愛しているは、もういらない。

豆狸

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後日談A 愛しているという言葉

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 学園を卒業する前に、リティージョはフランコ伯爵家の長男アレッサンドロと結婚した。
 どちらの家も借金塗れだったが、リティージョを愛人にしたいと望んでいたガッロ侯爵やアレッサンドロの婚約者だったマルキ商会の娘エレナが援助してくれて結婚式を挙げることが出来た。
 喜び、感謝するべきなのかもしれない。エレナはアレッサンドロとの婚約を解消して、浮気相手に過ぎないリティージョに彼を譲ってくれたのだから。

 幼いころからリティージョは、借金塗れのコンテ男爵家の家族に言われていた。
 寄り親寄り子の関係があるフランコ伯爵家か、同じ派閥でいくつもの事業に成功しているロマーノ子爵家の子息に取り入り嫁ぐように、と。
 フランコ伯爵家は爵位が高いから借金取りを威圧出来るだろうし、ロマーノ子爵家は財産があるから借金を肩代わりしてくれるに違いない。祖父である男爵は、自分の妹のように侯爵を誑かして貢がせろ、とも言っていた。

 親の言いなりというわけではなかったけれど、フランコ伯爵家の長男アレッサンドロは銀髪に紫の瞳の儚げで美しい少年だったし、ロマーノ子爵家のエステルは黒い髪に緑色の瞳の逞しくて頼りになる少年だった。どちらも恋人として、未来の夫として不足はないと感じていた。
 だから、どんなに金持ちでも平民に過ぎないマルキ商会の娘エレナがエステルの婚約者候補になっていると聞いたときは腹が立った。
 エレナとエステルの婚約は結ばれなかったものの、奥方の死後、男爵家と同じように借金に苦しんでいた伯爵家のアレッサンドロが彼女の婚約者になったと聞いたリティージョは頭を掻きむしって怒り狂った。

 なんの約束もしていない。
 派閥の貴族夫人が開くお茶会でたまに顔を合わせるだけだ。
 だけどリティージョはふたりを気に入っていた。最終的にどちらかを選ぶにしても選択権は自分にあり、選ばれなかったほうも一生自分を想い続けるのだと考えていた。それがご破算になってしまったのだ。リティージョにとっては怒るのに十分なことだった。

 その日から、マルキ商会の娘エレナはリティージョの敵となった。
 病弱だった彼女のもとへアレッサンドロが足繁く見舞いに通っていると聞くたびに憎しみは深くなっていった。
 伯爵家の寄り子貴族だからと、マルキ商会が男爵家にも援助してくれているからといって平民風情に気を遣う必要はない。

 所詮彼女は平民なのだ。平民の分際で伯爵家に嫁ぐなんて身の程知らずだ。
 伯爵子息のアレッサンドロには、男爵令嬢の自分こそが相応しい。
 おまけに病弱だなんて! 伯爵夫人の役目を果たせるとは思えない!──リティージョはそう思った。

 リティージョが貴族の子女と裕福な平民が通う学園に入学するころには、マルキ商会の資産にものを言わせた治療でエレナは健康になっていた。
 しかし、リティージョは彼女よりもふたつ年上でアレッサンドロと同い年だった。
 エレナが入学してくるまでの二年間で彼を奪おうと心に誓った。

 妻ではなく愛人でもいい。
 むしろフランコ伯爵となったアレッサンドロの愛人になって、形だけの妻であるエレナの実家マルキ商会から金を搾り上げるほうがいい。
 同い年のロマーノ子爵家のエステルへの執着が無くなったわけではなかったが、彼は隣国に留学したのでリティージョの眼中から外れていた。金と功績を持って戻ってきたら相手にしてやってもいい、という程度だ。

 エレナが入学してくるまでの二年間で、リティージョとアレッサンドロは、学園のだれもが知る恋人同士になっていた。
 上の学年は授業が終わった後も用事があって遅くなるのだとエレナを騙して、裏庭奥の小さな池のほとりで交わした会話を思い出す。

