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九月・十月:謎めいて
昨日の出来事【謝罪】
「アリシアぁッ!」
この王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園で、王太子ベンハミンは自分の教室に入るなり婚約者の公爵令嬢を怒鳴りつけた。
「おはようございます、殿下」
ふたりの不仲は広く知られている。
怒鳴られても顔色ひとつ変えず、公爵令嬢は自席から立ち上がって見事なカーテシーを見せた。
ベンハミンは彼女を睨みつけ、怒鳴りつけたときの興奮冷めやらぬ様子で言葉を紡ぐ。
「先ほど男爵邸へビボラを迎えに行ったら、家自体が空になっていた。見張りをしていた騎士に事情を尋ねたら、自分には権限がないので君に聞いて欲しいと言われたのだが、どういうことだ」
「昨日、男爵家は取り潰しになりました」
「はぁ?」
ベンハミンは王太子らしからぬ情けない声を上げる。
「なんだ、それは。私は聞いてないぞッ! 王太子の私が知らないのに、どうしてたかが公爵令嬢の君が知っている」
アリシアの眉間に皺が寄る。
この学園に入学して三年、そろそろ卒業が近い。
婚約者である王太子に冷たくあしらわれるのには慣れてきていたが、大切な実家を見下されるような発言までも受け入れるつもりはない。しかし彼女は今のところは反論をせずに王太子に答えた。
「当事者だからです」
「当事者? 君が男爵家を潰したのかッ!」
溜息をついて、アリシアは首肯する。
「……そういうことになるのかもしれません」
「私とビボラは親友だ。男女の関係ではないッ! 私達の間にあるのは性別を超越した尊い友情だと教えてやっただろう?」
「はい。私は殿下のお言葉を信じておりましたので、ビボラ様名義の謝罪の手紙を学園の警備に提出したのです」
「謝罪の手紙……」
「そうです。昨日の放課後、教室の私の机に手紙が入っていたのです。ビボラ様名義でしたがご本人から直接受け取ったものではないので信用出来るものではありませんし、なにより彼女が私に謝罪をするとは思えませんでした。だって謝ることなどなにもないではありませんか」
ベンハミンは、自分を映すアリシアの瞳に光がないことに気づいた。
声にも感情が籠っていない。
いつからだ、とベンハミンは思う。自分の婚約者は、いつからこんな壊れた人形のようになってしまったのだ、と。
「殿下とビボラ様は親友なのでしょう?」
「あ、ああ、そうだ」
「学園に入学したばかりのころ、おふたりの近過ぎる距離を何度も注意した私は、勝手に邪推して嫉妬する愚かな女だったのでしょう? 性別を超越した尊い友情を理解出来ない哀れな人間なのでしょう?」
「……」
ベンハミンの言葉はすべて嘘だった。薄っぺらな言い訳に過ぎない。
王太子と男爵令嬢の関係は男女のものだ。
恋愛だ。ベンハミンにアリシアという婚約者がいる以上は不貞でしかない。
ベンハミンは毎朝、王家の馬車で男爵家にビボラを迎えに行っていた。
帰りも同じ馬車で帰る。行きも帰りもアリシアは乗せていない。
互いの侍女や侍従はべつの馬車に乗せて、ふたりきりの車内で何度口付けを交わしたことだろうか。
それでもベンハミンはアリシアとの婚約を維持していた。
これからも解消するつもりはなかった。
ベンハミンには優秀な弟がいる。筆頭公爵家の令嬢と婚約しているという優位性が消えれば、王太子の座はいつでもベンハミンの手から転げ落ちるだろう。
「ビボラ様も殿下と同じお気持ちなのでしょう? 私という婚約者のいる殿下に懸想したりせず、尊い友情を大切にしているだけなのでしょう?」
「も、もちろんだ」
男爵家へ送り届けたビボラは、馬車を降りるときにいつも言う。
どうしてアタシ達は結ばれることが出来ないの? こんなに愛し合っているのに。
ベンハミンは悲しそうな顔を作って答える。
──公爵令嬢が婚約解消を受け入れてくれないんだ。
すまない、王家から分かれた公爵家には強く出られない。王家と公爵家が争えば、王国が乱れてしまう。
愛しているよ、ビボラ。ああ、彼女さえいなければ。
