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姫君の語る危険な秘策
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次の日の朝のことである。
「では、この要塞を脱出する手順をまとめます」
要塞の広場に集められた兵士たちを前に、薄い胸に薄い胸甲を当てた男装のシャハロは、片手にかざした鞭をひゅんと鳴らした。
馬の尻を叩くときに使う、短くて固い鞭である。
高貴な姫の振るう鞭の音に、立ち並ぶ兵士たちは、身体をまっすぐに強張らせた。
よろしい、とでも言うように、シャハロは大袈裟に頷いてみせると、現状の説明を始めた。
「まず、この要塞はケイファドキャの大軍勢に包囲されており、こちらからは突破の見込みがありません。私が持ち込んだ食糧も、長くは続きません」
だが、兵士たちには、少しも不安げな様子はない。
話の先を知っているからだ。
シャハロも、それを敢えて口にすることで、作戦に向けての士気を高めようとしているらしかった。
「しかし、それは既に国王の知るところとなっています。娘の私と婚約者が、このまま放って置かれることはありません」
その婚約者たるヨファは、シャハロの傍で、ただ端正に立っているしかない。
それを見つめる庶民の兵士たちの目も、冷ややかだった。
なぜなら、この作戦の陰に誰がいるのかは、既に要塞の中では公然の秘密となっていたからである。
シャハロはいわば、要塞に立てこもったジュダイヤ軍の旗印として、士気を鼓舞する役割を担っていた。
「ここに来るまでの道のりを考えれば、五日後の朝には、援軍が間違いなくやってきます。私たちは、もっとも犠牲の少ない方法で合流しなくてはなりません……ナレイ!」
群れいる兵士たちの後ろのほうから、ひとりの小柄な少年が歩いてくる。
この戦いで多くの奇跡を起こしてきた、馬の轡取りのナレイバウスだ。
王国の姫君と、その婚約者である銀色の鎧の騎士から、少し離れたところに立つ。
そこから、兵士たちを見渡して言った。
「こちらからはケイファドキャの軍勢を突破できませんが、援軍が到着してからなら、脱出はできます。妖精の助けはもうありませんが」
兵士たちはどっと笑った。
頼りにしてるぞ、の声も聞こえる。
シャハロも笑いながら、具体的な作戦の説明に入った。
「ケイファドキャの軍勢は、私の持ち込んだ食糧に仕込まれた毒で、要塞の兵士の多くが死んだと思っています。そこで、このナレイの出番です」
ナレイは庶民の出らしい腰の低さで、自ら引き受けようとする役割を申し出た。
「5日後の朝、要塞の門を開けてください。僕はふらふらになった身体で、ケイファドキャの陣地へ助けを求めに行きます。生き残った兵士がほとんどいないと見て、相手は要塞を奪い返しにかかるでしょう。その隙を突いて、全員が打って出るのです。敵は、いったん退却した後に、再び攻撃を仕掛けてくるでしょう。そのとき見せた背中を、ジュダイヤの援軍に突いてもらうのです」
もちろん、物事がそうそう都合よく運ぶわけがない。
そのためには、要塞全体がひと芝居打たなければならなかった。
「せっかく腹いっぱい食ったのに」
あちこちから、そんなぼやきが聞こえる。
だが、言い出しっぺのナレイは要塞中を歩いて回って、少しの辛抱だと説いて回った。
その度に、兵士たちは笑って答える。
「ゆっくり昼寝させてもらうさ、今までどおり」
遠目には、誰ひとり動く力もないかのように見せかけるのだ。
もっとも、ひねくれたことをいう者はいる。
「外から内側なんぞ覗けるわけがない」
丘の上の要塞は、充分なくらい高い壁に囲まれていた
だが、兵士たちは身分や階級を問わず、ナレイの言葉には耳を傾けた。
「じゃあ、援軍が来たらまた逢おう」
口々に言いかわしながら、宿舎として与えられた、各々の部屋や小屋に閉じこもる。
しかも、生きている者の気配を悟られてはならない。
援軍が来るまで、身じろぎもせずにひたすら息を殺すのである。
ただし食料だけはは、命をつなぐのに必要な、ぎりぎりの量だけが与えられた。
一方、ヨファはというと。
