恋という名の呪いのように

豆狸

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第三話 私の初恋

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 野犬の唸り声以外の音に気づいたのは、馬がいなくなってからどれくらい経ったころだったでしょうか。
 私の背後から近づいてくるのは馬の蹄の音でした。
 凸凹の多い森の地面を器用に走って近づいてきた馬上のぬしは、私に向かって叫びました。

「立ち上がれっ!」

 反射的に立ち上がった私の体を、私よりもほんの少しだけ大きな少年の腕が馬上へと抱え上げます。少年は私を彼の前に座らせました。
 獲物を奪われた野犬達が不機嫌そうに唸って木の向こうから現れたところで、彼は馬の向きを変えました。
 よく見ると、その馬は先ほど私を振り落として逃げ出した馬でした。再会です。

「走りながらで悪いが、自分で体勢を整えて馬の首にしがみついてくれ」
「は、はい」
「奴らは昔人間に飼われていたのが、逃げ出したり捨てられたりして森に棲み付いた野犬どもだ。人間の怖さはよく知っている。森の外までは追ってこない」

 金の髪に緑の瞳の少年は不敵な笑みを浮かべました。
 口調は荒いけれど、着ている服を見れば貴族子息だということは明らかです。

「森から出れば俺達の勝ちだ」

 森の出口へ向かって走りながら、彼はどうして私を助けに来たのかを教えてくれました。

「こんな上等な馬が乗り手なしで森の入り口をウロウロしてたんだ。なにがあったかくらいは想像がつく。町に近いから安全だと思ったのかもしれないが、たとえ魔獣が住み着いていなくても森なんてのは危険なものなんだぞ」
「は、はい。あの……ごめんなさい」
「まあ下手に剣を抜かなかっただけ賢かったな。多勢に無勢では逃げるが勝ちだ」

 本当は自分から森に入ったのではなく、避暑地の町の中から暴走した馬に連れられてきたなんてこと、とても言えませんでした。
 私のことは莫迦にして暴走した馬は、彼の命令には素直に従って、私達を森の外まで連れて行ってくれました。
 緑の瞳の彼が言った通り、野犬達は森の外までは追って来ませんでした。

 町へ近づくと、森を囲む草原に私を探しているらしい伯爵家の人間の姿が見えてきました。
 彼が馬から飛び降ります。
 いつの間にか夕方になっていました。夕日に照らされた彼の金髪が、少し赤みを帯びて見えます。彼は先ほどの不敵な笑みとは違う、儚げな微笑みを浮かべて私に頼んできました。

「悪い。君は最初から最後までひとりだったことにしてくれないか? 俺は家を抜け出してきたんだ。家人に知られたら怒られちまう」
「でも……助けてくれたお礼を」
「そんなのかまわない。俺が勝手にやったことなんだから」
「でもあの、あ、ありがとうございました!」
「うん、じゃあな」

 彼は自分の馬を待たせているからと言って森の方向へ向かい、私は伯爵家の人間に声をかけました。
 もう少しこの辺りを探しても見つからなかったら、人を増やして森に入る予定だったと言われました。
 私は馬の暴走が町を出たところで治まったので、この辺りを走らせていたのだと嘘をつきました。本当のことを言ったら、私を危険に晒したこの馬が殺されてしまうと思ったからです。彼と一緒に助けてくれた馬が処分されるというのは、どうにも受け入れることは出来ませんでした。

 それから数日だけ避暑地で過ごして──それ以後は馬には乗せてもらえませんでした。別荘を出て徒歩で町へ散歩に行ったときもメイド長が手を握っていて、ほとんど離してくれませんでしたっけ──領地のフォルミーカ伯爵邸へ戻った私は知りました。
 母の体調不良の理由は父を喪ったことへの悲しみだけでなく、妊娠もあったということ。母が私に教えてくれなかったのは、ご自分の体調不良が赤ちゃんに悪影響を与えているのではないかと考えて不安だったからだということ。
 そして、当時避暑地へ来ていた同年代の貴族子息はクレックス伯爵令息オズワルド様だけだったということを。

 やがて私の弟、フォルミーカ伯爵家の跡取りザカリーが生まれました。
 彼に会っていなかったら、私は複雑な気持ちになっていたかもしれません。
 だって自分が跡取りになる気満々で、妙な努力をしていたのですもの。

 けれど私は彼と出会っていました。恋をしていました。
 オズワルド様は嫡子で長男です。
 年の近い弟はいらっしゃいますが、わざわざ弟を跡取りにしてオズワルド様を婿に出すような理由はありませんでした。

 私達の婚約は、ふたりが十二歳の年にクレックス伯爵家から言い出されたものでした。
 年も近く家格も等しく、なにより我が家は裕福でした。先祖代々が築き上げたものを亡くなった父の商才が倍以上に増やしてくれていたのです。
 二年ぶりに会う彼はかなり変わっていましたが、金の髪と緑の瞳はそのままでした。──どこか儚げな微笑みも。
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