「だったら私に謝ることなどありませんもの。これは以前の私のように邪推した人間が、悪意によって作ったニセ手紙なのだと思いましたわ。手紙には、文章だけでなく直接会って謝りたいと場所と時間が指定されていました。そこへ……侍女も侍従も連れずにひとりで来い、と」
学園の警備から報告を受けた衛兵がその場所を調べると、タチの悪いならず者達が待ち構えていた。
彼らはそこへ来る予定の貴族令嬢を襲えと命じられていた。
令嬢として生きていけないよう辱めて欲しい、なんならそのまま攫って身代金を取った後で奴隷として売り払ってくれても良い、と依頼主は言ったらしい。
「まさか、その依頼主とは……」
「男爵家の当主でした。愛娘のビボラ様にお願いされて断れなかったそうですの。後から言い抜け出来るようにか、手紙はやっぱりニセ手紙で、ビボラ様の筆跡ではありませんでしたけれど」
顔色を失っていくベンハミンをちらりと見て、アリシアは続ける。
「王太子殿下の婚約者である私を害せよという依頼を出すなんて、王家に対する反逆にも等しい行為です。王家に忠誠を誓う方々が可及的速やかに捜査してくださったので、尋問も裏付けも捕縛も昨日のうちに終わりました。すべて終わったのは深夜でしたが、被害に遭うところだった当事者である私を安心させてくださるために、王都にある公爵邸へも報告をくださったのですわ」
「なぜ、私には……」
「殿下は無関係ですもの。性別を超越した尊い友情で結ばれているからといって、親友の犯罪の責まで負う必要はないと思いますわ。ビボラ様は殿下の側近ではないのですから上司としての管理責任もありませんしね」
「……」
ベンハミンはその場に膝から崩れ落ちた。相変わらず光のない瞳に婚約者の姿を映して、アリシアは微笑む。
「ふふふ。ビボラ様はきっと私が殿下の婚約者に相応しくないとお思いになられたのですわね。実家を潰してでも私を排除しようだなんて……友情を越えた忠義をお持ちの方だったのでしょう。もっともやり方は間違っていましたわね」
★ ★ ★ ★ ★
男爵家が取り潰されてから、どれだけの月日が流れたでしょうか。
今日は学園の卒業パーティです。
私のパートナーは公爵である父です。
昨日、私との婚約が解消されたベンハミン殿下の姿は会場のどこにもありません。
婚約解消は私のほうから申し出ました。
性別を超越した尊い友情で殿下と結ばれていた方に、罪を犯して家を潰してでも排除しなくてはいけないと思われた私が、このまま殿下の婚約者でいてはいけないと主張させていただきました。
「アリシア嬢、僕とファーストダンスを踊ってもらえませんか。貴女が昨日、ベンハミン殿下との婚約を解消なさったことは知っています」
同じ教室で勉強していた侯爵令息が近づいてきて、私にダンスを申し込みました。
隣に立つ父を見ると、優しい微笑みを返してくれました。
私は彼が差し出した手に、自分の手を重ねました。
「喜んで。……ふふふ、カルロス様は早耳さんなのですね」
「貴族社会では情報が命綱になることが多いですから」
ベンハミン殿下は私との婚約解消と同時に、王太子の座も退かれました。
公爵家の後ろ盾がなくなったことだけが理由ではありません。
性別を超越した尊い友情などないと、少なくとも殿下とビボラ様の間にはなかったと、私を含めた周囲の人間すべてが知っていたからです。不貞を働いた上に、浮気相手の暴走すら止められなかった殿下はもう見限られていました。
男爵家が潰れるまで、学園行事での殿下はいつもビボラ様とお過ごしでした。
だからといって婚約者の私がほかの殿方と過ごすわけにはいきません。
家では父や兄、王宮の妃教育では女性のダンス教師と踊っていましたが、同年代の殿方と踊るのは久しぶりです。侯爵令息カルロス様とのダンスは、思った以上に楽しく感じました。ビボラ様が現れる前にベンハミン殿下と踊ったのは──
「楽しんでくださっていますか、アリシア嬢。僕はとても楽しいです」
「はい、カルロス様。私もとっても楽しいですわ」
「それは良かった。……光り輝く貴女の瞳は星よりも美しいです」
私は殿下のことを考えるのはやめました。
私達の関係は昨日で終わりました。本当はもっと昔に終わっていたのかもしれません。
