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炎の髪の少女
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日高く睡《ねむ》り足りて猶《な》ほ起くるに慵《ものう》し……(白楽天)
「またあなたを助けることになるなんて」
冷たい水の中にいたのが夢のような温かさの中でもっとぬくぬくしていたかったのだが、カリアの声だと気付いて目が覚めた。
「ここは……?」
答えがなくても背中にあるシーツの感触で、麦わらを分厚く敷き詰めて作ったベッドの上に寝かされているのが分かった。
ジョセフの偃月刀を逃れるために、橋の上から一か八か、激しい水の流れに飛び込んだけど、僕はその賭けに勝ったのだ。
「助かった……」
ということは、カリアは「夢の通い路」を開いてくれたのだ。
なんだか瞼の裏側がジンと熱くなった。
「ありがとう」
他にもっと伝えたい思いはあったけど、ようやくのことで口にできたのは、それけだった。
それだけに、カリアがどんな目で僕を見ているのかと思うと、胸がドキドキして天井を見つめているしかなくなった。
しばらく沈黙が続いた。
聞こえるのは、かまどで薪が燃える音と、水車が回る音だけだった。
わずかに傾いだ扉から、夕暮れの光が洩れている。
そこが壊れている理由には、心当たりがあった。
つまり、僕はカリアの水車小屋に戻ってくることができたのだ。
頭を横に向けて彼女の様子をうかがってみると、なぜかシーツで全身を隠している。
そっぽを向いた顔が心なしか赤いのに気づいて、自分の身体を見てみると、やはり裸だった。
僕はうろたえた。
初めて会ったとき、僕を抱き上げたカリアの身体の感触を思い出す。
胸はそんなにないけど、温かくて、柔らかい感触は覚えている。
頭の中を、ものすごい勢いでいろんなことが駆け巡った。
……え? これ、もしかして冷え切った体を一糸まとわぬ身体で温めてもらったって奴? どうする? どうする? どうする! 僕、まだ彼女もいないのに、え? これって、もしかして!
落ち着かなくてはいけなかった。
僕は男だからだ。
12世紀はどうか知らないけど、少なくとも21世紀の日本ではこういうとき、男がしっかりリードするものらしい。
そこで、まずは精一杯低い声で答える。
「これも運命さ」
我ながら渋い、と合格点をつけた。
何があったかははっきりわからないけど、この雰囲気からすると、たぶんそういうことだ。
男なら、ちゃんと責任を取るべきだ。
そりゃ、何かしたわけじゃないけど、女の子にここまでさせたのだから、それなりに毅然とした態度を取らなくてはならない。
12世紀の今、十字軍と戦っているイスラム側の王、サラディンことサラーフ・ウッディーンのように。
彼は無辜の民を兵士が殺害した責任を取って素裸で砂漠を放浪し、神《フ・アッラー》の裁きを仰いだという。
僕もまた、カリアの言葉を待つため、再び天井を見つめて横になった。どんな言葉が返ってこようと、正面から受け止めるつもりだった。
思いっきり強がるかもしれない。僕の助けなどいらないというかもしれない。
もしかすると、逆に弱音を吐くかもしれない。どうあがいてもジョセフに勝つことはできないし、殺されるに決まっていると諦めるかもしれない。
いや、そう思えばむしろ、僕にすがるかもしれない。このアトランティスで、彼女の味方となってジョセフに抵抗しようとしているのは、僕ひとりなのだ。
そんな期待は、思い上がりかもしれない。瀕死の僕を見かねて身体を重ねはしたけど、それ自体が心の傷となったかもしれないのだ。そうでなくても、生理的に拒絶されてしまったら、全ての希望は失われる。
それでもいい。カリアが僕のために、素肌を許してくれたというだけで、僕は独りでも再びジョセフと戦える。
だが、どこまで思いつめても、カリアの反応は冷ややかだった。
「もう放っておいてほしいわ」
確かに、そう言われても仕方のない経緯が、僕と彼女の間にはある。そもそもジョセフに目をつけられたのは、僕の命を助けたからだ。
それを思うと、自嘲混じりにつぶやかないではいられなかった。
「そうだよな……まだ昨日のことなんだよな、あれ」
嫌われているんじゃないかとあれこれ思い悩む以前に、カリアの安全を考えたら、二度と会うべきではなかったのだ。
