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邯鄲 その2
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少年は父に連れられ邯鄲を訪れた。
名前を呂文という。
父とともに単父に住んでいる。
単父はもともと宋の国が治めていたが、呂文が生まれて間もないころ、
魏・斉・楚の3国の連合軍が攻めてきて、宋は滅んでいる。
宋は春秋時代には襄公が一時覇者となったこともあったが、
戦国時代を通しては中原の一小国に過ぎなかった。
宋が滅びたあとは魏と斉それに楚が単父を奪い合っている。
都合上魏の生まれといっているが、自分がどこの国の生まれなのか自覚はない。
少年の父は商人であったので、それで構わなかった。
父は中原の諸国を廻ることが多いので、ひとところにいる方が少ない。
生まれた土地にそれほど愛着はなかった。
呂氏の一族にはとくに商人が多い。
かつて商王朝(殷)が周王朝に滅ぼされた際に、土地を失った商の人々が、
品物の売買をはじめて生計を立てたのが商人の語源と伝わっている。
そして周王朝成立後に商王朝の一族が封じられた国が宋であった。
宋国には商人が多く、呂氏の一族も多くのものが商人であった。
商人は身分も低く、卑しい職業とみなされることも多いのだが、
それがかつて滅んだ王朝の末裔とは眉唾物だとは思う。
商人には商人の誇りがあり、その誇りがこのような伝説を生んだのであろうか。
自分たちは卑しい者たちではない、かつては中華の中心に住んでいたのだと。
その一方で、呂文の先祖もかつては殷に住んでいたのであろうかと想像をめぐらせてしまうこともたびたびあった。
今回、邯鄲まで父についてきたのもかつての殷の都の近くを通るためというのも一つの理由であった。
呂文の一族の多くは中原の諸国に散らばっている。
そのうちの一人が邯鄲で商売をしている。
名を呂不韋という。
韓の生まれだが、諸国で商いをしたあと、今は邯鄲で店を開いていた。
一族の中ではかなり成功している。
一方でかなり危険な仕事でも請け負うため、一族の中でも眉を顰めるものも多い。
売れるものは何でも売ると豪語しており、宝石などの装飾品から土地や建物、何でも売っている。
噂では、奴隷や女子供、果ては身分や官位などの売買も仲介しているという。
この呂不韋に会うため、父は邯鄲へと足を運んでいる。
呂文の父は堅い商売をする人である。
疎遠にしている者も多い呂不韋となぜ親しいのかは一族の中では謎であった。
邯鄲は趙国の都である。
単父の北北西にある。距離は850里(340km)ほどであろうか。
単父から北上した後、黄河をわたり、しばらく東に進むとたどり着く(メモ1)。
最近ではその繁栄に陰りが見えているが、趙は中原一の強国である。
今も上党の地をめぐり、秦と対立している。
西の強国である秦と張り合える中原の国は少ない。
趙のほかには斉くらいだろうか。
呂不韋との話を終え、父のもとに戻ってきた呂文は米について父に尋ねてみた。
父は米という作物についてよく知っていた。
「淮河の南で採れる作物だ(メモ2)。」
と父が答えた。
呂文は父がすぐに答えたことが以外ではなかった。
単父ではつつましい暮らしをしていて、それほど金持ちには見えない父ではあるが、
実はそれなりの金を隠し持っている。
そのうちの少なくない金が呂不韋との取引で築いたものだということも呂文は知っていた。
楚に近い単父に住んでいる父のことである。当然、米や真珠の取引に噛むこともあるだろう。
米や真珠に知見があっても以外でもなんでもなかったのだ。
今回も邯鄲への訪問についても、何らかの依頼を受けるためだろう。
「淮河を渡って、実物を見たいか。」と父は聞いた。
呂文は中原の国はいくつか廻ったが、楚には行ったことがなかった。
見たいと呂文は答えた。
淮河は北に支流が何本か流れている。
そのうちのどれかに出て川を南へ下るのが良いだろう。と父は言った。
「それには単父から南に行って商丘にでるか、東に行って沛にでるかだな。」
両方とも淮河の支流に面した都市である。
単父からの距離は15から20里といったところであろうか(メモ3)。
そして、両方とも父が金を隠している場所であった。
都市の商店のいくつかを親族や父の友人が経営しているのだが、
そこに父の隠し財産が分散しておかれているのである。
真珠について聞くと、少し難しい顔をして答えた。
「長江まで出なければな」
真珠自体は貝から採れるので、海や川で見られるのでが、長江流域が一大産地である。
長江まで行くのは少し大変だな。もう少し大きくなってからでないとな。と父は言った。
(メモ1)
単父から直線距離で約250kmほど離れている。
だいたい東京から名古屋くらいまでの距離が近いかな。
なお、今は単父の近くを黄河が流れているが、
この時代は黄河は現在と違いもっと北を流れている。
(メモ2)
淮河は黄河と長江の中間あたりを流れている中国で3番目に大きい河。
古来より中国の南北の境になっている。
米は年間降水量が1000㎜を超える地域でしか生産できないが、淮河がちょうどその境界となる。
(ちなみに小麦の育成に必要な降水量は500㎜以上)
(メモ3)
単父から商丘までが直線距離で約60km
