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追い詰められた女の子の思い付きは、男を振り回すもののようです
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鵺笛が鼻で笑うのが、耳元で聞こえた。
「何をいまさら……」
だが、俺の首を締め上げる腕の力は緩まない。
確かに、羅羽の取引は遅すぎたのだ。
こんな言い方は何だが、やっぱり、そこは女の子だった。
いちばんイヤなことを引き受ければ、相手にも譲らせることができると思っている。
だが、その手は、俺が負ける前でなければ、意味がない。
今、この場にいる者に対する生殺与奪の決定権が、鵺笛にあるからだ。
その辺りが分かっていない辺り、死ぬ間際に可愛らしいものを見せてもらったと思った。
やっとの思いで、かすれ声を身体の底から絞り出して告げる。
「ありがとう……羅羽……ごめんな」
どのみち、俺は殺されるしかないし、羅羽も鬼の世界へ連れて行かれれば、子を持つしかないだろう。
だが、鵺笛は、俺の首をへし折りはしなかった。
「こやつを殺せば、鬼の世界に戻っても、子を成す気はないということか」
「だって、私も死ぬもの」
そう言うが早いか、その指から伸びた鋼の爪を、自らの喉元に押し当てた。
白い喉から、一筋の鮮血がしたたり落ちる。
鬼たちの間で、何やら囁き交わす声が聞こえ始めた。
それは次第に、大きなざわめきとなって広がっていく。
やがて、四方八方から注がれる眼差しが感じられるようになった。
だが、それは俺に向けられたものではない。
鬼たちが固唾を呑んで見守っているのは、挑発めいた羅羽に対して、鵺笛がどう振る舞うかということであった。
鵺笛の判断は、意外に早かった。
俺の首筋を固めていた腕をするりと緩めて立ち上がると、鬼たちに言い渡す。
「いいだろう。羅羽は死んだら取り返しがつかんが、こやつはまた殺しに来ればいい」
鬼たちの口からは、感嘆のため息が漏れる。
これで俺を殺していれば、確かに鬼たちへの示しはつく。
だが、羅羽もまた、本当に命を絶ったかもしれない。
そうなれば、鵺笛は同族を見殺しにしたとして、鬼たちからの信頼を一挙に失っただろう。
鵺笛は、つきつけられた羅羽の命と鬼の掟の二者択一に応じることなく、どちらも守り抜いたのだった。
俺もまた、自分と羅羽の命が助かったのに、内心では胸を撫で下ろしていた。
もっとも、それは目先の危険が去ったということにすぎない。
鬼たちは、静かに行動を起こしていた。
それを羅羽は察していたらしく、俺をじっと見つめながら立ち上がった。
「今までありがとう、お兄ちゃん……楽しかった」
改まった態度で端正に佇んではいるが、その顔は満面の笑みをたたえている。
その姿も、鵺笛をはじめとする、背の高い鬼たちに囲まれて消えた。
俺は叫んだ。
「まだだ、羅羽! 諦めるな!」
鵺笛が振り向く。
険しい顔つきで、冷たく言い放った。
「おぬしは敗れ、我らの間で定められた取り決めもまた、これで果たされた。他に何をすることがある?」
そこで口を挟んだのが、咲耶だった。
「あるよ、克衛」
俺の目の前に突き出したのは、鵺笛の言葉よりも冷たい、光をたたえた刀身である。
鬼を祓う神剣、「紅葉狩」だ。
咲耶は、いつになく厳しい口調で俺に告げた。
「鬼の世界との出入り口を破壊するんだ、これで」
素っ気ない言い方で、俺は答えた。
「どうやるんだよ、いったい」
やれと繰り返しながらも、その方法はついぞ教わったことがない。
それをいいことに食い下がったわけだが、咲耶はあっさりと答えた。
「ボクの祭文と共に、空を一刀両断に斬ればいい。それで終わる」
それでも、俺は紅葉狩を手に取ろうとはしなかった。
咲耶は、苛立ちを抑えた低い声で促す。
「今を逃したら、もう機会はない」
俺は応じなかった。
理由は、ちゃんとある。
