえ、目を離せない。
自身の舌で、
ぺろりと唇をなぞる。
――今日も。
今日もまた、
彼女を思いながら眠れない夜になる。
それでもいい。
今は、この距離を、大切にしたい。
彼女の唇が、
あまりにも、甘かったから。
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