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閑話 沈黙の理由
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離縁が決まり、ミランダはそのまま王都のペサーニャ侯爵邸を出て行った。
ベネノとメイドだけでなく男性の使用人も共犯の可能性があるということで、ミランダが言った通りに館を取り囲んでいた衛兵達に連れて行かれたため、今残っているのは侯爵家の三人と侯爵夫妻が領地から連れて来た数人の従僕だけだった。
エンリケが父を見る。
「おかしい……おかしいですよ! ベネノはミランダがいなければ我が家に金が無くなるということを知っていました。白い結婚でミランダが逃げ出さないようにと、僕に彼女を抱くように言ったのはベネノなんです。なのに殺そうとするなんておかしいです!」
「痴れ者がっ!」
ペサーニャ侯爵は両目に涙を溜めて息子を殴りつけた。
「……父上?」
「逃げ出さないように、だと? それが自分の妻に対する態度かっ!」
侯爵は怒りに震えながらも息を整え、溜息交じりに息子に答える。
「ベネノは子を生せぬ体だった。ミランダ嬢と違い自業自得だがな。ミランダ嬢に子どもが出来たら、お前の気持ちが変わるかもしれないと思ったのだろう。それにあの薬は、女性の体の繊細な機能は数ヶ月で壊してしまうが、命を奪うのには時間がかかる。ミランダ嬢が子を生せぬ体になるのを確認したら、飲ませるのをやめるつもりだったのかもしれない。中庭で離縁を歓迎するような素振りだったのは、お前がほざいたようにミランダ嬢有責なら最後に金を絞り出せると思っていたからだろうな」
「……」
しばらく俯いて沈黙した後で、エンリケは顔を上げた。
「でも! でもミランダは酷い女だったんです。ベネノに嫌がらせをしたり、実家で異母弟を苛めたりしていたんですよ?」
「情報源はだれだ?」
「……ベネノです」
「嫌がらせ自体なかったと思うが、自分の婚約者や夫に擦り寄る女を不快に思うのは当然のことだろう? ポンテス伯爵家でのことは……そうか、お前はミランダ嬢とは学園に所属していた期間が違ったのだな」
「はい……」
「確かに学園でそういう噂が流れていたことはある。しかし、噂を流していたのは異母弟とその恋人で、まったくの嘘だったことが暴かれている。……そして、異母弟の恋人の家はサラザール商会との取引きが無くなって潰れた」
「ミランダはそんな酷いことを……」
「違う。サラザール商会の会頭はミランダ嬢の祖父で、会頭補佐は彼女の伯父だ。自分の大事な孫であり姪である娘を貶めるような人間のいる家と、だれが取り引きしたいと思うんだ。サラザール商会の行動は当然のことで……だがミランダ嬢は、それをとても気に病んだ。自分が声を上げれば周囲に多大な影響を及ぼすと知って、傷つけられても沈黙するようになったんだ。そうでなければ、学園卒業時にポンテス伯爵が彼女を跡取りから外した時点で、父親の契約違反を訴えていただろう」
エンリケにはミランダ以外の婚約者がいたことがない。
ペサーニャ侯爵家の身分は高いが、王都から離れた領地は流れる川の氾濫が頻繁に起こる貧しい土地だった。
そんな家と縁を結びたいと思う家などなかったのだ。
「私もミランダ嬢の後ろ盾であるサラザール商会の金目当てだったことは否めない。けれどだからこそ、彼女を大切にするようにお前達にも言っていたはずだ」
「……」
ミランダは何度か侯爵にベネノのことを相談する手紙を出していた。
それが一番少ない影響で問題を解決する手段だと思ったからだ。
しかし、領地に届いたその手紙は、河川工事の監督で家を離れがちの侯爵の代理をしていた夫人によって握り潰されていた。先ほど侯爵が問いただしたことで白状した。
理由はもちろん『可哀相』だからだ。
遊び相手を失ってしまうかもしれない息子が、自分の妻を冷遇したことで夫に叱られるかもしれない息子が『可哀相』だからだ。
侯爵は夫人を睨みつけて言った。
「可哀相なのはミランダ嬢のほうではないか? 最悪の夫と……最悪の義父母を持って」
そう、ペサーニャ侯爵は自分が無実ではないことを知っていた。
領地の河川工事で忙しかったから王都のことはわからなかった、なんて言い訳にもならない。そもそも河川工事が出来るようになったのもミランダの持参金のおかげだ。
これから、その持参金とサラザール商会からの支援金を返済し、使用人が毒を盛ったことに対する賠償金も支払わなくてはならない。
(それだけではない)
サラザール商会との付き合いが無くなったら、王都を離れた侯爵領まで生活必需品を運んできてくれる商人はいなくなってしまう。
可愛い孫、可愛い姪の嫁ぎ先だからと、これまでは儲けを度外視して取引きしてくれていたのだ。
自分が大きな声を上げれば相手が破滅するとわかっていたから、ミランダはずっと沈黙してくれていたのだ。だが、恩知らず達のために自分の命まで犠牲にする必要はない。ペサーニャ侯爵家もポンテス伯爵家も、領地と領民を守るのは当主の役目なのだから──