これまでは王が溺愛する姫君の婚約者として、それなりに一目置かれていた。
だが、ナレイの発案した作戦が始まってからというもの、風向きが変わってきたのだ。
それは、援軍を待ちながら迎えた何度目かの夜、明らかになった。
庶民の新兵たちが眠る小屋には場違いな騎士たちが、ヨファを探して現れたのである。
「ナレイ殿なら知っているのではないかと思ってな」
「いえ……」
ナレイはしょぼつく目をこすりこすり答えた。
一方、その部下たちはというと、床で毛布にくるまっている。
横たえた身体を丸めて、顔さえ向けはしなかった。
だが、騎士が丁寧に頭を下げて去ると、途端に様子が変わった。
ナレイの部下である庶民の新兵たちは残らず、震えながら笑いだした。
「何だ、あれ」
「殿って何だよ殿って」
「ほっとけほっとけ」
騎士たちの権威は、地に落ちていた。
ヨファに至っては、斬り込み隊長としても、姫様の婚約者としても、賞賛する者はない。
いや、話題にする者さえもいなくなっていた。
だが、ナレイは違った。
何も言わずに立ち上がると、小屋を出ていく。
まっすぐに向かったのは、抜け穴となっている枯れ井戸だった。
「僕がヨファなら、こうする」
誰でも下に行けるように下ろされていたハシゴに、足をかける。
「変だな」
蛇の抜け殻の積もった涸れ井戸の底から、地下の抜け道へと入り込んだナレイはつぶやいた。
「何か違う気が……」
だが、暗闇の中で、壁を探る手は止まらない。
「どうでもいい、そんなこと!」
一度通った道を行く足は、速かった。
「全く……シャハロの前でいい格好したいからって」
しばらく歩いた先にある、突き当りの扉を開ける。
そこには、要塞の裏手に出られる涸れ井戸があった。
壁に打ち付けられた木のハシゴに手をかけて、ナレイは呻く。
「余計なことを!」
ゆっくり、ゆっくりとよじ登る。
月明かりが頭上から降り注ぐ頃になると、ナレイは首をすくめた。
井戸の端まで来ると、初めてここから出てきたときと同じくらいの慎重さで、顔を出す。
「やっぱり」
その目の前では、冷たく光る鎧をまとった偉丈夫が、軽装の兵士たちに囲まれていた。
出口は、とうの昔に見張られていたのだった。
「では、この要塞を脱出する手順をまとめます」
要塞の広場に集められた兵士たちを前に、薄い胸に薄い胸甲を当てた男装のシャハロは、片手にかざした鞭をひゅんと鳴らした。
馬の尻を叩くときに使う、短くて固い鞭である。
高貴な姫の振るう鞭の音に、立ち並ぶ兵士たちは、身体をまっすぐに強張らせた。
よろしい、とでも言うように、シャハロは大袈裟に頷いてみせると、現状の説明を始めた。
「まず、この要塞はケイファドキャの大軍勢に包囲されており、こちらからは突破の見込みがありません。私が持ち込んだ食糧も、長くは続きません」
だが、兵士たちには、少しも不安げな様子はない。
話の先を知っているからだ。
シャハロも、それを敢えて口にすることで、作戦に向けての士気を高めようとしているらしかった。
「しかし、それは既に国王の知るところとなっています。娘の私と婚約者が、このまま放って置かれることはありません」
その婚約者たるヨファは、シャハロの傍で、ただ端正に立っているしかない。
それを見つめる庶民の兵士たちの目も、冷ややかだった。
なぜなら、この作戦の陰に誰がいるのかは、既に要塞の中では公然の秘密となっていたからである。
シャハロはいわば、要塞に立てこもったジュダイヤ軍の旗印として、士気を鼓舞する役割を担っていた。
「ここに来るまでの道のりを考えれば、五日後の朝には、援軍が間違いなくやってきます。私たちは、もっとも犠牲の少ない方法で合流しなくてはなりません……ナレイ!」
群れいる兵士たちの後ろのほうから、ひとりの小柄な少年が歩いてくる。
この戦いで多くの奇跡を起こしてきた、馬の轡取りのナレイバウスだ。
王国の姫君と、その婚約者である銀色の鎧の騎士から、少し離れたところに立つ。
そこから、兵士たちを見渡して言った。
「こちらからはケイファドキャの軍勢を突破できませんが、援軍が到着してからなら、脱出はできます。妖精の助けはもうありませんが」
