魔界刀匠伝

兵藤晴佳

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火の竜と風の虎

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「いつまでそんなもの眺めてるの? フラッド」
 火口箱を腰に提げた美しい女が、銃を背負ってひらりと馬にまたがった。
 山奥のみすぼらしい小屋の中から持ち出した刀には、私の顔が映っている。
 昔はもっと人相のいい顔をしていたような気がするのだが、すっかり悪人面になってしまった。
 まだ、30歳にもならないのに。
 刀身を鞘に納めて同じように馬上の人になった私は、言い訳がましくつぶやいた。
「そう言うな、テニーン……手入れはしなくちゃならんからな」
 気が付いてみると、この刀を作れるのは私一人になっていた。
 その名を「飛刀」という。
 これを一振りすれば目の前の相手の首がきれいに飛ぶということから来た名前だという。
 だが、本当にそんなことができるかどうかは知らない。
 私はまだ、人を斬ったことがなかった。
 盗賊の娘であるテニーンもまた、呆れたように口元を歪めた。
「ちょっと前まではそれでも商売になったんだけど」
 龍退治だの刺客だのと、剣を片手に世を渡っていた者は大勢いたらしい。
 だが、もう、そんな時代でもなくなった。
 それは、自分でも分かっている。
「クロスボウが出回る前は良かったんだが」
 テニーンは頭上から照りつける夏の太陽を見上げて高らかに笑った。
「確かに当たると痛いが、あれだけよく壊れたんじゃあね」
「親父もそう言ってた」
 田舎の刀鍛冶だった父も、そんなふうによく笑っていたのを思い出した。だが、この険しい山の中で共に暮らしてきた娘は、冷ややかに答える。
「そんなのはすぐ、どうにかなるもんさ」
 クロスボウの技術は、私が刀鍛冶の修行を始めた頃から急に洗練されはじめた。
 命中率や精巧さが高まっていくのを横目に、父は砂鉄の探し方から水の見分け方に至るまで、私にひとつひとつ丁寧に教え込んだ。
 そんなわけで、父から一人前と認められるころになると、仕事を頼みに来る者などすっかりいなくなってしまったのである。
 だから、悔し紛れに言ってやった。
「それだって、今じゃ影も形もないじゃないか」
 炎の力が、世界を支配していた。
 火薬の力で弾丸を飛ばす「銃」とか呼ばれる武器がどんどん強力になり、クロスボウに取って代わっていったのだった。
 かつては剣で、その後はクロスボウで狩られていた龍たちもまた、遂には銃弾の雨でこの世から一掃されてしてしまった。
 だが、テニーンは妙に自信たっぷりに言った。
「いや、生き残ってる龍たちもいるさ」
 聞いたことはある。
 それらは、人に姿を変えて身を隠しているというのだ。
「でも、正体を現すことはないっていうじゃないか」
 おかげで、武器を手に世渡りをする者はいなくなった。刺客たちはいるにはいるが、暗い夜道で遠くから相手を狙い撃ちするのが当たり前になっている。
 私たちのような盗賊でさえ、こうやって銃のお世話になっているのだった。
 この辺りの街道で私たちが襲うのは、私腹を肥やす大商人や貴族、高官たちばかりだった。
 日照りが続いていた。作物は育つことなく、貧しい民は飢えていた。
 奪ったものを貧しいものに施すことはなかったが、それでも巷では、フラッドとテニーンの二人組は「義賊」と呼ばれているらしい。
 もっとも、金持ちやお偉いさんたちにとしては、私兵を雇ってでも始末したい悪党どもということになるのだろうが。
 その道へ私を引きずり込んだテニーンは、自分の馬の腹にひと蹴りくれた。
「首を斬り落とされたら、元の姿に戻るらしいよ」
 それは初めて聞いた。
 古い言い伝えを口にしてみる。
「雨は呼んでくれるだろうか」
 火や毒を吐く、翼の生えた龍もいれば、日照りに雨をもたらす、翼のない龍もいるという。
 テニーンの答えは素っ気ないものだった。
「さあな」
 山の中に二人して切り開いた道を、鈍色の髪をなびかせたテニーンの乗った馬が駆けていく。
 遅れるとあとできつく叱られるので、私も慌てて馬にまたがった。

