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第四話 天秤は傾いている<オズワルド視点>
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オズワルドは十二歳のときに、初めて婚約者のフォルミーカ伯爵令嬢アンジェラと出会った。
黒い髪に伏し目がちな琥珀の瞳。
少し陰気な印象のある娘で、はっきり言ってオズワルドの好みとは違った。しかし、彼女の実家フォルミーカ伯爵家の資産は魅力的だった。
オズワルドの家、クレックス伯爵家はあまり裕福ではない。
今の当主である父も先代当主である祖父も領地運営が下手で商才もなく、裕福な家の令嬢を娶ることでしか損失を補填出来なかった。
次はオズワルドの番だというだけだ。
「あの……」
「なぁに?」
「……二年前に避暑地の森でお会いしたことを覚えていらっしゃいませんか?」
熱を帯びた琥珀の瞳がオズワルドを映している。
悪い気分ではなかった。
父も祖父も持参金付きで嫁いで来た妻に頭が上がらず浮気ひとつしていないが、自分に夢中な妻なら多少のことは許してくれるのではなかろうか。
二年前に避暑地へ行った記憶はある。
けれどオズワルドは別荘から一歩も出ていなかった。
避暑地といっても国境にある田舎町のひとつに過ぎない。そんなところには魅力を感じなかったのだ。
(森か……)
オズワルドはあの避暑地の森を知らない。
辺境に近いといっても魔獣はいないと聞いていた。
クレックス伯爵領の森と同じように領民によって管理された、野獣の多い奥地まで入らなければ安全な森だったのだろうと思った。
その森でなにかがあった。
アンジェラの瞳は恋する少女のそれだ。
婚約者の彼女がほかのだれかに恋しているのかもしれないというのは、正直に言えば気に食わない。とはいえ所詮は金目当ての政略結婚だ。それに、ここで自分が初恋の相手だと思わせてしまえば、なんの問題もなくなる。
(だけど、そう思わせるには情報が足りないな。下手にこちらから話して、ボロを出すのも拙い)
十二歳のオズワルドは年の割に賢い少年だった。
母方の祖父母に媚びを売って支援を引き出しているうちに、人の顔色を読んで話を誘導するのが得意になったのだ。
思い出そうとしている振りをしていたら、アンジェラが俯いた。
「あの、思い出せなくても無理はないかもしれません。あのとき私、貴族令嬢らしくない格好をしていたので」
「ああ!」
オズワルドは思い出した振りをした。
アンジェラの父は金持ちだが平民の商人だった。彼女はそのとき町娘の格好をしていたのかもしれない。
そうだとしたら、彼女の本当の初恋相手だってアンジェラがその娘だったとは気づかないだろう。オズワルドが成りすましても安全だ。
「思い出してくださったんですか?」
「うん、最初は君が綺麗になってたから気づかなかったよ。でも……」
どう言えば一番上手く誤魔化せるかと考えていたら、彼女が勝手に結論を出す。
「ごめんなさい。内緒でしたよね。貴方は家を抜け出してきたから、家の方に知られたら怒られてしまうって言ってましたものね」
「そうなんだ。これからも内緒にしてくれるかな。君と僕の秘密だ」
「はい」
心底嬉しそうに微笑むアンジェラは、先ほどのお世辞とは違って本当に綺麗に見えた。
それからふたりでいるときに彼女が話す思い出は、内緒という約束を守ってか断片的なもので、オズワルドは上手くアンジェラを誤魔化し続けることが出来た。
好みではないものの、フォルミーカ伯爵家は裕福だし、内気なアンジェラは初恋の相手と信じるオズワルドにはいつも眩しいほどの笑顔を見せてくれた。
(悪くない)
結婚して子どもを作った後なら、少々好みの女を摘まみ食いしても許してもらえそうだ、などと都合の良い未来を描きながら、オズワルドと同い年のアンジェラは貴族子女の通う王都の学園に入学した。
