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無意識に足が向く先
今日は週末。
授業はなく、学園の空気はどこかゆるんでいた。
昼食を終え、治癒魔術科B班と連れ立って寮へ戻る。
途中の分かれ道で、ヴィルたちは騎士科の寮へ向かっていった。
「じゃ、またね」
「風呂、争奪戦だからな」
「今日は勝つ」
いつもの軽口。
それに笑って手を振った、そのはずだった。
……はずだったのに。
気がつくと、私は一人、違う方向へ歩いていた。
足が、勝手に。
意識より先に。
学園の奥。
少し木陰になった場所。
石畳の脇に置かれた、あのベンチ。
「……」
立ち止まってから、ようやく気づく。
ああ。
ここだ。
いつも、二人で座っていた場所。
話したり、黙ったり、指先が触れたり。
何でもない時間を、特別にしていた場所。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
船上での光景が、勝手に浮かぶ。
荒れる海。
混乱。
そして――
ヒロインを腕に抱いた、エルンストの姿。
「……考えない」
小さく呟いて、頭を振る。
ピアスのことを思い出す。
あれは大事に、宝箱にしまってある。
野外訓練で失くしたら嫌だったから。
……言い訳みたいだな、と自分で思う。
ベンチに腰を下ろす。
背もたれに身体を預けると、春の陽気がじんわりと染み込んできた。
潮の匂いはもうない。
服も、髪も、乾いている。
それなのに、身体の奥には、まだ疲労が残っていた。
瞼が重い。
「ちょっとだけ……」
目を閉じた、その瞬間。
世界が、ふわりと遠のいた。
———
次に意識が戻った時。
なにか、あたたかい。
包まれている。
しっかりと。
逃げ場がないくらい、自然に。
呼吸に合わせて、胸が上下している感覚。
聞き覚えのある、心音。
「……?」
恐る恐る目を開ける。
視界の端に見えたのは、
見慣れた騎士科の制服。
腕。
肩。
そして——
エルンスト。
「……なんということでしょう……」
声にならない声が漏れた。
私は、完全に。
彼に抱き寄せられたまま、眠っていたらしい。
エルンストは、動かない。
起きているのか、寝ているのか分からないほど静かだ。
ただ、腕だけが、確かに私を囲っている。
逃がさない、というより。
落ちないように、という抱き方。
心臓が、急にうるさくなる。
どうして、ここに?
いつから?
見られてない?
起こさなかった理由は?
疑問が渦を巻くのに、
身体は、不思議と落ち着いていた。
ああ……。
これ、だめだ。
安心してしまう。
ベンチの上。
春の陽気。
そして、この腕。
全部が揃ってしまって、
頭より先に、心がほどけてしまった。
そっと動こうとした瞬間、
エルンストの腕に、わずかに力が入る。
「……起きたか」
低い声。
近すぎる距離。
「う、うん……」
「起こさなかった。よく眠ってたから」
言い訳みたいな言い方に、
胸が、またぎゅっとなる。
「ここに来ると思った」
「……無意識で」
正直に言うと、彼は小さく笑った。
「俺もだ」
それ以上は、何も言わない。
ただ、腕は解かれない。
逃げない。
でも、迫らない。
その曖昧さが、
今の私には、少しだけ救いだった。
春の風が、木々を揺らす。
ベンチの影が、ゆっくり動く。
無意識に足が向いた先で、
私はまた、彼の腕の中に戻っていた。
……これでいいのかは、分からない。
でも。
少なくとも今は、
ここが、いちばん静かだった。
授業はなく、学園の空気はどこかゆるんでいた。
昼食を終え、治癒魔術科B班と連れ立って寮へ戻る。
途中の分かれ道で、ヴィルたちは騎士科の寮へ向かっていった。
「じゃ、またね」
「風呂、争奪戦だからな」
「今日は勝つ」
いつもの軽口。
それに笑って手を振った、そのはずだった。
……はずだったのに。
気がつくと、私は一人、違う方向へ歩いていた。
足が、勝手に。
意識より先に。
学園の奥。
少し木陰になった場所。
石畳の脇に置かれた、あのベンチ。
「……」
立ち止まってから、ようやく気づく。
ああ。
ここだ。
いつも、二人で座っていた場所。
話したり、黙ったり、指先が触れたり。
何でもない時間を、特別にしていた場所。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
船上での光景が、勝手に浮かぶ。
荒れる海。
混乱。
そして――
ヒロインを腕に抱いた、エルンストの姿。
「……考えない」
小さく呟いて、頭を振る。
ピアスのことを思い出す。
あれは大事に、宝箱にしまってある。
野外訓練で失くしたら嫌だったから。
……言い訳みたいだな、と自分で思う。
ベンチに腰を下ろす。
背もたれに身体を預けると、春の陽気がじんわりと染み込んできた。
潮の匂いはもうない。
服も、髪も、乾いている。
それなのに、身体の奥には、まだ疲労が残っていた。
瞼が重い。
「ちょっとだけ……」
目を閉じた、その瞬間。
世界が、ふわりと遠のいた。
———
次に意識が戻った時。
なにか、あたたかい。
包まれている。
しっかりと。
逃げ場がないくらい、自然に。
呼吸に合わせて、胸が上下している感覚。
聞き覚えのある、心音。
「……?」
恐る恐る目を開ける。
視界の端に見えたのは、
見慣れた騎士科の制服。
腕。
肩。
そして——
エルンスト。
「……なんということでしょう……」
声にならない声が漏れた。
私は、完全に。
彼に抱き寄せられたまま、眠っていたらしい。
エルンストは、動かない。
起きているのか、寝ているのか分からないほど静かだ。
ただ、腕だけが、確かに私を囲っている。
逃がさない、というより。
落ちないように、という抱き方。
心臓が、急にうるさくなる。
どうして、ここに?
いつから?
見られてない?
起こさなかった理由は?
疑問が渦を巻くのに、
身体は、不思議と落ち着いていた。
ああ……。
これ、だめだ。
安心してしまう。
ベンチの上。
春の陽気。
そして、この腕。
全部が揃ってしまって、
頭より先に、心がほどけてしまった。
そっと動こうとした瞬間、
エルンストの腕に、わずかに力が入る。
「……起きたか」
低い声。
近すぎる距離。
「う、うん……」
「起こさなかった。よく眠ってたから」
言い訳みたいな言い方に、
胸が、またぎゅっとなる。
「ここに来ると思った」
「……無意識で」
正直に言うと、彼は小さく笑った。
「俺もだ」
それ以上は、何も言わない。
ただ、腕は解かれない。
逃げない。
でも、迫らない。
その曖昧さが、
今の私には、少しだけ救いだった。
春の風が、木々を揺らす。
ベンチの影が、ゆっくり動く。
無意識に足が向いた先で、
私はまた、彼の腕の中に戻っていた。
……これでいいのかは、分からない。
でも。
少なくとも今は、
ここが、いちばん静かだった。
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