モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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心は前向き

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合同訓練のざわめきが、ようやく落ち着き始めた頃。
アイナは額の汗を拭いながら、訓練場の端に立っていた。
呼吸はまだ荒く、身体の内側では魔力が熱を持ったまま巡っている。

(今日も……全力だった……)

視界の端で、騎士科の生徒たちが次々と剣を収めていく。
その中で、ひときわ目を引く人物がいた。

 エルンスト・トゥルぺ。

青い髪は汗に濡れても乱れず、薄い青の瞳は澄んだまま。
長身の身体は無駄のない筋肉で整えられていて、動きに一切の迷いがない。
剣を振るう姿は力強いのに、どこか静かだった。

(……やっぱり、すごい)

さっきまで対峙していたのは、ヴィルだった。
幼馴染として、騎士科でもかなりの実力者だと知っている。
そのヴィルと互角以上に渡り合っていた相手が、エルンストだった。

剣がぶつかり合うたび、金属音が乾いた空に響く。
踏み込み、受け流し、反撃。
どの動作も洗練されていて、力任せではない。

(騎士って……こういうものなんだ)

アイナが今まで見てきた“騎士”は、物語の中の存在だった。
勇ましくて、強くて、頼れる象徴。

けれど、エルンストの戦い方は少し違う。

勝つためではなく、守るための剣。
相手を打ち負かすことよりも、場を制するための動き。

訓練が終わり、先生の号令がかかる。
騎士科と治癒魔術科は、それぞれ片付けに入った。

「……ありがとうございました」

気付けば、エルンストがアイナの前に立っていた。
いつの間に近づいてきたのか分からなかった。

「えっ……あ、いえ……こちらこそ……」

言葉が少しだけ、ぎこちなくなる。
週末の街で助けられた時と同じだ。

「無理はしていないか?」

静かな声だった。
心配している、というより、事実を確認するような問いかけ。

「だ、大丈夫です。治癒魔術科なので……慣れてきました」

そう答えると、エルンストは小さく頷いた。

「そうか。それならいい」

それだけ言って、視線を外す。
必要以上に踏み込まない距離感。

(……優しい人だな)

騎士科の中には、治癒魔術科の女子を軽く扱う者もいる。
無意識に距離を詰めたり、冗談めかして触れようとしたり。

でも、エルンストは違う。
助けたことを誇るでもなく、恩を着せるでもない。

“当然のことをした”という顔をしている。

その姿を、少し離れた場所からヴィルが見ていた。
腕を組み、表情は硬い。

(……なんだよ、あの距離)

胸の奥が、ちくりと痛む。
理由は分からない。
ただ、面白くない。

一方のアイナは、その視線に気付くこともなく、エルンストの背中を見送っていた。

(攻略対象……なんだよね)

乙女ゲームの知識が、頭の片隅で囁く。
王子でもなく、危険な男でもなく。
誠実で、真っ直ぐで、最後までヒロインを大切にするルート。

(……ヒロインだったら、恋に落ちるのも分かる)

でも、アイナはモブ令嬢だ。
イベントは起きない。
選択肢もない。

だからこそ、今の距離が心地よかった。

少し憧れて、少し尊敬して。
それ以上、踏み込むつもりはない。


空を見上げると、訓練場の上には澄んだ青が広がっていた。
風が吹き抜け、汗を冷ましていく。


(……騎士科も、治癒魔術科も、大変だ)


でも、不思議と嫌ではなかった。
身体は疲れているのに、心は前向きだった。

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