昨日はもう二度と、巡ってくることはないのです。
<終>
この王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園で、王太子ベンハミンは自分の教室に入るなり婚約者の公爵令嬢を怒鳴りつけた。
「おはようございます、殿下」
ふたりの不仲は広く知られている。
怒鳴られても顔色ひとつ変えず、公爵令嬢は自席から立ち上がって見事なカーテシーを見せた。
ベンハミンは彼女を睨みつけ、怒鳴りつけたときの興奮冷めやらぬ様子で言葉を紡ぐ。
「先ほど男爵邸へビボラを迎えに行ったら、家自体が空になっていた。見張りをしていた騎士に事情を尋ねたら、自分には権限がないので君に聞いて欲しいと言われたのだが、どういうことだ」
「昨日、男爵家は取り潰しになりました」
「はぁ?」
ベンハミンは王太子らしからぬ情けない声を上げる。
「なんだ、それは。私は聞いてないぞッ! 王太子の私が知らないのに、どうしてたかが公爵令嬢の君が知っている」
アリシアの眉間に皺が寄る。
この学園に入学して三年、そろそろ卒業が近い。
婚約者である王太子に冷たくあしらわれるのには慣れてきていたが、大切な実家を見下されるような発言までも受け入れるつもりはない。しかし彼女は今のところは反論をせずに王太子に答えた。
「当事者だからです」
「当事者? 君が男爵家を潰したのかッ!」
溜息をついて、アリシアは首肯する。
「……そういうことになるのかもしれません」
「私とビボラは親友だ。男女の関係ではないッ! 私達の間にあるのは性別を超越した尊い友情だと教えてやっただろう?」
「はい。私は殿下のお言葉を信じておりましたので、ビボラ様名義の謝罪の手紙を学園の警備に提出したのです」
「謝罪の手紙……」
「そうです。昨日の放課後、教室の私の机に手紙が入っていたのです。ビボラ様名義でしたがご本人から直接受け取ったものではないので信用出来るものではありませんし、なにより彼女が私に謝罪をするとは思えませんでした。だって謝ることなどなにもないではありませんか」
ベンハミンは、自分を映すアリシアの瞳に光がないことに気づいた。
声にも感情が籠っていない。
いつからだ、とベンハミンは思う。自分の婚約者は、いつからこんな壊れた人形のようになってしまったのだ、と。
「殿下とビボラ様は親友なのでしょう?」
「あ、ああ、そうだ」
「学園に入学したばかりのころ、おふたりの近過ぎる距離を何度も注意した私は、勝手に邪推して嫉妬する愚かな女だったのでしょう? 性別を超越した尊い友情を理解出来ない哀れな人間なのでしょう?」
「……」
ベンハミンの言葉はすべて嘘だった。薄っぺらな言い訳に過ぎない。
王太子と男爵令嬢の関係は男女のものだ。
恋愛だ。ベンハミンにアリシアという婚約者がいる以上は不貞でしかない。
ベンハミンは毎朝、王家の馬車で男爵家にビボラを迎えに行っていた。
帰りも同じ馬車で帰る。行きも帰りもアリシアは乗せていない。
互いの侍女や侍従はべつの馬車に乗せて、ふたりきりの車内で何度口付けを交わしたことだろうか。
それでもベンハミンはアリシアとの婚約を維持していた。
これからも解消するつもりはなかった。
ベンハミンには優秀な弟がいる。筆頭公爵家の令嬢と婚約しているという優位性が消えれば、王太子の座はいつでもベンハミンの手から転げ落ちるだろう。
「ビボラ様も殿下と同じお気持ちなのでしょう? 私という婚約者のいる殿下に懸想したりせず、尊い友情を大切にしているだけなのでしょう?」
「も、もちろんだ」
男爵家へ送り届けたビボラは、馬車を降りるときにいつも言う。
どうしてアタシ達は結ばれることが出来ないの? こんなに愛し合っているのに。
ベンハミンは悲しそうな顔を作って答える。
──公爵令嬢が婚約解消を受け入れてくれないんだ。
すまない、王家から分かれた公爵家には強く出られない。王家と公爵家が争えば、王国が乱れてしまう。
愛しているよ、ビボラ。ああ、彼女さえいなければ。
「だったら私に謝ることなどありませんもの。これは以前の私のように邪推した人間が、悪意によって作ったニセ手紙なのだと思いましたわ。手紙には、文章だけでなく直接会って謝りたいと場所と時間が指定されていました。そこへ……侍女も侍従も連れずにひとりで来い、と」
