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第一話 忘れられた私
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私は忘れられてしまいました。
もうだれも私の存在を認識していません。
だから、ここに私がいるというのに、あんなことを平気で言うのでしょう。
「カテーナ様とオズワルド様は、お互いに初恋同士だというお話よ」
「まあ! だからあんなに仲睦まじくていらっしゃるのね」
「ふたつの国を跨いで結ばれる初恋だなんて、物語のようですわね」
そこまで話したところで私に気づいたのか、憐れむような視線が向けられました。
どうやら私は忘れられたわけではなかったようです。
本当にだれからも忘れられてしまったのなら良かったのに。
私を憐れむ視線には、微かな嘲りも含まれています。
婚約者に相手をされていない貴族令嬢、お茶会でひとりきりの貴族令嬢、貴族子女が通う学園への登下校の馬車でさえ婚約者に乗せてもらえない貴族令嬢──
それが私、フォルミーカ伯爵令嬢アンジェラなのですから。
完全な政略による婚約なら、割り切ることも出来たでしょう。
ですが、私にとっても婚約者のクレックス伯爵令息オズワルド様は初恋の方でした。
幼いころ、体調を崩した母と行った避暑地の森で、私を野犬から助けてくださったのが彼なのです。
あのときの私は貴族令嬢らしからぬ格好をしていたのですが、再会したときの彼は覚えていてくださいました。
留学生のカテーナ様──隣国プーパ王国の王女でらっしゃる彼女も、どこかでオズワルド様に助けていただいたのだと聞いています。
彼女が私と同じように彼に恋したのは当然のことでしょう。
朝の騒がしい教室で、扉の開く音がやけにはっきりと耳朶を打ちました。
理由は明白です。
扉を開けて入って来たのはオズワルド様だったのです。足音なのか息遣いなのか、わかりませんが私には、彼が近くに来たことがわかるのです。
オズワルド様の視線が教室を彷徨って、私の瞳を見つけた瞬間、
「オズワルド! 今日のお昼はなんにする?」
「そうですね。カテーナ様と食べることが出来るのなら、なんでも美味しいと思いますよ」
「嬉しいわ! アタクシもよ!」
隣で腕を組んでいたカテーナ様が声を上げて、彼の視線は私から離れました。
オズワルド様の視線を奪ったカテーナ様は、幸せそうに微笑みます。
私は心臓が握り潰されたような気分になって俯きました。
カテーナ様が我がパピリオー王国の学園に留学なさっているのは縁談のためです。
お相手は、私という婚約者がいるオズワルド様ではありません。
たとえ互いが初恋の相手同士だとしても、ふたりが結ばれることはないのです。
むしろカテーナ様に縁談があることを思えば、婚約者のいるオズワルド様と親しくしていること自体が問題になります。
問題になれば、オズワルド様はもちろん彼の実家のクレックス伯爵家にも累が及ぶことでしょう。
カテーナ様が留学してきた最初のころに、そう告げてオズワルド様を窘めたこともあったのですが、伯爵子息の身では隣国の王女殿下に逆らうことは出来ないと悲しそうな顔で言われて、それ以上話をすることは出来ませんでした。
彼女と一緒にいる彼が楽し気に見えるのは、私が嫉妬しているからなのでしょう。
カテーナ様の縁談のお相手は、王国北の辺境にお住いのルプス大公殿下だという噂です。
魔獣の蔓延る辺境での魔獣の間引きの季節が終われば、大公殿下は王都の社交界に顔を出されるようになるはずです。
そうしたら……
そうしたら、今の状況も少しは変わるはずです。
それまではだれからも忘れられていたい、私自身が自分の存在を忘れてしまいたいと思うのに、授業が始まって、ふと振り向いた少し前の席のオズワルド様に笑みを向けられると、私は彼を想う心を蘇らせてしまいました。