彼女が最後に言い残した通り。
「だけど……だけどさ、カリア」
僕は、毛布を掻き寄せて身体を隠す赤毛の少女を見つめた。
カリアも、ぼくをじっと見つめ返す。
「僕たち、また巡り合ったんだよ……たった1日で」
彼女は、「もう会う事もない」と僕に言った。それなのに、今、目の前にいる。
「これも、運命だと思うんだ」
キザな言い方だという気はしたけど、他にはもっといやらしい言い方しかなかったのだ。
チャンス……僕の立場で裏返せば、これが最後の手段だった。
結界を解き、ザグルーが操るイギリスのジョン王の艦隊をアトランティスに呼び寄せ、ジョセフの「白旗隊」を壊滅させるのは、今を措いて他にはない。
確かに、カリアが「結界の少女」だなどというウマい話はそうそうあるものではないだろう。だが今だけは、彼女がいれば僕でも歴史を動かすことができる条件が整っている。
僕は、力をこめて彼女に説いた。
「闘おう。逃げてばかりじゃいずれ追い詰められる」
これは半分、本音だった。
もう半分は……いいところを見せたかった。いつまでも、カリアに助けてもらうばかりでは男として情けない。
12世紀の今、十字軍を率いているイギリスの国王リチャード1世は、その勇敢さから後世、「獅子心王《ライオンハーティド》」と呼ばれた。
そこまでは及ばなくとも、僕も僕なりの「獅子の心」の下に戦いたかった。
カリアを守って。
しかし、その相手は僕たちの根本的な弱点を突いてきた。
「どうやって? あいつらに魔法は効かないのよ」
ジョセフが僕を追って再びこの小屋へとやってくるのは、時間の問題だった。発見されたら、もう逃げ場がない。
いますぐにでも結界を解きたいところだが、カリアひとりにそれを頼むことはできなかった。ジョセフの言ったことが本当なら、その反動でエネルギーの奔流が彼女を焼き尽くすだろう。
それでも、僕は勝算を示さなければならない。
「あるよ……勝つ方法は」
「いったい、どんな!」
口にしていいものかどうか、迷った。
定期的に来ては去っていく水平線の向こうで、監視の船は現れたり消えたりする。
チャンスは、それがやってきたときだ。
まず、ジョセフのもとに集う魔法使いが少ないうちに結界を解けば、ジョンが動く。ひとりでは死んでしまうが、多くの魔法使いが手を貸してくれれば、起こり得ないことではなかった。。
そうなれば、異父兄のフランスのフィリップ2世が呼応して、アトランティスを取りに動く。
弟とフランス王に組まれては、いやでもリチャードは十字軍遠征を止めて戻らざるを得ない。
そうなれば、フランスは背後からリチャードの攻撃を受けることになる。フランスの半分を支配しているのは母親のアリエノールだから、あっという間に侵入されてしまう。
そうなればアリエノールは思う存分、フィリップ2世に揺さぶりをかけられる。後ろ盾の足元がぐらついて、根性なしのジョンはすぐに母親へと寝返ることになる。
これが、「魔法史A」で予習した「第2次アトランティス戦争」の全貌だった。
こうなるという未来を告げれば、カリアを説得できる。
僕は肚を決めた。
現代へ帰れなくてもいい。二度も命を助けてくれたカリアを守るのは、僕だ。だから、ザグルーのかけたギアスを敢えて破ろう。
「実はカリア、僕……」
「来ないで!」
ベッドから降りようとすると、カリアが、しゃがみ込んだまま金切り声をあげて、シーツで覆われた背中を向けた。
結構、胸に突き刺さる声だった。
そこまで嫌われていたのかと内心落ち込んでいると、どこにあったのか、裾の長い衣と灰色のマントが頭上から降ってきた。
「これ……」
いかにも魔法使い、という服だった。
忘れていた。
ザグルーのときもそうだったが、「夢の通い路」で運ばれた先には、裸で放り出されるのだ。
カリアはいささか早口に、そして不愛想に言った。
「父さんの服。使っていいわ。」
そう言われると、かえって困る。
「そんな大事なもの……」
「来ないでって言ってるでしょう!」
そう怒鳴られて、歩み寄ろうとしたぼくの足が止まった。
カリアに嫌われるどころか、憎まれて当然なのだ。
ザグルーの手下で、ジョセフに寝返って、こそこそ逃げ帰ってきた上に、カリアに二度も助けられている。
やっぱり、僕は出ていくべきなのだ。
考えてみれば、結界が解けなくてもどうということはない。
ここで暮らせばいいのだ。
面倒くさい両親もいなければ、学校も試合もない。
