28 / 89
まだいるの?
しおりを挟む
呼吸が、ようやく落ち着いてきた。
胸の上下がゆっくりになり、耳鳴りが少しずつ遠のいていく。
さっきまで全身を支配していた張り詰めた感覚が、解けるように薄れていった。
私は、ヴィンセントの胸元に額を預けたまま、小さく息を吐いた。
布越しに伝わる体温が、じんわりと安心を連れてくる。
「……今日は、まだ離れたくない…」
ぽつり。
考えるより先に、言葉が落ちた。
お願いというほど強くもなく、決意というほど固くもない。
独り言に近い、ただの本音。
ヴィンセントは、すぐには答えなかった。
一拍。
それから、彼の腕に、ほんのわずか力がこもる。
「……ああ」
短い返事。
それだけで、胸の奥がふわりと温かくなった。
さっきまでの切羽詰まった空気が、嘘みたいだ。
彼の体温はまだ少し高いけれど、それも今は心地いい。
ふと、喉の奥に違和感を覚えた。
……あ。
泣いたからかな……喉、乾いちゃった。
「一緒に、ティータイムしましょう」
そう言って顔を上げると、
ヴィンセントは一瞬きょとんとして――
次の瞬間、くすっと小さく笑った。
「……切り替えが、早いな」
呆れたようで、でもどこか柔らかい声。
「だって、喉乾いたんだもの」
私は、自然な動作で彼の腕に腕を絡めた。
さっきまでの修羅場が、遠い昔のことみたいだ。
ヴィンセントは一瞬だけためらったあと、
抵抗せずに腕を組ませてくれる。
歩幅を合わせるのが、
やけに丁寧で、少しだけ可笑しい。
寝室の鍵を開ける。
カチリ。
続いて、私室の扉。
ガチャ。
——その瞬間だった。
「……」
そこに、いた。
堂々と。
何の遠慮もなく。
カスティンが。
……まだ、いるんかい!!
空気が、一気に冷え込んだ。
背筋を、冷たいものがなぞっていく。
「急に走っていくし……心配になってね」
にこやかな声。
悪気がない分、余計に厄介だ。
視界の端で、侍女が青い顔をして立っている。
完全に板挟み。
……本当にごめん。
私、全力で逆方向に走ったからね。
「ヴィンセントの方へ!」の合図と、真逆に。
深く息を吸い、私は手のひらをすっと上げた。
「一先ず」
空気を、ぴたりと切る。
「わたくしには、荷が重すぎます」
声は冷静。
自分でも驚くほど、冷たく整っていた。
「一筆。お忘れかしら?」
一瞬、時が止まる。
……あ。
ヴィンセントが、私を二度見した。
そりゃそうだ。一筆の存在、彼は知らない。
カスティンの表情が、わずかに引きつる。
「それと……」
私は、にこりと微笑んだ。
「わたくし、昔から貴方が、大ッ嫌いでしたのー」
言い切った。
空気が、完全に凍る。
「勘違いは、正しませんと……ね?」
そう言って、隣を見上げる。
「ダーリン」
ヴィンセントの頬が、ぽっと赤く染まった。
……可愛い。
修羅場を越えると、人は強くなるらしい。
さっきまで床を殴っていた私の拳は、まだ熱を持っている。
「何かございましたら」
淡々と、続ける。
「お父様を通してくださいますか?」
両親の顔が脳裏に浮かぶ。
腐れ王子? 門前払い確定だ。
カスティンの侍従が、慌てて耳打ちをする。
「……では、また改める」
改めなくていい。
心の中で全力ツッコミを入れつつ、
礼儀として仕方なく見送る。
その間、私はこれでもかというほど
ヴィンセントに寄り添った。
腕を絡め、距離を詰め、視線を外さない。
——ここに、あなたの入る余地はありませんからね!?
馬車が去る。
やっと帰ったか腐れ王子めッ!
二度と来るなよっ!
「喉、乾いたの。準備してくれる?」
「既にご用意は出来ております」
さすが、私の侍女。
「いきましょう! 愛しいヴィン!」
ヴィンセントは、少し困ったように微笑んで、
それでも一緒に歩き出した。
嫉妬作戦は、たしかに諸刃の剣だった。
でも、仲直りもしたし、距離も前よりぐっと近い。
結果オーライ、よね?
