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第五話 王妃の肖像
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王子が七歳になったら実の母親と会わせよう、私の提案に陛下はそうお答えになりました。七歳でおこなわれる王族としてのお披露目の前後に、ということだったのでしょう。
ですが、残念ながらその予定が実現することはありませんでした。
アンリが七歳になる前に、デジール様がお亡くなりになったからです。
死因は麻薬です。
帝国の音楽大学には、生徒達の間で麻薬が蔓延しているという悪い伝統があったのです。
才能を持ち一度の成功で味わった快感を追体験するために溺れる生徒もいれば、最初から自分の才能に見切りをつけて成功の快感だけを麻薬で疑似体験しようとする生徒もいるそうです。デジール様は前者でした。
教員に気を配るように頼んでいても、制限出来るのは堂々と販売されているお酒までです。
生徒達がこっそりと取り引きする麻薬の存在は、教員と大学からは隠されています。
もちろん生徒から教員になる人間もいます。でも麻薬に溺れた経験がある人間は教員には選ばれませんし、それを隠して教員になった人間は摘発に協力しません。麻薬を愉しみつつもそれなりに成功した卒業生の芸術家は、悪いことだと考えていないので生徒と売人の味方です。
けれど麻薬に手を出した人間は、最終的には必ず滅びます。
生涯に一度の奇跡と同じ快感が得られるような劇薬が、体に良いわけがないのです。
デジール様は卒業式での合奏成功の快感を求めて求めて……お酒では満たされなくて、どんどん効き目が強く危険な麻薬を使うようになっていって、多くの中毒患者と同じく突然死なさったのです。才能のある彼女なら、成功に浮かれて努力を怠ることで落ちた技術も再び努力することで取り戻せたでしょうに。もしかしたら、再び努力しても同じ成功は味わえないかもしれないと考えて怯えてしまったのでしょうか。
アンリを産んでくださったデジール様には感謝をしています。
彼女自身が陛下に託したとはいえ、私がアンリをひとり占めしていることを申し訳なくも思っています。
やはり生さぬ仲なのです。デジール様ならもっと良い母親になっていたのかもしれません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「出来ましたよ、母上!」
アンリが叫んだのは、彼が学園を卒業する年のことです。
ここは王宮の中庭です。
五歳のあのとき以来絵を描くのが好きになったアンリのために専用工房を造ったのですけれど、絵の具に含まれる危険な成分や膠の臭いが充満する狭い工房に籠もるのは危険なので、もっぱら外で描いています。
叫びながらアンリは、描いていた絵を持ち上げて私に見せました。
私の肖像画です。
彼は毎年私の誕生日が近づくと、肖像画を描いて贈ってくれるのです。……私が実母でないことは、彼が学園に入学する前に伝えました。伝える前から薄々気づいていたようです。
そうですよね、金色の髪で空のように真っ青な瞳以外は陛下に似ているところがないのです。
もちろん私にも似ていません。
自分はだれに似ているのかと不安になったのでしょう。王宮で流れている噂話に耳を澄ませれば、私に対する陛下の態度を見ていれば、陛下が本当に愛する女性の存在に気づくのは不思議なことではありません。
「あらあら、上手ねえ」
「もう! 母上ったら、いつまでも僕を子ども扱いして」
「いつまで経っても貴方は私の子どもですもの」
それでもアンリは、今も私を母と呼んでくれています。
「とっても上手だし綺麗な絵だけれど……本当に翠玉と金剛石を粉にして絵の具にする必要があったのかしら?」
「当たり前です! 母上の瞳は翠玉の煌めきと金剛石の深みがなければ表現出来ません」
私は心の中で溜息をつきました。
ごめんなさい、デジール様。
貴女の可愛い息子を甘やかし過ぎて金食い虫にしてしまいました。そして、ありがとうございます。アンリ自身が、彼の創り出すすべてのものが、彼と過ごす一瞬一瞬が、私にとっての宝物です。
「……」
「アンリ?」
