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邯鄲 その4
しおりを挟む「長老どもは何としてでも秦に食い込みたいらしい。」と父が言う。
困った老人どもだ、と呂不韋は愚痴を言いながら、父に話す
「こちらも順調だ。異人は趙の社交界でも派手に交わっている。」
「いくつかお偉いさんとのコネもできて私も助かっているよ。」
「異人は問題なさそうか。」と父は聞いた。
「少し軽薄なところもあるが、異人は悪い男じゃない。私の話を信じきっている。」
「本人も良い王になりたいと本気で思っているようだ。」
「王になれば、私を丞相にしてやるんだそうだ。」
と呂不韋はつづけた。
「今の話は長老たちには言わない方がよさそうだな。一族から権力者が出るとなれば許されないだろう。」
と父は言と、呂不韋は返す。
「まあ、そうだろうな。老人どもの困惑する顔が見れれば面白いが、今はまだ早い。」
呂氏一族の商売の現状に呂不韋なりに不満があるらしい。
「今の呂氏のやり方ではいけない。このまま話を進めても華陽夫人の御用聞きがせいぜいだろう。」
「秦に入り込んだところで、今まで通り品物を収めるだけでは先が見えている。」
秦国では法が厳しいうえに商人の地位は著しく低い。
「これからは品物の売買だけでなく、国の権力に入りこまないと。」
と愚痴まじりに話を続ける。
「秦だけじゃない、他の国も権力を中央に集中しようと必死だ。」
「もっとも趙は失敗したがね。」
趙国に比べて、と呂不韋は続ける。
「秦は各国から有能な人が集まっている。『人』の価値を知っているのさ。」
まあそれはともかく、と言い呂不韋は話題を変えた。
「異人のほうは順調だが、喫緊の問題は上党だな。」
呂不韋の顔が少し暗くなる。
上党郡は韓国の北部一帯である。
秦国からの攻勢により、韓国は多くの土地を失い、国土が分断されてしまっている。
そのせいで上党も孤立してしまったのであるが、この土地をどうするかで各国の思惑が錯綜している。
韓国としては上党を譲渡して秦国と和議を結ぼうとの方針であった。
しかし、上党の住民たちが秦国に不信感を持っており、趙国に助けてほしいと訴えたのである。
趙国の朝廷では意見が真っ二つに割れたが、結局上党に兵を送った。
これに秦国は怒り出兵、両軍は長平というところでぶつかった。
秦国の兵は強く、趙国側は守勢となった。
趙国の将軍廉頗はまともにぶつかってはまずいと守りを固めて持久戦に持ち込んでいる。
「状況はあまりよくないよ。」と呂不韋は言う。
「そんなに良くないのか?」と父は返した。
「廉頗将軍は秦軍を抑え込んでるらしいじゃないか。」
父はそう言ったが、呂不韋は首を振って話を進める。
「皆聞こえの良いことしか聞こうとしない。」
「秦と趙の力の差は明らかだ。趙は上党に首を突っ込むべきじゃなかった。」
「今更だな。」と父は呂不韋に返す。
中国の東部を太行山脈が南北に走っている。
現在の中国では山西省と河北省、河南省の境となっている。
古来より中国の東西の文化の境界であった。
この山脈の東側の扇状地に邯鄲は位置している。
太行山脈の反対側、西に越えたところにあるのが上党郡である。
さらにショウ(さんずいに章)河という河がこの太行山脈の中央部を東西に貫き邯鄲の近くを流れているのだが、
このショウ河の上流の一部も上党郡に含まれる。
ショウ河上流域に秦国が進出してれば、当然下流にある邯鄲の防衛も危うくなる。
趙国としてはそういった事態は何としても避けたいはずである。
今はこの上党郡の南にある長平に堅固な防衛線を構築し、ショウ河流域への秦国の侵入を何とか防いでいる。
両軍はこの防衛線の各所で小競り合いを続け、かれこれ2年ほどになる。
呂不韋は話を継ぐ。
「たしかに今更だ。しかし、趙軍はもう持ちそうにない。」
2年もの長きにわたる戦争に趙国の負担は限界に近い。
早く戦争の決着をつけなければ、長平が防衛線が滅ぶ前に趙国の財政が破綻してしまう。
「趙の宮廷では廉頗将軍を更迭する方向で話が進んでいる。」
「確かな情報か?」と父が聞く。
「確かだ。」と呂不韋。
「例の趙の宮中に送り込んだという女性からか?」
と父がさらに聞くと、呂不韋は答える。
「それもあるが、ほかにも情報源はある。」
「複数から同じ話を聞いた。まず、間違いない。」
「代わりの将軍を派遣するらしい。趙国は攻勢に転じる。断言しても良いが、この攻勢は失敗する。」
「状況によっては邯鄲も危なくなるかもしれない。」
さすがにそこまでは、と父は言うが、呂不韋は首を横に振る。
「いや、気になる情報がある。長平に白起将軍の姿が見えないらしい。」
白起将軍は戦えばどの国の将軍も歯が立たない、秦国随一の将軍である。
趙国だけでなく、韓国や魏国、楚国に連戦連勝、無敵の天才兵家として諸国を震え上がらせている。
白起が長平に不在と聞いて父は言う。
「白起将軍がひそかに趙本国を狙っているというのかね。そういわれると、ないとは言えないな。」
「長平の戦場は今や完全に硬直してしまっている。長平で趙軍の攻勢をかわし、逆に趙本国を狙い一気に現状を打破するという考えはあり得るな。」
自分で自分の頭の中を整理するように話をする父に呂不韋は言う。
「もしそうなれば異人も私も危ない。最悪邯鄲からは逃亡となるが、後の商売のことはお願いしたい。」
「できる限りのことはするさ。」と父は返した。
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