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第二話 恋は空回り
9・いきなり五体投地
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わたしが口を噤んだのをいいことに、元同僚が神経に触る声でまくし立てる。
「本当に止めてくださいよね。あなた僕を逆恨みして退職前に妙な噂流したでしょう。おかげで今も会社の人たちにアイドルオタク扱いされて困っているんです。あんな反社会勢力の男とつき合ってるから人間として堕落するんですよ。僕に振られたのが、そんなに悔しかったんですか? 自業自得でしょう」
「はあ?」
……今の会社で彼がどう見られているかなんて、わたしの知ったことではない。
わたしの退職理由は自己都合だったし、上司と彼についての話もしなかった。
元同僚は、しつこく唾を散らしてしゃべり続ける。……ウザい。
だんだん愛想笑いが強張ってきたわたしを、だれかが後ろから引き寄せた。
「お待たせ、沙英。妙な男に関わると危ないよ?」
エッグタルトと二杯のコーヒーを入れたバスケットを片手で持ち、空いた手をわたしの肩に置いているのは忍野くんだった。
それにしてもすごい。
服装だけでも雰囲気が違ったのに、口調まで変えたら完全に別人だ。
声まで変えている。
忍野くんはバスケットをわたしに渡すとメガネを取り、上げていた前髪を乱した。
ネクタイを緩めてシャツのボタンを外し、わたしの元同僚を睨みつける。
それから彼はさっきとはまるで違う、低くてドスの効いた声を出した。
「もっとも危なくなるのは沙英じゃなくてアンタだけどな? どうしたコラ、俺の顔忘れてんじゃねぇぞ?」
「え、あ、お前あのときの……」
元同僚は、顔面蒼白になって震えだした。
って! ダメでしょ、これ!
わたしはバスケットを持ったまま、肘で忍野くんを突いた。
「……どうかしたんですか?」
「あ、いいところに! 変な男に絡まれてるんだ!」
近くの化粧室から出てきた女性に話しかけられて、元同僚は彼女の後ろに隠れた。
同行者、だったのかな?
女性は怪訝そうに元同僚を振り返り、それから忍野くんを見て──
「あの、この人がなにか……はうっ!」
なぜかいきなり五体投地した。
……急に体調崩したの?
わたしは後ろの忍野くんにバスケットを返し、彼女の前で中腰になった。
「大丈夫ですか?」
「あの……あの方、忍野薫さまですよね?」
「え?」
おそるおそる顔を上げた彼女の視線の先には、忍野くんがいる。
彼は一瞬で襟を正し、メガネをかけて微笑んだ。
空いた手の人差し指を唇に当てて、ウィンクもする。
「しーっ。……ごめんなさい、舞台挨拶とかではないんです。どうしても生で観客のみなさんの雰囲気を感じたくて、マネージャーに無理を言って来させてもらったんですよ」
「あの、いえ、うちこそお名前を出しちゃってすみませんでした」
マネージャー?……ああ、わたしのことか。
忍野くんは頭の回転が速い。
わたしも彼女に微笑んで、バスケットを忍野くんから受け取った。
横に避けて、彼に場所を譲る。
元同僚が真っ青な顔をして、床に伏せた彼女に声をかけた。
「ど、どういうことだい? まさか君まで、この反社会勢力に属するクズと知り合いなのかい?」
「はあ? やっぱ『キラーナイト』好きとかウソだったんだ」
床に五体投地した女性が顔を上げて、わたしの元同僚を睨みつける。
「なんか怪しいと思ってたけど、もしかしたらと思って一緒に来てバカ見たわ。そうね、アンタ美少女アイドルのオタクだもんね」
「なっ……君までそんなデタラメを信じているのかい? あれは根も葉もない噂だよ」
「個人の趣味は自由だよ? でも勤務中に私用でネット見た挙句、ロックもかけずに席離れておいてなに言ってんの? 隠したいなら徹底しろよ、周囲が気まずいわ!」
青から赤へと顔色を変えてプルプル震える元同僚とは対照的に、忍野くんは落ち着いた物腰でしゃがみ込み、彼女へと手を差し出した。
