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第六話 マルガリータの幸せは
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私は泣きじゃくりながら、ホセ様に十年間のことをお話しました。
頭がおかしいと思われても仕方のない話です。
ですがホセ様は優しく頷きながら、私の話を聞いてくださったのです。周囲の侍女や従者達は距離を置いて、聞かないでいてくれました。
「……私はわからないのです、自分の幸せがなんなのか。以前はピラール様に愛されることだと思っていました。婚約者だったあの方と愛し愛されることが出来たら、どんなに幸せだろうと思っていたのです。でも違いました。ピラール様の幸せは私といては絶対に手に入らないのです。私は……」
やはり死んでしまったほうが良いのかもしれません。
「なにか変なことを考えていらっしゃいますね。……そういうことなら話は簡単ではないですか。俺と結婚すれば、子爵家のご令息を解放することが出来ますよ。もっとも彼の不幸は貴女のせいではないと思いますがね」
「ホセ様と結婚……」
「お嫌ですか? 毎日美味しいお茶とお菓子をご用意しますよ。新婚旅行を兼ねて、一緒に世界を回りましょう。海には猫のように鳴く鳥がいるのですが、マルガリータ様は見たことがありますか?」
「猫のように鳴く鳥?」
私の頭に、翼の生えた猫の姿が浮かびました。
見た覚えがありません。
両親が亡くなってからは、あまり海や港へ足を向けなくなりました。ふたりが亡くなる前の記憶も残っていません。
「俺にハンカチをくださったときは、たぶん見ていないはずです。……あのときの俺は母を亡くしたばかりでした。貴女と母君の優しさに触れて、先ほどの貴女のように無意識で涙を流してしまったのです。ハンカチをいただいて、お礼するという口実でまたお会い出来ると期待していたのですけれど、氷の魔獣によるあの寒波で……」
寂しげに微笑むホセ様に、なんだか胸が締め付けられました。
ああ、覚えてはいませんが、そのときの私も切なくなって、彼を慰めたいと思ったのでしょう。
私のハンカチが彼の心を癒せたのなら、こんなに嬉しいことはありません。私のような人間にも、だれかの役に立てたのです。でも、だからこそ──
「ホセ様、私は神殿に入って生涯結婚しないでいようと思います」
「……そんなに子爵家のご令息がお好きなのですか?」
「わかりません。ホセ様にお話を聞いていただいているうちにわからなくなりました。私とピラール様の関係が、真実の愛でも運命の恋でもなかったことは確かです」
「では、俺がお嫌いなのですか? 平民に嫁ぐのが嫌だとおっしゃるのなら、帝国の皇帝を脅して伯爵位を奪って来ますよ。本当は先に叙爵してから来ようかとも思っていたのですが、貴族令嬢の貴女が他国の貴族に嫁ぐとなると反対するものもいるかと考えまして」
「わ、私なんかのためにそこまでなさる必要はありません」
「それは俺が決めることです。たった一度の逢瀬で恋に落ちてはいけないと、だれが決めたのですか? 貴女なんか、ではありません。貴女だから欲しいのです。……貴女しか欲しくはないのです」
「やめてください」
心が揺らぎます。
透き通った紫色の瞳に吸い込まれそうな気がします。
彼の求婚を断った前の私は、どうしてそんなことが出来たのでしょうか。こんなにも熱く見つめられたら、ホセ様の真実の愛のお相手が自分であるかのように錯覚してしまいます。
「ホセ様が嫌なのではありません。嫌いになどなれるはずがありません。……惹かれています。愚かで浅はかな私は、貴方の言葉に惹かれているのです。でも素敵な方だと感じるからこそ、私が嫁いではいけないと思うのです」
「それはもしかして、貴女が十年後から戻って来たからですか?」
「はい。私は子どもに恵まれませんでしたし……ピラール様との営みを覚えています。体は穢れていなくても、心はもう……」
ホセ様は私の言葉を聞いて、首を横に振りました。
「貴女が子爵家のご令息にされたのは暴力で、夫婦の営みではありません。貴女は穢れてなんかいない。心も体も美しいままの、俺が恋した素晴らしい女性です。……結婚すると言ってください。貴女がいなければ、俺の人生に光はない」
「そんな、の……」
私を喜ばせるための口先だけの言葉だと否定出来たらどんなに楽でしょう。
でも出来ませんでした。
だって私は嬉しいのです。彼の言葉が嬉しいのです。彼の瞳に映る自分が愛おしいのです。十年後から戻って一時間も経っていないのに、心を占めるのはホセ様のことばかりなのです。
「貴女が夫婦の営みを恐ろしいことだと思うのなら、俺は貴女の心が癒えるまで、いつまででも待ちますよ。貴女の側にいられるだけで俺は幸せなのです」
「……ホセ様は変な方です。私にはそんな価値はありませんよ」
「それを決めるのは俺です」
ホセ様のおっしゃる通りです。
ホセ様の幸せを決めるのはホセ様です。
