豆狸2024読み切り短編集

豆狸

文字の大きさ
27 / 45
七月・八月:狂恋

面影を見つめてる。【幻影】

しおりを挟む
 ハーマンが当主だった侯爵家の血筋には、ときどき面影を作り出す能力を持つ人間が生まれてきた。
 愛するものの最後の一日の行動を幻影として映し出す能力だ。
 それは脳裏に浮かぶ面影と同じで能力を使った本人以外には見えない。

 政略結婚相手の正妻キャサリンを追い出した翌日、愛しいトゥレチェリィがいないことに気づいたハーマンは、すぐにその力を使った。
 この力は最後の一日の行動しか幻影に出来ない。
 能力が発動しなければ無事だとわかるし、発動したなら犯人を見つけて仇が取れる。

 ハーマンはトゥレチェリィを愛していた。
 彼女はキャサリンと結婚する一ヶ月前に、領地の祭りで出会った旅芸人の少女だった。
 ひと目で恋に落ち、その夜のうちに結ばれた。そして領都侯爵邸の離れで彼女を囲い始めた。

 しかしキャサリンとの結婚を中止することは出来なかった。
 キャサリンの父である伯爵はハーマンの父である先代侯爵の親友で、侯爵家は伯爵家の援助なしにはやっていけない経済状態だったからだ。
 侯爵領は所属する王国の国境沿いにあり、潜在的に敵国な隣国からの嫌がらせによって疲弊していたのである。

 ハーマンは一応夫婦の営みは実行した。
 白い結婚で離縁したら持参金や援助金を返済しなくてはいけなくなる。
 何年経ってもキャサリンとの間に子どもが出来ないことをハーマンは喜んでいた。このままならいつかトゥレチェリィに産んでもらった子どもを跡取りに出来るかもしれないと、都合の良いことを考えていた。

 ──トゥレチェリィの最後の一日は領都侯爵邸の裏庭、枯れた井戸の前で始まる。

 初めて彼女のその顔を見たとき、ハーマンは息を呑んだ。
 作り出せる幻影は愛するものひとりのものだ。
 トゥレチェリィが裏庭で会っていた人物は、そのときはわからなかった。

 でもはっきりわかることがあった。
 トゥレチェリィは目の前の人物を愛している。
 隠し切れない愛情が彼女の幻影から溢れ出している。ハーマンに見せていた整えられた笑顔とは違った。

 相手から小さな瓶を受け取って、トゥレチェリィは侯爵邸の本館へ入る。
 だれも彼女を咎めない。
 彼女を咎めたら、主人のハーマンに叱責されるからだ。

 トゥレチェリィは女主人の部屋──正妻キャサリンの寝室へ忍び込む。
 幻影が見えない扉を開いても、追いかけるハーマンの視界は本物の扉が遮っている。
 ハーマンが扉を開けると、朝食の時間でキャサリンのいない部屋でトゥレチェリィがさっきの瓶の中身を水入れへ注いでいる。

 彼女が驚いたような仕草を見せたのは、寝室の戸棚に隠れていたキャサリンの侍女が現れたからだろう。
 侍女はトゥレチェリィを捕らえ、ハーマンに突き出してきた。
 キャサリンの不妊はトゥレチェリィが毒を飲ませていたからだと訴えたのだ。

 ハーマンは信じなかった。
 怯えたように振る舞うトゥレチェリィを背中に隠し、言いがかりだと侍女を怒鳴りつけた。侍女を庇うキャサリンに出て行けと告げた。
 だから、ふたりは侯爵邸を出て行った。

(どうして僕は、あのとき振り返らなかったのだろう)

 今のハーマンは振り返り、自分を盾にしてキャサリン達を嘲るトゥレチェリィの邪悪な笑みを確認することが出来る。
 これもまた、ハーマンの知らなかった表情だ。
 侯爵邸にいたときのキャサリンは、いつもこんな顔を見せられていたのだろうか。

 最後の日の深夜、ハーマンと睦み合った後でトゥレチェリィは再び裏庭へ行く。
 愛に満ちた笑顔でを迎え、キャサリンと侍女を追い出したことを自慢げに告げる。
 幻影の声は聞こえない。それでも嘲笑に満ちた表情でわかる。

 相手と抱き合って口付けを交わし、背中に短剣を突き立てられて、意識が消える直前に裏庭の枯れた井戸の中へ放り込まれて、トゥレチェリィの最後の一日は終わる。

 最初に幻影を見たとき、ハーマンはすぐに枯れた井戸を塞いでいた岩を引き上げて、底に眠っているだろうトゥレチェリィを救い出そうとしたが、力自慢の庭師の姿はなかった。
 後になって、王国の調査で判明した。
 庭師は隣国の間者だったのだ。トゥレチェリィがハーマンの愛人になってから篭絡して、手先として利用していた。国境沿いの侯爵家が伯爵家の援助を受けられなくなったら侵略しやすくなるので、ハーマンとキャサリンの間に亀裂を生じさせたのだ。

