降り積もる記憶の彼方から

椎葉ユズル

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scene 15.

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 川のせせらぎが暗闇をこえて鼓膜を震わせる。
 先ほどまでは夕陽に照らされた桜紅葉が視界を和ませてくれていたのだが、今はもう闇夜に溶けて見えなくなってしまった。
 紅く染まった桜の葉を見ていたら時の流れを感じ、遼太郎はやるせない気持ちに胸が締めつけられた。
 遊歩道の桜の木に寄りかかり、黒木の部屋を見上げる。出窓からもれる灯りが、部屋の主の在宅を告げている。

 ――もう、どのくらいこうしているだろう。
 だいぶ秋も深まってきた。じっと佇むには涼しい季節だ。

 あれからなかなか決心がつかず、今日になってしまった。そしてここから一歩も動けないでいる。

 ……もう、俺のことなんか忘れているかもしれない。今更何言ってるんですか、とすげなくあしらわれるかもしれない。

 はあ、と何度目かのため息をついたところで、灯りの中を影がよぎった。
 その影がだんだんと大きくなって、出窓のカーテンと窓を開けた。部屋の灯りを背にした、ひょろりとした長身のシルエットを見てほっとする。――黒木だ。
 それだけでなぜか泣きそうになった。

 黒木、と叫びたくなって、でも勇気が出なくて。いっそこの場から立ち去ってしまいたい衝動に駆られながら、遼太郎は唇を噛んだ。
 ふ、と影が動いた。

「あ……」
 黒木の視線が遼太郎をとらえた。そしてそのまま銅像のように動かない。

 ――黒木。

 遼太郎は腹をくくって、ずっと握っていて汗で湿ったスマホを操作した。
 呼び出し音が耳に響く。かなり長い時間鳴っていたような気がするが、やがてそれは途絶えた。



「……はい」
 久しぶりに聴く黒木の声は、沈んでいた。
「……黒木」
「いつからそこに?」
「んー……分かんねえ。夕陽がでてたくらいから」
 そんなに、といつもの黒木みたいに心配そうな声になる。

「……そっち行っていい?」
 しばらく間があいて、
「ダメです」
 と静かな声で返ってくる。

「覚えてる? 今日、俺、誕生日」
「……覚えてます。何やってんですか佐野さん。おめでたい日に」
「お前、お祝いしてくれるって言ったじゃん」

「迷惑でしょう、俺なんかが祝ったら。――こないだ言いそびれましたけど、俺、ゲイなんですよ。佐野さんのこと、最初からそういう目で見てましたからね。……気持ち悪くないんですか?」
「別に、気持ち悪くなんかねえよ。それより……お前に、会えないほうがツライ、から」
 声がつまって、言葉がとぎれとぎれになる。息を吸うと、冷えた体に桜の葉の香りが染み渡る気がした。

「佐野さん……?」
「俺だってさあ、あれからそれなりに考えて、覚悟してここに来てるわけ。少しは考慮してくれてもいいんじゃね?」

「でも、だって」
 怖がってたじゃないですか、と小さな声がかろうじて聴こえる。
「そりゃ怖いよ。いきなり……あんなことするなんて思ってなかったし、お前から告白されるなんて考えてもなかったし。正直今だって怖いけど、でも……」

 深呼吸して、窓を見上げる。オペラか何かでこんな場面あったな、と思い出しながら。

「会いたかった、から」

「佐野、さん……」
 涙に滲んだ声が遼太郎の名前を呼んだ。

「……そっち行っていい?」

 もう一度問うと、はい、とかすかな返事が機械を通して聴こえてきた。


 scene 15. 〈了〉
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