6 / 10
第六話 馬の恋
しおりを挟む
「……お嬢様」
護衛の女性騎士が路地のほうを向きました。
私に背中を見せた彼女は小さく呟いて逃走の準備を促します。
逃走ではなく準備なのは、路地から襲撃者が出てくる前に私がいなくなっていたら、相手が騎士を無視して私を追いかけてくるかもしれないからです。
「ノックス……」
私は十一歳の黒い牡馬に呼びかけました。
そのときが来たら走ってくださいね、というつもりだったのですが、ノックスは心ここにあらず、といった様子で騎士と一緒に路地のほうに目を向けています。
緊張はしているようですけれど、なんとなく浮かれているようにも見えました。
やがて、路地から道へと伸びた影が長くなり、
「ちょっと待ってくれ。俺達は敵じゃない。ほら、襲撃者はもう捕らえた」
真っ白な馬に乗った赤毛の男性が現れたのでした。かなり大柄で逞しい方です。
彼の後ろから茶色い馬を引いた男性が現れ、紐で雁字搦めにした男を路上に放り投げました。
騎士は剣を構えたまま赤毛の男性を見つめます。
「最初の一撃を防げなかったのは申し訳なかった。俺達も偶然通りかかっただけなので、コイツがなにをしようとしているかわからなかったんだ」
「……その男が犯人で、貴方達が味方だという証拠がどこにありますか?」
片手で剣を構えた騎士は手綱を握っているほうの手を動かして、私に逃走を促します。
確かに、この赤毛の男性達が味方かどうかはわかりません。
気づかれたと察して、近くにいた人間を捕らえて犯人のように見せかけているだけなのかもしれません。
私は騎士に逆らうつもりはありませんでした。
昔から仕えてくれている信用出来る家臣ですし、彼女は護衛の専門家なのです。
ですが残念なことに、ノックスが動いてくれないのです。彼から降りて走るという選択肢はありません。それではすぐに追いつかれてしまいます。
「これは証拠にならないか?」
そう言って赤毛の男性が鞘ごと腰から外した剣を騎士に差し出します。
鍔に刻まれた紋章を確認して、騎士が小さく声を上げました。
「蝶の翅をもつ狼……王家の? いや、片翅ということは……ルプス大公殿下であらせられますか?」
「ああ、そういうことだ。……ふたりとも下馬する必要はない」
赤毛の男性はそう言いながら、剣を腰に戻しました。
我がパピリオー王国の王家の紋章は蝶の翅を持つ狼です。
王族が臣下に降って家を興した初代に限り、片翅の狼を紋章にすることが許されています。次代以降は片翅と狼以外の獣を合わせた紋章になるのです。
ルプス大公殿下は私より三歳年上で、幼いころに病弱だったため、早くから王位継承権を放棄なさっていました。
十五歳で成人した際に大公家を興す許可を父君である国王陛下に賜り、臣下に降られたのです。
大公領はこれまで王命でおこなわれていた魔の森開拓で成功した土地を合わせたもので、これからも魔の森へ向かって広がっていくと言われています。
殿下に視線を送られて、茶色い馬を引いていた男性が、先ほど転がした緊縛された男を自分の馬に載せました。
それから自分も馬に跨ります。
どうしましょう。
夜会ならば自己紹介は、身分の高い方に発言を許されてからです。
私は不敬にならないよう気をつけながら、殿下の様子を窺いました。殿下の瞳は深い緑色で、どこか懐かしさを感じます。
ふっと、殿下が微笑みました。
「俺はデニス。そちらの主人想いの騎士に見せた紋章の通り、ルプス大公家の当主である。……君は、フォルミーカ伯爵家のアンジェラ嬢だな?」
「は、はい」
どうしておわかりになったのでしょう。
貴族子女が通う学園は三年制です。三歳違う私達は、同時期に学園に通っていたことはありません。
夜会にしても、婚約者がすでに当主となっているのでもない限り、幅広い身分の人間が招かれる王宮の夜会には学園を卒業するまで出席出来ません。知り合いになる機会などなかったはずです。
「どうして自分がフォルミーカ伯爵令嬢だとわかったのか、って顔だな」
「っ!」
「黒曜石のような黒髪に宝石の琥珀そのままの澄んだ瞳、なにより……隣国プーパ王国の刺客に狙われた、カテーナ王女の恋敵となれば、ほかの人間を思い浮かべるほうが難しい」
「え」
私は息を飲みました。
そうです。自分の命の危険に怯えて忘れていました。
ルプス大公殿下はカテーナ様の縁談相手なのです。ご自身の縁談相手と親しくしているオズワルド様と、その婚約者でありながらふたりを止めることも出来ないでいる私のことをどう思っていらっしゃるのでしょうか。
そして、荷物扱いで茶色い馬に載せられた緊縛された男が隣国プーパ王国の刺客というのは本当なのでしょうか。
辺境にあるルプス大公領は魔獣蔓延る魔の森だけでなく、隣国との国境とも接しています。十歳のときに行った避暑地の先にあるのです。