「どうぞ。土足の床だから服が汚れますよ。せっかくとてもお似合いなのに」
「本当に止めてくださいよね。あなた僕を逆恨みして退職前に妙な噂流したでしょう。おかげで今も会社の人たちにアイドルオタク扱いされて困っているんです。あんな反社会勢力の男とつき合ってるから人間として堕落するんですよ。僕に振られたのが、そんなに悔しかったんですか? 自業自得でしょう」
「はあ?」
……今の会社で彼がどう見られているかなんて、わたしの知ったことではない。
わたしの退職理由は自己都合だったし、上司と彼についての話もしなかった。
元同僚は、しつこく唾を散らしてしゃべり続ける。……ウザい。
だんだん愛想笑いが強張ってきたわたしを、だれかが後ろから引き寄せた。
「お待たせ、沙英。妙な男に関わると危ないよ?」
エッグタルトと二杯のコーヒーを入れたバスケットを片手で持ち、空いた手をわたしの肩に置いているのは忍野くんだった。
それにしてもすごい。
服装だけでも雰囲気が違ったのに、口調まで変えたら完全に別人だ。
声まで変えている。
忍野くんはバスケットをわたしに渡すとメガネを取り、上げていた前髪を乱した。
ネクタイを緩めてシャツのボタンを外し、わたしの元同僚を睨みつける。
それから彼はさっきとはまるで違う、低くてドスの効いた声を出した。
「もっとも危なくなるのは沙英じゃなくてアンタだけどな? どうしたコラ、俺の顔忘れてんじゃねぇぞ?」
「え、あ、お前あのときの……」
元同僚は、顔面蒼白になって震えだした。
って! ダメでしょ、これ!
わたしはバスケットを持ったまま、肘で忍野くんを突いた。
「……どうかしたんですか?」
「あ、いいところに! 変な男に絡まれてるんだ!」
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同行者、だったのかな?
女性は怪訝そうに元同僚を振り返り、それから忍野くんを見て──
「あの、この人がなにか……はうっ!」
なぜかいきなり五体投地した。
……急に体調崩したの?
わたしは後ろの忍野くんにバスケットを返し、彼女の前で中腰になった。
「大丈夫ですか?」
「あの……あの方、忍野薫さまですよね?」
「え?」
おそるおそる顔を上げた彼女の視線の先には、忍野くんがいる。
彼は一瞬で襟を正し、メガネをかけて微笑んだ。
空いた手の人差し指を唇に当てて、ウィンクもする。
「しーっ。……ごめんなさい、舞台挨拶とかではないんです。どうしても生で観客のみなさんの雰囲気を感じたくて、マネージャーに無理を言って来させてもらったんですよ」
「あの、いえ、うちこそお名前を出しちゃってすみませんでした」
マネージャー?……ああ、わたしのことか。
忍野くんは頭の回転が速い。
わたしも彼女に微笑んで、バスケットを忍野くんから受け取った。
横に避けて、彼に場所を譲る。
元同僚が真っ青な顔をして、床に伏せた彼女に声をかけた。
「ど、どういうことだい? まさか君まで、この反社会勢力に属するクズと知り合いなのかい?」
「はあ? やっぱ『キラーナイト』好きとかウソだったんだ」
床に五体投地した女性が顔を上げて、わたしの元同僚を睨みつける。
「なんか怪しいと思ってたけど、もしかしたらと思って一緒に来てバカ見たわ。そうね、アンタ美少女アイドルのオタクだもんね」
「なっ……君までそんなデタラメを信じているのかい? あれは根も葉もない噂だよ」
「個人の趣味は自由だよ? でも勤務中に私用でネット見た挙句、ロックもかけずに席離れておいてなに言ってんの? 隠したいなら徹底しろよ、周囲が気まずいわ!」
青から赤へと顔色を変えてプルプル震える元同僚とは対照的に、忍野くんは落ち着いた物腰でしゃがみ込み、彼女へと手を差し出した。
「どうぞ。土足の床だから服が汚れますよ。せっかくとてもお似合いなのに」
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