そして私の幸せを決めるのは私なのです。たった一度の逢瀬で、たった一時間の会話で恋に落ちてはいけないだなんて、だれも決めてはいないのです。
頭がおかしいと思われても仕方のない話です。
ですがホセ様は優しく頷きながら、私の話を聞いてくださったのです。周囲の侍女や従者達は距離を置いて、聞かないでいてくれました。
「……私はわからないのです、自分の幸せがなんなのか。以前はピラール様に愛されることだと思っていました。婚約者だったあの方と愛し愛されることが出来たら、どんなに幸せだろうと思っていたのです。でも違いました。ピラール様の幸せは私といては絶対に手に入らないのです。私は……」
やはり死んでしまったほうが良いのかもしれません。
「なにか変なことを考えていらっしゃいますね。……そういうことなら話は簡単ではないですか。俺と結婚すれば、子爵家のご令息を解放することが出来ますよ。もっとも彼の不幸は貴女のせいではないと思いますがね」
「ホセ様と結婚……」
「お嫌ですか? 毎日美味しいお茶とお菓子をご用意しますよ。新婚旅行を兼ねて、一緒に世界を回りましょう。海には猫のように鳴く鳥がいるのですが、マルガリータ様は見たことがありますか?」
「猫のように鳴く鳥?」
私の頭に、翼の生えた猫の姿が浮かびました。
見た覚えがありません。
両親が亡くなってからは、あまり海や港へ足を向けなくなりました。ふたりが亡くなる前の記憶も残っていません。
「俺にハンカチをくださったときは、たぶん見ていないはずです。……あのときの俺は母を亡くしたばかりでした。貴女と母君の優しさに触れて、先ほどの貴女のように無意識で涙を流してしまったのです。ハンカチをいただいて、お礼するという口実でまたお会い出来ると期待していたのですけれど、氷の魔獣によるあの寒波で……」
寂しげに微笑むホセ様に、なんだか胸が締め付けられました。
ああ、覚えてはいませんが、そのときの私も切なくなって、彼を慰めたいと思ったのでしょう。
私のハンカチが彼の心を癒せたのなら、こんなに嬉しいことはありません。私のような人間にも、だれかの役に立てたのです。でも、だからこそ──
「ホセ様、私は神殿に入って生涯結婚しないでいようと思います」
「……そんなに子爵家のご令息がお好きなのですか?」
「わかりません。ホセ様にお話を聞いていただいているうちにわからなくなりました。私とピラール様の関係が、真実の愛でも運命の恋でもなかったことは確かです」
「では、俺がお嫌いなのですか? 平民に嫁ぐのが嫌だとおっしゃるのなら、帝国の皇帝を脅して伯爵位を奪って来ますよ。本当は先に叙爵してから来ようかとも思っていたのですが、貴族令嬢の貴女が他国の貴族に嫁ぐとなると反対するものもいるかと考えまして」
「わ、私なんかのためにそこまでなさる必要はありません」
「それは俺が決めることです。たった一度の逢瀬で恋に落ちてはいけないと、だれが決めたのですか? 貴女なんか、ではありません。貴女だから欲しいのです。……貴女しか欲しくはないのです」
「やめてください」
心が揺らぎます。
透き通った紫色の瞳に吸い込まれそうな気がします。
彼の求婚を断った前の私は、どうしてそんなことが出来たのでしょうか。こんなにも熱く見つめられたら、ホセ様の真実の愛のお相手が自分であるかのように錯覚してしまいます。
「ホセ様が嫌なのではありません。嫌いになどなれるはずがありません。……惹かれています。愚かで浅はかな私は、貴方の言葉に惹かれているのです。でも素敵な方だと感じるからこそ、私が嫁いではいけないと思うのです」
「それはもしかして、貴女が十年後から戻って来たからですか?」
「はい。私は子どもに恵まれませんでしたし……ピラール様との営みを覚えています。体は穢れていなくても、心はもう……」
ホセ様は私の言葉を聞いて、首を横に振りました。
「貴女が子爵家のご令息にされたのは暴力で、夫婦の営みではありません。貴女は穢れてなんかいない。心も体も美しいままの、俺が恋した素晴らしい女性です。……結婚すると言ってください。貴女がいなければ、俺の人生に光はない」
「そんな、の……」
私を喜ばせるための口先だけの言葉だと否定出来たらどんなに楽でしょう。
でも出来ませんでした。
だって私は嬉しいのです。彼の言葉が嬉しいのです。彼の瞳に映る自分が愛おしいのです。十年後から戻って一時間も経っていないのに、心を占めるのはホセ様のことばかりなのです。
「貴女が夫婦の営みを恐ろしいことだと思うのなら、俺は貴女の心が癒えるまで、いつまででも待ちますよ。貴女の側にいられるだけで俺は幸せなのです」
「……ホセ様は変な方です。私にはそんな価値はありませんよ」
「それを決めるのは俺です」
ホセ様のおっしゃる通りです。
ホセ様の幸せを決めるのはホセ様です。
そして私の幸せを決めるのは私なのです。たった一度の逢瀬で、たった一時間の会話で恋に落ちてはいけないだなんて、だれも決めてはいないのです。
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