どうしても忘れることの出来ない胸の鼓動が、彼を想う気持ちが、今日も鳴り響いて、彼の隣にいることの出来ない悲しみを思い起こさせるのです。
もうだれも私の存在を認識していません。
だから、ここに私がいるというのに、あんなことを平気で言うのでしょう。
「カテーナ様とオズワルド様は、お互いに初恋同士だというお話よ」
「まあ! だからあんなに仲睦まじくていらっしゃるのね」
「ふたつの国を跨いで結ばれる初恋だなんて、物語のようですわね」
そこまで話したところで私に気づいたのか、憐れむような視線が向けられました。
どうやら私は忘れられたわけではなかったようです。
本当にだれからも忘れられてしまったのなら良かったのに。
私を憐れむ視線には、微かな嘲りも含まれています。
婚約者に相手をされていない貴族令嬢、お茶会でひとりきりの貴族令嬢、貴族子女が通う学園への登下校の馬車でさえ婚約者に乗せてもらえない貴族令嬢──
それが私、フォルミーカ伯爵令嬢アンジェラなのですから。
完全な政略による婚約なら、割り切ることも出来たでしょう。
ですが、私にとっても婚約者のクレックス伯爵令息オズワルド様は初恋の方でした。
幼いころ、体調を崩した母と行った避暑地の森で、私を野犬から助けてくださったのが彼なのです。
あのときの私は貴族令嬢らしからぬ格好をしていたのですが、再会したときの彼は覚えていてくださいました。
留学生のカテーナ様──隣国プーパ王国の王女でらっしゃる彼女も、どこかでオズワルド様に助けていただいたのだと聞いています。
彼女が私と同じように彼に恋したのは当然のことでしょう。
朝の騒がしい教室で、扉の開く音がやけにはっきりと耳朶を打ちました。
理由は明白です。
扉を開けて入って来たのはオズワルド様だったのです。足音なのか息遣いなのか、わかりませんが私には、彼が近くに来たことがわかるのです。
オズワルド様の視線が教室を彷徨って、私の瞳を見つけた瞬間、
「オズワルド! 今日のお昼はなんにする?」
「そうですね。カテーナ様と食べることが出来るのなら、なんでも美味しいと思いますよ」
「嬉しいわ! アタクシもよ!」
隣で腕を組んでいたカテーナ様が声を上げて、彼の視線は私から離れました。
オズワルド様の視線を奪ったカテーナ様は、幸せそうに微笑みます。
私は心臓が握り潰されたような気分になって俯きました。
カテーナ様が我がパピリオー王国の学園に留学なさっているのは縁談のためです。
お相手は、私という婚約者がいるオズワルド様ではありません。
たとえ互いが初恋の相手同士だとしても、ふたりが結ばれることはないのです。
むしろカテーナ様に縁談があることを思えば、婚約者のいるオズワルド様と親しくしていること自体が問題になります。
問題になれば、オズワルド様はもちろん彼の実家のクレックス伯爵家にも累が及ぶことでしょう。
カテーナ様が留学してきた最初のころに、そう告げてオズワルド様を窘めたこともあったのですが、伯爵子息の身では隣国の王女殿下に逆らうことは出来ないと悲しそうな顔で言われて、それ以上話をすることは出来ませんでした。
彼女と一緒にいる彼が楽し気に見えるのは、私が嫉妬しているからなのでしょう。
カテーナ様の縁談のお相手は、王国北の辺境にお住いのルプス大公殿下だという噂です。
魔獣の蔓延る辺境での魔獣の間引きの季節が終われば、大公殿下は王都の社交界に顔を出されるようになるはずです。
そうしたら……
そうしたら、今の状況も少しは変わるはずです。
それまではだれからも忘れられていたい、私自身が自分の存在を忘れてしまいたいと思うのに、授業が始まって、ふと振り向いた少し前の席のオズワルド様に笑みを向けられると、私は彼を想う心を蘇らせてしまいました。
どうしても忘れることの出来ない胸の鼓動が、彼を想う気持ちが、今日も鳴り響いて、彼の隣にいることの出来ない悲しみを思い起こさせるのです。
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