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ラッキーパンチで魔法少女を守れ!

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 県立神奈原かんなばら高校の門を出ても、しばらくバス停はない。
 下校時刻ともなれば部活のない、いわゆる帰宅部生がどっと校門からあふれだしてくるのに、バス停はどこまで行ってもなかった。
「近くて遠いは田舎の道っていうけど……」
 生徒手帳を開くと、佐々《さっさ》四十三《しとみ》と書かれた顔写真付きの身分証明書の隣に、学校周辺図を描いたページがある。バス停は、学校から少し離れたところにあるらしい。
 路線バスは僕を追い越して素通りしていく。
 すぐ目の前を歩いていた、僕と同じジャケットとブレザー姿の男女2人連れに、勇気を出して声をかけてみる。
「あの……」
 完全に、無視された。
 新学期のタイミングで引っ越してきて1週間、ようやく慣れてきた街ではあった。でも、どこへ行くにもなにをするにも、ぎくしゃくしてかなわない。
 父が定年退職を機に、生まれ故郷に帰ることにしてから全てが変わった。
「こんな町があるなんて……」
 他の土地ならともかく、ここは、隣に魔法使いが棲んでいるのが当たり前の街なのだ。
「何でよりによってこんなところに……」
 父の生まれ故郷なんだから、ぼやいても仕方がない。それは、自分の生まれ育ちを呪うのと一緒だ。
 時間をさかのぼって人生をやり直さない限り、どうにもならない。
 でも、そんなことは気にしなければ済むことだ。
 魔法使いたちは、僕たちに何一つ危害を加えることはない。むしろ、彼らはどっちかというと、世間の片隅で小さくなっていることが多い。
 前に住んでいたところでも、噂話で「この辺りに魔法使いが住んでいるらしい」と聞かされたりした。小学校や中学校でも入学当初は、魔法使いの生徒に「何かやってみせろよ」と絡んでいたやんちゃな生徒が職員室に呼ばれて、「それは差別だ」とこっぴどく叱られるなんてこともあったような気がする。
 高校生になると、そういうこともなくなる。
 魔法使いたちのほとんどは、魔法高校に通うからだ。
 
 でも、この町では微妙に事情が違うらしい。
 他校生も並んでいるバス停の前で、僕の足は止まる。
「1本遅らせた方がいいかな……」
 昨日見た、地方局の嫌なニュースが脳裏によみがえる。
 スマホのWebニュースを確認してみたら、地元のことがしっかり全国ニュースになっていた。
〔魔法高校生への暴力が続発〕
 地元のヤンキーに絡まれた魔法高校の生徒たちが、死に物狂いで反撃して、殴り合いの大喧嘩になったのだ。
 もっとも、魔法使いたちは全国的に大きなネットワークを持っていて、それはちょっとした圧力団体になっている。このくらいの小競り合いは、ニュースにはなっても補導だの逮捕だのということにはならないらしい。
 そのせいか、ひときわ目立つ肩章つきのジャケットを着た魔法高校の生徒の中には横着なのがいるらしい。僕の目の前へ、当然のように割り込んでくる。ケンカしてもつまらないので一歩退くと、隣の列から声がかかった。
「ちょっと待ってくれないかな、君」
 列を離れた生徒には、見覚えがあった。2年に転入したのが入学式の日で、その次の日、対面式で挨拶した生徒会長だ。背は高いし、スタイルもいいから記憶に残っていたのだが、近くで見ると芸能人並みにルックスもいい。
 確か、和歌浦《わかうら》新《しん》といったと思う。
 その生徒会長がつかつかと歩み寄ったのは、目の前の魔法高校生だった。振り向いた横顔を見ると、結構、目つきが鋭い。ただし、ヤクザやヤンキーの眼付じゃない。
 触ったら、それだけで弾き飛ばされそうな何か物凄いパワーを強い意志で抑えている、そんな目をしていた。
 でも、生徒会長は怯まなかった。
「私たちは対等だ。そうじゃないか?」
 魔法高校の生徒の頬がぴくっと動いた気がする。その瞬間、全身に、ぞわっと何か変なものが走った。不吉な予感に、僕はさっさと逃げ出していた。
 守ろうとしていた生徒に姿をくらまされた生徒会長が、その後、どうしたかは知らない。
 
 どのくらい逃げたかは分からない。バス停から遠く離れてしまって、辺りはコンビニやらその他の店やらが立ち並ぶ、商店街になっていた。
 立ち寄る神奈原高校の女生徒たちは、校則で膝より下までなくちゃいけないスカート丈を誰ひとりとして守ってはいない。
 それだけに、膝どころか足全体を覆う長いスカートはよく目立った。
 羽織っているのは、やっぱり肩章のついたジャケット。
 魔法高校の女子たちだ。
 その周りには、半径1mくらいの輪ができる。すれ違う時は何も言わないけど、ある程度の距離を取ると、ひそひそやり始める辺りはさすがに女子だ。
「何、あいつら……ウザっ」
「しっ! 心が読めるらしいよ。姿消したり……」
 本当にできるかどうかは、よく知らない。
 ただ、SNSやネット上で魔法使いへのヘイトを煽っている人たちは、そういうことを平然と書きこむ。
 秘密の儀式に近所の犬猫を殺して回るとか、ひどいときには未解決事件の真犯人は魔法使いたちだとか。
 日ごろ何かと鬱憤のたまっている地元のヤンキーたちが、これを口実に「魔法使い狩り」を始めているというのが、ネット上でもリアルでも、もっぱらの噂だった。 
  そういうややこしい人たちとは、離れたかった。
 なるべく人のいないところへ行こうとするあまり、どこをどう走ってきたのか分からない。普通高校と魔法高校とを問わず、生徒たちはもう、どこにもいなかった。
 そういうとき、妙なところで鋭い僕の勘は、見ないで済ませたいものをしっかりと捉える。
 高校生たちの代わりにやってきたのは、制服姿じゃない男たちだった。