隣国のことにはお詳しいのかもしれません。
「アンジェラ嬢。先触れなしで申し訳ないが、フォルミーカ伯爵と話がしたい。お母上に取り次いでもらえるだろうか」
「かしこまりました」
殿下のお言葉が本当だとしたら、大変なことです。
私達は王都にあるフォルミーカ伯爵邸へ向けて馬を進めました。
そう言えば、先ほどノックスが浮かれているように見えたのは、どうやら殿下の乗っている白い雌馬に恋しているからのようです。動物なので、路地から出てくる前に存在を察していたのでしょうか。
それとも……私が覚えていないだけで、私とルプス大公殿下、ノックスと白馬は会ったことがあるのでしょうか。
殿下との邂逅を忘れているとしたら、我ながら不敬が過ぎるので、そうではないと良いのですが。
護衛の女性騎士が路地のほうを向きました。
私に背中を見せた彼女は小さく呟いて逃走の準備を促します。
逃走ではなく準備なのは、路地から襲撃者が出てくる前に私がいなくなっていたら、相手が騎士を無視して私を追いかけてくるかもしれないからです。
「ノックス……」
私は十一歳の黒い牡馬に呼びかけました。
そのときが来たら走ってくださいね、というつもりだったのですが、ノックスは心ここにあらず、といった様子で騎士と一緒に路地のほうに目を向けています。
緊張はしているようですけれど、なんとなく浮かれているようにも見えました。
やがて、路地から道へと伸びた影が長くなり、
「ちょっと待ってくれ。俺達は敵じゃない。ほら、襲撃者はもう捕らえた」
真っ白な馬に乗った赤毛の男性が現れたのでした。かなり大柄で逞しい方です。
彼の後ろから茶色い馬を引いた男性が現れ、紐で雁字搦めにした男を路上に放り投げました。
騎士は剣を構えたまま赤毛の男性を見つめます。
「最初の一撃を防げなかったのは申し訳なかった。俺達も偶然通りかかっただけなので、コイツがなにをしようとしているかわからなかったんだ」
「……その男が犯人で、貴方達が味方だという証拠がどこにありますか?」
片手で剣を構えた騎士は手綱を握っているほうの手を動かして、私に逃走を促します。
確かに、この赤毛の男性達が味方かどうかはわかりません。
気づかれたと察して、近くにいた人間を捕らえて犯人のように見せかけているだけなのかもしれません。
私は騎士に逆らうつもりはありませんでした。
昔から仕えてくれている信用出来る家臣ですし、彼女は護衛の専門家なのです。
ですが残念なことに、ノックスが動いてくれないのです。彼から降りて走るという選択肢はありません。それではすぐに追いつかれてしまいます。
「これは証拠にならないか?」
そう言って赤毛の男性が鞘ごと腰から外した剣を騎士に差し出します。
鍔に刻まれた紋章を確認して、騎士が小さく声を上げました。
「蝶の翅をもつ狼……王家の? いや、片翅ということは……ルプス大公殿下であらせられますか?」
「ああ、そういうことだ。……ふたりとも下馬する必要はない」
赤毛の男性はそう言いながら、剣を腰に戻しました。
我がパピリオー王国の王家の紋章は蝶の翅を持つ狼です。
王族が臣下に降って家を興した初代に限り、片翅の狼を紋章にすることが許されています。次代以降は片翅と狼以外の獣を合わせた紋章になるのです。
ルプス大公殿下は私より三歳年上で、幼いころに病弱だったため、早くから王位継承権を放棄なさっていました。
十五歳で成人した際に大公家を興す許可を父君である国王陛下に賜り、臣下に降られたのです。
大公領はこれまで王命でおこなわれていた魔の森開拓で成功した土地を合わせたもので、これからも魔の森へ向かって広がっていくと言われています。
殿下に視線を送られて、茶色い馬を引いていた男性が、先ほど転がした緊縛された男を自分の馬に載せました。
それから自分も馬に跨ります。
どうしましょう。
夜会ならば自己紹介は、身分の高い方に発言を許されてからです。
私は不敬にならないよう気をつけながら、殿下の様子を窺いました。殿下の瞳は深い緑色で、どこか懐かしさを感じます。
ふっと、殿下が微笑みました。
「俺はデニス。そちらの主人想いの騎士に見せた紋章の通り、ルプス大公家の当主である。……君は、フォルミーカ伯爵家のアンジェラ嬢だな?」
「は、はい」
どうしておわかりになったのでしょう。
貴族子女が通う学園は三年制です。三歳違う私達は、同時期に学園に通っていたことはありません。
夜会にしても、婚約者がすでに当主となっているのでもない限り、幅広い身分の人間が招かれる王宮の夜会には学園を卒業するまで出席出来ません。知り合いになる機会などなかったはずです。
「どうして自分がフォルミーカ伯爵令嬢だとわかったのか、って顔だな」
「っ!」
