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第三話 絶望
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希望なんて抱かなければ良かった……
私の願いに首を横に振る殿下の姿に、私は絶望の底へと叩き落されました。
二年も過ごしたのです。別邸の暮らしにも慣れました。公爵邸の以前の使用人達の行方は気になりますが、伯爵夫人のような優しい方もいらっしゃいます。
泣いてもお母様は戻って来てくれません。
王太子の婚約者である私は、辺境伯である伯父様のところへ逃げることは出来ません。
そんなことをしたら準王族の誘拐罪で辺境伯家が罰せられてしまいます。どれだけ手紙を出しても返事がいただけなくても、そもそも私の手紙は父や後妻に握り潰されているだろうことを察していても、伯父様達が幸せに暮らしていらっしゃるのだと考えるだけで私も幸せな気持ちになれます。
希望さえ抱かなければ、今の状況に絶望することなどなかったのです。
このまま死んだとしても、お母様のところへ行けるのですもの。
なにも悲しむことなどありません。
なのに!……どうして希望を抱いてしまったのでしょう。どうして殿下は私に希望を抱かせたのでしょうか。
絶望の底はどこまでも深く、いつまでも終わりが見えません。
私は声が震えないように気をつけながら、殿下に謝罪いたしました。
今の殿下は私を認識していらっしゃいます。この状態で不敬を働けば辺境伯家まで害が及ぶかもしれません。公爵家は大丈夫でしょう、殿下は異母妹に夢中でいらっしゃいますもの。
「さようですか。我が儘を申し上げてすみませんでした」
「いや、私のほうこそ願いを叶えられなくて悪かった。ほかに願いはないか?」
私はご遠慮いたしました。
だって殿下はお母様を生き返らせられないではないですか。
私を婚約者として愛してはくださらないし、公爵家から解放してもくださらないではありませんか。
シェーヌのいないふたりきりのお茶会は、そのまま盛り上がらずに終わりました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
案の定、その日の夕食は運ばれて来ませんでした。
嫌がらせのつもりか、就寝する時間になるとシェーヌ付きの侍女がやって来て、別邸の扉や外壁を殴って大きな音を立て始めました。
楽しくはありませんけれど、あまり騒いでいると私が苦しむ前に自分達が公爵夫人に怒られるだけでしょう。そうなってもシェーヌが庇いもしないことは予想出来ます。
やがて、音が止み室外にあった人間の気配が消えました。
騒音が響いていようといまいと、私は絶望に沈んだままです。
もしかしたら私は、愚かにもアンドレ王太子殿下に恋をしていたのかもしれません。私を苦しみから救ってくれる人だと期待していたのかもしれません。シェーヌに向けているような笑顔を私にも向けてくれる日が来ると夢見ていたのかもしれません。
なんて莫迦なのでしょう!
別邸は小さな建物なのですが、二階があります。
私はいつも二階で寝ています。
でも今夜は一階にいました。ネズミのように厨房を漁っているのではありません。漁っても食べ物など置いていないのです。
空っぽの厨房の裏口を開けて外へ出ます。
逃げ出すだけならいつでも出来ました。
巻き込まれる人間のことを考えたら出来なかっただけです。でもお母様や私を尊重してくれていた使用人達の姿は見かけなくなりましたし、一度はここへ戻ってくるつもりなので伯父様達にご迷惑をかけることもないはずです。
そのまま逃げても人攫いに遭うだけです。
シェーヌやその母親のように殿方を魅了する美貌を持っていなくても、貴族令嬢だというだけで売値は上がるのだと聞いています。
愛人親娘が来たばかりのころ、私の心を折るために口にしていたのです。もっとも私を売るのではなく、逆らうと下位貴族家出身だった私付きの侍女を売るぞと脅されたのですけれど。
侍女には売られる前に自主退職してもらいました。
それから私に侍女はいません。
私は雑巾にしても惜しくないくらい傷んだ古いドレスに、裏口付近の地面から取った泥をなすりつけました。顔にもです。目的を果たすまでは攫われるわけにはいきません。
とはいえ、あまりに汚れた姿で貴族街を歩いていたら、不審者として衛兵に捕まってしまうかもしれません。
私は汚し作業をほどほどでやめました。
別邸は裏庭にあるので、本館からは見えません。裏庭の塀によじ登って路地へ出ます。二階の窓から塀の上に飛び乗ったほうが楽だったかもしれません。
路地に降りた私は、心の底から湧き出るなにかに押されるようにして走り出しました。
絶望から逃げたかったのかもしれません。
残念ながら絶望は、私の心の奥にあるのですけれど。