 テニーンと出会ったのは、数年前の夏のことだった。
 そのときにはもう父はこの世に無く、その刀鍛冶の技は私が受け継いでいた。
 とはいえ、田舎まで「飛刀」を打ってくれとわざわざ尋ねて来る者は、もはや誰ひとりとしてなかったのである。
 私は、最後に打った1本を手に、旅に出ることにした。広い世界に出れば、この刀を求める者を必ずどこかで見つけ出せるはずだと思ったのだ。
 父は刀鍛冶を学びはじめた幼い私に、よく言ったものだった。

 ……この刀は、龍さえも一撃で倒せる。

 だが、どこへ行っても、そんな刀を求めるものなどありはしなかった。いや、もはや刀自体が求められていなかった。
 私の仕事を必要とする者など、どこにもいはしない。
 必要とされているのは、鍬や包丁を打つ技だけだった。
 そんな失意と疲れの中であちこちをさまよい歩いた私がたどりついたのは、辺境の町だった。
 だが、そこには何もありはしなかった。
 沈みかかった太陽と同じくらいに家々の屋根は傾ぎ、その間の路地には黄色い砂塵が吹きつけるばかりである。
 だが、私はかえって心が休まるのを感じた。
「もう、明日のことは考えまい。昨日のことは忘れよう」
 自分にそう言い聞かせると、とりあえず「客」を求めて家から家へとうろうろ歩き回ることにした。
 もちろん、こんな物騒なものを売り込まれて、はいそうですかと応じてくれる家などあろうはずもない。
 金もなく、泊まる家もない私に声をかけてくれたのが、この女だったのだ。
 あのときは、私も20歳そこそこだったろうか。
 そう年齢の変わらぬ美しい女だったが、私の傍に添い寝はしても、身体を許しはしなかった。
 拒んだその手で私の頭を撫でながら、こうたしなめたものだ。
「昔ならいざ知らず、そうそう武器なんか売れはしないわ」
 藁にシーツを敷いただけのベッドの中で、テニーンは私を軽く小突いた。
「もっとも、この町の者は10人のうち、7人までが盗賊だったことがあるんだけどね」
 ため息交じりに答えたが、それは自分が生まれついてのカタギだと言おうとしているからだというふうに聞こえた。
「カタギの衆ともめごとがあると、いつもお役人は盗賊の肩を持ってね。しまいにはお互いが、自分は盗賊で相手がカタギだって言い出すようになったんだって」
 一度は半妖の怪物が人間に成りすまして人を襲い、捕まったときには「自分は盗賊だ」と喚き散らしたのだという。
「そいつも首をちょん切られて、おしまい。どうやら、龍じゃなかったみたいね」
 わけのわからないことを言って独りで笑っていたテニーンは、私の耳元で囁いた。
「朝になったら、頼みたいことがあるの……その刀で」
 あれから、もう10年にもなるだろうか。
 その結果が、今の稼業だった。

 山の麓を通る、アリの行列のような人影を眺めてテニーンがつぶやいた。
「民草を飢えさせて、自分たちはまあよく肥えていること」
 はるかな斜面の上から分かるのが不思議だったが、その遠目が誤っていたことはない。
 私には見えなくても、一向にかまうことはなかった。
「そんな連中でなかったら、こんなことやってはいないさ」 
 だが、そんな軽口などは聞き流して、テニーンは銃の狙いをつける。
「最初の一発が勝負だからね」
 先手必勝、頭《カシラ》を狙うわけだ。
 だが、それは私たちだけが考えていたことではなかった。
 テニーンが銃の引き金に指を掛けた瞬間、背後で轟音が聞こえた。

 ……ハメられた!