(キャサリンという婚約者がいながら、祭りの高揚感に浮かれてトゥレチェリィに心を移した僕が愚かだったんだ……)

 キャサリンと侍女は実家の伯爵家へ戻った後で、トゥレチェリィから取り上げていた毒の瓶を王家へ提出した。
 隣国の一部でのみ採れる植物でしか作れない毒だった。
 そこから調査が進み、庭師の正体が判明したのだ。

 間者の庭師は、隣国の軍人でもあった。
 侯爵邸から逃げ出した彼は元の姿に戻り、何度か侯爵領を襲撃してきた。
 彼を撃退し、止めを刺したのはハーマンではない。ハーマンが侯爵家当主に相応しくないと見做された後で、新たな当主となった遠縁の人間の手柄だ。新当主の活躍のおかげで、先代当主のハーマンは外患誘致で処刑されることを免れた。

 実家へ戻ったキャサリンは、飲まされていた毒の解毒が終わってから再婚した。
 今は新しい夫との間に子宝に恵まれて、幸せな日々を送っているという。
 激しい恋情はなかったものの、父親同士が親友だったハーマンとキャサリンは幼馴染だった。トゥレチェリィと出会うまでのハーマンは、生涯キャサリンを大切にして生きていくのだと思っていた。

(……僕がトゥレチェリィと浮気をしたのは間者のせいじゃない)

 とにかく金持ちの男を捕まえたかったトゥレチェリィに、浴びるほど酒を飲まされたからだと言い訳することは出来る。
 でも当主教育を覚えていれば、初対面の人間からの酒はほどほどで切り上げたはずだ。
 ハーマンはトゥレチェリィを気に入っていた。だから彼女の機嫌を取りたくて、勧められるままに酒を飲んだのだ。

 トゥレチェリィは幸せだったのだろうか。
 金持ちの男を捕まえて、その男の家で心から愛せる相手と出会えて。
 男の妻に毒を飲ませて嘲って、愛した相手に利用されて殺されて。

 ハーマンは今も領都の侯爵邸で暮らしている。
 いや、侯爵邸だ。
 新当主は新しい館を建てたのだ。ハーマン以外に見えないといっても、幻影がうろついている建物は嫌だったのかもしれない。

 ハーマンは知らない。自分に媚びを売るトゥレチェリィしか知らない。
 ほかの相手を心から愛している彼女は知らない。
 他人を傷つけて嘲笑している彼女も知らない。

 ハーマンは今日も、愛した女性と同じ顔をした知らない面影を見つめている。
 この能力で生み出した幻影は消えないのだ。

<終>
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

心を失った彼女は、もう婚約者を見ない

基本二度寝
恋愛
女癖の悪い王太子は呪われた。 寝台から起き上がれず、食事も身体が拒否し、原因不明な状態の心労もあり、やせ細っていった。 「こりゃあすごい」 解呪に呼ばれた魔女は、しゃがれ声で場違いにも感嘆した。 「王族に呪いなんて効かないはずなのにと思ったけれど、これほど大きい呪いは見たことがないよ。どれだけの女の恨みを買ったんだい」 王太子には思い当たる節はない。 相手が勝手に勘違いして想いを寄せられているだけなのに。 「こりゃあ対価は大きいよ?」 金ならいくらでも出すと豪語する国王と、「早く息子を助けて」と喚く王妃。 「なら、その娘の心を対価にどうだい」 魔女はぐるりと部屋を見渡し、壁際に使用人らと共に立たされている王太子の婚約者の令嬢を指差した。

愛されない妻は死を望む

ルー
恋愛
タイトルの通りの内容です。

許すかどうかは、あなたたちが決めることじゃない。ましてや、わざとやったことをそう簡単に許すわけがないでしょう?

珠宮さくら
恋愛
婚約者を我がものにしようとした義妹と義母の策略によって、薬品で顔の半分が酷く爛れてしまったスクレピア。 それを知って見舞いに来るどころか、婚約を白紙にして義妹と婚約をかわした元婚約者と何もしてくれなかった父親、全員に復讐しようと心に誓う。 ※全3話。

愛してしまって、ごめんなさい

oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」 初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。 けれど私は赦されない人間です。 最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。 ※全9話。 毎朝7時に更新致します。

処理中です...