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第一話 令嬢の罪
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瞼を閉じると、今でもあの瞬間を思い出します。
驚愕に目を見開いて、階下へと落ちていく彼女の姿を。
──男爵令嬢のドローレ様は、私の婚約者だったエドアルド王太子殿下の恋人でした。
私とドローレ様の動向には、エドアルド殿下を始めとする学園の皆様が注目していらっしゃいました。
ですので、あのときも衆目が私達のおこないを映し出していたのです。もちろん殿下も。
放課後の学園で、殿下と側近の方々、通りかかった生徒の中へとドローレ様は落ちていったのです。階段の上に私を残して。
私はなにも出来ませんでした。
その状況を引き起こしたのが私だとわかっていても、なにもすることは出来なかったのです。
せめて私がドローレ様に手を差し伸べていたならば、なにかが変わっていたのかもしれません。
人々が無意識に避けて出来た空間に、ドローレ様のお体が叩きつけられました。ええ、普通に足を滑らせたのとは、まるで違う激しい勢いで、です。
エドアルド殿下が彼女に駆け寄り、その生死をご確認なさいました。
ドローレ様の息が絶えていると気づいた殿下が、階上の私を見上げたときの表情が今でも忘れられません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「キアラが気にすることはない。悪いのはあの女だ。死んでまで祟りおって!」
侯爵家の当主であるお父様はそう言ってくださいますが、私があの事態を引き起こした原因であるという事実に間違いはありません。
だから、こんなことになってしまったのです。
王都にある侯爵邸の周りでは、夜ごと怪異が目撃されています。
呟き続ける女性の霊が、敷地の周りをうろついているのです。
広い庭を隔てているのに、その呟きは自室の寝台に横たわる私の耳朶を打ち、私から眠りを奪い続けているのです。
なぜ、そんなことをするのか? それは霊が私を恨んでいるから、私さえ余計なことをしなければ、と思っているからでしょう。
こんなことになるのなら、エドアルド殿下を想う気持ちもドローレ様を憎む気持ちも飲み込んで、自分自身の心を殺して生きていけば良かったと思うほど、今の私は追い詰められていました。
睡眠不足とそれに伴う食欲不振で私の体はボロボロになり、頭が働かなくなっていたのです。
眠れない原因は霊の声だけではありません。瞼を閉じるとドローレ様が落下するときの光景が浮かんでくるせいもありました。
「……キアラ」
私の頭を優しく撫でて、お父様がおっしゃいました。
お母様や兄弟達はこの部屋にはいません。
みんな心配してくれているのですが、私の部屋に入ると霊の声が聞こえて体調が悪くなるので私が拒んでいるのです。
ほかの部屋は大丈夫なようです。
霊の目的が私だから、なのでしょう。
ただ、敷地の周りをうろつく霊の姿を窓から目撃して、いきなり高熱を発したものもいるようです。元から霊的なものに敏感な人間だったという話です。今は適切な治療を受けて回復したと聞きます。
お父様は体の頑健さには自信があると言って、どんなに止めても私に会いに来てくださいます。
侍女は、数人が交代で私の面倒を見てくれています。
侍女達の体調は気になるものの、今の私は寝台から出ることも出来ない状態なので、その献身を受け入れることしか出来ません。
「お前のためにジューリオ様、いいや、ジューリオ殿下がお出でくださった」
「ジュ……リオ、でん、か……」
「無理に話さなくても良い」
お父様に言われて、私は声には出さず、わかりました、と頷きました。
ジューリオ様、ジューリオ殿下は二十年前にお取り潰しとなった公爵家のご令息です。
当時幼かった彼は公爵家の犯した反逆罪への連座を免れ、神官見習いという形で神殿へ入れられました。喪った親族の死後の安寧を祈り続けていた彼は、いつしか神官としての頭角を現し、浄霊の第一人者として知られるようになったのです。
「お久しぶりです、キアラ。遅くなって申し訳ありませんでした」
しばらくして部屋へ入って来たジューリオ殿下は、少しエドアルド殿下に似ていらっしゃるような気がしました。
公爵家は王家から分かれた血筋なのですから、当然のことかもしれません。
エドアルド殿下に似たジューリオ殿下は、エドアルド殿下とは違う温かな瞳で私を見つめて微笑みました。優しい微笑みが胸の中に広がった途端、疲れと不眠で乾ききった眼球が熱くなり、私は自分が泣いていることに気づいたのです。
