恋という名の呪いのように

豆狸

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第六話 馬の恋

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「……お嬢様」

 護衛の女性騎士が路地のほうを向きました。
 私に背中を見せた彼女は小さく呟いて逃走の準備を促します。
 逃走ではなく準備なのは、路地から襲撃者が出てくる前に私がいなくなっていたら、相手が騎士を無視して私を追いかけてくるかもしれないからです。

「ノックス……」

 私は十一歳の黒い牡馬に呼びかけました。
 そのときが来たら走ってくださいね、というつもりだったのですが、ノックスは心ここにあらず、といった様子で騎士と一緒に路地のほうに目を向けています。
 緊張はしているようですけれど、なんとなく浮かれているようにも見えました。

 やがて、路地から道へと伸びた影が長くなり、

「ちょっと待ってくれ。俺達は敵じゃない。ほら、襲撃者はもう捕らえた」

 真っ白な馬に乗った赤毛の男性が現れたのでした。かなり大柄で逞しい方です。
 彼の後ろから茶色い馬を引いた男性が現れ、紐で雁字搦めにした男を路上に放り投げました。
 騎士は剣を構えたまま赤毛の男性を見つめます。

「最初の一撃を防げなかったのは申し訳なかった。俺達も偶然通りかかっただけなので、コイツがなにをしようとしているかわからなかったんだ」
「……その男が犯人で、貴方達が味方だという証拠がどこにありますか?」

 片手で剣を構えた騎士は手綱を握っているほうの手を動かして、私に逃走を促します。
 確かに、この赤毛の男性達が味方かどうかはわかりません。
 気づかれたと察して、近くにいた人間を捕らえて犯人のように見せかけているだけなのかもしれません。

 私は騎士に逆らうつもりはありませんでした。
 昔から仕えてくれている信用出来る家臣ですし、彼女は護衛の専門家なのです。
 ですが残念なことに、ノックスが動いてくれないのです。彼から降りて走るという選択肢はありません。それではすぐに追いつかれてしまいます。

「これは証拠にならないか?」

 そう言って赤毛の男性が鞘ごと腰から外した剣を騎士に差し出します。
 鍔に刻まれた紋章を確認して、騎士が小さく声を上げました。

「蝶の翅をもつ狼……王家の? いや、片翅ということは……ルプス大公殿下であらせられますか?」
「ああ、そういうことだ。……ふたりとも下馬する必要はない」

 赤毛の男性はそう言いながら、剣を腰に戻しました。
 我がパピリオー王国の王家の紋章は蝶の翅を持つ狼です。
 王族が臣下に降って家を興した初代に限り、片翅の狼を紋章にすることが許されています。次代以降は片翅と狼以外の獣を合わせた紋章になるのです。

 ルプス大公殿下は私より三歳年上で、幼いころに病弱だったため、早くから王位継承権を放棄なさっていました。
 十五歳で成人した際に大公家を興す許可を父君である国王陛下に賜り、臣下に降られたのです。
 大公領はこれまで王命でおこなわれていた魔の森開拓で成功した土地を合わせたもので、これからも魔の森へ向かって広がっていくと言われています。

 殿下に視線を送られて、茶色い馬を引いていた男性が、先ほど転がした緊縛された男を自分の馬に載せました。
 それから自分も馬に跨ります。

 どうしましょう。
 夜会ならば自己紹介は、身分の高い方に発言を許されてからです。
 私は不敬にならないよう気をつけながら、殿下の様子を窺いました。殿下の瞳は深い緑色で、どこか懐かしさを感じます。

 ふっと、殿下が微笑みました。

「俺はデニス。そちらの主人想いの騎士に見せた紋章の通り、ルプス大公家の当主である。……君は、フォルミーカ伯爵家のアンジェラ嬢だな?」
「は、はい」

 どうしておわかりになったのでしょう。
 貴族子女が通う学園は三年制です。三歳違う私達は、同時期に学園に通っていたことはありません。
 夜会にしても、婚約者がすでに当主となっているのでもない限り、幅広い身分の人間が招かれる王宮の夜会には学園を卒業するまで出席出来ません。知り合いになる機会などなかったはずです。

「どうして自分がフォルミーカ伯爵令嬢だとわかったのか、って顔だな」
「っ!」
「黒曜石のような黒髪に宝石の琥珀そのままの澄んだ瞳、なにより……隣国プーパ王国の刺客に狙われた、カテーナ王女の恋敵となれば、ほかの人間を思い浮かべるほうが難しい」
「え」

 私は息を飲みました。
 そうです。自分の命の危険に怯えて忘れていました。
 ルプス大公殿下はカテーナ様の縁談相手なのです。ご自身の縁談相手と親しくしているオズワルド様と、その婚約者でありながらふたりを止めることも出来ないでいる私のことをどう思っていらっしゃるのでしょうか。

 そして、荷物扱いで茶色い馬に載せられた緊縛された男が隣国プーパ王国の刺客というのは本当なのでしょうか。
 辺境にあるルプス大公領は魔獣蔓延る魔の森だけでなく、隣国との国境とも接しています。十歳のときに行った避暑地の先にあるのです。
 隣国のことにはお詳しいのかもしれません。

「アンジェラ嬢。先触れなしで申し訳ないが、フォルミーカ伯爵と話がしたい。お母上に取り次いでもらえるだろうか」
「かしこまりました」

 殿下のお言葉が本当だとしたら、大変なことです。
 私達は王都にあるフォルミーカ伯爵邸へ向けて馬を進めました。
 そう言えば、先ほどノックスが浮かれているように見えたのは、どうやら殿下の乗っている白い雌馬に恋しているからのようです。動物なので、路地から出てくる前に存在を察していたのでしょうか。

 それとも……私が覚えていないだけで、私とルプス大公殿下、ノックスと白馬は会ったことがあるのでしょうか。
 殿下との邂逅を忘れているとしたら、我ながら不敬が過ぎるので、そうではないと良いのですが。
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