呂公伝 異聞「『奇貨』居くべし」

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邯鄲 包囲後

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秦軍による邯鄲の包囲は二年にわたった。

軍による長期の包囲で餓死者も出たという噂であった。

魏国や楚国も援軍を出したものの秦国との摩擦を恐れ、邯鄲に近づけずにいた。

しかし、趙国の貴族は財産を放出し、宮廷の夫人たち総出で働いた。

また民間側でも決死隊を募り、秦軍に突貫するなど邯鄲中の人々が必死に防衛に努めた。

最後には魏国の信陵君と楚国の春申君が立ちあがり、邯鄲の救援に向かうと、秦軍もやむなく邯鄲の包囲を解いた。

秦軍が撤兵したあと呂文親子は邯鄲へ向かった。

邯鄲に入るとそこはすでに活気を取り戻しつつあった。

表通りを見る限り、餓死者がでたようには見えない。

通りのどこからか楽器の音が聞こえてくる。

音楽は趙国や斉国など中原の東の諸国の人々は好む一方で、秦国では怠惰な文化とみなされている。

もし秦国に邯鄲が占領されていれば、自由に音楽を奏でることもかなわなかったであろう。

人々は平静を取り戻しつつあり、復興にいそしんでいる。

「上党が奪われたせいで西から木材が入ってこない。楚国からもっと運びこまなければ。」

趙姫様へ挨拶をと表通りを進む途中ではあるが、父は復興に向けて不足しているものはないかと商売に余念がない。

表通りからそれほど離れていない館に趙姫は住んでいる。

秦国による包囲で趙姫親子に対する趙国の人々からの風当たりは強い。

てっきりどこか邯鄲の奥で隠れるように暮らしているかと思っていたがそうではないようである。

よほど強力なコネがあるようだと呂文は感じた。

だが、趙国には親秦国派の要人が少なくないことを考えれば、それほど不思議ではない。

「目立たないところにいくとかえって危ないので。」と趙姫は言う。

3年ぶりに会う趙姫は相変わらず美しかった。

以前もまるで人形のようだと感じたが、より感情の表に出さなくなったように呂文は感じた。

一方で余裕が感じられるのはよほど信頼できる人の庇護を受けているからであろうか。

今後、少しずつですが呂氏は邯鄲での商売を回復させていきます、軌道に乗れば呂文に店を任せることもあるでしょう、と父は趙姫に挨拶をする。

呂文もあわてて挨拶をする。父から邯鄲の店を任せたいとの話は聞いていたが、まさか趙姫の前でいうとは思っていなかった。

赤ん坊の泣き声が聞こえ、趙姫が席を外す。

しばらくして趙姫は戻ってきたが、忙しそうだと思ったのか父は、何か御用があればなんでもお申し付けくださいと一礼すると退席しようとした。

しかし趙姫は引き留め、一つお願いしたいことがあると言った。


趙姫を訪ねた帰り道で呂文は父に話しかけた。

「邯鄲に取り残されたと聞いて心配しましたが、元気そうで何よりです。」

「監視も厳しいわけではなさそうですし、あれならばもうすぐ咸陽に逃れられるのではないでしょうか。」

しかし父は少し困ったような顔をして、

「今後も邯鄲から出るのは無理かもしれん。」

と言った。

とはいえ、と父は続けた。

「呂不韋にとって趙姫は大切な手札だからね。見放したりはしないさ。」

「それより今は邯鄲の商売を再開しないとな。」

呂文は言っていることの詳細がよくわからなかったが同意した。

都市の民衆は活気があり、急速に復旧しているし、なにより趙姫が邯鄲にとどまってくれるのもうれしかった。

ただ、気になるのは趙の宮廷である。

呂文の心配通り、危機が去るとすぐにごたごたが始まった。

孝成王の太子である公子の偃が新しく倡姫という女性を娶ったのだが、公子偃はこの倡姫を寵愛し、世継ぎと決めていた長男の趙嘉にかわり倡姫との間に生まれた男子を新たな世継ぎとした。

ただ、臣下の中には趙嘉を推す者の数も少なくなく対立が尾を引いている。

趙国の先行きは暗いかもしれないと呂文は感じている。

趙国の内輪もめにつけこみ、再び秦国が邯鄲に手を伸ばしてくるかもしれない。

そうなったら趙国の朝廷は趙姫をどうするのか、あるいは秦兵によって咸陽に連れ去られてしまうのか。

どこか秦国を抑え込んでくれる勢力はないかというのが呂文の思いであった。


さらに翌年になり、邯鄲での商売がある程度軌道に乗ったので、父が約束通り南への旅を許可してくれた。

世間はというと趙国は平静を取り戻しつつあった。

趙軍の一部が攻勢に出て、秦軍を破るなど軍の再興も進んでいる。

だが、秦国は中原に対する圧力を強めている。

今年に入っては周王室を滅ぼしている。

もはや形骸化していた王室ではあったがそれでも周王が咸陽に連れ去られ、長年にわたり栄えた王畿が占領されたことは衝撃であった。

もはや一国で正面から秦国に張り合える国はない。

なんとか各国が連携して秦国を抑えてくれればよいのだが、と呂文は南への旅の途中で休憩をとりながら思っていた。
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