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最終話 あの日、私は死んだのでしょう?
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「……行こう、オルタンシア」
ジャコブに言われて、私は頷きました。
もうこの世にいない女性の名前を呼んだだれかが追ってくる気配はありません。
当たり前です。だってあの葬儀の日、だれかにとっての私は死んだのでしょう? 死人を追いかけても仕方がありませんものね。
しばらく歩いて商会の店舗に着くと、お腹の大きな伯母が迎えてくれました。
伯母は行方不明だったときの私を探していたときに支えてくれた、衛兵隊の小隊長さんと結婚したのです。
私の親世代のふたりですが、どちらも初婚です。
初婚でなかったとしても、始まりが不貞でなければ問題ありません。
明日は伯母と小隊長さんと伯母のお腹の中の従妹か従弟、そして私とジャコブの五人で神殿へ行くのです。
伯母は私が生まれ育った家をいない間に売ったことを謝ってくれました。
持ち主は伯母で、格安に貸してくれていただけだから良いのに。私の葬儀も済んでいましたしね。
結婚祝いに家を売ったお金をくれるそうです。
申し訳ないけれど、ありがたくいただくつもりです。
そのお金で馬車を買ったら、もっと気軽に王都へ来れますし、ジャコブのお婆様にも一緒に来てもらえますもの。
「……オルタンシア、ごめん」
伯母と一緒に店舗を出て、裏の家へ向かっていたとき、ジャコブが呟くように言いました。
「君はあの男と話したかったかもしれないのに、俺は……嫉妬した」
「気にしないで。今の私が愛しているのは貴方だけなのですもの」
「……うん」
正直なところ、彼を不安にさせてしまったことへの心配以外はありません。
三年前、伯母と出会って記憶が戻っても、私の元夫に対する感情は蘇りませんでした。
葬儀が終わって個人財産も相続されたと聞いて、私は自由なのだとホッとしたくらいです。
亡き父と私にとっての彼は『ひ弱な貴族のお坊ちゃん』でした。
とはいえ父の大切な相棒なので、アイツには食わせて肉をつけなきゃいかん、と言われてご馳走していただけです。
洗濯についても、宿舎では直してもらえなかったと服の破れを縫おうとしていた彼の手付きがあまりに怖くて引き受けるようになっただけです。
彼のほうがふたつ年上なのですが、私は頼りない弟のように思っていました。
そんな相手とどうして結婚したのか、いまだに思い出せません。
でも実感がないだけで、愛していたのは確かです。
あの日、豪雨の中、あの地区の衛兵隊詰所を目指していたときの私は彼に、ピエールに会えさえすれば伝えさえすれば大丈夫だと信じていました。
愛していたからです。
多少の浮気心はあっても悪人ではなく、相手も傷つけるような状況で不貞をするようなことはないと考えていたからです。
エリザベトは最後までピエールを愛していたのです。
ええ、最後まで。
あの日、エリザベトは死んでしまったのですけれど──
「オルタンシア、今日の夕食は鹿肉よ。貴女好きでしょう? あの人が非番の日に王都近くの森で狩って来てくれたのよ」
「ありがとう、伯母さん。ジャコブも鹿肉が好きなのよ」
「嬉しいです。うちの村の近くの森には猪しかいなくて」
伯母は私をオルタンシアと呼ぶことにすぐ慣れました。
もともと両親はエリザベトとオルタンシア、どちらの名前にするか悩んでいたのです。
だれかにもそれを教えたことがあるような気がします。エリザベトで良かったと言われたような気もします。でも、それは……私の知らないだれかとの記憶、エリザベトだけが持つ大切な想い出なのです。
ジャコブに言われて、私は頷きました。
もうこの世にいない女性の名前を呼んだだれかが追ってくる気配はありません。
当たり前です。だってあの葬儀の日、だれかにとっての私は死んだのでしょう? 死人を追いかけても仕方がありませんものね。
しばらく歩いて商会の店舗に着くと、お腹の大きな伯母が迎えてくれました。
伯母は行方不明だったときの私を探していたときに支えてくれた、衛兵隊の小隊長さんと結婚したのです。
私の親世代のふたりですが、どちらも初婚です。
初婚でなかったとしても、始まりが不貞でなければ問題ありません。
明日は伯母と小隊長さんと伯母のお腹の中の従妹か従弟、そして私とジャコブの五人で神殿へ行くのです。
伯母は私が生まれ育った家をいない間に売ったことを謝ってくれました。
持ち主は伯母で、格安に貸してくれていただけだから良いのに。私の葬儀も済んでいましたしね。
結婚祝いに家を売ったお金をくれるそうです。
申し訳ないけれど、ありがたくいただくつもりです。
そのお金で馬車を買ったら、もっと気軽に王都へ来れますし、ジャコブのお婆様にも一緒に来てもらえますもの。
「……オルタンシア、ごめん」
伯母と一緒に店舗を出て、裏の家へ向かっていたとき、ジャコブが呟くように言いました。
「君はあの男と話したかったかもしれないのに、俺は……嫉妬した」
「気にしないで。今の私が愛しているのは貴方だけなのですもの」
「……うん」
正直なところ、彼を不安にさせてしまったことへの心配以外はありません。
三年前、伯母と出会って記憶が戻っても、私の元夫に対する感情は蘇りませんでした。
葬儀が終わって個人財産も相続されたと聞いて、私は自由なのだとホッとしたくらいです。
亡き父と私にとっての彼は『ひ弱な貴族のお坊ちゃん』でした。
とはいえ父の大切な相棒なので、アイツには食わせて肉をつけなきゃいかん、と言われてご馳走していただけです。
洗濯についても、宿舎では直してもらえなかったと服の破れを縫おうとしていた彼の手付きがあまりに怖くて引き受けるようになっただけです。
彼のほうがふたつ年上なのですが、私は頼りない弟のように思っていました。
そんな相手とどうして結婚したのか、いまだに思い出せません。
でも実感がないだけで、愛していたのは確かです。
あの日、豪雨の中、あの地区の衛兵隊詰所を目指していたときの私は彼に、ピエールに会えさえすれば伝えさえすれば大丈夫だと信じていました。
愛していたからです。
多少の浮気心はあっても悪人ではなく、相手も傷つけるような状況で不貞をするようなことはないと考えていたからです。
エリザベトは最後までピエールを愛していたのです。
ええ、最後まで。
あの日、エリザベトは死んでしまったのですけれど──
「オルタンシア、今日の夕食は鹿肉よ。貴女好きでしょう? あの人が非番の日に王都近くの森で狩って来てくれたのよ」
「ありがとう、伯母さん。ジャコブも鹿肉が好きなのよ」
「嬉しいです。うちの村の近くの森には猪しかいなくて」
伯母は私をオルタンシアと呼ぶことにすぐ慣れました。
もともと両親はエリザベトとオルタンシア、どちらの名前にするか悩んでいたのです。
だれかにもそれを教えたことがあるような気がします。エリザベトで良かったと言われたような気もします。でも、それは……私の知らないだれかとの記憶、エリザベトだけが持つ大切な想い出なのです。
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