「取られても仕方のない命を救われたんだ。俺だって、向こうに譲るのが当たり前じゃないのか?」
鵺笛は、俺を殺して羅羽を連れ去ることもできたのに、鬼たちの中での信頼を考えて、掟のほうを先送りした。
俺もまた、自分と羅羽の命と引き換えに、鬼の世界へのとどめを刺さないことにしてもおかしくはないはずだ。
そもそも、咲耶の祭文と紅葉狩さえあれば、鬼の世界との出入り口はいつでも破壊できるのだ。
無理に、それを今、やることはない。
だが、咲耶が俺の理屈を聞き入れることは全くなかった。
「ウソだ! 羅羽ちゃんと離れ離れになりたくないだけ。もしかすると、また会えるかもしれないなんて思ってる」
正直なことを言えば、図星だった。
腹の中では長々と理屈をこねたが、本当は違う。
鬼の世界との行き来を断つことで、羅羽とのつながりを失うのが嫌だったのだ。
咲耶は俺から目をそらすと、姿の霞んでいく鬼たちに向かって駆けだした。
「羅羽ちゃんを取り返せばいいんだろ」
鬼たちが振り向く。
鵺笛はもう、何も言わなかった。
面倒臭そうに、鬼たちに向かって顎をしゃくる。
代わりに、羅羽が咲耶を止めた。
「もういいの!」
咲耶から返す言葉はない。
ただ、俺を急き立てるばかりだ。
「もう……終わらせよう、こんなのは!」
冷たく光る神剣が、鬼たちに向かって振り下ろされる。
だが、それは誰ひとりとして傷つけることはなかった。
咲耶の手の中から弾け飛んで、俺の目の前へ降ってくる。
慌てて振り払おうとすると、その手の中へと勝手に収まった。
咲耶は、襲い来る鬼たちを背にして、俺に言い放つ。
「分かってくれ! 紅葉狩が選んだのは克衛だ! 克衛にしか使えないんだよ!」
何人もの鬼が後ろから、咲耶に近づいてくる。
俺は咲耶に向かって叫んだ。
「戻れ!」
咲耶は応じない。
短く刈った髪を撫でると、小さな髪留めを引き抜く。
振り向きざまに横薙ぎするのと、羅羽が止めるのは同時だった。
「鵺笛たちを怒らせちゃダメ!」
鬼たちが腕を押さえて一斉に呻くと、その腕からは、血がしたたる。
咲耶の髪留めは、いわゆる暗器、つまり隠し武器になっていたのだ。
鵺笛が、俺を見つめて静かに抗議した。
「我らが結んだ約定だけは、不足か?」
目配せひとつで、鬼たちを動かす。
取り囲まれた咲耶は髪留めを振るうが、多勢に無勢とはこのことだった。
血で染まりながらも伸ばされたいくつもの手は、羅羽の腕や、脚や、肩を思いのままに掴む。
何人もの鬼が、咲耶の身体を高々と持ち上げていく。
その姿は、羅羽のものと同じように霞んでいった。
だが、咲耶は悲鳴も上げない。
もがきながら歯を食いしばって、俺をじっと見つめる。
暴れる咲耶を抑えようとする鬼たちの手が、服を引き裂く。
身体がのけぞって露わになった胸が鷲掴みにされた。
咲耶は絶叫する代わりに、半狂乱になって俺を呼んだ。
「克衛! 紅葉狩りを! 祭文はボクが!」
その間にも、その姿は羅羽と共に薄らいでいく。
俺は思わず、紅葉狩を振り上げる。
だがその手を止めたのは、鵺笛の声だった。
「我らをこのまま帰すなら、この女も返してやる」
それは、鬼の世界との出入り口を破壊せず、羅羽が連れ去られるのを黙って見ているということだ。
更に、鵺笛は俺を脅しにかかる。
「紅葉狩を振るえば、この女も鬼の世界へ消える」
羅羽に加えて、咲耶も帰ってこないということだ。
それに加えて、思わせぶりなひと言が、俺の判断を鈍らせた。
「我らの手にある、母の身はどうなるか……」
鬼のひとりとなった母さんが、人間の世界へ戻ってくることはないだろう。
だが、鬼の世界との行き来が断たれれば、母さんがどうなろうと、俺はもう知ることさえできないのだ。
なんとかして、扉を破壊せずに羅羽と咲耶を取り返すことはできないものか。
いちばんいいのは、羅羽も咲耶も取り返して、扉を破壊することなのだが。
鵺笛は俺に最後の選択を迫った。