学園の警備から報告を受けた衛兵がその場所を調べると、タチの悪いならず者達が待ち構えていた。
彼らはそこへ来る予定の貴族令嬢を襲えと命じられていた。
令嬢として生きていけないよう辱めて欲しい、なんならそのまま攫って身代金を取った後で奴隷として売り払ってくれても良い、と依頼主は言ったらしい。
「まさか、その依頼主とは……」
「男爵家の当主でした。愛娘のビボラ様にお願いされて断れなかったそうですの。後から言い抜け出来るようにか、手紙はやっぱりニセ手紙で、ビボラ様の筆跡ではありませんでしたけれど」
顔色を失っていくベンハミンをちらりと見て、アリシアは続ける。
「王太子殿下の婚約者である私を害せよという依頼を出すなんて、王家に対する反逆にも等しい行為です。王家に忠誠を誓う方々が可及的速やかに捜査してくださったので、尋問も裏付けも捕縛も昨日のうちに終わりました。すべて終わったのは深夜でしたが、被害に遭うところだった当事者である私を安心させてくださるために、王都にある公爵邸へも報告をくださったのですわ」
「なぜ、私には……」
「殿下は無関係ですもの。性別を超越した尊い友情で結ばれているからといって、親友の犯罪の責まで負う必要はないと思いますわ。ビボラ様は殿下の側近ではないのですから上司としての管理責任もありませんしね」
「……」
ベンハミンはその場に膝から崩れ落ちた。相変わらず光のない瞳に婚約者の姿を映して、アリシアは微笑む。
「ふふふ。ビボラ様はきっと私が殿下の婚約者に相応しくないとお思いになられたのですわね。実家を潰してでも私を排除しようだなんて……友情を越えた忠義をお持ちの方だったのでしょう。もっともやり方は間違っていましたわね」
★ ★ ★ ★ ★
男爵家が取り潰されてから、どれだけの月日が流れたでしょうか。
今日は学園の卒業パーティです。
私のパートナーは公爵である父です。
昨日、私との婚約が解消されたベンハミン殿下の姿は会場のどこにもありません。
婚約解消は私のほうから申し出ました。
性別を超越した尊い友情で殿下と結ばれていた方に、罪を犯して家を潰してでも排除しなくてはいけないと思われた私が、このまま殿下の婚約者でいてはいけないと主張させていただきました。
「アリシア嬢、僕とファーストダンスを踊ってもらえませんか。貴女が昨日、ベンハミン殿下との婚約を解消なさったことは知っています」
同じ教室で勉強していた侯爵令息が近づいてきて、私にダンスを申し込みました。
隣に立つ父を見ると、優しい微笑みを返してくれました。
私は彼が差し出した手に、自分の手を重ねました。
「喜んで。……ふふふ、カルロス様は早耳さんなのですね」
「貴族社会では情報が命綱になることが多いですから」
ベンハミン殿下は私との婚約解消と同時に、王太子の座も退かれました。
公爵家の後ろ盾がなくなったことだけが理由ではありません。
性別を超越した尊い友情などないと、少なくとも殿下とビボラ様の間にはなかったと、私を含めた周囲の人間すべてが知っていたからです。不貞を働いた上に、浮気相手の暴走すら止められなかった殿下はもう見限られていました。
男爵家が潰れるまで、学園行事での殿下はいつもビボラ様とお過ごしでした。
だからといって婚約者の私がほかの殿方と過ごすわけにはいきません。
家では父や兄、王宮の妃教育では女性のダンス教師と踊っていましたが、同年代の殿方と踊るのは久しぶりです。侯爵令息カルロス様とのダンスは、思った以上に楽しく感じました。ビボラ様が現れる前にベンハミン殿下と踊ったのは──
「楽しんでくださっていますか、アリシア嬢。僕はとても楽しいです」
「はい、カルロス様。私もとっても楽しいですわ」
「それは良かった。……光り輝く貴女の瞳は星よりも美しいです」
私は殿下のことを考えるのはやめました。
私達の関係は昨日で終わりました。本当はもっと昔に終わっていたのかもしれません。
昨日はもう二度と、巡ってくることはないのです。
<終>
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