 そう思って手綱を引くと、無人の馬が走り去っていくのが見えた。
 今まで誰も殺すことなく、食料や財宝だけを奪ってきた私たちが何度も見た光景だ。
 だが、いまや立場は逆転した。
 背中かから撃たれて落馬したテニーンに、山のてっぺんから銃弾が降り注ぐ。
「逃げて、フラッド」
 テニーンがなぜそう言ったかは、私にも分かった。
 どこの金持ちか偉いさんかは知らないが、これ見よがしに通る行列には警戒すべきだったのだ、もう少し……。
 私は手を伸ばした。
「乗れ!」
 多勢に無勢なのは見て分かる。それでも、テニーンを守り抜いて逃げきる自信はあった。
 手の中には、あの無敵の剣がある。
 まだ、誰ひとりとして斬ったことはないが……。
 それを振りかざして、私はテニーンをかばった。
 人の命を奪うことなく、奪うものだけ残して相手を追い払うだけの剣技は身に付けている。
 すべて、テニーンから教わったものだ。
 だが、相手は山の上から下りてこない。それどころか、一発の銃弾が私の「飛刀」を叩き折ってしまった。
 思えば龍を屠るまでの武器となった銃に、敵うわけがなかったのだ。
 いかに一振りで相手の首を刎ねるとはいえ、ふた世代まえの遺物に過ぎない武器が……。
 テニーンの金切り声が上がる。
「逃げて!」
 そう言いながら、僕をはったと睨みつける。人のものではない、何か恐ろしい光がその目にはあった。
「でも……」
 私も男だ。女を見捨てて逃げるわけにはいかない。
 山を駆け降りてくるのは相も変わらず、金で雇われた私兵たちだ。これまでも何とか逃げ切ってきたのだから、今だって何とかなる。
 だが、その読みは甘かった。
 どこに隠れていたのかと思うほど、胸当てひとつの私兵たちの数は多い。その上、斜面を駆け降りてくる相手を防ぐのは、意外に難しいことだった。
 1人撃ち倒しても、すぐに次がやってくる。その繰り返しは、絶えることがなかった。
 やがて、テニーンが囁いた。
「一緒に逃げたって捕まるわ」
 確かにそうだ。だが、それはいずれかがこの場を引き受け、いずれかがこの場を逃げ去ることを意味してもいた。
 私は馬から下りた。
「行けよ」
 当然のことを言っただけなのに、テニーンはひどく怒った。
「あんまり困らせないで!」
「困らせてなんか……」
 みなまで言い終わらないうちに、とどめの一言が放たれる。
「あなたがひとりで防ぎきれるわけないじゃない」
 身も蓋もない言われようだった。
 返す言葉もない。
「分かった……」
 そう言っておいて私は、銃を手に迫る男たちの目の前に飛び出していった。
 懐から引き抜いた短刀は、自分で鍛えたものではない。
 だが、相手の懐に飛び込むことさえできれば、銃など恐れることはない。

 できれば、だ。
 
 そんなことができるはずもない。
 足元に打ち込まれた銃弾に、その気はなくても足は勝手に止まる。
 あっさり捕まるのは、やむを得ないことだった。
 もっとも、これは時間稼ぎにすぎない。
 テニーンさえ逃げられれば、それでよかった。
 だが、私のあては、向こうから外れた。
 私を挟み撃ちにするように、別の人馬の一隊がやってきたのだ。
 その先頭にいる、髭面のいかつい男が胸に抱いているのは……。
「テニーン?」
 私と暮らしていたときからは信じられないような色っぽい目つきと仕草で、私兵の頭目らしき男にしなだれかかっている。
 甘い囁き声で、ねだるように告げた。
「この人を逃がしてくれないんだったら……ここで死んでやるから」
 男の目に、一瞬の迷いが見えた。
 護衛の依頼主と、テニーンの色香を天秤にかけているのだ。
 ここは考えるまでもなく、私兵としての信用を取るべきなのだろう。
 だが、それに二の足を踏ませるほど、テニーンはまるで別人になっていたのだった。
 炎天下に、どれほど沈黙が続いただろうか。
 やがて、私を捕らえた私兵たちの後ろから、妙に気取った声で現れた身なりのいい男がいた。
 どうやら、雇い主らしい。
 馬上に抱えられたテニーンと地面に引き据えられた私を見比べると、私兵の頭目に命じた。
「噂通りの女だ。炎の帝王に献上する。言う通りにしてやるがいい」
 こうして、私は愛する女と引き換えに、投げ与えられた自由を押しいただくことになったのだった。
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