恋という名の呪いのように

豆狸

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第二話 十歳の私

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 クレックス伯爵令息のオズワルド様と出会ったのは、十歳の避暑地でのことでした。
 出会ったといってもお互いに自己紹介などしませんでした。
 そもそも、そのときの私は貴族令嬢とは言い難い格好をしていたのです。

 避暑地を訪れる直前の十歳の春、私は父を亡くしていました。
 父はフォルミーカ伯爵ではありません。
 女伯爵である母が、パピリオー王国でも有数の大商会のあるじであった父を婿に迎えたのです。

 もちろん政治的な事情や金銭的な取り引きがあってのことです。
 それでも両親は仲が良く、父を亡くした母は悲しみのあまり体調を崩してしまいました。
 父の死因は伯爵領の特産品を輸出するときに使う容器開発時の事故でした。容器の外面に塗る保護液を無毒化出来ていなかったのです。父は商人であると同時に職人でもありました。

 体調を崩した母は、王国の南方にある王都でもフォルミーカ伯爵領でも激しい夏の暑さから逃れるために、辺境に近い北方の避暑地へ行ったのです。
 伯爵家や領地の運営は、今もお元気な先代伯爵のお爺様とお婆様が代行してくださいました。
 私は母が心配で同行したのです。

 当時、母には私ひとりしか子どもがいませんでした。
 母自身も祖父母のひとり娘です。
 跡取りになること自体は父が亡くなる前から話に出ていましたが、私は母と比べると少々気の弱い娘でありました。

 父を亡くした母を守りたいという気持ちもあって、避暑地へ旅立つ直前に私は宣言しました。

「私、男の子になります!」
「なにを言っているの、アンジェラ? 女の子でも伯爵家は継げるわよ? 母様は立派な伯爵ではないかしら?」
「お母様は立派なフォルミーカ伯爵です! ですが私は気が弱いですし……それに、お爺様とお婆様に聞きました。お母様は私と同じ年齢のころ、馬に乗ったり剣術を習ったりして勇ましく過ごしていらっしゃったのでしょう?」
「それは、その……確かに少しお転婆だったのは認めるわ。でも人には向き不向きというものがあるのよ。アンジェラにはアンジェラの良いところがあるわ。無理をする必要はなくてよ」
「でも……いざというときお父様の代わりにお母様を守れる力が欲しいのです」
「……ありがとう、アンジェラ」

 避暑地にいる間だけ、男装して貴族子息が覚えるべきことを学ぶ許可をもらいました。
 男装といっても、私と同じ年ごろだったときのお母様が着ていた服を仕立て直して着ていただけだったりするのですけれど。
 今にして思えば、教育係のみんなは手加減をしてくれていたのでしょう。乗馬も剣術も辛いことはなく楽しいばかりの毎日でした。

 ついには調子に乗って、私は避暑地の町を馬で回ってみたい、などと言い出してしまったのです。
 母は苦笑しながら許してくださいました。
 後で昔からいるメイド長がこっそりと、なにも言わずに抜け出した母と違って、ちゃんと許可を取る私は偉い、と褒めてくれましたっけ。

 そこまでは良かったのです。

 ですが、所詮は気の弱い貴族令嬢の付け焼刃でした。
 馬は人を見ます。
 別荘の中庭以外で馬に乗るのは初めてでした。そのことに私が怯えているのを感じ取った馬は暴走し、母が付けてくれていた護衛達を振り切ってしまったのです。まだ三歳になったばかりの黒い牡馬でした。若過ぎたのかもしれません。

 避暑地は隣国プーパとの国境近くにあります。
 ふたつの国の境には、ルプス大公領に接している魔の森とは比べものにならないものの、それでも鬱蒼と茂る危険な森が広がっていました。
 本当はさほど奥には入っていなかったのでしょう。馬の蹄では走りにくい凹凸の激しい森の地面です。

 それでも昼なお暗い森は恐ろしく、私は父の代わりに母を守るなどと大口を叩いたことも忘れて、馬の鬣に顔を埋めて泣き出してしまいました。
 野犬の唸り声が聞こえてきたのは、そのときです。
 馬は賢い生き物です。足手纏いにしかならない私を振り落として逃げ出しました。

 私は腰に下げていた剣のことも忘れて恐怖に震えていました。
 私は立ち上がるべきでした。
 木々の向こうからこちらを見つめる野犬の群れが襲い来る前に、立ち上がって馬を追って逃げ出すべきでした。木に登っても良かったかもしれません。

 だけど私はなにも出来ず、馬に振り落とされて尻餅をついた姿勢のままで震えていたのです。
 野犬の唸る声が耳朶を打ち、その湿った息遣いを肌で感じるような気がしました。
 私は心の中で亡くなったお父様に助けを求めていました。
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