なにごともなく二年間を過ごして、最後の年が訪れた。
隣国プーパ王国の王女カテーナが留学してきた。突然のことだった。隣国でなにかあったのかもしれない。縁談があるといっても、いきなり決まるわけではないのだ。
カテーナは側妃の娘だったけれど、王族であることに変わりはない。
侯爵以上の高位貴族の子女が世話係になるはずだ。
伯爵子息である自分には関係ないと、オズワルドは思っていたのだが──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ねえ、アナタがクレックス伯爵家のオズワルドよね? 十歳のときにこの国の避暑地で出会ったのを覚えてる? アナタはアタクシの初恋の人なのよ!」
ピンクの髪に大きな紫の瞳。
小柄な割に胸の大きなカテーナはオズワルドの好みそのものだった。
あまり知性を感じさせない口調も、こちらの思い通りに出来そうで悪くない。もちろんこちらも身に覚えはないのだが、アンジェラとの付き合いでオズワルドは誤魔化す技術が向上していた。
(隣国の王は王妃が産んだ王太子よりも、最愛の側妃が産んだカテーナを可愛がっていると聞く)
自分が隣国女王の王配となる可能性まで見えてくる。
(隣国の王女に逆らえなかったと言えば、カテーナの縁談相手に恨まれることもないだろう)
今のところオズワルドの天秤は、カテーナの載った皿のほうに傾いている。
彼女のほうが好みだし、身分も高いのだから当然だ。
婚約者を放置してカテーナと親しくしていることをアンジェラ自身に窘められたこともあったが、それは嫉妬からの言葉だとオズワルドにはわかっている。
(なんだかんだ言って相手は隣国の王女だ。いろいろ難しい問題があるだろう。駄目だったときの予備として、適当にアンジェラの機嫌も取っておかなくちゃな)
登下校の際に挨拶をしたり、休み時間に話しかけたりするとカテーナが怒り狂うので、オズワルドは授業中に少しだけ振り向いてアンジェラに微笑んでいた。
自分を初恋相手だと信じる彼女には、それで十分だと思っていたのだ。
黒い髪に伏し目がちな琥珀の瞳。
少し陰気な印象のある娘で、はっきり言ってオズワルドの好みとは違った。しかし、彼女の実家フォルミーカ伯爵家の資産は魅力的だった。
オズワルドの家、クレックス伯爵家はあまり裕福ではない。
今の当主である父も先代当主である祖父も領地運営が下手で商才もなく、裕福な家の令嬢を娶ることでしか損失を補填出来なかった。
次はオズワルドの番だというだけだ。
「あの……」
「なぁに?」
「……二年前に避暑地の森でお会いしたことを覚えていらっしゃいませんか?」
熱を帯びた琥珀の瞳がオズワルドを映している。
悪い気分ではなかった。
父も祖父も持参金付きで嫁いで来た妻に頭が上がらず浮気ひとつしていないが、自分に夢中な妻なら多少のことは許してくれるのではなかろうか。
二年前に避暑地へ行った記憶はある。
けれどオズワルドは別荘から一歩も出ていなかった。
避暑地といっても国境にある田舎町のひとつに過ぎない。そんなところには魅力を感じなかったのだ。
(森か……)
オズワルドはあの避暑地の森を知らない。
辺境に近いといっても魔獣はいないと聞いていた。
クレックス伯爵領の森と同じように領民によって管理された、野獣の多い奥地まで入らなければ安全な森だったのだろうと思った。
その森でなにかがあった。
アンジェラの瞳は恋する少女のそれだ。
婚約者の彼女がほかのだれかに恋しているのかもしれないというのは、正直に言えば気に食わない。とはいえ所詮は金目当ての政略結婚だ。それに、ここで自分が初恋の相手だと思わせてしまえば、なんの問題もなくなる。
(だけど、そう思わせるには情報が足りないな。下手にこちらから話して、ボロを出すのも拙い)
十二歳のオズワルドは年の割に賢い少年だった。