兵士たちはどっと笑った。
頼りにしてるぞ、の声も聞こえる。
シャハロも笑いながら、具体的な作戦の説明に入った。
「ケイファドキャの軍勢は、私の持ち込んだ食糧に仕込まれた毒で、要塞の兵士の多くが死んだと思っています。そこで、このナレイの出番です」
ナレイは庶民の出らしい腰の低さで、自ら引き受けようとする役割を申し出た。
「5日後の朝、要塞の門を開けてください。僕はふらふらになった身体で、ケイファドキャの陣地へ助けを求めに行きます。生き残った兵士がほとんどいないと見て、相手は要塞を奪い返しにかかるでしょう。その隙を突いて、全員が打って出るのです。敵は、いったん退却した後に、再び攻撃を仕掛けてくるでしょう。そのとき見せた背中を、ジュダイヤの援軍に突いてもらうのです」
もちろん、物事がそうそう都合よく運ぶわけがない。
そのためには、要塞全体がひと芝居打たなければならなかった。
「せっかく腹いっぱい食ったのに」
あちこちから、そんなぼやきが聞こえる。
だが、言い出しっぺのナレイは要塞中を歩いて回って、少しの辛抱だと説いて回った。
その度に、兵士たちは笑って答える。
「ゆっくり昼寝させてもらうさ、今までどおり」
遠目には、誰ひとり動く力もないかのように見せかけるのだ。
もっとも、ひねくれたことをいう者はいる。
「外から内側なんぞ覗けるわけがない」
丘の上の要塞は、充分なくらい高い壁に囲まれていた
だが、兵士たちは身分や階級を問わず、ナレイの言葉には耳を傾けた。
「じゃあ、援軍が来たらまた逢おう」
口々に言いかわしながら、宿舎として与えられた、各々の部屋や小屋に閉じこもる。
しかも、生きている者の気配を悟られてはならない。
援軍が来るまで、身じろぎもせずにひたすら息を殺すのである。
ただし食料だけはは、命をつなぐのに必要な、ぎりぎりの量だけが与えられた。
一方、ヨファはというと。
これまでは王が溺愛する姫君の婚約者として、それなりに一目置かれていた。
だが、ナレイの発案した作戦が始まってからというもの、風向きが変わってきたのだ。
それは、援軍を待ちながら迎えた何度目かの夜、明らかになった。
庶民の新兵たちが眠る小屋には場違いな騎士たちが、ヨファを探して現れたのである。
「ナレイ殿なら知っているのではないかと思ってな」
「いえ……」
ナレイはしょぼつく目をこすりこすり答えた。
一方、その部下たちはというと、床で毛布にくるまっている。
横たえた身体を丸めて、顔さえ向けはしなかった。
だが、騎士が丁寧に頭を下げて去ると、途端に様子が変わった。
ナレイの部下である庶民の新兵たちは残らず、震えながら笑いだした。
「何だ、あれ」
「殿って何だよ殿って」
「ほっとけほっとけ」
騎士たちの権威は、地に落ちていた。
ヨファに至っては、斬り込み隊長としても、姫様の婚約者としても、賞賛する者はない。
いや、話題にする者さえもいなくなっていた。
だが、ナレイは違った。
何も言わずに立ち上がると、小屋を出ていく。
まっすぐに向かったのは、抜け穴となっている枯れ井戸だった。
「僕がヨファなら、こうする」
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「変だな」
蛇の抜け殻の積もった涸れ井戸の底から、地下の抜け道へと入り込んだナレイはつぶやいた。
「何か違う気が……」
だが、暗闇の中で、壁を探る手は止まらない。
「どうでもいい、そんなこと!」
一度通った道を行く足は、速かった。
「全く……シャハロの前でいい格好したいからって」
しばらく歩いた先にある、突き当りの扉を開ける。
そこには、要塞の裏手に出られる涸れ井戸があった。
壁に打ち付けられた木のハシゴに手をかけて、ナレイは呻く。
「余計なことを!」
ゆっくり、ゆっくりとよじ登る。
月明かりが頭上から降り注ぐ頃になると、ナレイは首をすくめた。
井戸の端まで来ると、初めてここから出てきたときと同じくらいの慎重さで、顔を出す。
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