あなたの明日に寄り添いたくて

豆狸

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第二話 男爵令嬢の死

 ヴンデ男爵令嬢リューグナの赤く染まった胸元を確認して、王太子アレクサンダー殿下が私を睨む。

「なんてことをするのだ、ゲルダ! リューグナ、大丈夫か?」
「えへへ。アタシが勝手に転んじゃっただけですよぅ」
「ゲルダなど庇わなくても良いのだぞ。ああ、可哀相に。胸元が真っ赤に染まっているではないか。まるで血のようだ、痛ましい」

 とんだ茶番ですね、とベルントが私の耳元で囁く。
 まったくだわ。本当に、茶番としか言いようがない。
 殿下は元々正義感の強い方でしたけれど、今は悪い公爵令嬢から哀れな男爵令嬢を救う自分という幻影に酔いしれていらっしゃる。そういえば殿下が学園で彼女と親しくなったのも、身分が低いことで虐められている彼女を守るというのが建前でしたっけ。

「まったく酷いことを。ゲルダ! 貴様のような女との婚約は破棄する!」
「……かしこまりました」

 私は恭しく頭を下げた。
 これまでの日々で、殿下のお心に私はいないと思い知らされてきたことに比べたら、国王陛下ご夫妻が外遊から戻られたら撤回される婚約破棄など悲しくもなんともない。
 でも、そろそろフィッシェ公爵であるお父様や跡取りのお兄様の堪忍袋の緒が切れるかもしれないわ。本当の婚約破棄になったら、王太子の元婚約者の傷物令嬢なんて扱いにくいにもほどがあるわね。……王命の婚約で、本当の破棄なんてあり得るのかしら。

「ん? リューグナ、手袋が破れているぞ。ゲルダの仕業か?」

 男爵令嬢を支えて立ち上がらせようとしていた殿下は、胸元と一緒に赤く染まったらしい彼女の手袋を見て顔色を変えた。
 たとえ私が悪かったのだとしても、赤葡萄酒を浴びせただけで手袋を破るなんて器用な真似出来ませんわ。そう言って差し上げたかったけれど、殿下に聞く耳はないだろう。
 男爵令嬢はなぜか焦ったような顔になり、殿下の手から自分の手を離す。

「は、はい。手袋まで破れちゃったしドレスも汚れちゃったので、アタシ……控、室に戻りたい、です」

 彼女は元から舌足らずな口調だが、今は呂律が回っていないように聞こえた。

「おい。大丈夫か、リューグナ。メイドを呼んで控室まで送らせよう」
「い、いえ。アタシ、ひとり、で……」

 離れたところから見ていても、男爵令嬢の体から力抜けるのがわかった。
 支えていた殿下が崩れ落ちそうになる彼女の体を抱きとめる。

「リューグナ? おい、リューグナ、どうした?……リューグナーっ!」

 ──私の持っていた赤葡萄酒を浴びて、男爵令嬢は死んだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 男爵令嬢の死因は毒だったが、私の杯に残っていた赤葡萄酒に毒は入っていなかった。
 当たり前だ。護衛騎士ベルントが私に毒の入ったものを持ってくるはずがない。
 王宮の夜会で、だれが飲むかわからない酒杯に毒を入れるというのもおかしな話だ。

 でも、私は夜会の晩に王宮の地下牢に入れられてから何日もそのままだった。
 フィッシェ公爵家の領地は王都から遠い。
 王都の公爵邸の使用人が早馬を飛ばしたとしても、領地にいるお父様とお兄様にこの状況はまだ届いていないだろう。

 国王陛下ご夫妻の外遊は長引いている。
 船でほかの大陸へ行っていらっしゃるのだが、天候不順で帰りの船が出港出来ないでいるらしい。
 天候が崩れる前にこちらの大陸へ来た商人からの情報だ。

 牢にいる私がそんなことを知っているのは、殿下が教えてくれるからだ。
 殿下は毎日地下へ来て私を罵る。
 天候が崩れて国王陛下ご夫妻が戻ってこないのは、正義を執行せよという天の神の思し召しだと嬉しそうに語っていた。殿下はなんの証拠もないのに、私が男爵令嬢を殺したと信じているのだ。

「そうなのだろう?」

 最愛の男爵令嬢を喪ったせいか、殿下は一気にやつれたように見える。
 狂気を帯びた瞳に私を映し、殿下は語る。
 彼の瞳に映る私も何日も食事を与えられていないのでやつれている。水さえ与えられていないので、牢に生えた苔や転がっている小石を口に含んで唾液を出している。昔、お父様に教えてもらった生存術だ。

「リューグナの控室には男の死体があった。貴様が学園で襲われかけたと言っていた男と外見の特徴が一致している。俺からと称してリューグナに渡された手紙に従って裏庭へ行ったら待っていた、などと言っていたが、本当はリューグナに罪を着せるために貴様が仕組んだことだったのだろう?」
「だったら、あのときの男が姿を消すはずがありませんわ。捕まえて証言させて、初めて彼女を罪に落とせるのではないですか」
「貴様達があの男を殺して口封じしようとしているのに気づいて逃げたのだ」
「それなのに夜会では彼女を殺してくださったのですか? おかしいではないですか。それに彼女が亡くなったのは控室ではなく夜会の会場ですわ」

 私の言葉に、殿下は少しだけ戸惑うような表情を見せた。

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