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scene 13.
しおりを挟む待ち合わせは、会場近くの橋のたもとにした。
足元を緩やかに流れる広い川面を眺める。今夜はこの川の河川敷が花火大会の会場になる。真夏に日差しの遮るもののない場所で待ち合わせはまずかったな、と思いつつ、手のひらで首元に風を送る。
二車線ある車道越しに、川沿いに建つショッピングモールを見上げる。花火の始まる時間まで黒木と何をして過ごすか考えているうちに、存外楽しみにしている自分に気づき、一人顔を赤らめた。
「佐野さーん」
ひょろりとした長身の人影が小走りに近寄ってきた。
「すみません、お待たせしました」
長い脚をデニム生地のジーンズで包み、上はラフな無地のTシャツを身に着けているだけなのにやけに映える。
「……誕生日、おめでとう」
ん、と手にしていた紙袋を差し出す。当日なのに手ぶらなのも悪い気がして、あまり負担にならないものをとさんざん悩んだあげく、スポーツタオルにした。
「え……佐野さん、今日はつき合ってくれるだけでよかったのに」
「まあ、気持ちだけ」
ぱあっと顔が輝く。黒木がほわほわとしたいつもの笑顔で応えるのに腹の底が疼いて、遼太郎はふいっとまた川面に視線を移した。
「開けていいですか?」
「うん。てか、もう使え。……汗だくだぞ」
はい、と嬉しそうに中身を取り出し、さっそく首筋をタオルで拭う。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「いや……」
満面に喜悦の表情を浮かべる黒木に戸惑う。照れ隠しに知らず、ぶっきらぼうな口調になってしまう。
プレゼントを選んでいるときも少し不思議な気分だった。高校時代の友人でも、誕生日にプレゼントをやり取りすることなんかほとんどないのに、と。
「佐野さんの誕生日はいつですか?」
「俺? ……10月20日」
「お祝いさせてくださいね」
ニコニコしながら黒木が話しかけてくる。その頃には、黒木とどうなってるんだろう。ふと、そんな疑問が頭を掠めた。
「佐野さん、お腹空いてます? この辺で、美味いラーメン屋さんあるらしいんですけど、行ってみません?」
事前に調べてくれたんだ。
そのことになぜか心臓が鳴った。
ラーメンを堪能したあと、ショッピングモールをひやかしているうちに川沿いも賑やかになってきた。
そろそろ移動しようかと人波に沿って二人で歩きだす。夕暮れの中、艶やかな浴衣姿の女性たちが風景に彩りを添えている。
「でもさあ、ホントによかったのか? 今さらだけど」
「何がです?」
自らのサンダルのつま先を見ながら、ぼそりと言った。
「せっかくの誕生日に、俺なんかと一緒で。……彼女とか、いねえの」
そういえば、今まで話題にしたことがなかった。
「……いませんよ」
そういう黒木の声があまりにも真摯で。遼太郎は顔を上げて隣を歩く青年をまじまじと見た。
「……佐野さんは?」
「いたらお前とあんなに飲みに行かねえっての」
じっと食い入るように見つめてくる黒木の視線から逃れたくなって、遼太郎はまた俯いてしまった。
「でも、以前にはいたんでしょう」
「まあな」
「……どうして別れたんですか?」
「それは……」
――遼太郎ってさ。いつも冷静だよね。……私に対しても。
昔、つき合っていた彼女に言われた言葉が蘇ってきた。
「……もう忘れたよ。そんなこと」
ちょうど空いていたコンクリートブロックに二人並んで座り、花火を待つ。
周囲は人で溢れており、自然、黒木と肩がぶつかり、しっとり汗ばんだ腕と腕が触れ合う。
「……大丈夫ですか?」
「うん」
上から落ちてくる黒木の声も、いつもより距離が近い。黒木の汗の匂いが鼻を掠めた。遼太郎は途中で買ったペットボトルを両手で包み込んだ。
「――あ、もう始まりますよ」
その言葉が耳に届くか届かないかのうちに、口笛を吹くような音の後に、どおんという衝撃が辺りを揺らした。
歓声が上がる。ぽっかり夜空に浮かんだ大輪の花が水面にも映り、二重の花を咲かせる。
