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第九話 彼は嘘をつきました。
フェアリーがマシューの側妃になって、一年が過ぎた。
まだ子どもはできていない。
マシュー自身は焦ることはないと思っていたのだが――
「なにをおっしゃっているのですか?」
ホリーの眉間に皺が寄る。
「それはあまりにもフェアリー様を莫迦にしたお言葉ではありませんか。……フェアリー様を正妃にできない代わりに私とは子どもを作らない、彼女との子どもを跡取りにするとお誓いになったのでしょう?」
「なぜ、それを君が?」
「フェアリー様が王宮に嫁がれたとき、直々に教えに来てくださいましたのよ。もっとも教えていただかなくても、そんなことではないかと考えてはおりました。そうでもなければ私を正妃になどなさらないでしょうし、嘘をついて薬を飲ませようともなさらなかったでしょうから」
「……」
今日、マシューはホリーの部屋を訪ねて彼女に子作りをしてほしいと願ったのである。
「……父上に、フェアリーの側妃入りから三年経っても子どもができなかったときは私が種なしだったと発表した上で臣下に落とすと言われたのだ」
「まあ」
言葉は驚いているが、ホリーの表情は変わらない。
美しいけれど仮面のように熱のない顔だ。
以前はそうではなかった、とマシューは思う。初夜から始まった白い結婚生活の前、嘘をついて彼女を騙していた学園での生活でさえ、自分を見つめるときのホリーは愛情を隠さず頬を染め、瞳を煌めかせていた。
「殿下が王家を出られるということは、私は離縁が許されるようになるのでしょうか?」
「……そうだ。以前私の側近だった公爵子息が神殿に入り、新しい聖王猊下の腹心となって男爵の秘密結婚の欺瞞を暴いた。神殿を欺くことに力を貸した公爵家は当主が毒杯を賜り爵位を下げることで生き延びたが、男爵家は当主が処刑され存在を消された」
公爵家の当主が毒杯で密かに始末されたのには、ふたつの理由がある。
ひとつは王家から分かれた公爵家の血筋が尊重されたこと。
もうひとつは彼の罪を公表すると連座する人間が莫大になってしまうこと、だ。だから元公爵の罪はあくまで寄子貴族の管理責任を問うもので、本人が直接拝金神官と取り引きしたことは伏せられている。
先代を喪った公爵家は子爵家となり、残った家族が力を合わせて暮らしている。
神殿に入った長男も家族を支えているようだ。
母親の違う末娘も家族の一員として守られている。若い愛人は先代の後を追って自害したと言われていた。彼女が本心から望んだ結果だったのかどうかはわからない。
広大だった公爵家の領地は亡き男爵の前妻の実家と辺境伯家に振り分けられた。
これまでの年月で、その二家が公爵家に並ぶ薬術の名家だと認められていたからだ。
王家はこれ以上辺境伯家を無下にはできない。もともと辺境伯家の力を認めていて、身内に取り込みたいと考えたからホリーと王太子の婚約を結んでいたのだ。それを台無しにしたのはマシュー自身である。
「今さら殿下と子作りだなんて、お断りいたしますわ。私どもの白い結婚については、陛下方に許可をいただいております。貴方のいない席で私だけが問い詰められたことで。……まだ二年あるのですから、フェアリー様との間にお子がお生まれになるのをお待ちになればよろしいのでは?」
「無理だ」
一瞬、ホリーの瞳に憐れみの色が浮かんだ。
フェアリーのことを思ったのだろう。
その憐れみが自分に対するものでないことが、マシューは少しだけ寂しく感じた。白い結婚ではあったものの、ホリーは良い王太子妃だった。公務ではいつも支えてくれたし、実家が無くなり味方のいないフェアリーのこともさりげなく気を配ってくれていた。
「……あんな薬をずっと飲まされていたのでは、体がボロボロになっても仕方がありません」