いつもなら宝石の産地による色合いや透明度の違いについて語り続けるアンリが沈黙したので、私は顔を上げました。
中庭を囲む建物の渡り廊下に陛下がいました。
若い女性に取り囲まれています。デジール様の死後に迎え入れた愛妾達です。彼女達が来てから数年経ちますが、アンリ以外の子どもは生まれていません。
アンリの視線を追った私と目が合うと、陛下は不快そうに顔を歪めて去っていきました。
私の最愛が苦し気な表情で俯きます。
陛下はアンリに冷たいままです。距離があるのです。デジール様が亡くなったことで、さらに距離が開いたような気がします。
私がアンリから離れれば、と思ったこともありました。でも……出来ませんでした。
「アンリ、陛下は貴方を愛していらっしゃいますよ」
「……そうでしょうか」
「貴方と貴方の母君を愛していらっしゃるからこそ、心を閉ざしていらっしゃるのです。陛下はまだ貴方の母君を喪った悲しみに苦しんでいらっしゃるのですわ」
愛妾達には申し訳ないと思っています。
彼女達はデジール様を喪った悲しみを紛らわせるためだけの存在なのです。
私では陛下を癒すことは出来ません。彼女達に頼るしかないのです。このまま子どもが出来なかったとしても、生涯の面倒は見てあげたいと思っています。
「絵描きさん、今日のお仕事はお終いかしら?」
「あ、いえ、これから絵の具を乾燥させるための処理をしなくてはいけません」
「乾燥したら工房でニスを塗るのよね? 夢中になり過ぎては駄目ですよ。小まめに換気なさいね」
「はい、母上。ニス塗りが終わったら、包装して差し上げます」
「楽しみにしていますよ。……王太子の勉強も忘れないようにね」
「母上に自慢していただける王太子になれるよう努力いたします」
生さぬ仲だからこそ気遣ってくれているのがわかります。
心の中で金食い虫とふざけて呼んでしまいましたけれど、絵の具の宝石に使っているお金はこの子のお小遣いから出ています。私が与えたのは工房だけで、画材も自分で購入してくれているのです。
実母のデジール様にだったら、もっと甘えることが出来ていたのでしょうか。
わかりません。
それでも私はアンリを愛しています。
今の私に出来る精いっぱいでこの子を支えていきたいと願っているのです。──願って、いたのに……
ですが、残念ながらその予定が実現することはありませんでした。
アンリが七歳になる前に、デジール様がお亡くなりになったからです。
死因は麻薬です。
帝国の音楽大学には、生徒達の間で麻薬が蔓延しているという悪い伝統があったのです。
才能を持ち一度の成功で味わった快感を追体験するために溺れる生徒もいれば、最初から自分の才能に見切りをつけて成功の快感だけを麻薬で疑似体験しようとする生徒もいるそうです。デジール様は前者でした。
教員に気を配るように頼んでいても、制限出来るのは堂々と販売されているお酒までです。
生徒達がこっそりと取り引きする麻薬の存在は、教員と大学からは隠されています。
もちろん生徒から教員になる人間もいます。でも麻薬に溺れた経験がある人間は教員には選ばれませんし、それを隠して教員になった人間は摘発に協力しません。麻薬を愉しみつつもそれなりに成功した卒業生の芸術家は、悪いことだと考えていないので生徒と売人の味方です。
けれど麻薬に手を出した人間は、最終的には必ず滅びます。
生涯に一度の奇跡と同じ快感が得られるような劇薬が、体に良いわけがないのです。
デジール様は卒業式での合奏成功の快感を求めて求めて……お酒では満たされなくて、どんどん効き目が強く危険な麻薬を使うようになっていって、多くの中毒患者と同じく突然死なさったのです。才能のある彼女なら、成功に浮かれて努力を怠ることで落ちた技術も再び努力することで取り戻せたでしょうに。もしかしたら、再び努力しても同じ成功は味わえないかもしれないと考えて怯えてしまったのでしょうか。
アンリを産んでくださったデジール様には感謝をしています。
彼女自身が陛下に託したとはいえ、私がアンリをひとり占めしていることを申し訳なくも思っています。
やはり生さぬ仲なのです。デジール様ならもっと良い母親になっていたのかもしれません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「出来ましたよ、母上!」
