降り積もる記憶の彼方から

椎葉ユズル

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scene 16.

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 呼び鈴を押すと同時に、頬を赤らめた黒木が性急にドアを開けた。目尻に少し、透明な雫が光っている。

 お邪魔しまーすと、わざと戯けたように言って、靴を脱ぐ。まっすぐリビングに入り、出窓に腰かけ、さきほどまで自分のいた桜並木を見下ろした。

「佐野さん……あの」
「……座れよ」
 他人の家で家主に偉そうに指示すると、素直にちょこんと隣に腰かけた。二人で座ると足が触れ合う。黒木の熱がそこから遼太郎にも伝わってきた。

「その……」
 何から話していいのか。迷いながら、手に触れたクッションを所在なく掴む。

「こないだは、悪かった。そのびっくりして……ちょっと怖くて。でもだからってお前のこと嫌いってわけじゃなくて、その……」

 黒木がそっと手を伸ばしてくる。おそるおそる、遼太郎の頬に指を添わす。ぴくん、と遼太郎が震えたのを感じたのか、指はすぐに離れた。それを寂しい、と思ってしまう。

 ――触れてほしい。胸の奥から滾るような思いがこみ上げてくる。

「俺も、ほしいもの言っていい?」

 こくり、と黒木が頷く。



「俺――俺も、黒木が欲しい。お前に会えないと寂しくて……っ」

 急に温かいものに包まれた。黒木の長い腕が、遼太郎をぎゅうぎゅうと力任せに抱きしめてくる。苦しいけど、幸せな想いに満たされる。

「ほんとに……?」
 黒木の体が震えていて、その細かな振動が遼太郎をも震わせる。どくどくと早い鼓動が直接、体に響いてくる。
「うん……」
 やがてそっと腕を緩めると、黒木の潤んだまなざしが遼太郎をとらえ、頬を大きな手のひらで包まれる。

「佐野さん……好きです」

 意外と長い睫毛が伏せられ、近づいてくる。遼太郎も目を閉じ、重なる唇の熱さを感じた。

「……ん……」

 ――キスだけで、こんなに感じる。
 こんなことなら、早くこいつとキスすればよかった。そしたらごちゃごちゃ悩まずにすんだのに。

 最初触れるだけだった口づけは、数を重ねるうちにだんだんと深くなる。妖艶にうごめく舌に翻弄され、上顎を舐められる感覚にぞくりと粟立つ快感を覚え、自分でも驚きを隠せない。
 思わず、その筋肉で引き締まった腕をぎゅっとつかんだ。

「は、あ……」
 ようやく唇を解放されて、思いきり息を吸う。

「よかった……俺、ちゃんとお前のこと好きだわ」
「何ですか、それ」
 むくれたように黒木が言う。

「いや、ちょっとだけ自信なかったけど、キスしたらちゃんと分かった」
「今さら違ったって言われても困りますけど」
「だよな。だからよかったなって……んんっ」



 再び唇を塞がれ、言葉が途切れる。歯列をなぞり、口腔を蹂躙してこれでもかと舌を吸われた。
「……お前なんでそんなにキス上手いの」
 キスの合間に、掠れてしまった声で問う。
「え、上手いですか俺」
「今まで何人とヤったんだよ」
 俺より若いくせに、と少し悔しさも滲ませて端正な顔を睨む。

「……佐野さんと出会ってからは誰ともしてません」
 黒木の手が遼太郎の上気した頬から耳、そしてうなじへと降りていく。髪を逆撫でされ、腰の辺りにぞくりと快感の波がわき起こる。
「そんな人畜無害なカオして」
 焦ったように、黒木は言いつのる。
「だ……だってしょうがないじゃないですか。……俺が好きになるのはノンケの人ばっかりだし。寂しくて一晩だけの相手を探して、彷徨って。……俺はもう、そうやって生きていくんだろうなと思ってました」

「黒木……」

「……だから、好きなひとに好きって言ってもらえるのこんなに嬉しいんだなって、初めて知りました」

 長い指が背骨をなぞり、シャツの裾を割った。直接肌に触れる感覚に、思わず体がぴくんと反応する。
「お前、俺が言わなかったらどうするつもりだったんだよ……」
「それは……当たって砕けてから考えるつもりで……」
 今考え中でした、と声は冷静なのに、指先は油断なく前に回ってきて、遼太郎の胸の突起を掠めた。

「なんで砕けるの確定なんだよ……っ」
 初めての感覚に息があがる。

「だってこんなの、奇跡でも起きない限り絶対無理だと思うじゃないですか」

「じゃあ今起きてんの、奇跡」

「……俺にとっては奇跡ですよ」

 またキスが降ってきて、遼太郎はふたつの腕をその首筋に絡めた。


 scene 16. 〈了〉
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