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第三話 一度目のバレット・後編
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ヴィエイラ侯爵家はシルヴァ伯爵家との共闘を拒んだ。
侯爵家は独自に大暴走に対応するというのだ。
もちろんそれは、亡き跡取りブルーノの妻クルエルを俺が屋敷に迎えていたせいだった。俺が事故とだけ聞いていたブルーノの死因は、クルエルと言い争いになって突き飛ばされ頭を打ったことだった。
ヴィエイラ侯爵家の協力の代わりに、俺は市井の傭兵達を雇い入れた。
魔術学園で魔術を学ぶ貴族と違い、多くが平民の傭兵達は魔術の素養すらない。俺のように体を強化することも出来ない彼らは、雑魚魔獣一体にも集団でかからなければならなかった。そして、それでも勝てないことのほうが多い。
貴族がなぜ貴族として民を守らなくてはいけないのか、俺はシルヴァ伯爵領の多大な被害とともにそれを学んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
数ヶ月をかけてなんとか元凶のドラゴンを倒し、俺は屋敷に戻って来た。
被害は大きいが、魔獣の皮や骨を売れば多少は復興費用が捻り出せるだろう。
バスコンセロス子爵家に魔道具の材料として、ヴィエイラ侯爵家に魔術薬の材料として引き取ってもらえれば確実に金になったのだけれど──遠方の地へ運ぶ前に腐ってしまわないようにと俺は祈った。魔獣の体は腐れば毒となり、材料としても使えなくなる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「俺がいない間ご苦労だったな。……クルエルは?」
「王都にあるご実家のフラカッソ商会へお戻りになられました」
「なんだと? もう産み月も近いのにか? まさかお前達が追い出したのか?」
「……さようでございますね」
家令は昏い笑みを浮かべた。
「旦那様が王都へお出でになられた時期を考えると、あまりに早い産み月だとは思いましたが、口に出してはおりませんよ」
「うっ……」
そのことについては俺も不審に思っていた。
それに一緒に暮らしてみると、ブルーノと赤毛の子どもが少しも似てないとはっきり感じられた。
ブルーノのことを赤子のときから見ている侯爵家の人間なら、なおさらだっただろう。
「あの方は、旦那様がドラゴンの炎に焼かれて寝たきりになったという噂を聞いて、慌てて我が家を飛び出して行かれたのですよ。実は私もその噂を信じておりましたので、ご無事で戻られた旦那様を見て正直驚きました」
「そうか……」
クルエルがブルーノの妻になったのは、魔術学園から領地へ帰る途中近道しようとして街道を外れた彼が野盗に襲われていたのを助け、全身に火傷していたのを献身的に看病したからだと聞いている。
彼女は父であるフラカッソ商会の会長の行商に同行していた。
優秀な傭兵を何人も雇っていたらしい。
野盗は離れた場所からブルーノの馬車に火矢を放ち、火を消そうとしている護衛達に襲いかかった。襲撃者に気づいても馬車の中の人間を放置出来ないことを利用した作戦だ。
ヴィエイラ侯爵家は回復魔術で知られているものの、すべての傷や怪我を治せるわけではない。不妊治療などにも効果はなかった。特に火傷は回復魔術と相性が悪く、本人の回復力に頼るしかなかった。
回復力を高める魔術を持つデイジーがブルーノのところへ通っていたこともあったはずだ。
「……」
デイジーのことを思い出すと、心臓が締め付けられるような気持ちになった。
クルエルが実家に帰ったと聞いたときは、そうなんだな、という納得しかなかったのに。
今回の大暴走の先触れでワイバーンに食われた女性の死体は、やっぱりデイジーのものだった。魔獣は魔力の籠もった宝石や装飾品は食らうが、神殿で祝福を受けた結婚指輪だけは食べない。けれどデイジーは俺との結婚指輪をこの屋敷に置いていっていた。
「ドラゴンの炎を浴びたのは事実だ。しかし俺は体を強化していたし、一緒にいた傭兵が庇ってくれたので被害が小さかった。……その傭兵は死んでしまったがな」
「良い方から亡くなっていかれますね」
「そうだな」
俺はデイジーと、栗色の髪を伸ばして火傷の痕を隠していたブルーノの顔を思い浮かべていた。
おそらく家令もそうだったのだろう。
彼は少し鼻を鳴らして、ハンカチで目尻を抑えていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
正式な結婚はまだだったので、俺は王都のフラカッソ商会のクルエルに向けて帰って来なくていいという手紙と手切れ金を届けさせた。
彼女からの返事はなかった。
俺がドラゴンの炎に焼かれたという噂をまだ信じているのだろうか。
──静かに時間が過ぎていく。
ひとりになって思い出すのはデイジーのことばかりだ。
ワイバーンに襲われていた彼女を助けたとき、俺の腕の中で震えていた姿。
夫婦として夜を重ねるうちに花開いていった柔らかな体。
執務や訓練に励む俺が疲れたとき、振り向けばいつも見せてくれていた笑顔。
臆病者の俺は、子どもがいなくなったという現実に向き合うことが出来なかった。
だから医師や薬を探すという口実で王都へ逃げ、昔の恋に溺れたのだ。
本当はずっと前から、愛していたのはデイジーだけだったのに。
彼女の思い出を探して、俺は納戸の奥に仕舞い込んでいた恋文の束を見つけた。デイジーと結婚する前、出せないのをわかっていながらクルエルに向けて書いた手紙だ。
百通はある。
俺は莫迦だ、大莫迦だ。こんなものとっとと破り捨てて、デイジーに手紙を書けば良かった。王都に行ったとき、どうしてフラカッソ商会を訪ねてしまったのだろう。俺にデイジーがいると知りながら抱き着いてきたクルエルを、どうして抱き締めてしまったのだろう。
デイジーが欲しい。
彼女でなくては嫌だ。
ワイバーンに襲われたとき、彼女は俺の名前を呼んだのだろうか。
見つけた手紙を泣きながら破っていたら、いつの間にか雨が降り出していた。
日も沈み暗い窓の外に、女の姿が見えた。
あの日屋敷を出て行ったときのデイジーのように深くヴェールを被っていて、顔は見えない。家令達に見つからないようこっそりと、俺は女の姿を追って屋敷を出た。
デイジーの幽霊にならば殺されてもいい。そう思った。我ながら頭がおかしくなっていたのだ。
俺が死ねば、バスコンセロス子爵家もヴィエイラ侯爵家もシルヴァ伯爵家に力を貸してくれるようになるかもしれない。
問題は跡取りのことだが、クルエルの産む子はたぶん黒髪じゃない。きっと上の子と同じ赤毛だろう。だから伯爵家は以前縁を結んだ家から養子を取ればいい。
「……デイジー? デイジーなのか?」
雨の中、ヴェールの女性に声をかける。
ヴェールを落として顔を見せた彼女の手には、短刀が握られていた。
侯爵家は独自に大暴走に対応するというのだ。
もちろんそれは、亡き跡取りブルーノの妻クルエルを俺が屋敷に迎えていたせいだった。俺が事故とだけ聞いていたブルーノの死因は、クルエルと言い争いになって突き飛ばされ頭を打ったことだった。
ヴィエイラ侯爵家の協力の代わりに、俺は市井の傭兵達を雇い入れた。
魔術学園で魔術を学ぶ貴族と違い、多くが平民の傭兵達は魔術の素養すらない。俺のように体を強化することも出来ない彼らは、雑魚魔獣一体にも集団でかからなければならなかった。そして、それでも勝てないことのほうが多い。
貴族がなぜ貴族として民を守らなくてはいけないのか、俺はシルヴァ伯爵領の多大な被害とともにそれを学んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
数ヶ月をかけてなんとか元凶のドラゴンを倒し、俺は屋敷に戻って来た。
被害は大きいが、魔獣の皮や骨を売れば多少は復興費用が捻り出せるだろう。
バスコンセロス子爵家に魔道具の材料として、ヴィエイラ侯爵家に魔術薬の材料として引き取ってもらえれば確実に金になったのだけれど──遠方の地へ運ぶ前に腐ってしまわないようにと俺は祈った。魔獣の体は腐れば毒となり、材料としても使えなくなる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「俺がいない間ご苦労だったな。……クルエルは?」
「王都にあるご実家のフラカッソ商会へお戻りになられました」
「なんだと? もう産み月も近いのにか? まさかお前達が追い出したのか?」
「……さようでございますね」
家令は昏い笑みを浮かべた。
「旦那様が王都へお出でになられた時期を考えると、あまりに早い産み月だとは思いましたが、口に出してはおりませんよ」
「うっ……」
そのことについては俺も不審に思っていた。
それに一緒に暮らしてみると、ブルーノと赤毛の子どもが少しも似てないとはっきり感じられた。
ブルーノのことを赤子のときから見ている侯爵家の人間なら、なおさらだっただろう。
「あの方は、旦那様がドラゴンの炎に焼かれて寝たきりになったという噂を聞いて、慌てて我が家を飛び出して行かれたのですよ。実は私もその噂を信じておりましたので、ご無事で戻られた旦那様を見て正直驚きました」
「そうか……」
クルエルがブルーノの妻になったのは、魔術学園から領地へ帰る途中近道しようとして街道を外れた彼が野盗に襲われていたのを助け、全身に火傷していたのを献身的に看病したからだと聞いている。
彼女は父であるフラカッソ商会の会長の行商に同行していた。
優秀な傭兵を何人も雇っていたらしい。
野盗は離れた場所からブルーノの馬車に火矢を放ち、火を消そうとしている護衛達に襲いかかった。襲撃者に気づいても馬車の中の人間を放置出来ないことを利用した作戦だ。
ヴィエイラ侯爵家は回復魔術で知られているものの、すべての傷や怪我を治せるわけではない。不妊治療などにも効果はなかった。特に火傷は回復魔術と相性が悪く、本人の回復力に頼るしかなかった。
回復力を高める魔術を持つデイジーがブルーノのところへ通っていたこともあったはずだ。
「……」
デイジーのことを思い出すと、心臓が締め付けられるような気持ちになった。
クルエルが実家に帰ったと聞いたときは、そうなんだな、という納得しかなかったのに。
今回の大暴走の先触れでワイバーンに食われた女性の死体は、やっぱりデイジーのものだった。魔獣は魔力の籠もった宝石や装飾品は食らうが、神殿で祝福を受けた結婚指輪だけは食べない。けれどデイジーは俺との結婚指輪をこの屋敷に置いていっていた。
「ドラゴンの炎を浴びたのは事実だ。しかし俺は体を強化していたし、一緒にいた傭兵が庇ってくれたので被害が小さかった。……その傭兵は死んでしまったがな」
「良い方から亡くなっていかれますね」
「そうだな」
俺はデイジーと、栗色の髪を伸ばして火傷の痕を隠していたブルーノの顔を思い浮かべていた。
おそらく家令もそうだったのだろう。
彼は少し鼻を鳴らして、ハンカチで目尻を抑えていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
正式な結婚はまだだったので、俺は王都のフラカッソ商会のクルエルに向けて帰って来なくていいという手紙と手切れ金を届けさせた。
彼女からの返事はなかった。
俺がドラゴンの炎に焼かれたという噂をまだ信じているのだろうか。
──静かに時間が過ぎていく。
ひとりになって思い出すのはデイジーのことばかりだ。
ワイバーンに襲われていた彼女を助けたとき、俺の腕の中で震えていた姿。
夫婦として夜を重ねるうちに花開いていった柔らかな体。
執務や訓練に励む俺が疲れたとき、振り向けばいつも見せてくれていた笑顔。
臆病者の俺は、子どもがいなくなったという現実に向き合うことが出来なかった。
だから医師や薬を探すという口実で王都へ逃げ、昔の恋に溺れたのだ。
本当はずっと前から、愛していたのはデイジーだけだったのに。
彼女の思い出を探して、俺は納戸の奥に仕舞い込んでいた恋文の束を見つけた。デイジーと結婚する前、出せないのをわかっていながらクルエルに向けて書いた手紙だ。
百通はある。
俺は莫迦だ、大莫迦だ。こんなものとっとと破り捨てて、デイジーに手紙を書けば良かった。王都に行ったとき、どうしてフラカッソ商会を訪ねてしまったのだろう。俺にデイジーがいると知りながら抱き着いてきたクルエルを、どうして抱き締めてしまったのだろう。
デイジーが欲しい。
彼女でなくては嫌だ。
ワイバーンに襲われたとき、彼女は俺の名前を呼んだのだろうか。
見つけた手紙を泣きながら破っていたら、いつの間にか雨が降り出していた。
日も沈み暗い窓の外に、女の姿が見えた。
あの日屋敷を出て行ったときのデイジーのように深くヴェールを被っていて、顔は見えない。家令達に見つからないようこっそりと、俺は女の姿を追って屋敷を出た。
デイジーの幽霊にならば殺されてもいい。そう思った。我ながら頭がおかしくなっていたのだ。
俺が死ねば、バスコンセロス子爵家もヴィエイラ侯爵家もシルヴァ伯爵家に力を貸してくれるようになるかもしれない。
問題は跡取りのことだが、クルエルの産む子はたぶん黒髪じゃない。きっと上の子と同じ赤毛だろう。だから伯爵家は以前縁を結んだ家から養子を取ればいい。
「……デイジー? デイジーなのか?」
雨の中、ヴェールの女性に声をかける。
ヴェールを落として顔を見せた彼女の手には、短刀が握られていた。
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