単父から沛までは直線距離で80km
だいたい東京から小田原くらいに近いか。
名前を呂文という。
父とともに単父に住んでいる。
単父はもともと宋の国が治めていたが、呂文が生まれて間もないころ、
魏・斉・楚の3国の連合軍が攻めてきて、宋は滅んでいる。
宋は春秋時代には襄公が一時覇者となったこともあったが、
戦国時代を通しては中原の一小国に過ぎなかった。
宋が滅びたあとは魏と斉それに楚が単父を奪い合っている。
都合上魏の生まれといっているが、自分がどこの国の生まれなのか自覚はない。
少年の父は商人であったので、それで構わなかった。
父は中原の諸国を廻ることが多いので、ひとところにいる方が少ない。
生まれた土地にそれほど愛着はなかった。
呂氏の一族にはとくに商人が多い。
かつて商王朝(殷)が周王朝に滅ぼされた際に、土地を失った商の人々が、
品物の売買をはじめて生計を立てたのが商人の語源と伝わっている。
そして周王朝成立後に商王朝の一族が封じられた国が宋であった。
宋国には商人が多く、呂氏の一族も多くのものが商人であった。
商人は身分も低く、卑しい職業とみなされることも多いのだが、
それがかつて滅んだ王朝の末裔とは眉唾物だとは思う。
商人には商人の誇りがあり、その誇りがこのような伝説を生んだのであろうか。
自分たちは卑しい者たちではない、かつては中華の中心に住んでいたのだと。
その一方で、呂文の先祖もかつては殷に住んでいたのであろうかと想像をめぐらせてしまうこともたびたびあった。
今回、邯鄲まで父についてきたのもかつての殷の都の近くを通るためというのも一つの理由であった。
呂文の一族の多くは中原の諸国に散らばっている。
そのうちの一人が邯鄲で商売をしている。
名を呂不韋という。
韓の生まれだが、諸国で商いをしたあと、今は邯鄲で店を開いていた。
一族の中ではかなり成功している。
一方でかなり危険な仕事でも請け負うため、一族の中でも眉を顰めるものも多い。
売れるものは何でも売ると豪語しており、宝石などの装飾品から土地や建物、何でも売っている。
噂では、奴隷や女子供、果ては身分や官位などの売買も仲介しているという。
この呂不韋に会うため、父は邯鄲へと足を運んでいる。
呂文の父は堅い商売をする人である。
疎遠にしている者も多い呂不韋となぜ親しいのかは一族の中では謎であった。
邯鄲は趙国の都である。
単父の北北西にある。距離は850里(340km)ほどであろうか。
単父から北上した後、黄河をわたり、しばらく東に進むとたどり着く(メモ1)。
最近ではその繁栄に陰りが見えているが、趙は中原一の強国である。
今も上党の地をめぐり、秦と対立している。
西の強国である秦と張り合える中原の国は少ない。
趙のほかには斉くらいだろうか。
呂不韋との話を終え、父のもとに戻ってきた呂文は米について父に尋ねてみた。
父は米という作物についてよく知っていた。
「淮河の南で採れる作物だ(メモ2)。」
と父が答えた。
呂文は父がすぐに答えたことが以外ではなかった。
単父ではつつましい暮らしをしていて、それほど金持ちには見えない父ではあるが、
実はそれなりの金を隠し持っている。
そのうちの少なくない金が呂不韋との取引で築いたものだということも呂文は知っていた。
楚に近い単父に住んでいる父のことである。当然、米や真珠の取引に噛むこともあるだろう。
米や真珠に知見があっても以外でもなんでもなかったのだ。
今回も邯鄲への訪問についても、何らかの依頼を受けるためだろう。
「淮河を渡って、実物を見たいか。」と父は聞いた。
呂文は中原の国はいくつか廻ったが、楚には行ったことがなかった。
見たいと呂文は答えた。
淮河は北に支流が何本か流れている。
そのうちのどれかに出て川を南へ下るのが良いだろう。と父は言った。
「それには単父から南に行って商丘にでるか、東に行って沛にでるかだな。」
両方とも淮河の支流に面した都市である。
単父からの距離は15から20里といったところであろうか(メモ3)。
そして、両方とも父が金を隠している場所であった。
都市の商店のいくつかを親族や父の友人が経営しているのだが、
そこに父の隠し財産が分散しておかれているのである。
真珠について聞くと、少し難しい顔をして答えた。
「長江まで出なければな」
真珠自体は貝から採れるので、海や川で見られるのでが、長江流域が一大産地である。
長江まで行くのは少し大変だな。もう少し大きくなってからでないとな。と父は言った。
(メモ1)
単父から直線距離で約250kmほど離れている。
だいたい東京から名古屋くらいまでの距離が近いかな。
なお、今は単父の近くを黄河が流れているが、
この時代は黄河は現在と違いもっと北を流れている。
(メモ2)
淮河は黄河と長江の中間あたりを流れている中国で3番目に大きい河。
古来より中国の南北の境になっている。
米は年間降水量が1000㎜を超える地域でしか生産できないが、淮河がちょうどその境界となる。
(ちなみに小麦の育成に必要な降水量は500㎜以上)
(メモ3)
単父から商丘までが直線距離で約60km
単父から沛までは直線距離で80km
だいたい東京から小田原くらいに近いか。
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