アンリが叫んだのは、彼が学園を卒業する年のことです。
ここは王宮の中庭です。
五歳のあのとき以来絵を描くのが好きになったアンリのために専用工房を造ったのですけれど、絵の具に含まれる危険な成分や膠の臭いが充満する狭い工房に籠もるのは危険なので、もっぱら外で描いています。
叫びながらアンリは、描いていた絵を持ち上げて私に見せました。
私の肖像画です。
彼は毎年私の誕生日が近づくと、肖像画を描いて贈ってくれるのです。……私が実母でないことは、彼が学園に入学する前に伝えました。伝える前から薄々気づいていたようです。
そうですよね、金色の髪で空のように真っ青な瞳以外は陛下に似ているところがないのです。
もちろん私にも似ていません。
自分はだれに似ているのかと不安になったのでしょう。王宮で流れている噂話に耳を澄ませれば、私に対する陛下の態度を見ていれば、陛下が本当に愛する女性の存在に気づくのは不思議なことではありません。
「あらあら、上手ねえ」
「もう! 母上ったら、いつまでも僕を子ども扱いして」
「いつまで経っても貴方は私の子どもですもの」
それでもアンリは、今も私を母と呼んでくれています。
「とっても上手だし綺麗な絵だけれど……本当に翠玉と金剛石を粉にして絵の具にする必要があったのかしら?」
「当たり前です! 母上の瞳は翠玉の煌めきと金剛石の深みがなければ表現出来ません」
私は心の中で溜息をつきました。
ごめんなさい、デジール様。
貴女の可愛い息子を甘やかし過ぎて金食い虫にしてしまいました。そして、ありがとうございます。アンリ自身が、彼の創り出すすべてのものが、彼と過ごす一瞬一瞬が、私にとっての宝物です。
「……」
「アンリ?」
いつもなら宝石の産地による色合いや透明度の違いについて語り続けるアンリが沈黙したので、私は顔を上げました。
中庭を囲む建物の渡り廊下に陛下がいました。
若い女性に取り囲まれています。デジール様の死後に迎え入れた愛妾達です。彼女達が来てから数年経ちますが、アンリ以外の子どもは生まれていません。
アンリの視線を追った私と目が合うと、陛下は不快そうに顔を歪めて去っていきました。
私の最愛が苦し気な表情で俯きます。
陛下はアンリに冷たいままです。距離があるのです。デジール様が亡くなったことで、さらに距離が開いたような気がします。
私がアンリから離れれば、と思ったこともありました。でも……出来ませんでした。
「アンリ、陛下は貴方を愛していらっしゃいますよ」
「……そうでしょうか」
「貴方と貴方の母君を愛していらっしゃるからこそ、心を閉ざしていらっしゃるのです。陛下はまだ貴方の母君を喪った悲しみに苦しんでいらっしゃるのですわ」
愛妾達には申し訳ないと思っています。
彼女達はデジール様を喪った悲しみを紛らわせるためだけの存在なのです。
私では陛下を癒すことは出来ません。彼女達に頼るしかないのです。このまま子どもが出来なかったとしても、生涯の面倒は見てあげたいと思っています。
「絵描きさん、今日のお仕事はお終いかしら?」
「あ、いえ、これから絵の具を乾燥させるための処理をしなくてはいけません」
「乾燥したら工房でニスを塗るのよね? 夢中になり過ぎては駄目ですよ。小まめに換気なさいね」
「はい、母上。ニス塗りが終わったら、包装して差し上げます」
「楽しみにしていますよ。……王太子の勉強も忘れないようにね」
「母上に自慢していただける王太子になれるよう努力いたします」
生さぬ仲だからこそ気遣ってくれているのがわかります。
心の中で金食い虫とふざけて呼んでしまいましたけれど、絵の具の宝石に使っているお金はこの子のお小遣いから出ています。私が与えたのは工房だけで、画材も自分で購入してくれているのです。
実母のデジール様にだったら、もっと甘えることが出来ていたのでしょうか。
わかりません。
それでも私はアンリを愛しています。
今の私に出来る精いっぱいでこの子を支えていきたいと願っているのです。──願って、いたのに……
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