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scene 7.
しおりを挟む「あ、うま」
「ですよね。お口に合ったみたいでよかった」
向かいの席では黒木がニコニコしながらジョッキを傾けている。
出張先のホテルから『今、何してる?』とメッセージを送ると、速攻で写真が送られて来た。新作です、とついでメッセージが届く。
今度はログハウス風で、丸太を一本ずつ作成して組み合わせている途中らしい。細かすぎて目が回りそうだ。
黒木が一人、部屋で作業に没頭していることが分かって、遼太郎はほっとした。そしてほっとした自分に戸惑いを感じた。
一泊二日の出張から戻り、今度は遼太郎の方から黒木を誘った。
幸い、黒木が以前探してくれた店が空いており、また仕事に邪魔されないうちにと早々に予約を入れた。
遼太郎は黒木オススメのだし巻き卵を頬張りながら、メニューをのぞきこんだ。噛むと出汁がじわりと染み出して来て、口内を満たしてくれる。
「この牛すじの煮込みも美味しいですよ」
黒木の長い指が指し示したのを、じゃあ次それ、と遼太郎もジョッキを呷った。
「次、何飲みます? ビールおかわりしますか」
「んー……日本酒あるかなあ」
黒木がドリンクメニューを開いてテーブルに載せる。
「あるみたいですよ。種類は少ないですけど。……佐野さん、日本酒お好きなんですか?」
「うん、どっちかというと」
そうなんですね、と黒木の瞳が三日月のように細まった。
今日も相変わらず癖っ毛の前髪は黒木の目元を覆い隠している。以前、出張先で見た黒い巻き毛の仔犬を彷彿とさせる。
じっと眺めている遼太郎を訝しんだのか、黒木がふと目を上げた。
「佐野さん?」
ふっと衝動にかられ、遼太郎は手を伸ばした。ぴくりと、その黒髪がかすかに震えた。
「なんだ。けっこうキレーな顔してんじゃん」
最初見たときから気になっていた。表情が見えにくいのはこの自由に跳ね回る前髪のせいだと。
「おでこ出しとけばいいのに。モテそう」
額に手を当てたまま、端正なつくりの顔を凝視する。触れている箇所がしだいに熱を帯びてくるのが分かった。
急に、黒木がその黒目がちの瞳を伏せたかと思うと、体を後ろに逸らした。遼太郎の手から熱い体温が逃げていく。
「やだなあ。髪型変えたからって俺なんかモテないですよ。どっちにしろこれセットするの大変ですし」
いろいろやってみたけど諦めました、と笑いながら前髪を指で弄った。
そこへ皿を下げに来た店員に、黒木はすみませんと声をかけて牛すじの煮込みを注文する。
遼太郎は我に返って手のひらに視線を落とした。
なんか恥ずかしいことしたな、俺。
自分の行動を振り返って、頬が熱くなってきた。
「佐野さん? 日本酒、どれにします?」
黒木が尋ねてくるのに目を合わせられず、何でもいいと適当に答えてしまった。
レジ前でどちらが払うかひと悶着あった。
「俺が年上なんだから、俺が払うよ」
「いえ、誘ったのは俺ですから」
「でも待たせて悪かったし……」
「じゃあ割り勘で。――その代わり、また誘っていいですか?」
にっこり微笑む黒木がいつになく強引で、遼太郎は黙ったままコクリと頷いた。
外の空気は湿気を帯びて肌にまとわりついてくる。明日は雨が降ると天気予報が言っていた。もうすぐ梅雨の季節だな、と遼太郎は星の見えない夜空を仰いだ。
蒸し暑いですね、と黒木が前髪をかき上げた。先ほど自分の手が触れたところが垣間見えて、なぜか心臓が鳴った。
「――今日は、ありがとうございました。あの……大丈夫でした? 佐野さん」
顔色を窺うようにのぞきこまれ、思わず目を伏せた。
「大丈夫って?」
「……俺と二人で、佐野さん楽しめたかなと思って」
「――嫌だったら、わざわざ誘わねえから」
少し拗ねた言い方になってしまい、遼太郎は頬が上気するのを感じた。……たぶん、これは酔ってるせいだ。
黙ってしまった黒木に、もしかして誤解を招くような言い方だったかと不安になり、顔を上げた。
きらびやかなネオンを背に微笑む黒木がいた。――優しさをたたえた、春の陽だまり。
この笑顔にずっと見つめられていたい。
そう思う反面、羞恥に苛まれ、いたたまれなくなる。
「――じゃ、じゃあ、今日はありがとな。また明日っ」
「佐野さん?」
軽く手を挙げて、何か言いたそうな黒木を残し、遼太郎は踵を返した。脚が震えていた。ともすれば崩れ落ちそうになる脚を叱咤しながら足早に駅を目指す。
あのまま見つめられていると、自分の知らない心の奥底の感情まで見透かされるようで、急に怖くなった。
自分が何か口を滑らせそうで。あの瞳に魔法をかけられて言ってはいけないことまで言葉にしてしまいそうで。
駅の階段を猛スピードで駆け上がる。膝に手をついてしばし呼吸を整える。
「何なんだ……」
さあっとぬるい風が吹き抜け、雲の隙間から少しだけ星が顔を出した。それを見上げながら、遼太郎は大きく息をついた。
scene 7. 〈了〉
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