豆狸2024読み切り短編集

豆狸

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七月・八月:狂恋

面影を見つめてる。【幻影】

 ハーマンが当主だった侯爵家の血筋には、ときどき面影を作り出す能力を持つ人間が生まれてきた。
 愛するものの最後の一日の行動を幻影として映し出す能力だ。
 それは脳裏に浮かぶ面影と同じで能力を使った本人以外には見えない。

 政略結婚相手の正妻キャサリンを追い出した翌日、愛しいトゥレチェリィがいないことに気づいたハーマンは、すぐにその力を使った。
 この力は最後の一日の行動しか幻影に出来ない。
 能力が発動しなければ無事だとわかるし、発動したなら犯人を見つけて仇が取れる。

 ハーマンはトゥレチェリィを愛していた。
 彼女はキャサリンと結婚する一ヶ月前に、領地の祭りで出会った旅芸人の少女だった。
 ひと目で恋に落ち、その夜のうちに結ばれた。そして領都侯爵邸の離れで彼女を囲い始めた。

 しかしキャサリンとの結婚を中止することは出来なかった。
 キャサリンの父である伯爵はハーマンの父である先代侯爵の親友で、侯爵家は伯爵家の援助なしにはやっていけない経済状態だったからだ。
 侯爵領は所属する王国の国境沿いにあり、潜在的に敵国な隣国からの嫌がらせによって疲弊していたのである。

 ハーマンは一応夫婦の営みは実行した。
 白い結婚で離縁したら持参金や援助金を返済しなくてはいけなくなる。
 何年経ってもキャサリンとの間に子どもが出来ないことをハーマンは喜んでいた。このままならいつかトゥレチェリィに産んでもらった子どもを跡取りに出来るかもしれないと、都合の良いことを考えていた。

 ──トゥレチェリィの最後の一日は領都侯爵邸の裏庭、枯れた井戸の前で始まる。

 初めて彼女のその顔を見たとき、ハーマンは息を呑んだ。
 作り出せる幻影は愛するものひとりのものだ。
 トゥレチェリィが裏庭で会っていた人物は、そのときはわからなかった。

 でもはっきりわかることがあった。
 トゥレチェリィは目の前の人物を愛している。
 隠し切れない愛情が彼女の幻影から溢れ出している。ハーマンに見せていた整えられた笑顔とは違った。

 相手から小さな瓶を受け取って、トゥレチェリィは侯爵邸の本館へ入る。
 だれも彼女を咎めない。
 彼女を咎めたら、主人のハーマンに叱責されるからだ。

 トゥレチェリィは女主人の部屋──正妻キャサリンの寝室へ忍び込む。
 幻影が見えない扉を開いても、追いかけるハーマンの視界は本物の扉が遮っている。
 ハーマンが扉を開けると、朝食の時間でキャサリンのいない部屋でトゥレチェリィがさっきの瓶の中身を水入れへ注いでいる。

 彼女が驚いたような仕草を見せたのは、寝室の戸棚に隠れていたキャサリンの侍女が現れたからだろう。
 侍女はトゥレチェリィを捕らえ、ハーマンに突き出してきた。
 キャサリンの不妊はトゥレチェリィが毒を飲ませていたからだと訴えたのだ。

 ハーマンは信じなかった。
 怯えたように振る舞うトゥレチェリィを背中に隠し、言いがかりだと侍女を怒鳴りつけた。侍女を庇うキャサリンに出て行けと告げた。
 だから、ふたりは侯爵邸を出て行った。

(どうして僕は、あのとき振り返らなかったのだろう)

 今のハーマンは振り返り、自分を盾にしてキャサリン達を嘲るトゥレチェリィの邪悪な笑みを確認することが出来る。
 これもまた、ハーマンの知らなかった表情だ。
 侯爵邸にいたときのキャサリンは、いつもこんな顔を見せられていたのだろうか。

 最後の日の深夜、ハーマンと睦み合った後でトゥレチェリィは再び裏庭へ行く。
 愛に満ちた笑顔でを迎え、キャサリンと侍女を追い出したことを自慢げに告げる。
 幻影の声は聞こえない。それでも嘲笑に満ちた表情でわかる。

 相手と抱き合って口付けを交わし、背中に短剣を突き立てられて、意識が消える直前に裏庭の枯れた井戸の中へ放り込まれて、トゥレチェリィの最後の一日は終わる。

 最初に幻影を見たとき、ハーマンはすぐに枯れた井戸を塞いでいた岩を引き上げて、底に眠っているだろうトゥレチェリィを救い出そうとしたが、力自慢の庭師の姿はなかった。
 後になって、王国の調査で判明した。
 庭師は隣国の間者だったのだ。トゥレチェリィがハーマンの愛人になってから篭絡して、手先として利用していた。国境沿いの侯爵家が伯爵家の援助を受けられなくなったら侵略しやすくなるので、ハーマンとキャサリンの間に亀裂を生じさせたのだ。

(キャサリンという婚約者がいながら、祭りの高揚感に浮かれてトゥレチェリィに心を移した僕が愚かだったんだ……)

 キャサリンと侍女は実家の伯爵家へ戻った後で、トゥレチェリィから取り上げていた毒の瓶を王家へ提出した。
 隣国の一部でのみ採れる植物でしか作れない毒だった。
 そこから調査が進み、庭師の正体が判明したのだ。

 間者の庭師は、隣国の軍人でもあった。
 侯爵邸から逃げ出した彼は元の姿に戻り、何度か侯爵領を襲撃してきた。
 彼を撃退し、止めを刺したのはハーマンではない。ハーマンが侯爵家当主に相応しくないと見做された後で、新たな当主となった遠縁の人間の手柄だ。新当主の活躍のおかげで、先代当主のハーマンは外患誘致で処刑されることを免れた。

 実家へ戻ったキャサリンは、飲まされていた毒の解毒が終わってから再婚した。
 今は新しい夫との間に子宝に恵まれて、幸せな日々を送っているという。
 激しい恋情はなかったものの、父親同士が親友だったハーマンとキャサリンは幼馴染だった。トゥレチェリィと出会うまでのハーマンは、生涯キャサリンを大切にして生きていくのだと思っていた。

(……僕がトゥレチェリィと浮気をしたのは間者のせいじゃない)

 とにかく金持ちの男を捕まえたかったトゥレチェリィに、浴びるほど酒を飲まされたからだと言い訳することは出来る。
 でも当主教育を覚えていれば、初対面の人間からの酒はほどほどで切り上げたはずだ。
 ハーマンはトゥレチェリィを気に入っていた。だから彼女の機嫌を取りたくて、勧められるままに酒を飲んだのだ。

 トゥレチェリィは幸せだったのだろうか。
 金持ちの男を捕まえて、その男の家で心から愛せる相手と出会えて。
 男の妻に毒を飲ませて嘲って、愛した相手に利用されて殺されて。

 ハーマンは今も領都の侯爵邸で暮らしている。
 いや、侯爵邸だ。
 新当主は新しい館を建てたのだ。ハーマン以外に見えないといっても、幻影がうろついている建物は嫌だったのかもしれない。

 ハーマンは知らない。自分に媚びを売るトゥレチェリィしか知らない。
 ほかの相手を心から愛している彼女は知らない。
 他人を傷つけて嘲笑している彼女も知らない。

 ハーマンは今日も、愛した女性と同じ顔をした知らない面影を見つめている。
 この能力で生み出した幻影は消えないのだ。

<終>

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