「答えぬのなら、とりあえず、この女は頂戴する。鬼としては、当たり前のことではないか?」
さっきの正々堂々とした振る舞いとはうって変わって、あの嘲笑混じりの物言いが戻ってきていた。
「何をいまさら……」
だが、俺の首を締め上げる腕の力は緩まない。
確かに、羅羽の取引は遅すぎたのだ。
こんな言い方は何だが、やっぱり、そこは女の子だった。
いちばんイヤなことを引き受ければ、相手にも譲らせることができると思っている。
だが、その手は、俺が負ける前でなければ、意味がない。
今、この場にいる者に対する生殺与奪の決定権が、鵺笛にあるからだ。
その辺りが分かっていない辺り、死ぬ間際に可愛らしいものを見せてもらったと思った。
やっとの思いで、かすれ声を身体の底から絞り出して告げる。
「ありがとう……羅羽……ごめんな」
どのみち、俺は殺されるしかないし、羅羽も鬼の世界へ連れて行かれれば、子を持つしかないだろう。
だが、鵺笛は、俺の首をへし折りはしなかった。
「こやつを殺せば、鬼の世界に戻っても、子を成す気はないということか」
「だって、私も死ぬもの」
そう言うが早いか、その指から伸びた鋼の爪を、自らの喉元に押し当てた。
白い喉から、一筋の鮮血がしたたり落ちる。
鬼たちの間で、何やら囁き交わす声が聞こえ始めた。
それは次第に、大きなざわめきとなって広がっていく。
やがて、四方八方から注がれる眼差しが感じられるようになった。
だが、それは俺に向けられたものではない。
鬼たちが固唾を呑んで見守っているのは、挑発めいた羅羽に対して、鵺笛がどう振る舞うかということであった。
鵺笛の判断は、意外に早かった。
俺の首筋を固めていた腕をするりと緩めて立ち上がると、鬼たちに言い渡す。
「いいだろう。羅羽は死んだら取り返しがつかんが、こやつはまた殺しに来ればいい」
鬼たちの口からは、感嘆のため息が漏れる。
これで俺を殺していれば、確かに鬼たちへの示しはつく。
だが、羅羽もまた、本当に命を絶ったかもしれない。
そうなれば、鵺笛は同族を見殺しにしたとして、鬼たちからの信頼を一挙に失っただろう。
鵺笛は、つきつけられた羅羽の命と鬼の掟の二者択一に応じることなく、どちらも守り抜いたのだった。
俺もまた、自分と羅羽の命が助かったのに、内心では胸を撫で下ろしていた。
もっとも、それは目先の危険が去ったということにすぎない。
鬼たちは、静かに行動を起こしていた。
それを羅羽は察していたらしく、俺をじっと見つめながら立ち上がった。
「今までありがとう、お兄ちゃん……楽しかった」
改まった態度で端正に佇んではいるが、その顔は満面の笑みをたたえている。
その姿も、鵺笛をはじめとする、背の高い鬼たちに囲まれて消えた。
俺は叫んだ。
「まだだ、羅羽! 諦めるな!」
鵺笛が振り向く。
険しい顔つきで、冷たく言い放った。
「おぬしは敗れ、我らの間で定められた取り決めもまた、これで果たされた。他に何をすることがある?」
そこで口を挟んだのが、咲耶だった。
「あるよ、克衛」
俺の目の前に突き出したのは、鵺笛の言葉よりも冷たい、光をたたえた刀身である。
鬼を祓う神剣、「紅葉狩」だ。
咲耶は、いつになく厳しい口調で俺に告げた。
「鬼の世界との出入り口を破壊するんだ、これで」
素っ気ない言い方で、俺は答えた。
「どうやるんだよ、いったい」
やれと繰り返しながらも、その方法はついぞ教わったことがない。
それをいいことに食い下がったわけだが、咲耶はあっさりと答えた。
「ボクの祭文と共に、空を一刀両断に斬ればいい。それで終わる」
それでも、俺は紅葉狩を手に取ろうとはしなかった。
咲耶は、苛立ちを抑えた低い声で促す。
「今を逃したら、もう機会はない」
俺は応じなかった。
理由は、ちゃんとある。
「取られても仕方のない命を救われたんだ。俺だって、向こうに譲るのが当たり前じゃないのか?」
鵺笛は、俺を殺して羅羽を連れ去ることもできたのに、鬼たちの中での信頼を考えて、掟のほうを先送りした。
