この毒で終わらせて

豆狸

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 ──恋は毒。
 一滴のときめきさえ心臓を穿つ。
 心が歪み、体が蝕まれていく。

 体内に満ちた毒から逃げるには、別の毒を仰ぐしかない。
 私は、机の上に並んだ毒瓶を見た。
 このうちの一瓶でも一滴でも口にすれば、もうすべてのことを忘れて消え去ることができる。見るなと言われても彼を見てしまう心も、話しかけるなと言われても声を発してしまう体も、彼に言われた通り消え去ることができる。

 だけど……毒瓶に伸ばした腕が止まる。
 私は夢見てしまうのだ。
 明日目が覚めたら、彼が私に微笑んでくれるのではないかと、私の名前を呼んでくれるのではないかと、彼の婚約者は妹ではなく私なのだと思い出してくれるのではないかと。これまで、ずっとずっと夢見て来たように。

「……」

 一度もお父様に愛されることなく亡くなったお母様の死に顔が脳裏をぎる。
 お父様は私のことも愛していない。
 あの人が愛しているのは白金の髪プラチナブロンドの妹と、彼女を産んだ高貴な女性だけだ。お母様に私を産ませたのは、双子と偽ることで妹の出生を隠すためでしかない。

 硝子でできた毒瓶の表面に赤がぎる。
 お母様と同じ、私の赤毛だ。
 お父様には下卑た色だと罵られ、婚約者には野蛮な血の色と侮蔑されたこの髪を、大好きな親友は綺麗だと言ってくれた。……そうだ。私にも愛してくれる人がいる。このから離れて生きる道を探すべきなのだ。

 私は毒瓶に混じった一瓶を手に取った。
 蓋を開けて唇へ運ぶ。
 これは毒ではない。毒を消すための薬だ。

「ベアトリス!」

 瓶の薬を飲み干したとき、私の婚約者で、このオートムヌ王国の第二王子であるアルベール殿下が部屋の扉を開けた。
 お父様と同じ黄金の髪を持つ青年は、私を睨みつけて言う。

「そなた、部屋に籠ってフロランスを害するための毒を作っているというのは本当か? 神にもらった恩恵ギフトをそんなことに使うとは不敬にもほど、が……」
「アルベール様?」

 彼の背後に隠れていたフロランスが、白金の髪プラチナブロンドを揺らして首を傾げる。
 私の妹は、本当に可愛らしい。お人形のようだ。
 アルベール殿下の言葉が途切れたのは、私が微笑んでいたからだろう。だって、嬉しくてたまらなかったのだ。彼を見ても私の心臓は締めつけられなかった。呼吸も止まらない。

 もう恋していない。
 私は彼に恋していないのだ!
 神に授けられた製薬の恩恵ギフトで作った恋忘れの薬は、ちゃんと効いてくれた。

 ドレスを摘まんでお辞儀をして見せる。
 この国では愛妾の息子であるアルベール殿下に王位継承権はない。
 彼は我が家に婿入りして侯爵となる予定だった。婿入りの相手が姉から妹に変わっても問題はないだろう。……妹を溺愛するお父様がそれを許すかどうかは、私には関係のないことだ。

「身に覚えのないことですが、殿下がお疑いならお調べを受けましょう。ただしこの部屋にある毒には、気軽にお手を触れないでくださいますようお願いいたします。この毒は王太子殿下の婚約者であらせられる公爵令嬢コンスタンス様が、神に授けられた製毒の恩恵ギフトでお作りになったものです」

 私はそれぞれの解毒剤の作成を頼まれていただけだ。
 それに、毒だからと言ってすべてが悪しきものではない。
 コンスタンス様の腐敗毒によって、オートムヌ王国の葡萄酒とチーズは格段に美味しくなった。生産量も増え、北のイヴェール帝国や南のエルテ王国への輸出も始まっている。

「……」
「アルベール様? どうなさったのですか?」

 殿下は、先ほどからずっと黙ったままだ。
 その瞳には微笑む私の姿だけが映っている。
 まるで怪しげな毒でも飲まされて硬直しているかのようだ。おかしなこと。私はだれにも毒など使っていない。自分が飲んだのも薬なのに。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 私は罪など犯していなかったものの、第二王子殿下との婚約を継続するのはもう無理だった。
 お母様が生きていたころから声をかけてくださっていたお爺様と伯父様に甘えて、お母様の実家の辺境伯家へ引き取られることにした。
 私はアルベール殿下への、お母様はお父様への恋心が邪魔して、ずっと誘いを断り続けていたのだ。

 ──辺境伯家に引き取られたら、赤い髪で悩んでいたのが莫迦らしく思えてきた。
 だって、みんな赤い髪なのだもの。
 辺境伯家の人間だけでなく、家臣や領民の髪もどこかしら赤い。辺境伯家が種を蒔いたわけではなく、風土のせいらしい。当主であるお爺様も次期当主の伯父様もご自身の妻を裏切るような真似はなさらないものね。

 親友のコンスタンス様と会えないことを除けば、辺境伯家の生活は天国だった。
 私が恩恵ギフトで作る薬を泥水よりも汚らわしいと言ったアルベール殿下と違い、家族も領民も私の薬を喜んで受け取ってくれる。……家に棚を作って飾り崇め奉るのではなくて、飲んで健康になって欲しいのだけどね。
 今日も薬の材料を摘みに森へ入るのに、従兄弟達が総出で付き添って来てくれた。

「ベアトリス、俺達向こうで狩りしてるから」
「なにかあったら大声で叫べよ」
「俺、すぐ助けに来るからな!」
「ありがとう。みんなも気をつけてね」

 ……辺境伯邸での勉強から逃れて、狩りがしたかっただけかしら。
 まあ、お互い満足なのだから良いのだけれど。
 優しくて騒がしい従兄弟達が奇声を上げて去っていく。え? いいの? 静かに行かないと獲物が逃げてしまうのじゃないの? 走り回りたいだけ?

「……みんなが怪我しても大丈夫なように、怪我薬の材料を多く摘んでおきましょう」

 とりあえずそういうことにして、私は薬草採取に集中した。
 従兄弟達の声が聞こえなくなっていく。
 かすかな葉擦れの音、風の囁き、どこかで──悲しげな溜息が聞こえた。
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