私はお母様が生きていらしたときに何度か訪ねたことのある王都の辺境伯邸へ向けて、夜の貴族街を走りました。大嫌いな夏の熱気が私を包んでいました。
私の願いに首を横に振る殿下の姿に、私は絶望の底へと叩き落されました。
二年も過ごしたのです。別邸の暮らしにも慣れました。公爵邸の以前の使用人達の行方は気になりますが、伯爵夫人のような優しい方もいらっしゃいます。
泣いてもお母様は戻って来てくれません。
王太子の婚約者である私は、辺境伯である伯父様のところへ逃げることは出来ません。
そんなことをしたら準王族の誘拐罪で辺境伯家が罰せられてしまいます。どれだけ手紙を出しても返事がいただけなくても、そもそも私の手紙は父や後妻に握り潰されているだろうことを察していても、伯父様達が幸せに暮らしていらっしゃるのだと考えるだけで私も幸せな気持ちになれます。
希望さえ抱かなければ、今の状況に絶望することなどなかったのです。
このまま死んだとしても、お母様のところへ行けるのですもの。
なにも悲しむことなどありません。
なのに!……どうして希望を抱いてしまったのでしょう。どうして殿下は私に希望を抱かせたのでしょうか。
絶望の底はどこまでも深く、いつまでも終わりが見えません。
私は声が震えないように気をつけながら、殿下に謝罪いたしました。
今の殿下は私を認識していらっしゃいます。この状態で不敬を働けば辺境伯家まで害が及ぶかもしれません。公爵家は大丈夫でしょう、殿下は異母妹に夢中でいらっしゃいますもの。
「さようですか。我が儘を申し上げてすみませんでした」
「いや、私のほうこそ願いを叶えられなくて悪かった。ほかに願いはないか?」
私はご遠慮いたしました。
だって殿下はお母様を生き返らせられないではないですか。
私を婚約者として愛してはくださらないし、公爵家から解放してもくださらないではありませんか。
シェーヌのいないふたりきりのお茶会は、そのまま盛り上がらずに終わりました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
案の定、その日の夕食は運ばれて来ませんでした。
嫌がらせのつもりか、就寝する時間になるとシェーヌ付きの侍女がやって来て、別邸の扉や外壁を殴って大きな音を立て始めました。
楽しくはありませんけれど、あまり騒いでいると私が苦しむ前に自分達が公爵夫人に怒られるだけでしょう。そうなってもシェーヌが庇いもしないことは予想出来ます。
やがて、音が止み室外にあった人間の気配が消えました。
騒音が響いていようといまいと、私は絶望に沈んだままです。
もしかしたら私は、愚かにもアンドレ王太子殿下に恋をしていたのかもしれません。私を苦しみから救ってくれる人だと期待していたのかもしれません。シェーヌに向けているような笑顔を私にも向けてくれる日が来ると夢見ていたのかもしれません。
なんて莫迦なのでしょう!
別邸は小さな建物なのですが、二階があります。
私はいつも二階で寝ています。
でも今夜は一階にいました。ネズミのように厨房を漁っているのではありません。漁っても食べ物など置いていないのです。
空っぽの厨房の裏口を開けて外へ出ます。
逃げ出すだけならいつでも出来ました。
巻き込まれる人間のことを考えたら出来なかっただけです。でもお母様や私を尊重してくれていた使用人達の姿は見かけなくなりましたし、一度はここへ戻ってくるつもりなので伯父様達にご迷惑をかけることもないはずです。
そのまま逃げても人攫いに遭うだけです。
シェーヌやその母親のように殿方を魅了する美貌を持っていなくても、貴族令嬢だというだけで売値は上がるのだと聞いています。
愛人親娘が来たばかりのころ、私の心を折るために口にしていたのです。もっとも私を売るのではなく、逆らうと下位貴族家出身だった私付きの侍女を売るぞと脅されたのですけれど。
侍女には売られる前に自主退職してもらいました。
それから私に侍女はいません。
私は雑巾にしても惜しくないくらい傷んだ古いドレスに、裏口付近の地面から取った泥をなすりつけました。顔にもです。目的を果たすまでは攫われるわけにはいきません。
とはいえ、あまりに汚れた姿で貴族街を歩いていたら、不審者として衛兵に捕まってしまうかもしれません。
私は汚し作業をほどほどでやめました。
別邸は裏庭にあるので、本館からは見えません。裏庭の塀によじ登って路地へ出ます。二階の窓から塀の上に飛び乗ったほうが楽だったかもしれません。
路地に降りた私は、心の底から湧き出るなにかに押されるようにして走り出しました。
絶望から逃げたかったのかもしれません。
残念ながら絶望は、私の心の奥にあるのですけれど。
私はお母様が生きていらしたときに何度か訪ねたことのある王都の辺境伯邸へ向けて、夜の貴族街を走りました。大嫌いな夏の熱気が私を包んでいました。
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