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第29話 オッサン

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「むさいオッサンとか嫌なのでチェンジでお願いします」


 僕の顔の横を何かが通り過ぎる。

「そう言うなよ。俺に少し付き合えばいいからよ」

 いつの間にかオッサンは僕の至近距離に居て、顔の横には燃え盛る拳が置かれていた。

 こんなん無理です。

 脳筋なオッサンと軽い運動なんて嫌だ!

 視線を上に飛ばすと上空のスクリーンに黒川、紫之宮、白井さんの戦闘シーンが映し出されていた。

 紫之宮はモデルもやってるような美男子との対戦だ。

 黒川は人気アイドルの美少女で、白井さんは人気モデルの美女との対戦だ。

 この空奏の魔術師達はよく街の空中モニターや至る所で見る。

 僕でも知ってるような人達だ。

 戦闘シーンを見る限り、軽い運動なんて思えない程に白熱してた。

 あっちはあっちでごめんだと思ったが、視線を落としてオッサンを見る。

 この苦行よりはマシだと思う。

 僕はため息をあからさまに吐く。


「そんなに嫌か?」

 オッサンは眉を下げて少し落ち込んでる素振りを見せるが。

 誰得なんだよ!

「僕の才能は戦闘向きじゃないんですよ」

 ハッとするオッサン。

 やっと分かってくれたらしい。

 オッサンは拳を戻して炎を消した。

 そして頬をポンポンと叩く。

「俺を一発殴れば終わりにしてやるよ」

 なっ、と同意を求める声と共に僕の肩に片手を置いた。


 そういうことじゃないんだが。一発って言ったな? それでこのむさ苦しいオッサンとの相手からは解放されるんだな。

 僕は頭を切り替えて肩に置かれた手を大袈裟に振り払う。

 オッサンの才能を奪い、拳に炎をためる。

 仰け反ったオッサンの顔面目掛けて燃え盛る拳を押し付ける。


「ふぅ、危ねぇ危ねぇ。これは俺の才能か」


 僕の力を全て乗せた拳を片手で涼し気に受け止めるオッサン。

 えっ? こんな化物と対戦考えた奴は何を考えてんの?

 学生が勝てるわけない。あぁ、だからこその優勝者なのか。


「一発は一発だよな」

 物凄い熱量を感じるのと共に、オッサンの拳の炎が頭上を超え、悠々と空へ昇っていく。

 ドッシリと重く見える図体とは裏腹に、その動きは洗練されていて、僕は殴られるという危機的な状況なのに動く事も出来ずただただ見惚れていた。

 ズシッと頬を殴られると頬はミシミシと音を立てて身体が浮き上がり拳を振り抜いたと思ったら僕はグラウンドの壁に向かって打ち付けられ制止させられていた。

 肺の空気は吐き出され、目眩と痛みと息が出来ない状況に追いやられる。

 身動き一つ取れず、ただ息を無我夢中に肺に入れる。

 堪えることの出来ない痛みで絶叫しそうになる。

 口を開けることを拒むように頬の痛みは増していき歯を食いしばる。

 息を整えて口の違和感に拳を拭う。

 拳の甲に付いた血を眺めて遠くのオッサンに視線をやると。

 僕が殴られた所から一歩も動かず、僕を真剣な目で見据えている。


 僕は体のいいサンドバッグになっていた。

 どこかで中継されているだろうこの僕の姿を見て、全員がニヤニヤとした笑みを貼り付けて薄っぺらな声援でも送るのだろうか。

 一発は一発というオッサンだが、僕はまだ殴ってすらいない。

 僕は主人公ですらないんだから別に勝てなくてもいい。

 フラフラとする視界の中で立ち上がり、一歩踏み出すがバランスを崩して倒れる。

 悔しい。

 上を見上げ、スクリーンに映し出されるクラスメイトの三人の戦闘を眺めると、否応に感じる。

 三人は空奏の魔術師と対等にやり合っていて。

 一発KOの僕とは違うらしい。

 僕はなんて惨めなんだ。

 もしも僕にもっと凄い才能があれば、このオッサンとも笑いながら全力で胸を借ります、なんて言って戦えるんだろうか。

 そんな凄い才能は僕にはない。ここで負けを認めて安全な所から三人を応援しよう。

 別に僕はハナから頑張らなくても良かったんだ。

 お姉さん先輩にも勝てない僕が、こんな強い人に勝てるわけがない。

 この模擬戦はどうしたら終わるんだ? オッサンに負けましたって言えば終わるよな。

 もう一発ぐらい覚悟しないとダメかな。

 オッサンを見るとゆっくりとした歩きで僕との距離を詰めてくる。

 何かを手に持ってヒラヒラとさせている。


「そう言えば忘れてたな。お前の本気が見たいならって、後輩にこんなのを貰ってたんだ」

 
 何だそれ。


「今上で戦ってるアイドルとモデル。二人とデート出来る券、なんて言ってたかな」


 このオッサンの後輩って事はお姉さん先輩だとは思うが、僕をそんなに本気にさせたいのか? 何のために?


「まぁ俺が負ける事はないって踏んで、アイドルもモデルの奴も承諾してたけどな」

 ヒラヒラと僕に券を見せつける。

「一発、殴れば……いいん、だよな」

 痛みと格闘してやっと声を出す。

 オッサンはニヤリと笑う。


「それが出来れば男達が羨む人気モデルと人気アイドル。二人を一日好きに出来ます券をお前にやるよ」


 勝てる見込みはないが、そこまで挑発されたら仕方ない。

 未来の僕のように僕は強くないが。

 少し夢を見るくらいはいいだろう。

開発限解放スキルアジャスト

 僕は僕の力を限界まで高める。

 動かない足を、動かない手を、動かない気持ちを必死で動かす。

 今の僕には運命を決定する力が必要だ。

 未来の僕が嫌った力。

 それしか僕がここを乗り切れる方法はない。


『また日向が悲しむぞ。そうじゃないだろ』


 どこからか僕の声が聞こえた。

 夢の時のように体が勝手に動く。そして口も動く。


「今から僕が僕に見せてやるよ、僕の力を」


 オッサンは僕の雰囲気が変わったのを察して警戒するように券を懐に戻す。

「なぁオッサン、今から僕の練習台としてオッサンをボコボコにするけどいいよな?」

 僕は自分の意思とは関係なく声を張り上げる。

 オッサンも僕自身も何言ってんだコイツ? と思う心は一緒だろう。僕はオッサンの返事も待たずに口を開けた。


「さぁ、行こうか」


 パキパキと周りの風景が一瞬でガラスに覆い尽くされる。

 世界の時が止まったかのように風景はピタリと止まる。

「可能性の裏側へ」

 僕が指を鳴らすと、世界が音を立てるようにガラガラと世界を覆ったガラスが崩れだした。

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