「それもある。しかし、それだけではない。フェアリーが王宮で口にするものの中に、あの薬ほど体に悪いものではないけれど、子どもができなくなる薬が入れられているらしい」
「……」
しばらく沈黙してから、ホリーは口を開いた。
「マシュー王太子殿下。殿下は王太子として政略結婚の役目を果たすよりも、フェアリー様との愛を貫くことをお選びになりました。先ほども申し上げましたが、今さらです。王家から離れればフェアリー様を害するものもいなくなるでしょう。王国の一貴族としてなら、彼女だけを愛してお幸せになれることと思います」
「ッ! 君はそれで良いのか? 離縁できたとしても次の相手など見つからないぞ。君は夫に愛されなかった惨めな女なのだからな!」
「構いません」
真摯に自分を見つめるホリーが、今のマシューには煌めいて見えた。
まるで凛と咲く白百合のようだと思う。
ホリーもマシューも、国王夫婦もその側周り達も、王太子夫婦が白い結婚であるとわかっていても口にしたりはしない。それでもふたりの間の壁を感じ、王太子妃を見下す人間もいた。でもどんなときもホリーは背を伸ばし、真っ直ぐに立っていた。
「初夜の晩に殿下と結んだお約束は果たしました。これからは私自身のために純潔を守り通したいと望んでおります」
「……もしかして、好きな男がいるのか?」
「ええ、ずっとずっと前から」
「辺境伯家から届く詩集の作者か? あれを見ているときの君は……昔、私と一緒に過ごしていたときと同じ顔をしている」
ホリーが微笑む。
「まさか。あの詩集は弟がお飾りの王太子妃である私の無聊を慰めるために届けてくれているものです。作者がだれなのかも存じませんわ。私が好きな方は……殿下の知らない方です。きっとこれからもお知りになることはないでしょう」
そっと自分の胸に手を当てるホリーの姿は相変わらず煌めいて見えて、マシューは心臓が潰れそうな気持ちになった。
婚約解消を拒み、王太子妃の座にしがみついていた女性など最初からいなかった。
マシューは自分にとって大切な存在を愚かにも手離してしまったのだ。
まだ子どもはできていない。
マシュー自身は焦ることはないと思っていたのだが――
「なにをおっしゃっているのですか?」
ホリーの眉間に皺が寄る。
「それはあまりにもフェアリー様を莫迦にしたお言葉ではありませんか。……フェアリー様を正妃にできない代わりに私とは子どもを作らない、彼女との子どもを跡取りにするとお誓いになったのでしょう?」
「なぜ、それを君が?」
「フェアリー様が王宮に嫁がれたとき、直々に教えに来てくださいましたのよ。もっとも教えていただかなくても、そんなことではないかと考えてはおりました。そうでもなければ私を正妃になどなさらないでしょうし、嘘をついて薬を飲ませようともなさらなかったでしょうから」
「……」
今日、マシューはホリーの部屋を訪ねて彼女に子作りをしてほしいと願ったのである。
「……父上に、フェアリーの側妃入りから三年経っても子どもができなかったときは私が種なしだったと発表した上で臣下に落とすと言われたのだ」
「まあ」
言葉は驚いているが、ホリーの表情は変わらない。
美しいけれど仮面のように熱のない顔だ。
以前はそうではなかった、とマシューは思う。初夜から始まった白い結婚生活の前、嘘をついて彼女を騙していた学園での生活でさえ、自分を見つめるときのホリーは愛情を隠さず頬を染め、瞳を煌めかせていた。
「殿下が王家を出られるということは、私は離縁が許されるようになるのでしょうか?」
「……そうだ。以前私の側近だった公爵子息が神殿に入り、新しい聖王猊下の腹心となって男爵の秘密結婚の欺瞞を暴いた。神殿を欺くことに力を貸した公爵家は当主が毒杯を賜り爵位を下げることで生き延びたが、男爵家は当主が処刑され存在を消された」
公爵家の当主が毒杯で密かに始末されたのには、ふたつの理由がある。