母方の祖父母に媚びを売って支援を引き出しているうちに、人の顔色を読んで話を誘導するのが得意になったのだ。
思い出そうとしている振りをしていたら、アンジェラが俯いた。
「あの、思い出せなくても無理はないかもしれません。あのとき私、貴族令嬢らしくない格好をしていたので」
「ああ!」
オズワルドは思い出した振りをした。
アンジェラの父は金持ちだが平民の商人だった。彼女はそのとき町娘の格好をしていたのかもしれない。
そうだとしたら、彼女の本当の初恋相手だってアンジェラがその娘だったとは気づかないだろう。オズワルドが成りすましても安全だ。
「思い出してくださったんですか?」
「うん、最初は君が綺麗になってたから気づかなかったよ。でも……」
どう言えば一番上手く誤魔化せるかと考えていたら、彼女が勝手に結論を出す。
「ごめんなさい。内緒でしたよね。貴方は家を抜け出してきたから、家の方に知られたら怒られてしまうって言ってましたものね」
「そうなんだ。これからも内緒にしてくれるかな。君と僕の秘密だ」
「はい」
心底嬉しそうに微笑むアンジェラは、先ほどのお世辞とは違って本当に綺麗に見えた。
それからふたりでいるときに彼女が話す思い出は、内緒という約束を守ってか断片的なもので、オズワルドは上手くアンジェラを誤魔化し続けることが出来た。
好みではないものの、フォルミーカ伯爵家は裕福だし、内気なアンジェラは初恋の相手と信じるオズワルドにはいつも眩しいほどの笑顔を見せてくれた。
(悪くない)
結婚して子どもを作った後なら、少々好みの女を摘まみ食いしても許してもらえそうだ、などと都合の良い未来を描きながら、オズワルドと同い年のアンジェラは貴族子女の通う王都の学園に入学した。
なにごともなく二年間を過ごして、最後の年が訪れた。
隣国プーパ王国の王女カテーナが留学してきた。突然のことだった。隣国でなにかあったのかもしれない。縁談があるといっても、いきなり決まるわけではないのだ。
カテーナは側妃の娘だったけれど、王族であることに変わりはない。
侯爵以上の高位貴族の子女が世話係になるはずだ。
伯爵子息である自分には関係ないと、オズワルドは思っていたのだが──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ねえ、アナタがクレックス伯爵家のオズワルドよね? 十歳のときにこの国の避暑地で出会ったのを覚えてる? アナタはアタクシの初恋の人なのよ!」
ピンクの髪に大きな紫の瞳。
小柄な割に胸の大きなカテーナはオズワルドの好みそのものだった。
あまり知性を感じさせない口調も、こちらの思い通りに出来そうで悪くない。もちろんこちらも身に覚えはないのだが、アンジェラとの付き合いでオズワルドは誤魔化す技術が向上していた。
(隣国の王は王妃が産んだ王太子よりも、最愛の側妃が産んだカテーナを可愛がっていると聞く)
自分が隣国女王の王配となる可能性まで見えてくる。
(隣国の王女に逆らえなかったと言えば、カテーナの縁談相手に恨まれることもないだろう)
今のところオズワルドの天秤は、カテーナの載った皿のほうに傾いている。
彼女のほうが好みだし、身分も高いのだから当然だ。
婚約者を放置してカテーナと親しくしていることをアンジェラ自身に窘められたこともあったが、それは嫉妬からの言葉だとオズワルドにはわかっている。
(なんだかんだ言って相手は隣国の王女だ。いろいろ難しい問題があるだろう。駄目だったときの予備として、適当にアンジェラの機嫌も取っておかなくちゃな)
登下校の際に挨拶をしたり、休み時間に話しかけたりするとカテーナが怒り狂うので、オズワルドは授業中に少しだけ振り向いてアンジェラに微笑んでいた。
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