モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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君がいない辺境伯城

冬季休暇に入って、最初の一週間は耐えられた。
「春になれば学園で会える」
そう自分に言い聞かせて、剣を振り、書を読み、訓練で身体を削った。

だが、二週目に入った頃から、世界の輪郭がずれ始めた。

風の音が、違う。
夜の静けさが、深すぎる。
何より――彼女の気配が、どこにもない。

胸の奥に空いた空洞は、日を追うごとに広がっていった。
抑え込もうとするほど、意識は逆にそこへ引きずられる。

気が付いた時には、手紙を書いていた。
理由を整えることも、言葉を選ぶこともなく。
ただ、「見聞を兼ねた滞在を願う」とだけ記し、封をした。

――止められなかった。

そして今。
ネルケ辺境伯城の門を、くぐっている。

雪は深いが、空は澄んでいる。
城壁に反射する光が眩しく、目を細めた。

(……来るだろうか)

無意識に、視線が前へ伸びる。
石畳の向こうから、小走りで駆けてくる姿。
こちらを見つけた瞬間、驚いたように目を見開き、すぐに笑う顔。

そんな光景を、何度も思い描いた。

――だが。

迎えに現れたのは、辺境伯夫妻だった。

二人の表情を見た瞬間、胸の奥で嫌な音がした。
喜びより先に、困惑と、ためらいが滲んでいる。

「よく来てくれた」

穏やかな声。
だが、視線が一瞬、逸れた。

「長旅だったろう。まずは中へ」

案内されながら、周囲を探す。
廊下。階段。中庭。
どこにも、あの気配がない。

(……いない)

気づかないふりをしてきた違和感が、はっきりと形を持つ。

応接の間に通され、椅子を勧められる。
暖炉の火が、やけに大きく揺れていた。

「アイナは?」

自分でも驚くほど、声が低く出た。

夫妻は、顔を見合わせる。
ほんの一瞬。だが、それで十分だった。

「……温泉地だ」

その答えに、思考が止まる。

「雪が深くてな。戻る時期を逸している」

「――なぜ、知らせが来なかった」

問いは、責めるつもりではなかった。
だが、抑えきれない焦燥が、語尾を鋭くした。

「使いは出した。だが……」

そこで、言葉が切れた。

理解したくない理解が、頭の中で組み上がっていく。
知らせは届いていない。
――意図的に。

胸の奥が、静かに冷えていく。

(……誰が)

答えは、ひとつしかない。

幼馴染。
彼女の日常に溶け込んだ、安全圏。
それを握っている人間。

「……そうか」

それ以上、言葉は出なかった。
怒りはない。取り乱しもない。

ただ、確信だけが落ちる。

――彼女は、ここにいない。

それだけで、世界はこんなにも歪むのかと、改めて知った。

視線を伏せ、ゆっくり息を吐く。
指先が、無意識に拳を作っていた。

(……探す)

それは衝動ではない。
決意だ。

雪に閉ざされた温泉地。
連絡の途切れた距離。
誰かの手で、意図的に引き延ばされた隔たり。

――それでも。

彼女は、どこかにいる。
ならば、見つけるだけだ。

「滞在の用意をお願いしたい」

顔を上げて告げると、夫妻は驚いたように目を見開いた。
だが、すぐに頷く。

「もちろんだ。好きなだけ」

暖炉の火が、ぱちりと弾けた。

胸の奥で、静かな昂りが立ち上がる。
焦りでも、怒りでもない。

――狩りに入る前の、あの感覚。

君がいない城は、広すぎる。
だが、足取りは迷わない。

必ず、見つける。
雪の向こうにいようと、誰の影に守られていようと。

エルンストは、ゆっくりと立ち上がった。


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