ベネノとメイドだけでなく男性の使用人も共犯の可能性があるということで、ミランダが言った通りに館を取り囲んでいた衛兵達に連れて行かれたため、今残っているのは侯爵家の三人と侯爵夫妻が領地から連れて来た数人の従僕だけだった。
エンリケが父を見る。
「おかしい……おかしいですよ! ベネノはミランダがいなければ我が家に金が無くなるということを知っていました。白い結婚でミランダが逃げ出さないようにと、僕に彼女を抱くように言ったのはベネノなんです。なのに殺そうとするなんておかしいです!」
「痴れ者がっ!」
ペサーニャ侯爵は両目に涙を溜めて息子を殴りつけた。
「……父上?」
「逃げ出さないように、だと? それが自分の妻に対する態度かっ!」
侯爵は怒りに震えながらも息を整え、溜息交じりに息子に答える。
「ベネノは子を生せぬ体だった。ミランダ嬢と違い自業自得だがな。ミランダ嬢に子どもが出来たら、お前の気持ちが変わるかもしれないと思ったのだろう。それにあの薬は、女性の体の繊細な機能は数ヶ月で壊してしまうが、命を奪うのには時間がかかる。ミランダ嬢が子を生せぬ体になるのを確認したら、飲ませるのをやめるつもりだったのかもしれない。中庭で離縁を歓迎するような素振りだったのは、お前がほざいたようにミランダ嬢有責なら最後に金を絞り出せると思っていたからだろうな」
「……」
しばらく俯いて沈黙した後で、エンリケは顔を上げた。
「でも! でもミランダは酷い女だったんです。ベネノに嫌がらせをしたり、実家で異母弟を苛めたりしていたんですよ?」
「情報源はだれだ?」
「……ベネノです」
「嫌がらせ自体なかったと思うが、自分の婚約者や夫に擦り寄る女を不快に思うのは当然のことだろう? ポンテス伯爵家でのことは……そうか、お前はミランダ嬢とは学園に所属していた期間が違ったのだな」
「はい……」
「確かに学園でそういう噂が流れていたことはある。しかし、噂を流していたのは異母弟とその恋人で、まったくの嘘だったことが暴かれている。……そして、異母弟の恋人の家はサラザール商会との取引きが無くなって潰れた」
「ミランダはそんな酷いことを……」
「違う。サラザール商会の会頭はミランダ嬢の祖父で、会頭補佐は彼女の伯父だ。自分の大事な孫であり姪である娘を貶めるような人間のいる家と、だれが取り引きしたいと思うんだ。サラザール商会の行動は当然のことで……だがミランダ嬢は、それをとても気に病んだ。自分が声を上げれば周囲に多大な影響を及ぼすと知って、傷つけられても沈黙するようになったんだ。そうでなければ、学園卒業時にポンテス伯爵が彼女を跡取りから外した時点で、父親の契約違反を訴えていただろう」
エンリケにはミランダ以外の婚約者がいたことがない。
ペサーニャ侯爵家の身分は高いが、王都から離れた領地は流れる川の氾濫が頻繁に起こる貧しい土地だった。
そんな家と縁を結びたいと思う家などなかったのだ。
「私もミランダ嬢の後ろ盾であるサラザール商会の金目当てだったことは否めない。けれどだからこそ、彼女を大切にするようにお前達にも言っていたはずだ」
「……」
ミランダは何度か侯爵にベネノのことを相談する手紙を出していた。
それが一番少ない影響で問題を解決する手段だと思ったからだ。
しかし、領地に届いたその手紙は、河川工事の監督で家を離れがちの侯爵の代理をしていた夫人によって握り潰されていた。先ほど侯爵が問いただしたことで白状した。
理由はもちろん『可哀相』だからだ。
遊び相手を失ってしまうかもしれない息子が、自分の妻を冷遇したことで夫に叱られるかもしれない息子が『可哀相』だからだ。
侯爵は夫人を睨みつけて言った。
「可哀相なのはミランダ嬢のほうではないか? 最悪の夫と……最悪の義父母を持って」
そう、ペサーニャ侯爵は自分が無実ではないことを知っていた。
領地の河川工事で忙しかったから王都のことはわからなかった、なんて言い訳にもならない。そもそも河川工事が出来るようになったのもミランダの持参金のおかげだ。
これから、その持参金とサラザール商会からの支援金を返済し、使用人が毒を盛ったことに対する賠償金も支払わなくてはならない。
(それだけではない)
サラザール商会との付き合いが無くなったら、王都を離れた侯爵領まで生活必需品を運んできてくれる商人はいなくなってしまう。
可愛い孫、可愛い姪の嫁ぎ先だからと、これまでは儲けを度外視して取引きしてくれていたのだ。
自分が大きな声を上げれば相手が破滅するとわかっていたから、ミランダはずっと沈黙してくれていたのだ。だが、恩知らず達のために自分の命まで犠牲にする必要はない。ペサーニャ侯爵家もポンテス伯爵家も、領地と領民を守るのは当主の役目なのだから──
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