俺もまた、自分と羅羽の命と引き換えに、鬼の世界へのとどめを刺さないことにしてもおかしくはないはずだ。
そもそも、咲耶の祭文と紅葉狩さえあれば、鬼の世界との出入り口はいつでも破壊できるのだ。
無理に、それを今、やることはない。
だが、咲耶が俺の理屈を聞き入れることは全くなかった。
「ウソだ! 羅羽ちゃんと離れ離れになりたくないだけ。もしかすると、また会えるかもしれないなんて思ってる」
正直なことを言えば、図星だった。
腹の中では長々と理屈をこねたが、本当は違う。
鬼の世界との行き来を断つことで、羅羽とのつながりを失うのが嫌だったのだ。
咲耶は俺から目をそらすと、姿の霞んでいく鬼たちに向かって駆けだした。
「羅羽ちゃんを取り返せばいいんだろ」
鬼たちが振り向く。
鵺笛はもう、何も言わなかった。
面倒臭そうに、鬼たちに向かって顎をしゃくる。
代わりに、羅羽が咲耶を止めた。
「もういいの!」
咲耶から返す言葉はない。
ただ、俺を急き立てるばかりだ。
「もう……終わらせよう、こんなのは!」
冷たく光る神剣が、鬼たちに向かって振り下ろされる。
だが、それは誰ひとりとして傷つけることはなかった。
咲耶の手の中から弾け飛んで、俺の目の前へ降ってくる。
慌てて振り払おうとすると、その手の中へと勝手に収まった。
咲耶は、襲い来る鬼たちを背にして、俺に言い放つ。
「分かってくれ! 紅葉狩が選んだのは克衛だ! 克衛にしか使えないんだよ!」
何人もの鬼が後ろから、咲耶に近づいてくる。
俺は咲耶に向かって叫んだ。
「戻れ!」
咲耶は応じない。
短く刈った髪を撫でると、小さな髪留めを引き抜く。
振り向きざまに横薙ぎするのと、羅羽が止めるのは同時だった。
「鵺笛たちを怒らせちゃダメ!」
鬼たちが腕を押さえて一斉に呻くと、その腕からは、血がしたたる。
咲耶の髪留めは、いわゆる暗器、つまり隠し武器になっていたのだ。
鵺笛が、俺を見つめて静かに抗議した。
「我らが結んだ約定だけは、不足か?」
目配せひとつで、鬼たちを動かす。
取り囲まれた咲耶は髪留めを振るうが、多勢に無勢とはこのことだった。
血で染まりながらも伸ばされたいくつもの手は、羅羽の腕や、脚や、肩を思いのままに掴む。
何人もの鬼が、咲耶の身体を高々と持ち上げていく。
その姿は、羅羽のものと同じように霞んでいった。
だが、咲耶は悲鳴も上げない。
もがきながら歯を食いしばって、俺をじっと見つめる。
暴れる咲耶を抑えようとする鬼たちの手が、服を引き裂く。
身体がのけぞって露わになった胸が鷲掴みにされた。
咲耶は絶叫する代わりに、半狂乱になって俺を呼んだ。
「克衛! 紅葉狩りを! 祭文はボクが!」
その間にも、その姿は羅羽と共に薄らいでいく。
俺は思わず、紅葉狩を振り上げる。
だがその手を止めたのは、鵺笛の声だった。
「我らをこのまま帰すなら、この女も返してやる」
それは、鬼の世界との出入り口を破壊せず、羅羽が連れ去られるのを黙って見ているということだ。
更に、鵺笛は俺を脅しにかかる。
「紅葉狩を振るえば、この女も鬼の世界へ消える」
羅羽に加えて、咲耶も帰ってこないということだ。
それに加えて、思わせぶりなひと言が、俺の判断を鈍らせた。
「我らの手にある、母の身はどうなるか……」
鬼のひとりとなった母さんが、人間の世界へ戻ってくることはないだろう。
だが、鬼の世界との行き来が断たれれば、母さんがどうなろうと、俺はもう知ることさえできないのだ。
なんとかして、扉を破壊せずに羅羽と咲耶を取り返すことはできないものか。
いちばんいいのは、羅羽も咲耶も取り返して、扉を破壊することなのだが。
鵺笛は俺に最後の選択を迫った。
「答えぬのなら、とりあえず、この女は頂戴する。鬼としては、当たり前のことではないか?」
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