ひとつは王家から分かれた公爵家の血筋が尊重されたこと。
もうひとつは彼の罪を公表すると連座する人間が莫大になってしまうこと、だ。だから元公爵の罪はあくまで寄子貴族の管理責任を問うもので、本人が直接拝金神官と取り引きしたことは伏せられている。
先代を喪った公爵家は子爵家となり、残った家族が力を合わせて暮らしている。
神殿に入った長男も家族を支えているようだ。
母親の違う末娘も家族の一員として守られている。若い愛人は先代の後を追って自害したと言われていた。彼女が本心から望んだ結果だったのかどうかはわからない。
広大だった公爵家の領地は亡き男爵の前妻の実家と辺境伯家に振り分けられた。
これまでの年月で、その二家が公爵家に並ぶ薬術の名家だと認められていたからだ。
王家はこれ以上辺境伯家を無下にはできない。もともと辺境伯家の力を認めていて、身内に取り込みたいと考えたからホリーと王太子の婚約を結んでいたのだ。それを台無しにしたのはマシュー自身である。
「今さら殿下と子作りだなんて、お断りいたしますわ。私どもの白い結婚については、陛下方に許可をいただいております。貴方のいない席で私だけが問い詰められたことで。……まだ二年あるのですから、フェアリー様との間にお子がお生まれになるのをお待ちになればよろしいのでは?」
「無理だ」
一瞬、ホリーの瞳に憐れみの色が浮かんだ。
フェアリーのことを思ったのだろう。
その憐れみが自分に対するものでないことが、マシューは少しだけ寂しく感じた。白い結婚ではあったものの、ホリーは良い王太子妃だった。公務ではいつも支えてくれたし、実家が無くなり味方のいないフェアリーのこともさりげなく気を配ってくれていた。
「……あんな薬をずっと飲まされていたのでは、体がボロボロになっても仕方がありません」
「それもある。しかし、それだけではない。フェアリーが王宮で口にするものの中に、あの薬ほど体に悪いものではないけれど、子どもができなくなる薬が入れられているらしい」
「……」
しばらく沈黙してから、ホリーは口を開いた。
「マシュー王太子殿下。殿下は王太子として政略結婚の役目を果たすよりも、フェアリー様との愛を貫くことをお選びになりました。先ほども申し上げましたが、今さらです。王家から離れればフェアリー様を害するものもいなくなるでしょう。王国の一貴族としてなら、彼女だけを愛してお幸せになれることと思います」
「ッ! 君はそれで良いのか? 離縁できたとしても次の相手など見つからないぞ。君は夫に愛されなかった惨めな女なのだからな!」
「構いません」
真摯に自分を見つめるホリーが、今のマシューには煌めいて見えた。
まるで凛と咲く白百合のようだと思う。
ホリーもマシューも、国王夫婦もその側周り達も、王太子夫婦が白い結婚であるとわかっていても口にしたりはしない。それでもふたりの間の壁を感じ、王太子妃を見下す人間もいた。でもどんなときもホリーは背を伸ばし、真っ直ぐに立っていた。
「初夜の晩に殿下と結んだお約束は果たしました。これからは私自身のために純潔を守り通したいと望んでおります」
「……もしかして、好きな男がいるのか?」
「ええ、ずっとずっと前から」
「辺境伯家から届く詩集の作者か? あれを見ているときの君は……昔、私と一緒に過ごしていたときと同じ顔をしている」
ホリーが微笑む。
「まさか。あの詩集は弟がお飾りの王太子妃である私の無聊を慰めるために届けてくれているものです。作者がだれなのかも存じませんわ。私が好きな方は……殿下の知らない方です。きっとこれからもお知りになることはないでしょう」
そっと自分の胸に手を当てるホリーの姿は相変わらず煌めいて見えて、マシューは心臓が潰れそうな気持ちになった。
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