『愛しているのは君だけだ、リティージョ』
『嬉しいわ、アレッサンドロ。あの平民娘には、愛しているなんて絶対言わないでね』
『もちろんだよ。金のために娶らなくてはいけないけれど、私の心は永遠の君のものだ。愛しているという言葉は、君にしか捧げない』

 なのにアレッサンドロは誕生日のエレナにせがまれて、彼女に愛していると言った。
 おまけにあの平民娘は、それからすぐにアレッサンドロを捨ててガッロ侯爵家のエンリーコと婚約した。リティージョを莫迦にするにもほどがある。
 同学年のエンリーコの兄は、教室でアレッサンドロと睦み合うリティージョを冷ややかな目で見るいけ好かない男だった。

 リティージョは顔を上げ、向かいの席に座るアレッサンドロを見た。
 ふたりは結婚したので、同じ馬車で学園に登下校しているのだ。
 エレナがアレッサンドロの婚約者だったころは、彼女が彼と一緒にフランコ伯爵家の馬車で学園に通っていた。エレナが学園に入学する前も、リティージョと馬車で登下校することはなかった。こうして一緒の馬車で登下校出来て嬉しい。嬉しいはずなのに、リティージョの心は沈んでいた。

「アレッサンドロ様……愛しています」

 あの平民娘が馬車の中でいつもアレッサンドロに言っていると聞いて、リティージョは嘲笑っていた。
 どんなに愛しているとエレナが告げても、アレッサンドロが応えることはない。
 アレッサンドロの愛しているの言葉はリティージョのためだけにあるのだ。エレナの誕生日の悪夢のことは忘れようと、リティージョは思っている。自分は彼の妻になったのだから。

「ああ、愛しているよ。……すまないが、卒業後に伯爵家の実務に携わるための勉強が忙しいので登下校の馬車では眠っていたいんだ。私の家も君の家も借金塗れなことくらいわかっているだろう? 体を休めるから話しかけないでもらえるかい?」
「……はい」

 返って来たアレッサンドロの愛しているは、酷く軽いように感じられた。
 リティージョは自分達が理解出来ないうちに周囲に押し切られた結婚式の日、彼の瞳がずっと招待客のエレナを追っていたことを覚えている。
 エレナはかつてリティージョとアレッサンドロに贈られた緑色の宝石と黄金の装飾品を身に着けていた。付き合いが無くなる前に、もらったものをちゃんと使っていることを見せたのだ。

 緑色も黄金もあの日エレナの隣に立っていたガッロ侯爵家のエンリーコの色だった。そのせいでふたりは最初から運命で結ばれていた恋人同士のようだった。
 アレッサンドロが憎々し気に、あの色の装飾品をエレナに贈るよう誘導していたリティージョを睨みつけたことも覚えている。
 どちらも忘れたくても忘れられない。

(アレッサンドロ様はエレナを愛していたの? そんなはずがない。あんな平民娘!)

 リティージョとの結婚を父であるフランコ伯爵に告げられたとき、彼は言った。

『我が家と同じように借金に苦しむコンテ男爵家に同情して付き合っていただけだよ。リティージョと結婚したいだなんて思ったことはない』

 この言葉は忘れよう、とリティージョは思った。
 自分が愛していると言えば、アレッサンドロは愛していると返してくれる。だから、自分は愛されているのだと信じることは出来るはずだ。
 そう、彼は愛しているという言葉だけは捧げてくれる。どんなに軽く心のない言葉だとしても、リティージョを見る紫の瞳が憎悪に満ちていても、これからのふたりを待つのが借金返済に明け暮れるだけの生活だとしても──フランコ伯爵家とコンテ男爵家の債権を買い取ったガッロ侯爵家は、マルキ商会ほど甘くはない。
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