殺意に落ちて

豆狸

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第一話 先生

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 息が苦しい。
 私は深呼吸をしようとしました。
 興奮しているのが一番良くないのです。落ち着いて、ゆっくり息をして……

「大丈夫ですか、お嬢様」

 幼いころから仕えてくれている姉のような侍女が、そっと背中を擦ってくれます。

「ありがとう、落ち着いてきました」

 母を亡くしてすぐに発病してからというもの、ほとんど寝台から離れられない暮らしだったのが、この国の貴族子女が通う学園へ行けるようにまでなったのです。
 大丈夫だと侍女に告げようとして、燃え上がるように眼球が熱くなったのがわかりました。
 初めて行った学園で見た光景が、聞いた言葉が脳裏に蘇ってしまったのです。溢れ出る涙を止めることが出来ません。

「お嬢様……」

 泣いてはいけません。
 健康な人が泣いても体がボロボロになってしまうのに、私のように病状が回復したばかりでこれからも治療が必要な人間が泣いたら体調を崩してしまいます。
 ああ、息が苦しいだけだったのに、心臓までがおかしく……

 そのとき、激しく部屋の扉を叩く音がしました。

「……ロッテ嬢が体調を崩したと聞いたのですが……」
「「先生っ!」」

 私と侍女の声が重なりました。
 現金なもので、先生の優しい声を聞いただけで涙が止まりました。
 呼吸は乱れていますし心臓の動悸も不規則ですが、先生が来たのなら大丈夫です。

 私は侍女に視線で合図して、部屋の扉を開けてもらいました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 先生は十七歳の私よりみっつ年上で、新進気鋭のお医者様です。
 十五歳で医師資格を取得した天才として有名でした。
 けれど心臓病の治療にとある毒を加工した薬を使うという発想を認めたのは、下位貴族でありながら商才に優れ、高位貴族をも凌ぐ財産を築き上げた私の父だけでした。正直なところ、私も最初に薬を飲んだときは死を覚悟していました。

「落ち着いて来たようですね」

 せっかく回復して来たのに薬に依存していたのでは良くないと、部屋に入ってきた先生は私と会話することで落ち着かせてくださいました。
 初めて出会ったときは仮面のようだと感じた先生の整った美貌は、今は見るだけで私を安心させてくれます。
 往診の日でもないのに先生が来てくださったのは、頼りになる侍女が下働きの子どもに先生を呼んでくるように頼んでくれたからです。

「……今日は初めて学園へ行ったのですよね? なにか、あったのですか?」

 水晶のように澄んだ先生の瞳が私を映します。
 透明の水晶のように色の薄い先生の瞳は、よく見ると淡い青です。
 私は胸を押さえて俯きました。

「話したくないのなら、無理に話すことはありませんよ」

 私は先生の声を優しいと思うのですが、侍女は違う意見です。
 先生の声は艶やかで色っぽいというのです。
 侍女が先生を好きだからそう聞こえるのではないかと言うと、我が家の料理人と恋仲の侍女は苦笑しました。侍女は料理人の低くて重い声のほうが好きなのだそうです。

 私は、私の好きな声は……私は先生の言葉に首を横に振って答えました。

「くだらない……本当にくだらない話なのですけれど、聞いてくださいますか?」
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