私があなたを好きだったころ

豆狸

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余話 恋の花

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 王宮で与えられている花壇の世話をしていたら、甥っ子が来た。
 五歳になる長男のほうだ。
 私の隣にしゃがみ込んだが、なかなか口を開こうとはしない。なので、私のほうから謝罪することにした。

「……この前は悪かったな」
「ん」
「許してくれるのか?」
「ん」
「ありがとう」
「ん。……俺、ちゃんと『おじえ』って言っています」

 相変わらず言えていない。
 しかし、今の幼く体も舌も小さい甥っ子に『おじえ』と言わせようとしてもケンカになるだけだ。
 この前は我ながら大人げなかった。甥っ子は五歳にしてはしっかりしているので、すぐに発音も直せるだろうと思って譲らず言い張ってしまった。こんなことだから従妹のイレーネに、四角四面、と呆れられているのだろう。

 などと考えながら、私は頷く。

「……そうだな」
「はい」

 返答が『ん』から『はい』に戻ったので、本当に許してくれたようだ。

「ところで『おじえ』」
「……なんだ?」
叔父上おじんえは恋をしていらっしゃるのですか?」
「……っ」

 甥っ子の質問に、一瞬で顔が熱くなる。
 義姉上だな。
 おそらくイレーネに私が学園の卒業パーティで、彼女の親友のパートナーをすることになった話を聞いたのだろう。イレーネは、今も近くで立って私と甥っ子を見守っている、私の幼馴染で親友の護衛騎士に会いに来るついでに、王太子妃である義姉上に王宮外の情報を伝えているからな。

「……そうかも、知れない」
「ふーん」

 全然興味の無さそうな相槌が返って来た。
 義姉上に聞いて来いと言われて差し向けられたので間違いない。
 いつもなら植えている花の名前や埋めている肥料のことを聞いてくるのに、今日は少しも聞いて来なかったしな。

「にーに」
「あ」

 もうひとりの甥っ子が迎えに来て、五歳児は立ち上がった。
 見れば花壇を囲う低木の向こうに義姉上付きの侍女の姿もある。

「弟と遊ぶ約束をしているので、俺はこれで失礼いたします」
「しゃー!」

 この前兄のほうを泣かせてしまったので、弟のほうの甥っ子に威嚇されてしまった。
 ふたりを見送った後で作業に戻ったものの、顔の熱が治まらない。
 事情を知る護衛騎士が口角を上げて見下ろしてくるのもムカつく。私は溜息をついて、彼女のことを思い出した。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 聖花祭の後で護衛騎士とともにイレーネの家に行くのが、彼女が学園に入学してからの習慣だった。
 婚約者同士が語らっている間、私は王都のベニテス公爵邸の書庫や温室を見学させてもらっている。あの家の書庫には興味深い書物が多い。
 たまに人目を忍んだ恋人達が花を贈り贈られるために現れて、無言で書物を読んだり花を見つめたりしている私に気づいて飛び上がる。

 それはともかく、イレーネの家に行く途中ですれ違う馬車の中にいるカバジェロ伯爵家令嬢エヴァンジェリンのことが気になる、彼女の笑顔が見たいと言ったのは事実だが、実はその前から彼女の存在は知っていた。
 私が学園を卒業して何年か経つが、学園の書庫も興味深い書物が多いし、在学中に立ち上げた園芸部の様子も気になるので、数ヶ月ごとに顔を出しているのだ。
 そこで、イレーネと楽し気に笑い合っているエヴァンジェリン嬢を見た。

 学園では友達の目があるせいか、彼女の婚約者である護衛騎士が同行していても、イレーネは従兄の私に話しかけられるのを嫌う。
 私はイレーネを妹のように思っているのだけれど、私は彼女言うところの『四角四面』な性格で面白みがないし、かつて婚約者候補だったことを勘繰られるのも嫌なのだろう。
 あれで優しいところもあるので、夫や婿探しに懸命な女生徒に私が取り囲まれないようにと気遣ってくれているのかもしれない。私は上手く流せないから、冷たい言葉を返して女生徒達を傷つけてしまうだけだろうし。

 イレーネと一緒でないときのエヴァンジェリン嬢も笑顔だった。
 笑顔でないのは彼女と一緒にいる男のほうだ。
 アラーニャ侯爵家次男ハロルド。政略的な婚約だとしても、お互いに歩み寄る努力はするべきだと、私のような男でも知っている。彼のエヴァンジェリン嬢への対応は褒められたものではなかった。

 学園在学中の聖花祭を恋人と過ごすと婚約者に告げた男。

 私に教えたのはイレーネだが、エヴァンジェリン嬢がイレーネに教えたわけではない。
 アラーニャ侯爵家の次男にも恥を知る気持ちは残っていたらしく、聖花祭前日の放課後に婚約者を呼び出したものの、なかなか話を切り出せなかったらしい。
 そして彼は、心配して親友を迎えに行ったイレーネの聞いている前でその言葉を発したのだ。イレーネが私に教えてくれたのは、私がエヴァンジェリン嬢を案じていたからだろう。

 エヴァンジェリン嬢が貴族令嬢らしくなく馬車の窓を開け放していたのは、恋人と過ごす婚約者の姿を探すためだったと言う。イレーネに聞いた。
 二回の聖花祭で笑顔でないエヴァンジェリン嬢を見て、三回目の聖花祭で見た彼女は意識を失っていた。
 運良く私と護衛騎士が……いや、正直に言おう。今年は彼女がイレーネの家へは行かないと言ったと聞いて、心配になって探していたのだ。おかげで今年の聖花祭でどんな花が城壁や建物に飾られていたのか、さっぱり思い出せない。聖花祭という言葉で頭に浮かぶのは、意識を失った彼女の今にも泣き出しそうな顔だけだ。

 エヴァンジェリン嬢を紹介して欲しいとイレーネに告げたとき、友達想いの従妹にどうしてと睨みつけられて、出てきたのは彼女の笑顔が見たいという言葉だった。
 私は見たかったのだ、彼女の笑顔が。
 ほかのだれにでもない、私に向けてくれる笑顔が。

 イレーネは笑って、いいわ、と言ってくれた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 エヴァンジェリン嬢は、あのとき頭を打ったせいで記憶を失っているのだと聞いた。
 私達がもっと早く彼女を見つけていれば良かったのかもしれない。
 ただ失ったのは三回の聖花祭を含む記憶だけで、親友のイレーネのことは覚えていたし日常生活には支障がないので本人は気にしていないようだ。私はもとから個人的な知り合いではないので、これから記憶していってもらえば良いと思っている。

 学園の卒業パーティの日。
 自分の卒業のときだってこんなに緊張しなかった、と思いながら、私は王宮の花壇で育てた花を両手いっぱいの花束にしてカバジェロ伯爵邸を訪れた。
 顔が燃え上がりそうなほど熱くなるのを感じながら、花束を渡すと彼女は微笑んで──

「あ」
「っ! ど、毒花は入れていない。もしかして嫌いな花があったのか?」
「いいえ、あの……私、もう笑ってしまったので」
「え?」

 首を傾げて気がついた。
 エヴァンジェリン嬢は私を、彼女の笑顔さえ見れば満足して帰ってしまうような男だと思っているのだ。
 いや、昔の私は確かにそんな男だった。自分の研究対象にしか興味がなかった。そもそもこれから卒業パーティへ行くのに、こんな大きな花束を渡してどうする。

「ああ、そうだな。でも……私はもっと君の笑顔を見たい。これからもずっと笑っていてほしい。笑えなくなるような、悲しい想いはしてほしくない」
「ありがとうございます」

 再び微笑んだ彼女は、私が持ってきた花束なんかより美しく咲き誇っていて、私は自分が恋しているのだと確信した。
 ──その後の卒業パーティで、ほかの男に取られるのが嫌で、休憩を挟むことなくダンスを踊り続けたため彼女を疲れさせてしまった私は、イレーネにこっ酷く怒られた。
 妙に顔が整っているせいで誤解されがちだが、肥料の袋も自分で運ぶし、やたらと根の長い雑草も抜き慣れている私は、案外体力があるのである。いや、だから気をつけろという話だし、もう二度とエヴァンジェリン嬢を疲れさせる気持ちはないのだけれど。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「この前はあやふやな答えで悪かったな。その通りだ。私は、お前達の叔父は恋をしている!」
「ふーん」
「しゃー!」

 ダンスの件をイレーネに許してもらい、父王とカバジェロ伯爵にも許可をもらってエヴァンジェリン嬢と婚約した後、私は改めて甥っ子達に報告した。
 相変わらず兄のほうは興味がなく、弟のほうは私に威嚇して来る。
 弟が威嚇してくるのは、今日は兄を泣かせたからではない。彼は王宮へ顔見せに来たエヴァンジェリン嬢にひと目惚れしたのだ。……どんなに可愛い甥っ子相手でも絶対に渡すつもりはないので諦めてくれ。
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