モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

文字の大きさ
144 / 209

「君を迎えに来た」

「君を迎えに来た」

その一言が、冷えきった空気の中に、鈍く落ちた。

迎えに、来た?
この、籠城戦みたいな温泉宿まで?

胸の奥で、嫌な予感が一気に膨らむ。
笑って誤魔化す準備は、すでに整っていた。

「ま、まさか……」

視線が勝手に外へ流れる。

「命がけで温泉に入りたいっていう、
我が儘な貴族の……?」

一瞬の沈黙。

「我が儘?」

エルンストが、ほんの少しだけ首を傾げた。

その仕草が、逆に怖い。

「あ、いや、その……」

慌てて手を振る。

「命知らずというか、情熱的というか……?」

「ネルケ辺境伯殿が、道を整えてくださった」

淡々と告げられた言葉に、理解が追いつかない。

次の瞬間。

「……なんてこった!!!」

声が、素で裏返った。

宿の外。
視界に飛び込んできた光景に、思考が止まる。

巨大な魔術陣。
雪を蒸発させ、地面を露出させながら、一直線に伸びる道。
杖を掲げ、怒号を飛ばす魔術師たち。

「詠唱遅れるな!」
「魔力制御、甘い!やり直し!」
「面を広げろ!温泉宿は逃げない!」

……完全に、冬季訓練だ。
しかも、我が領が誇るエリート魔術師団。
なぜか新人までいる。

「ねえ……」

呆然と呟く。

「これ、どう見ても戦争前の布陣だよね?」

「安全確保だ」

エルンストは、真顔だった。

「道がなければ、作る。それだけだ」

それだけ、で済ませていい規模じゃない。

「やりすぎじゃない……?」

笑顔で言ったつもりが、声が引きつっていた。

その時、遠くで聞こえる魔術師団長の声。
やけに気持ち良さそうだ。

「もっと出力上げろ!」
「婿殿が見てるぞ!」
「遠慮するな!全力だ!」

……完全にノッてる。


エルンストの視線が、私に戻る。


訓練で乱れた髪。
汗の名残。

息がまだ少し荒いことも、きっと分かっている。

その目が、ゆっくりと深くなる。

「二ヶ月も、会えなかった」

低い声。
責めない。
怒らない。
ただ、事実を告げるだけ。

「迎えに来ない理由が、俺にはなかった」

ぞくり、と背中を何かが這った。

あ、これ。
ロマンスじゃない。

執念だ。

でも、ここで怯んだら負けだ。
私は私で、前に出る。

「えへへ」

無理やり、いつもの調子で笑う。

「ほら、見ての通りだよ!訓練してました!」
「贅肉と全力で戦ってた!」
「ほら、平和そのもの!」

平和の定義が怪しい。

エルンストは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
それから、短く息を吐く。

「……無事でよかった」

その一言で、胸の奥が少しだけ緩む。

遠くで、魔術が雪を溶かし続けている。
湯気みたいに立ちのぼる白い光。

ロマンスの神様がいるとしたら。
今、絶対に腹を抱えて笑ってる。

だってこれ、
どう見ても――迎えに来た規模じゃない。



感想 28

あなたにおすすめの小説

せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません

嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。 人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。 転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。 せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。 少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~

降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。

治療係ですが、公爵令息様がものすごく懐いて困る~私、男装しているだけで、女性です!~

百門一新
恋愛
男装姿で旅をしていたエリザは、長期滞在してしまった異国の王都で【赤い魔法使い(男)】と呼ばれることに。職業は完全に誤解なのだが、そのせいで女性恐怖症の公爵令息の治療係に……!?「待って。私、女なんですけども」しかも公爵令息の騎士様、なぜかものすごい懐いてきて…!? 男装の魔法使い(職業誤解)×女性が大の苦手のはずなのに、ロックオンして攻めに転じたらぐいぐいいく騎士様!? ※小説家になろう様、ベリーズカフェ様、カクヨム様にも掲載しています。

自己肯定感の低い令嬢が策士な騎士の溺愛に絡め取られるまで

嘉月
恋愛
平凡より少し劣る頭の出来と、ぱっとしない容姿。 誰にも望まれず、夜会ではいつも壁の花になる。 でもそんな事、気にしたこともなかった。だって、人と話すのも目立つのも好きではないのだもの。 このまま実家でのんびりと一生を生きていくのだと信じていた。 そんな拗らせ内気令嬢が策士な騎士の罠に掛かるまでの恋物語 執筆済みで完結確約です。

転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?

山下小枝子
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、 飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、 気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、 まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、 推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、 思ってたらなぜか主人公を押し退け、 攻略対象キャラからモテまくる事態に・・・・ ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!

【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果

下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。 一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。 純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。 小説家になろう様でも投稿しています。

転生ガチャで悪役令嬢になりました

みおな
恋愛
 前世で死んだと思ったら、乙女ゲームの中に転生してました。 なんていうのが、一般的だと思うのだけど。  気がついたら、神様の前に立っていました。 神様が言うには、転生先はガチャで決めるらしいです。  初めて聞きました、そんなこと。 で、なんで何度回しても、悪役令嬢としかでないんですか?

わたしさえいなければ、完璧な王太子だそうです。

ふらり
恋愛
人並外れた美貌・頭脳・スタイル・武勇を持つウィンダリア王国の25歳の王太子は、完璧な王太子だと言われていた。ただし、「婚約者さえいなければ完璧な王太子なのに」と皆が言う。12歳の婚約者、ヴァイオレット・オルトニーは周囲から憐みの目を向けられていた。 「私との婚約は、契約で仕方なくなのかい? もう私に飽きてしまっている? 私は今でも君にこんなに夢中なのに」 13歳年下の婚約者少女に執着溺愛する美貌も能力も人間離れした王太子様と、振り回される周囲のお話です。小説家になろうにて完結しております。少しずつこちらにもあげていくつもりです。ファンタジー要素はちょっぴりです。