「黒曜石のような黒髪に宝石の琥珀そのままの澄んだ瞳、なにより……隣国プーパ王国の刺客に狙われた、カテーナ王女の恋敵となれば、ほかの人間を思い浮かべるほうが難しい」
「え」
私は息を飲みました。
そうです。自分の命の危険に怯えて忘れていました。
ルプス大公殿下はカテーナ様の縁談相手なのです。ご自身の縁談相手と親しくしているオズワルド様と、その婚約者でありながらふたりを止めることも出来ないでいる私のことをどう思っていらっしゃるのでしょうか。
そして、荷物扱いで茶色い馬に載せられた緊縛された男が隣国プーパ王国の刺客というのは本当なのでしょうか。
辺境にあるルプス大公領は魔獣蔓延る魔の森だけでなく、隣国との国境とも接しています。十歳のときに行った避暑地の先にあるのです。
隣国のことにはお詳しいのかもしれません。
「アンジェラ嬢。先触れなしで申し訳ないが、フォルミーカ伯爵と話がしたい。お母上に取り次いでもらえるだろうか」
「かしこまりました」
殿下のお言葉が本当だとしたら、大変なことです。
私達は王都にあるフォルミーカ伯爵邸へ向けて馬を進めました。
そう言えば、先ほどノックスが浮かれているように見えたのは、どうやら殿下の乗っている白い雌馬に恋しているからのようです。動物なので、路地から出てくる前に存在を察していたのでしょうか。
それとも……私が覚えていないだけで、私とルプス大公殿下、ノックスと白馬は会ったことがあるのでしょうか。
殿下との邂逅を忘れているとしたら、我ながら不敬が過ぎるので、そうではないと良いのですが。
327
あなたにおすすめの小説
ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~
水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。
婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。
5話で完結の短いお話です。
いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。
お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
嘘だったなんてそんな嘘は信じません
ミカン♬
恋愛
婚約者のキリアン様が大好きなディアナ。ある日偶然キリアン様の本音を聞いてしまう。流れは一気に婚約解消に向かっていくのだけど・・・迷うディアナはどうする?
ありふれた婚約解消の数日間を切り取った可愛い恋のお話です。
小説家になろう様にも投稿しています。
その愛情の行方は
ミカン♬
恋愛
セアラには6歳年上の婚約者エリアスがいる。幼い自分には全く興味のない婚約者と親しくなりたいセアラはエリアスが唯一興味を示した〈騎士〉の話題作りの為に剣の訓練を始めた。
従兄のアヴェルはそんなセアラをいつも見守り応援してくれる優しい幼馴染。
エリアスとの仲も順調で16歳になれば婚姻出来ると待ちわびるセアラだが、エリアスがユリエラ王女の護衛騎士になってしまってからは不穏な噂に晒され、婚約の解消も囁かれだした。
そしてついに大好きなエリアス様と婚約解消⁈
どうやら夜会でセアラは王太子殿下に見初められてしまったようだ。
セアラ、エリアス、アヴェルの愛情の行方を追っていきます。
後半に残酷な殺害の場面もあるので苦手な方はご注意ください。
ふんわり設定でサクっと終わります。ヒマつぶしに読んで頂けると嬉しいです。なろう様他サイトにも投稿。
2024/06/08後日談を追加。
【完】お望み通り婚約解消してあげたわ
さち姫
恋愛
婚約者から婚約解消を求められた。
愛する女性と出会ったから、だと言う。
そう、それなら喜んで婚約解消してあげるわ。
ゆるゆる設定です。3話完結で書き終わっています。
【完結】誠意を見せることのなかった彼
野村にれ
恋愛
婚約者を愛していた侯爵令嬢。しかし、結婚できないと婚約を白紙にされてしまう。
無気力になってしまった彼女は消えた。
婚約者だった伯爵令息は、新たな愛を見付けたとされるが、それは新たな愛なのか?
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
(完結)私が貴方から卒業する時
青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。
だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・
※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる