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邯鄲 その1
しおりを挟む「なんと、田畑から10倍の利益が得られるのですか。」
少年が驚きの声をあげたのを聞いて、呂不韋は出鼻をくじかれたなと思った。
呂不韋、中国は戦国時代において最も有名な商人である。
「奇貨居くべし」の故事は特に有名。
趙の都、邯鄲(メモ1)で人質として不遇をかこっていた秦の公子である異人を奇貨と呼び、
大金を投じて秦の後継者にのし上げ、自らも丞相として権勢をふるうことになる男である。
大金を投じるにあたり、呂不韋が父親に語ったプレゼンの内容が『戦国策』に残っている。
呂不韋「田畑を耕してどのくらいの利益が得られるでしょうか?」父「せいぜい10倍だな。」
呂不韋「珠玉(真珠)の売買では?」父「100倍にはなるだろう。」
呂不韋「もし一国の王を立てれば?」父「どのくらいになるか想像もつかん。」
呂不韋「趙で人質になっている秦の公子がおります。私はこの者を秦の王位につけたいのです。」
こうして父親の度肝を抜き、見事に事業計画の承認を得たのである。
異人のため、今まさに邯鄲で大金を方々にばらまいている最中であった。
呂不韋は目の前にいる少年を一瞬見つめた。
少年は呂不韋と同じ呂氏の一族である。
まだ幼少ではあるが、彼の父から、ぜひ商売の要諦を教えてほしいと頼まれていた。
そういった訳で呂不韋は少年と対面している。
自分の商売のやり方を教えるため、先のプレゼンの内容を語し始めたところであった。
だが、最初の田畑で10倍の利益が出ると話したところ、少年が声をあげたのである。
変なとこに喰いつかれてしまった、どうやら今回のプレゼンはうまく進みそうにないようだと呂不韋は思った。
しかし、この少年はなかなか好奇心が強く、面白そうでもある。
ならば少年の気が済むまで、とことん疑問に答えてやることにしよう。
その少年は米という作物について知らなかった。
南の楚にそういう作物があるということは聞いたことがあるらしい。
少年は魏の生まれである。今は単父(メモ2)に住んでいるが中原(メモ3)から出たことはない。
中原で作られている主な作物といえば小麦であるが、収穫といえばせいぜい3、4倍にしかならない。
それに比べ米という作物は10倍の収穫がある(メモ4)。
そう教えてやると、
「南の楚は未開の地と聞いたが、そんな作物があるのか」と少年は興味を持ったようであった。
呂不韋は続ける。
米は大量の水を必要とするため、中原では育てることはできない。
南の地は雨が多く、多くの民がこの作物を育てている。
だが、多雨により南の地は森が深くなり、また、大量の水の流れは容易に地形を変えてしまう。
このため、中原と違い灌漑や開拓が容易ではない。
未開の地が多いのはそのためであろう。
呂不韋がそう説明を終えると、少年は丁寧な説明について感謝を述べるとともに、
話の腰を折ってしまったことを謝罪した。
呂不韋は次の真珠の話に移った。
これにも丁寧な説明を加えて話をした。
真珠は東や南の海や河に住む貝の中から採れる。
南の河や海には貝が多く、住民はみな好んでこれをとって食べている(メモ5)。
そんな貝の中にはまれに珠玉が混じっているのだそうだ。
「なるほど南では水の中から宝石がでるのですか」と興味を持った一方で、
「ずいぶんと南との商売に力を入れていますね。」とも言った。
「楚は未開の地、リスクが高い分儲けも大きいのでしょうか。」少年は聞いた。
「まあ、そうだな」と呂不韋はそっけなく答えた。
呂不韋は話を続けるが、次の王を立てる話に至ってはもう少年にはもうよくわからないらしい。
あまりにスケールが大きくなりすぎたようだ。
「しかし、いきなり秦に行っても相手にされないでしょう。」と最もな疑問も口にする。
「いや、手段はあるのだ」と呂不韋は答えた。
華陽夫人という女性がいる。
今の秦の太子である安国君の寵姫である。
ただ、安国君との間に子供はいない。
安国君は他の夫人との間に20人以上の子供がいるが、まだ後継者は決まっていない。
このうち華陽夫人の養子となった者が後継者となるはずだ。
この華陽夫人に取り入り、異人を夫人の養子にさせるというのである。
少年は「ああ」と納得したように声を出した。
「確か華陽夫人は楚の人でしたね。」
と少年は言った。
呂不韋は一瞬間をおいたが、今度は笑みを浮かべた。
「聡いな。」
そう言うと話はここまでだというしぐさを少年にした。
「これ以上は相手が子供であってもしゃべれないのだよ。」
そういって腰を上げる。
呂不韋と少年のこの日の対面は終わった。
【メモ1】
現在の河北省南部にある都市。
この時代は趙国の首都。
【メモ2】
現在の山東省東部にある都市。
この時代は魏国と斉国の国境付近にある。
時期によって魏だったり斉だったりする。
【メモ3】
黄河流域とその周辺。中国北部。
【メモ4】
現在だと小麦の収穫倍率(小麦一粒蒔いた場合に得られる収穫量)は3、40倍程度あるらしいが、
これは品種改良の進んだ時代の話であって、中世欧州でも小麦の収穫倍率は4倍程度であったらしい。
なお、米の収穫倍率はすさまじく現代では100倍を超える。古代でも10倍程度はざらにあったらしい。
お米すごい。
【メモ5】
本邦はこの500年ほどのちの邪馬台国の時代になって、ようやく中国の魏帝国と国交を持つ。
当時の魏の記録によると、邪馬台国の人々は水に潜り、魚や貝をとることを好んだという。
大河や海に囲まれた南方の中国人も似たような感じではなかったのかと思う。
ちなみに珠玉とは真珠や宝石のことであるが、
邪馬台国の女王であった台与から中国への贈り物が真珠と翡翠だったらしい。
真珠すごい。
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