私は心の中で、盛大にガッツポーズを決めた。
完全防御さえなければ、
その先は……ふふ。
勝ったわ。
——たぶん。
胸の上下がゆっくりになり、耳鳴りが少しずつ遠のいていく。
さっきまで全身を支配していた張り詰めた感覚が、解けるように薄れていった。
私は、ヴィンセントの胸元に額を預けたまま、小さく息を吐いた。
布越しに伝わる体温が、じんわりと安心を連れてくる。
「……今日は、まだ離れたくない…」
ぽつり。
考えるより先に、言葉が落ちた。
お願いというほど強くもなく、決意というほど固くもない。
独り言に近い、ただの本音。
ヴィンセントは、すぐには答えなかった。
一拍。
それから、彼の腕に、ほんのわずか力がこもる。
「……ああ」
短い返事。
それだけで、胸の奥がふわりと温かくなった。
さっきまでの切羽詰まった空気が、嘘みたいだ。
彼の体温はまだ少し高いけれど、それも今は心地いい。
ふと、喉の奥に違和感を覚えた。
……あ。
泣いたからかな……喉、乾いちゃった。
「一緒に、ティータイムしましょう」
そう言って顔を上げると、
ヴィンセントは一瞬きょとんとして――
次の瞬間、くすっと小さく笑った。
「……切り替えが、早いな」
呆れたようで、でもどこか柔らかい声。
「だって、喉乾いたんだもの」
私は、自然な動作で彼の腕に腕を絡めた。
さっきまでの修羅場が、遠い昔のことみたいだ。
ヴィンセントは一瞬だけためらったあと、
抵抗せずに腕を組ませてくれる。
歩幅を合わせるのが、
やけに丁寧で、少しだけ可笑しい。
寝室の鍵を開ける。
カチリ。
続いて、私室の扉。
ガチャ。
——その瞬間だった。
「……」
そこに、いた。
堂々と。
何の遠慮もなく。
カスティンが。
……まだ、いるんかい!!
空気が、一気に冷え込んだ。
背筋を、冷たいものがなぞっていく。
「急に走っていくし……心配になってね」
にこやかな声。
悪気がない分、余計に厄介だ。
視界の端で、侍女が青い顔をして立っている。
完全に板挟み。
……本当にごめん。
私、全力で逆方向に走ったからね。
「ヴィンセントの方へ!」の合図と、真逆に。
深く息を吸い、私は手のひらをすっと上げた。
「一先ず」
空気を、ぴたりと切る。
「わたくしには、荷が重すぎます」
声は冷静。
自分でも驚くほど、冷たく整っていた。
「一筆。お忘れかしら?」
一瞬、時が止まる。
……あ。
ヴィンセントが、私を二度見した。
そりゃそうだ。一筆の存在、彼は知らない。
カスティンの表情が、わずかに引きつる。
「それと……」
私は、にこりと微笑んだ。
「わたくし、昔から貴方が、大ッ嫌いでしたのー」
言い切った。
空気が、完全に凍る。
「勘違いは、正しませんと……ね?」
そう言って、隣を見上げる。
「ダーリン」
ヴィンセントの頬が、ぽっと赤く染まった。
……可愛い。
修羅場を越えると、人は強くなるらしい。
さっきまで床を殴っていた私の拳は、まだ熱を持っている。
「何かございましたら」
淡々と、続ける。
「お父様を通してくださいますか?」
両親の顔が脳裏に浮かぶ。
腐れ王子? 門前払い確定だ。
カスティンの侍従が、慌てて耳打ちをする。
「……では、また改める」
改めなくていい。
心の中で全力ツッコミを入れつつ、
礼儀として仕方なく見送る。
その間、私はこれでもかというほど
ヴィンセントに寄り添った。
腕を絡め、距離を詰め、視線を外さない。
——ここに、あなたの入る余地はありませんからね!?
馬車が去る。
やっと帰ったか腐れ王子めッ!
二度と来るなよっ!
「喉、乾いたの。準備してくれる?」
「既にご用意は出来ております」
さすが、私の侍女。
「いきましょう! 愛しいヴィン!」
ヴィンセントは、少し困ったように微笑んで、
それでも一緒に歩き出した。
嫉妬作戦は、たしかに諸刃の剣だった。
でも、仲直りもしたし、距離も前よりぐっと近い。
結果オーライ、よね?
私は心の中で、盛大にガッツポーズを決めた。
完全防御さえなければ、
その先は……ふふ。
勝ったわ。
——たぶん。
34
あなたにおすすめの小説
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい
咲桜りおな
恋愛
オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。
見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!
殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在
唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話
中山加恋(20歳)
二十歳でトオルの妻になる
何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛
中山トオル(32歳)
17歳の加恋に一目ぼれ
加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する
加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる
会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
気配消し令嬢の失敗
かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。
15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。
※王子は曾祖母コンです。
※ユリアは悪役令嬢ではありません。
※タグを少し修正しました。
初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる