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最終話 そして、彼女は微笑んだ。
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最初に彼と出会ったのは、私が息絶える寸前のことでした。
デュカキス王国へ向かう婚礼の隊列がならず者に襲われて、私は穢される前にと自死を選んだのです。
首から噴き出る血にひるんだならず者が姿を消しても、私には意識がありました。もしかしたらこの程度では死なないのかしら、なんて思い始めたころ一気に体の力が抜けて、彼が現れたのです。
私は自分の血で真っ赤になっていて、彼はならず者達の返り血を浴びて真っ赤でした。
夫婦になるはずのふたりの初めての邂逅は、お互い血塗れだったのです。
赤く染まった大剣をその場に落とし、彼は私に駆け寄りました。黒い髪、三角の大きな耳、フサフサの尻尾、月をそのまま嵌め込んだような美しく澄んだ銀の瞳──
その銀月の瞳に、黒い髪で青い瞳の少女が映りました。
私です。私は微笑んでいました。
十二年来の婚約者に婚約を破棄されて、新しい縁談を拒んで泣き暮らしていたくせに、私はひと目で彼に恋をしたのです。愛しい人の腕の中にいることが嬉しくて、微笑まずにはいられなかったのです。
獣人は、彼らの崇める月の女神様によって結び合わされる運命の相手がいると聞きます。
実際は必ず出会えるとは限らないそうですが、それでも出会えばひと目で恋に落ちる大切な番がいるそうです。
おとぎ話だと思っていました。真実だとしても、ヒト族である私には関係のないことだと思っていました。ですが私が拒んでいたせいで縁談は進んでいなかったのに、いつか迎える政略結婚の相手のためにと、番と出会える可能性が強い満月の大祭に参加しなかったという隣国の王を想うと、婚約破棄で凍りついた胸の中が温かくなるのを感じていました。
あなたは私の番なのですか?
いいえ、番でなくてもかまいません。
失った過去にしがみついて、あなたとの未来から目を背けていた愚かな私ですけれど、あなたに恋をしても良いでしょうか? あなたを愛しても良いでしょうか? 初めて会う私のために駆けつけてくださって、死に逝く私のために泣いてくださっているあなたに──
潤んだ銀の瞳に映った私はとても幸せそうに微笑んでいて、そして、気がつくと私は以前の婚約者に婚約破棄された瞬間に戻っていたのでした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
二度目の婚約破棄の後、私は父から聞かされた隣国の王との縁談を受け入れました。
学園の卒業パーティから一ヶ月でクレマラ様のご実家の悪事が暴かれたのは前と同じでしたし、それで元婚約者から復縁を迫られることもありませんでした。
前のときは待ち望んでいましたけれど、今回は話が来ても断っていたでしょう。
国と国とを結びつける政略結婚なのですから、双方が受け入れたからと言ってすぐに婚礼がおこなわれるわけがありません。
準備には半年ほどかかりました。
その間に、私は父に護身術を習いました。前とは嫁ぐ時期が違うとはいうものの、麻薬組織の残党や違法奴隷市場の人間はまだいます。処刑されたとはいえ、クレマラ様の悪意が消え失せたとは思えません。
ええ、あの後死んでしまったのではっきりとはわかりませんが、私はあの襲撃はクレマラ様の仕業だと思っています。
過去に戻っていると気づいたとき、クレマラ様のご実家の悪事についてだれかに告げようかとも思ったのですけれど、侯爵と隣国の王が長い時間をかけて追い詰めたところに横から口を出しても混沌を生むだけだと思い自重しました。
前のときは麻薬組織の幹部の中にしばらく逃げていたものもいたらしいのですが、今回は私がなにも言わずともすべてを知っているだれかがいるかのように、捜査団が潜伏先で待ち伏せして逃亡を防ぎました。捕縛の際も捜査団側の被害はほとんどなかったそうです。
私が父に護身術を習ったのは、ならず者達を討ち取るためではありません。
半年程度の練習では無理なことくらいわかっています。
気を逸らして逃げるためです。彼はきっと、また助けに来てくれます。それまで逃げ延びるためです。彼は初めて会う花嫁の、自分との縁談を拒んで泣き暮らしていた愚かな少女の死をも悲しんで泣いてくださる優しい方なのですから。同行する侍女にも逃げるための護身術を学んでもらっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
二度目の婚礼の旅路で、
「エウドクシア!」
私がならず者達と対峙する必要はありませんでした。
デュカキス王国国王テオドロス陛下が、婚礼の旅路に沿って兵士を潜ませてくれていたのです。ならず者達は現れると同時に制圧されました。
その上で彼は伝書鳥での連絡を受けて駆け付けてくださいました。黒い髪、三角の大きな耳、フサフサの尻尾、月をそのまま嵌め込んだような美しく澄んだ銀の瞳──
「初めまして、テオドロス陛下。アントニュー王国より参りましたエウドクシアでございます」
「ああ、知っている。……無事で良かった」
黒いフサフサの尻尾が揺れています。
私と出会ったことを喜んでくださっているのでしょうか。
もしかしたら、私の時間が戻ったのは彼のおかげだったのかもしれません。彼に強い加護を授けてくださっているという月の女神様は満月の生命、新月の死、その満ち欠けから生まれる時間を司っていると聞きます。彼は望んでくれたのでしょうか、もう一度私に会いたいと。
「あ」
「陛下!」
「……良かった、本当に良かった……」
考えているうちに、テオドロス陛下に抱き締められてしまいました。
お付きの方々や兵士達が困ったような表情を浮かべていますが、国王陛下を無理矢理引き剥がすわけにはいかないようです。
それに、私達はこれから夫婦になるのです。
どうしても口元が緩んでしまいます。心臓が早鐘を打つのです。この身を駆け巡る血潮が燃え上がるのです。
私は、彼に恋しているのです。
番でなくても、運命でなくても、月の女神様に許されなかったとしても、私が彼に恋することを選んだのです。これからも選び続けるのです。
彼の尻尾が起こす風の音を聞きながら、私は彼の胸に顔を埋めて微笑みました。
デュカキス王国へ向かう婚礼の隊列がならず者に襲われて、私は穢される前にと自死を選んだのです。
首から噴き出る血にひるんだならず者が姿を消しても、私には意識がありました。もしかしたらこの程度では死なないのかしら、なんて思い始めたころ一気に体の力が抜けて、彼が現れたのです。
私は自分の血で真っ赤になっていて、彼はならず者達の返り血を浴びて真っ赤でした。
夫婦になるはずのふたりの初めての邂逅は、お互い血塗れだったのです。
赤く染まった大剣をその場に落とし、彼は私に駆け寄りました。黒い髪、三角の大きな耳、フサフサの尻尾、月をそのまま嵌め込んだような美しく澄んだ銀の瞳──
その銀月の瞳に、黒い髪で青い瞳の少女が映りました。
私です。私は微笑んでいました。
十二年来の婚約者に婚約を破棄されて、新しい縁談を拒んで泣き暮らしていたくせに、私はひと目で彼に恋をしたのです。愛しい人の腕の中にいることが嬉しくて、微笑まずにはいられなかったのです。
獣人は、彼らの崇める月の女神様によって結び合わされる運命の相手がいると聞きます。
実際は必ず出会えるとは限らないそうですが、それでも出会えばひと目で恋に落ちる大切な番がいるそうです。
おとぎ話だと思っていました。真実だとしても、ヒト族である私には関係のないことだと思っていました。ですが私が拒んでいたせいで縁談は進んでいなかったのに、いつか迎える政略結婚の相手のためにと、番と出会える可能性が強い満月の大祭に参加しなかったという隣国の王を想うと、婚約破棄で凍りついた胸の中が温かくなるのを感じていました。
あなたは私の番なのですか?
いいえ、番でなくてもかまいません。
失った過去にしがみついて、あなたとの未来から目を背けていた愚かな私ですけれど、あなたに恋をしても良いでしょうか? あなたを愛しても良いでしょうか? 初めて会う私のために駆けつけてくださって、死に逝く私のために泣いてくださっているあなたに──
潤んだ銀の瞳に映った私はとても幸せそうに微笑んでいて、そして、気がつくと私は以前の婚約者に婚約破棄された瞬間に戻っていたのでした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
二度目の婚約破棄の後、私は父から聞かされた隣国の王との縁談を受け入れました。
学園の卒業パーティから一ヶ月でクレマラ様のご実家の悪事が暴かれたのは前と同じでしたし、それで元婚約者から復縁を迫られることもありませんでした。
前のときは待ち望んでいましたけれど、今回は話が来ても断っていたでしょう。
国と国とを結びつける政略結婚なのですから、双方が受け入れたからと言ってすぐに婚礼がおこなわれるわけがありません。
準備には半年ほどかかりました。
その間に、私は父に護身術を習いました。前とは嫁ぐ時期が違うとはいうものの、麻薬組織の残党や違法奴隷市場の人間はまだいます。処刑されたとはいえ、クレマラ様の悪意が消え失せたとは思えません。
ええ、あの後死んでしまったのではっきりとはわかりませんが、私はあの襲撃はクレマラ様の仕業だと思っています。
過去に戻っていると気づいたとき、クレマラ様のご実家の悪事についてだれかに告げようかとも思ったのですけれど、侯爵と隣国の王が長い時間をかけて追い詰めたところに横から口を出しても混沌を生むだけだと思い自重しました。
前のときは麻薬組織の幹部の中にしばらく逃げていたものもいたらしいのですが、今回は私がなにも言わずともすべてを知っているだれかがいるかのように、捜査団が潜伏先で待ち伏せして逃亡を防ぎました。捕縛の際も捜査団側の被害はほとんどなかったそうです。
私が父に護身術を習ったのは、ならず者達を討ち取るためではありません。
半年程度の練習では無理なことくらいわかっています。
気を逸らして逃げるためです。彼はきっと、また助けに来てくれます。それまで逃げ延びるためです。彼は初めて会う花嫁の、自分との縁談を拒んで泣き暮らしていた愚かな少女の死をも悲しんで泣いてくださる優しい方なのですから。同行する侍女にも逃げるための護身術を学んでもらっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
二度目の婚礼の旅路で、
「エウドクシア!」
私がならず者達と対峙する必要はありませんでした。
デュカキス王国国王テオドロス陛下が、婚礼の旅路に沿って兵士を潜ませてくれていたのです。ならず者達は現れると同時に制圧されました。
その上で彼は伝書鳥での連絡を受けて駆け付けてくださいました。黒い髪、三角の大きな耳、フサフサの尻尾、月をそのまま嵌め込んだような美しく澄んだ銀の瞳──
「初めまして、テオドロス陛下。アントニュー王国より参りましたエウドクシアでございます」
「ああ、知っている。……無事で良かった」
黒いフサフサの尻尾が揺れています。
私と出会ったことを喜んでくださっているのでしょうか。
もしかしたら、私の時間が戻ったのは彼のおかげだったのかもしれません。彼に強い加護を授けてくださっているという月の女神様は満月の生命、新月の死、その満ち欠けから生まれる時間を司っていると聞きます。彼は望んでくれたのでしょうか、もう一度私に会いたいと。
「あ」
「陛下!」
「……良かった、本当に良かった……」
考えているうちに、テオドロス陛下に抱き締められてしまいました。
お付きの方々や兵士達が困ったような表情を浮かべていますが、国王陛下を無理矢理引き剥がすわけにはいかないようです。
それに、私達はこれから夫婦になるのです。
どうしても口元が緩んでしまいます。心臓が早鐘を打つのです。この身を駆け巡る血潮が燃え上がるのです。
私は、彼に恋しているのです。
番でなくても、運命でなくても、月の女神様に許されなかったとしても、私が彼に恋することを選んだのです。これからも選び続けるのです。
彼の尻尾が起こす風の音を聞きながら、私は彼の胸に顔を埋めて微笑みました。
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