呂公伝 異聞「『奇貨』居くべし」

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単父 帰路

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「少年、君もいつか君の『奇貨』を見つけると良い。」

翌日、別れ際に呂不韋にそう言われ、呂文は父とともに単父に向って出発した。

帰路の途中、黄河を渡ったあたりで急にあわただしくなった。

単父へ急ぐと父は言った。

南に向かいながら、道中のうわさや父の話を聞くと状況が次第にわかってきた。

上党をめぐって秦と趙は争っていたが、ついに長平で両軍が激突するに至ったらしい。

その決戦で趙が負けたということであった。

全滅という話も聞こえてきたが、まさかと父は言った。

秦軍は強いとはいえ、趙の兵とて弱兵ではない。

10年ほど前には閼与で秦軍を破っているではないか。


だが、単父に戻った後、状況がはっきりしてきた。

趙軍は長平で壊滅的な敗北を喫したというのである。

更迭された廉頗将軍に変わり趙括という若い将軍が指揮を執ることになったのであるが、この若い将軍は指揮を執るや否や全面攻勢に打って出た。

この攻勢はすさまじく、何里にもわたり秦軍を後退させた。

しかし、これが罠であった。

戦場に見えなかった白起将軍はひそかに長平に戻っており、指揮を執っていた。

長平に不在と見せかけていたのは自分がいると趙軍は攻勢に出るのをためらうと思ったからである。

秦軍は防衛に努めていたが、ひそかに別動隊を趙軍の背後に送り、退路を遮断、趙軍は孤立することになった。

孤立した趙軍はそれでも長期にわたり粘ったが、やがて食糧も尽きた。

食料が尽きる寸前、趙括将軍はまだ余力のある少数の精鋭と秦軍の陣地に突撃し戦死した。

そして残った趙軍は秦軍に降伏したのである。

しかも降伏した趙軍の将兵20万を秦の白起将軍はことごとく殺したというのである。

呂文はいくら何でも誇張しているに違いないと思ったが、多くの兵が長平で死んだのは事実のようであった。


さらに指揮を執っていた趙括将軍の評価も加わる。

趙括将軍は名将と名高い趙奢将軍の息子である。兵法に通じ、父である趙奢将軍を何度も論破したという。

だが、兵法に通じているといわれていたのは机上のみ、実際は無能であり、名将と名高い父の趙奢将軍は生前、彼に軍を指揮させることに懸念を抱いていた、

廉頗将軍との刎頸の交わりで名高い重臣の藺相如も、趙王に彼を将軍にすることに反対していた、

とのことである。

しかし、もともと攻勢の命令を出したのは趙国の朝廷のはずと呂文は思った。

趙括将軍のみにこの責任を負わせば済む問題でもないだろう。

たしか趙括将軍の父の趙奢将軍が戦った閼与の戦いもショウ河の上流で行われている。

戦いの勝者である趙奢将軍の息子として、ショウ河流域の問題に関しては常に頭にあったに違いないし、趙奢将軍亡き後は自分がこの問題の第一人者であるとの自負もあったであろう。

当然、それなりに勝つ準備もしたであろうし、事実秦軍は趙軍と正面からぶつかるのを避けているではないか。

(趙軍との正面衝突を避けるだろうとの父の予測の一部は当たっていた。)

これから秦軍の攻勢に耐えなければならない趙国にとって、死人に全責任を追わせることで状況が良い方向に向かうとはとても思えなかった。

趙国の朝廷はこの先ごたごたするかもしれない。


「秦軍は侵攻を停止したようだ。」と父は言った。

邯鄲に迫るかにみえた秦軍だが、突如趙国と和議を結んだ。

さすがに消耗が激しいのだろう、趙軍と戦って無傷で済むわけがないからね、と父は安堵したようであった。

「もうすぐ異人様は正式に安国君の跡継ぎに指定される。」

「趙姫という女性も無事異人様に嫁いだようだ。」

趙姫の嫁いだと聞いて呂文はなぜかわからないがひどく動揺した。

「趙姫様の嫁ぎ先は異人様だったのですか。」どぎまぎしながら呂文は聞く。

「そうだ。」と父は答えたが、その直後

「華陽夫人は激怒しているかもしれんな。」と一言付け加えた。

呂文には何のことかわからなかったが、父のつぶやきは続く、

「呂不韋も邯鄲から逃げずに済んだな。」

まずは安泰だ、と父は言う。


だが話はうまくいかない。翌年になり、秦軍が再度侵攻を開始し邯鄲を包囲した。

趙国では邯鄲の守りを固めるとともに人質であった異人の処刑が決定された。

驚いた異人は呂不韋の手引きによって、何とか邯鄲から脱出、秦国へ落ち延びた。

だが、趙姫は邯鄲から出られなかった。

さらに趙姫は異人との間に生まれたばかりの子供がいたのだが、この母子は邯鄲に置き去りにされたのである。

それを聞いて驚いた呂文に父は言う。

「魏国と楚国が救援を出すようだ。これで邯鄲は落ちまい。」

「秦軍の包囲が解かれれば、すぐに邯鄲に入る。呂不韋の仕事はこちらで引き取ることになっている。」

「呂文も用意しておけ。」

父に言われ、呂文はうなずく。

呂文が趙姫様は大丈夫だろうかと考えていると、

「この仕事が終われば、一度南へ行くと良い。米や真珠を見てみたいのだろう。」

と父が言った。
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