もしも願いが叶うなら

豆狸

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第九話 不貞の末路~都合の良い夢を見て~

「あれはどういうことだッ」

 ジャックは自分と恋人の間の机を殴りつけた。
 殴りつけた拳に痛みを感じる。
 数カ月前に婚約破棄をした婚約者、この男爵家の令嬢メイジーと一緒にいたときは、イラつくことはあってもここまで怒りを覚えることはなかった。

 イラついていたのは自分自身の問題だとわかっている。
 ジャックは自分より有能で男爵家の運営で結果を出しているメイジーが気に食わなかっただけなのだ。
 だから父親と祖母を亡くし、母親は行方不明という状態で転がり込んできた目の前の女と仲良くして当てつけてやった。

 婚約者メイジーのために使うようにと渡された金を恋人につぎ込んだ。
 贈った装身具を着用している恋人の姿を見たことはない。
 メイジーに奪われたのだと泣きつかれて、婚約者に嫉妬されているのだとほくそ笑んでいた。男爵家を照らす跡取り娘メイジーの輝きは、ジャックには眩し過ぎたのだ。曇っているくらいでちょうど良いと感じていた。

 婚約破棄を宣言したら、メイジーに縋りつかれると思っていた。
 そうしたら再構築してやっても良いと考えていたのだ。
 なにしろ目の前の恋人には後ろ盾となる身寄りがない。財産もないし、メイジーが学んできた知識も経験もないのだ。貴族の妻にはできない。

 しかしメイジーは婚約破棄を受け入れた。
 それだけならまだ良かった。
 元婚約者は真面目な性格で家思いだ。ジャックの恋人が来るまでは当主であり父である男爵との関係も良好だった。

 メイジーならば婚約破棄を受け入れても、男爵家を維持するために尽くし続けてくれると思っていたのだ。
 父と領民のために、一生を費やして。
 どこかから縁談でも来れば状況は変わるものの、長年の婚約者に婚約を破棄された令嬢に真面マトモな縁談など来るはずがないと思っていた。そうなれば男爵は遠縁のジャックを養子にして家を継がせるしかない。目の前の恋人を愛人として囲えるのならメイジーと再構築して結婚しても良いし、メイジーに実務をすべて任せられるのなら恋人と結婚して遊び暮らしても良い――それがジャックの夢見た自分にだけ都合の良い未来だった。

 今のジャックは男爵家の養子だ。
 メイジーが父と絶縁して出て行ったので、この家に跡取りがいなくなったからである。
 実家の子爵家は男爵家が息子のものになるのなら、妻がだれでも気にしていない。

「あれってなぁに?」

 長椅子に腰かけた恋人は、物憂げに問い返してくる。
 その腕には紋章入りの腕輪があった。
 男爵家の亡き夫人の血縁だというあかしだ。

「メイジーに結婚を申し込んできた伯爵にすり寄っていたことだ!」

 港のある領地を持つ伯爵は、メイジーが男爵家と絶縁して家を出ていることを知った上で、父である男爵に許可を取りに来たのだった。
 当主交代で混乱しているとはいえ、伯爵家自体は裕福なことで知られている。
 男爵はメイジーが望めば、と彼の求婚を受け入れた。もっとも男爵に別れた娘の行動を決定する権限はない。伯爵の気持ちの問題だ。

 ジャックと恋人は男爵家の跡取りとして同席していた。
 もちろんふたりにもメイジーの行動を決定する権限はない。
 伯爵家が裕福だと知るなり、恋人は彼にすり寄り始めた。メイジーへの求婚の許可を取りに来たはずの伯爵の頬が赤く染まっていくのを、ジャックは目の前で見た。

「良いじゃない。あの人お金持ちなんでしょ? アタシお金が欲しいのよ。男爵家ってもっと羽振りが良くなかった? あの女がいなくなったくらいで、こんなに寂れるとは思わなかった。ジャックも跡取りの婚約者として勉強してきてたんでしょ? あの女のいなくなった穴くらい、なんで埋められないのよ」
「……」
「まあジャックってば馬車に乗れないから、取り引き先と会うのもひと苦労だもんね」
「黙れッ」

 メイジーと婚約破棄をしてから、ジャックは馬車に乗れなくなった。
 馬にもだ。馬の鳴き声が怖いのだ。
 まるで馬車に乗っていたときに恐ろしいことでも起こったかのように、そのとき馬が鳴いていたかのように――

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