だが、僕はカリアの力を借りてでも結界を解かなければならない、もうひとつの理由があった。
「またあなたを助けることになるなんて」
冷たい水の中にいたのが夢のような温かさの中でもっとぬくぬくしていたかったのだが、カリアの声だと気付いて目が覚めた。
「ここは……?」
答えがなくても背中にあるシーツの感触で、麦わらを分厚く敷き詰めて作ったベッドの上に寝かされているのが分かった。
ジョセフの偃月刀を逃れるために、橋の上から一か八か、激しい水の流れに飛び込んだけど、僕はその賭けに勝ったのだ。
「助かった……」
ということは、カリアは「夢の通い路」を開いてくれたのだ。
なんだか瞼の裏側がジンと熱くなった。
「ありがとう」
他にもっと伝えたい思いはあったけど、ようやくのことで口にできたのは、それけだった。
それだけに、カリアがどんな目で僕を見ているのかと思うと、胸がドキドキして天井を見つめているしかなくなった。
しばらく沈黙が続いた。
聞こえるのは、かまどで薪が燃える音と、水車が回る音だけだった。
わずかに傾いだ扉から、夕暮れの光が洩れている。
そこが壊れている理由には、心当たりがあった。
つまり、僕はカリアの水車小屋に戻ってくることができたのだ。
頭を横に向けて彼女の様子をうかがってみると、なぜかシーツで全身を隠している。
そっぽを向いた顔が心なしか赤いのに気づいて、自分の身体を見てみると、やはり裸だった。
僕はうろたえた。
初めて会ったとき、僕を抱き上げたカリアの身体の感触を思い出す。
胸はそんなにないけど、温かくて、柔らかい感触は覚えている。
頭の中を、ものすごい勢いでいろんなことが駆け巡った。
……え? これ、もしかして冷え切った体を一糸まとわぬ身体で温めてもらったって奴? どうする? どうする? どうする! 僕、まだ彼女もいないのに、え? これって、もしかして!
落ち着かなくてはいけなかった。
僕は男だからだ。
12世紀はどうか知らないけど、少なくとも21世紀の日本ではこういうとき、男がしっかりリードするものらしい。
そこで、まずは精一杯低い声で答える。
「これも運命さ」
我ながら渋い、と合格点をつけた。
何があったかははっきりわからないけど、この雰囲気からすると、たぶんそういうことだ。
男なら、ちゃんと責任を取るべきだ。
そりゃ、何かしたわけじゃないけど、女の子にここまでさせたのだから、それなりに毅然とした態度を取らなくてはならない。
12世紀の今、十字軍と戦っているイスラム側の王、サラディンことサラーフ・ウッディーンのように。
彼は無辜の民を兵士が殺害した責任を取って素裸で砂漠を放浪し、神《フ・アッラー》の裁きを仰いだという。
僕もまた、カリアの言葉を待つため、再び天井を見つめて横になった。どんな言葉が返ってこようと、正面から受け止めるつもりだった。
思いっきり強がるかもしれない。僕の助けなどいらないというかもしれない。
もしかすると、逆に弱音を吐くかもしれない。どうあがいてもジョセフに勝つことはできないし、殺されるに決まっていると諦めるかもしれない。
いや、そう思えばむしろ、僕にすがるかもしれない。このアトランティスで、彼女の味方となってジョセフに抵抗しようとしているのは、僕ひとりなのだ。
そんな期待は、思い上がりかもしれない。瀕死の僕を見かねて身体を重ねはしたけど、それ自体が心の傷となったかもしれないのだ。そうでなくても、生理的に拒絶されてしまったら、全ての希望は失われる。
それでもいい。カリアが僕のために、素肌を許してくれたというだけで、僕は独りでも再びジョセフと戦える。
だが、どこまで思いつめても、カリアの反応は冷ややかだった。
「もう放っておいてほしいわ」
確かに、そう言われても仕方のない経緯が、僕と彼女の間にはある。そもそもジョセフに目をつけられたのは、僕の命を助けたからだ。
それを思うと、自嘲混じりにつぶやかないではいられなかった。
「そうだよな……まだ昨日のことなんだよな、あれ」
嫌われているんじゃないかとあれこれ思い悩む以前に、カリアの安全を考えたら、二度と会うべきではなかったのだ。
彼女が最後に言い残した通り。
「だけど……だけどさ、カリア」
僕は、毛布を掻き寄せて身体を隠す赤毛の少女を見つめた。
カリアも、ぼくをじっと見つめ返す。
「僕たち、また巡り合ったんだよ……たった1日で」