次々と打ちあがる花火にしばしうっとり見とれ、時間を忘れそうになる。
極彩色に飾られた夜空を映し、川面も普段と違う表情を見せている。
「すげえな……」
な、と隣に座る黒木を見ると、同じく夜空を見上げていると思った黒木の顔がこちらを向いていたのでたじろいだ。
その瞳に花火の色が映り込んでいる。ふいに肩を引き寄せられ、一瞬、体が強張った。
「黒木?」
怯えが声に滲んだのか、黒木がはっとして肩を押さえていた手を離した。
「す、すみません」
なんでもないです、と両手をぎゅっと握り込んでまた夜空を彩る花々に目を向けた。
最後の連発で打ち上げられた花火の余韻がこだまのように響く中、同じように帰り道を歩く群衆に揉まれていく。
「……花火、久々に見に来たけどやっぱりいいな。誘ってくれてありがとな」
「いえっ、こちらこそ。今日は付き合ってくれてありがとうございます」
ニコニコ微笑む黒木はもういつもの黒木だ。
「佐野さん、そこ段差あるから気をつけて」
「あ、うん。――おわ!?」
足元に目をやった隙に、後ろからドンとぶつかられ、よろめいた。
サンダルが石段に引っ掛かり、重心が揺らいだところをがっしりとした腕に抱え込まれた。
「佐野さんっ」
黒木の腕に包まれている。
「ご、ごめん」
「いえ、大丈夫ですか?」
「うん……」
腰に当てられた黒木の手が熱い。その手がなかなか離れていかない。
「黒木、もう、大丈夫だから」
腕を突っ張ってその手から離れようとしたら、逆にぐいと引き寄せられた。
「黒木?」
「――こっち」
抱き寄せられたまま人波を離れていく。
河川敷をまた降り、遼太郎を引きずるように大股で歩いて行く。最初に待ち合わせた橋の下へと着くと、黒木は足を止めた。
コンクリートの橋脚に背中を押しつけられた。顔の両側を腕で阻まれ、逃げ場を失う。ひんやりとした感触に震えが走った。
「なに……どうしたんだよ」
「――佐野さん」
びくりと肩を揺らしてしまう。黒木の双眸に、いつか見た気配が宿っていた。
「俺、もうひとつほしいもの言っていいですか」
「え……なに……」
黒木は一瞬、息をのんで目を伏せた。そして真っ直ぐ遼太郎を見つめて言葉を紡いだ。
「……佐野さんが欲しい。――好きなんです、佐野さんが」
「は、お前何言って……」
「俺、本気です。……佐野さんとキスしたい。キス以上のこともしたい。……ずっとそう思ってたんです」
手がそっと降りてきて、腰を抱き寄せてくる。背筋を撫であげられて、ぞくぞくした悪寒にも似た何かが駆け上がってきた。
「黒木……」
思考が追いつかない。
「ダメ、ですか……?」
黒木の手の動きだけが頭を支配して、何も言葉が出てこない。ただ、瞬きもせず目の前の熱を帯びた双眸だけを見ていた。やがて痺れをきらしたのか、ついと顎を掬われた。
「佐野さん……」
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。指先が震える。膝もがくがくとして言うことをきかない。
だが黒木の荒々しい息遣いを唇に感じたとたん、
「やっ……」
気づけば、どん、とその広い肩を押しやっていた。
はあ、と大きく息を吐く。息をするのを忘れていたことにそこで気づく。
黒木が、遼太郎を見つめてくる。その視線がナイフで心臓を抉られたような痛々しさをまとっており、ずくん、と体が疼いた。
やがて黒木が姿勢を戻し、自嘲するような笑顔を見せた。
「……すみません。困りますよね、やっぱり」
「黒木……」
「……もう、会わない方がいいですよね、俺。……もし偶然見かけても、無視してください。今日は、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて……次に遼太郎を見たその笑顔は、悲痛に満ちていた。
「黒木、おい……」
さっと踵を返して遠くに見える人ごみに紛れた後姿を、遼太郎は追いかけることができなかった。
scene 13. 〈了〉
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