驚愕に目を見開いて、階下へと落ちていく彼女の姿を。
──男爵令嬢のドローレ様は、私の婚約者だったエドアルド王太子殿下の恋人でした。
私とドローレ様の動向には、エドアルド殿下を始めとする学園の皆様が注目していらっしゃいました。
ですので、あのときも衆目が私達のおこないを映し出していたのです。もちろん殿下も。
放課後の学園で、殿下と側近の方々、通りかかった生徒の中へとドローレ様は落ちていったのです。階段の上に私を残して。
私はなにも出来ませんでした。
その状況を引き起こしたのが私だとわかっていても、なにもすることは出来なかったのです。
せめて私がドローレ様に手を差し伸べていたならば、なにかが変わっていたのかもしれません。
人々が無意識に避けて出来た空間に、ドローレ様のお体が叩きつけられました。ええ、普通に足を滑らせたのとは、まるで違う激しい勢いで、です。
エドアルド殿下が彼女に駆け寄り、その生死をご確認なさいました。
ドローレ様の息が絶えていると気づいた殿下が、階上の私を見上げたときの表情が今でも忘れられません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「キアラが気にすることはない。悪いのはあの女だ。死んでまで祟りおって!」
侯爵家の当主であるお父様はそう言ってくださいますが、私があの事態を引き起こした原因であるという事実に間違いはありません。
だから、こんなことになってしまったのです。
王都にある侯爵邸の周りでは、夜ごと怪異が目撃されています。
呟き続ける女性の霊が、敷地の周りをうろついているのです。
広い庭を隔てているのに、その呟きは自室の寝台に横たわる私の耳朶を打ち、私から眠りを奪い続けているのです。
なぜ、そんなことをするのか? それは霊が私を恨んでいるから、私さえ余計なことをしなければ、と思っているからでしょう。
こんなことになるのなら、エドアルド殿下を想う気持ちもドローレ様を憎む気持ちも飲み込んで、自分自身の心を殺して生きていけば良かったと思うほど、今の私は追い詰められていました。
睡眠不足とそれに伴う食欲不振で私の体はボロボロになり、頭が働かなくなっていたのです。
眠れない原因は霊の声だけではありません。瞼を閉じるとドローレ様が落下するときの光景が浮かんでくるせいもありました。
「……キアラ」
私の頭を優しく撫でて、お父様がおっしゃいました。
お母様や兄弟達はこの部屋にはいません。
みんな心配してくれているのですが、私の部屋に入ると霊の声が聞こえて体調が悪くなるので私が拒んでいるのです。
ほかの部屋は大丈夫なようです。
霊の目的が私だから、なのでしょう。
ただ、敷地の周りをうろつく霊の姿を窓から目撃して、いきなり高熱を発したものもいるようです。元から霊的なものに敏感な人間だったという話です。今は適切な治療を受けて回復したと聞きます。
お父様は体の頑健さには自信があると言って、どんなに止めても私に会いに来てくださいます。
侍女は、数人が交代で私の面倒を見てくれています。
侍女達の体調は気になるものの、今の私は寝台から出ることも出来ない状態なので、その献身を受け入れることしか出来ません。
「お前のためにジューリオ様、いいや、ジューリオ殿下がお出でくださった」
「ジュ……リオ、でん、か……」
「無理に話さなくても良い」
お父様に言われて、私は声には出さず、わかりました、と頷きました。
ジューリオ様、ジューリオ殿下は二十年前にお取り潰しとなった公爵家のご令息です。
当時幼かった彼は公爵家の犯した反逆罪への連座を免れ、神官見習いという形で神殿へ入れられました。喪った親族の死後の安寧を祈り続けていた彼は、いつしか神官としての頭角を現し、浄霊の第一人者として知られるようになったのです。
「お久しぶりです、キアラ。遅くなって申し訳ありませんでした」
しばらくして部屋へ入って来たジューリオ殿下は、少しエドアルド殿下に似ていらっしゃるような気がしました。
公爵家は王家から分かれた血筋なのですから、当然のことかもしれません。
エドアルド殿下に似たジューリオ殿下は、エドアルド殿下とは違う温かな瞳で私を見つめて微笑みました。優しい微笑みが胸の中に広がった途端、疲れと不眠で乾ききった眼球が熱くなり、私は自分が泣いていることに気づいたのです。
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