彼女は、「もう会う事もない」と僕に言った。それなのに、今、目の前にいる。
「これも、運命だと思うんだ」
キザな言い方だという気はしたけど、他にはもっといやらしい言い方しかなかったのだ。
チャンス……僕の立場で裏返せば、これが最後の手段だった。
結界を解き、ザグルーが操るイギリスのジョン王の艦隊をアトランティスに呼び寄せ、ジョセフの「白旗隊」を壊滅させるのは、今を措いて他にはない。
確かに、カリアが「結界の少女」だなどというウマい話はそうそうあるものではないだろう。だが今だけは、彼女がいれば僕でも歴史を動かすことができる条件が整っている。
僕は、力をこめて彼女に説いた。
「闘おう。逃げてばかりじゃいずれ追い詰められる」
これは半分、本音だった。
もう半分は……いいところを見せたかった。いつまでも、カリアに助けてもらうばかりでは男として情けない。
12世紀の今、十字軍を率いているイギリスの国王リチャード1世は、その勇敢さから後世、「獅子心王《ライオンハーティド》」と呼ばれた。
そこまでは及ばなくとも、僕も僕なりの「獅子の心」の下に戦いたかった。
カリアを守って。
しかし、その相手は僕たちの根本的な弱点を突いてきた。
「どうやって? あいつらに魔法は効かないのよ」
ジョセフが僕を追って再びこの小屋へとやってくるのは、時間の問題だった。発見されたら、もう逃げ場がない。
いますぐにでも結界を解きたいところだが、カリアひとりにそれを頼むことはできなかった。ジョセフの言ったことが本当なら、その反動でエネルギーの奔流が彼女を焼き尽くすだろう。
それでも、僕は勝算を示さなければならない。
「あるよ……勝つ方法は」
「いったい、どんな!」
口にしていいものかどうか、迷った。
定期的に来ては去っていく水平線の向こうで、監視の船は現れたり消えたりする。
チャンスは、それがやってきたときだ。
まず、ジョセフのもとに集う魔法使いが少ないうちに結界を解けば、ジョンが動く。ひとりでは死んでしまうが、多くの魔法使いが手を貸してくれれば、起こり得ないことではなかった。。
そうなれば、異父兄のフランスのフィリップ2世が呼応して、アトランティスを取りに動く。
弟とフランス王に組まれては、いやでもリチャードは十字軍遠征を止めて戻らざるを得ない。
そうなれば、フランスは背後からリチャードの攻撃を受けることになる。フランスの半分を支配しているのは母親のアリエノールだから、あっという間に侵入されてしまう。
そうなればアリエノールは思う存分、フィリップ2世に揺さぶりをかけられる。後ろ盾の足元がぐらついて、根性なしのジョンはすぐに母親へと寝返ることになる。
これが、「魔法史A」で予習した「第2次アトランティス戦争」の全貌だった。
こうなるという未来を告げれば、カリアを説得できる。
僕は肚を決めた。
現代へ帰れなくてもいい。二度も命を助けてくれたカリアを守るのは、僕だ。だから、ザグルーのかけたギアスを敢えて破ろう。
「実はカリア、僕……」
「来ないで!」
ベッドから降りようとすると、カリアが、しゃがみ込んだまま金切り声をあげて、シーツで覆われた背中を向けた。
結構、胸に突き刺さる声だった。
そこまで嫌われていたのかと内心落ち込んでいると、どこにあったのか、裾の長い衣と灰色のマントが頭上から降ってきた。
「これ……」
いかにも魔法使い、という服だった。
忘れていた。
ザグルーのときもそうだったが、「夢の通い路」で運ばれた先には、裸で放り出されるのだ。
カリアはいささか早口に、そして不愛想に言った。
「父さんの服。使っていいわ。」
そう言われると、かえって困る。
「そんな大事なもの……」
「来ないでって言ってるでしょう!」
そう怒鳴られて、歩み寄ろうとしたぼくの足が止まった。
カリアに嫌われるどころか、憎まれて当然なのだ。
ザグルーの手下で、ジョセフに寝返って、こそこそ逃げ帰ってきた上に、カリアに二度も助けられている。
やっぱり、僕は出ていくべきなのだ。
考えてみれば、結界が解けなくてもどうということはない。
ここで暮らせばいいのだ。
面倒くさい両親もいなければ、学校も試合もない。
だが、僕はカリアの力を借りてでも結界を解かなければならない、もうひとつの理由があった。
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