 そいつらは、誰かを尾行していた。相手は女の子だってことは、ひそひそやる態度や交わす眼つきで見当がついた。
 見るまいと思っていたけど、目が勝手に追ってしまう。
 長いスカートに、肩章のついたジャケット。魔法高校の女子生徒だ。ただし、普通高校並みに短く刈った髪と、その小柄な身体には、制服の厳めしいデザインが全く似合っていない。
 それだけに、不良どもの目を引いたんだろう。いかにも鈍そうで、ちょっかいを出すにはいい獲物だ。
「……見なかったことにしよう」
 ここにいると、できもしないのに女の子を助けようとしてしまいそうだ。
 僕はきょろきょろと横道を探すと、店と店との間にある細い路地に入った。
 だが、甘かった。
 僕の目の前には、お約束のシーンが展開されていた。
 さっきの女の子が、ヨレた格好の男どもに囲まれている。左右は高いビルの壁だ。 大声で助けを求めても、人が来るかどうかは微妙だ。
 後ろ姿だから分からなかった女の子の顔は、想像に違わず童顔だった。それだけに、不格好な額縁眼鏡は妙にアンバランスだ。
 でも、その奥の眼は結構、険しい。
 挑発的なまでに。
 もっとも、男たちは睨まれても怯む気配はない。むしろ、面白そうにからかってくる。
「ねえ、魔法高校のコでしょ? 何か使ってみせてよ」
「見せびらかすものじゃありませんから」
 女の子は、怒りを抑えて淡々と応じていた。
 男たちは、下卑た笑い声を上げた。どうする、と囁き交わす声が聞こえる。
 すぐに結論は出たらしい。
「じゃあ」
 前のひとりの手がジャケットの襟に、後ろのひとりの手がスカートに伸びる。
 女の子は、後ろの手を払いのけるのが精一杯だった。
「やめてください」
 白い歯を食いしばって叩いたのは、襟元のリボンを豊かに突き上げる、ブラウスの胸に伸びた手だ。
 まずいと思ったが、割って入っても何人かに袋叩きにされるだけだ。残った連中は興奮して、女の子をメチャクチャにするかもしれない。
 次の行動に迷っていると、男たちは予想通りの反応を見せた。 
「知ってるんだぜ、お前らは俺らに手出せないって」
 小学校や中学校で、魔法使いの家の子がやんちゃな連中に抵抗しなかったのはそういうわけらしい。詳しいことはよく分からないが、魔法を知っていたとしても使えない理由があるのだ。
 このまま進むか退くか迷っているうちに、女の子が不敵に笑う声が聞こえた。
「正当防衛が認められる例だってあるんですよ? 魔法で相手を傷つけても」
 でも、男たちがそれでビビる様子はなかった。
「試してみるか?」
 ダメだ。ハッタリを効かせるには、あまりにもかわいすぎるのだ、この子は。
 そう判断したとき、僕は声を上げていた。
「やめろ!」
 ビルとビルの間に、ちょっと裏返った声が響き渡る。
 男たちが一斉にこっちを見た瞬間、僕は後悔した。
 ……やっちゃった。

 自慢じゃないけど、僕は今まで、危険を鋭く察知しては小器用に逃げまくって生きてきた。
 ただし、こっちが逃げたくても、相手が逃がしてくれないこともある。
 そんなとき、いつも僕の理性は吹っ飛んだ。追い込まれると自分を見失って、身の程を知らない勝負に出てしまうのだ。
 もちろん、ヤンキーどもは鼻で笑う。
「こいつらの味方すんのか?」
 殴りかかってこなかったのは予想外だったが、おかげで逃げ道を探る余裕ができた。
「そうじゃなくて、お互い困ったことになるんじゃないかな、と」
 このまま警察に通報するよ、というニュアンスは通じたらしく、男たちのひとりが、後ろにいる女の子に振り向いて凄んだ。
「おい、どうなんだよ……」
 考えてみれば当然の展開だが、いつの間にか女の子が逃げ去っていたのは、良かったのか悪かったのか。
 呆然としている間に男たちに取り囲まれて、僕の理性は吹っ飛んだ。
「うおおおおおおお!」
 逆上したせいか、一瞬の閃光で目の前が真っ白になる。そんなことには構わず、見えもしない拳をデタラメに叩きこんだ。
「え……?」
 それは僕のつぶやきでもあったし、ヤンキーどもの呻きでもあった。
 手ごたえと共に足下で重い音がして我に返ると、男のひとりが白目をむいている。
 自分でやったことが信じられずに、ジンジン痺れる拳を見つめていると、ひそひそ囁き合う声が聞こえた。
「おい、こいつ、意外に強いぞ……」
 そのとき、ビルの間にサイレンの音が響き渡った。
 男たちのひとりが叫ぶ。
「やばい、警察だ!」
 倒れているのを2人か3人して引っ担ぐと、男たちは狭い路地を、悲鳴を上げる余裕もない様子で逃げ去っていった。
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